石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第二節 越中平定

甫庵太閤記はかくの如く、成政が濱松に至れるを十二月四日とすれども、家忠日記には『十二月丁卯、越中の佐々内藏助濱松へこし候。吉良信雄樣御鷹野に御座候。御禮申候。むかいにて振舞候。』といへば、是を正しとすべく、丁卯は即ち二十五日なり。然るに越登賀三州志は、甫庵太閤記が霜月下旬に於いて成政の立山越を爲せりと記したるを難じ、その季節に在りては到底之を敢行し得ざるべきを指摘し、且つ成政家康との妥協成立を以て、彼が末森城攻撃を決意したる前提なりと解したるが故に、十一月は字形の相似たるにより七月を誤れるなりと斷じたれども、その説固より何等確實の根據あるにあらず。甫庵太閤記が、成政通過したりとする沙羅沙羅越は、果して今の何れの路線なるかを明らかにせずといへども、『十二月佐々陸奧守濱松へ下。云々。さて頓て歸國、上下信州を通。』と當代記にも記したれば、成政東海道に出でたることの實に十二月に在りて、往復共に信州路を取りし事實に就きては之を是認せざるべからず。