末森の役以後に在りては、
大風一過して波濤忽ち靜かなる能はざるが如く、
加賀・
越中二國の境界線に於いて、常に
前田・佐々二氏の
爭鬪を絶つことなかりき。天正十二年十月十四日
利家は、曩に
成政の爲に奪掠せられたる
鳥越城を回復せんと欲して兵を出しゝが、
鳥越が山中の險難にして、之を力攻すること甚だ困難なるを以て、自らその勢力の弱小なるを示して敵を城外に誘致し、彼等の
退却せんとするに乘じ、付入にして之を
陷落せしめんと謀れり。然るに城内には、最も軍事に長けたる久世
但馬守等の在るありて、固く士卒を警め輕進するを許さゞりしかば、
利家の策終に行はれず、僅かに城外の民屋に火を放ちて
金澤に納馬せり。