石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第一節 末森の戰

戰後利家は、奧村永福千秋範昌以下に對して功を論じ賞を行ふ所あり。特に永福の戰績最も大なりしを以て、利家はこれに自ら使用したる鍾馗の馬標・切裂の腰指・佩刀及び黄金若干を贈れり。馬標はもと武田信玄の有なりしを、その臣上原隨應軒に附與せしが、隨應軒の孫藤五郎のとき利家に上りしものにして、その長さ一丈二尺六寸に及び、畫手は即ち狩野永徳ならんと傳へらる。後世奧村氏の子孫狩野伯圓に命じて幅三尺一寸長六尺六寸のものを摹寫せしめ、以て常用の馬標とせり。本編掲ぐる所の寫眞は則ち後者なり。

 今度遂末森籠城、令苦戰特定、無比類忠節令大慶候。雖少分加増、以押水之内千石扶助畢。並與力之者三十人附與之、仍如件。
    天正十二年九月十六日                    利   家
     奧村助右衞門殿
〔政隣記〕
       ○

 態令啓達候。仍今度佐々内藏助、以多勢末守之城取卷、不晝夜攻戰、其方父子三人丈夫被相蹈、因堅固、早速驅着遂一戰、得勝利本意候段、甚快然之至候。恐々證言。
                           孫    四
    九月十七日(天正十二年)                     利   勝(利長前名)
      奧村助右衞門殿
〔政隣記〕
       ○

 今度末守籠城無異儀特定候之段、無比類候。雖少分加増、以押水之内千俵扶助訖。全可知行者也。仍如件。
    天正十二
      九月十六日                     利   家
     千秋主殿助殿
〔文林雜記〕
       ○

 今度佐々内藏助當城取卷雖相攻候、碎手堅固相蹈候付而、則懸付及一戰、即時切崩得勝利候段、併各丈夫覺悟故、早速遂本意大慶此時候。無比類働共神妙之至候。利家御滿足之事者不申候。其地普請等、彌入念可申付候事專一候。當表諸口何茂無異儀候。是亦可心易候。猶追而可申候。恐々謹言。
                           孫    四
    九月十九日(天正十二年)                     利   勝
      千秋主殿助殿
〔温故足徴〕

鍾馗の馬幟 男爵奧村榮同氏藏