石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第一節 末森の戰

利家の威名は、末森の大捷によりて頗る熾なるに至り、十八日上杉景勝の將須田滿親利家に、土肥政繁等は前田安勝に、並びに書を致して、彼等が同盟の誼を重んじて前田軍に後援せんが爲越中新川郡境城に迫り、火をその邑里に放ちしことを告げ、且つ久しからずして景勝も亦出馬し、自ら成政攻撃するの意ありといひ、以て將來の交歡を請へり。次いで十月二十五日本願寺坊官も亦書を下して、門徒の利家を助くべきと共に、干戈を動かすべからざるを諭せり。

  追而任到來初雁貳進覽候。寔不左道躰候。恐々。
 雖申通一翰令馳候。仍佐々内藏助企逆心、栗柄・小原口相働之由候之條、兼而被合首尾、爲後詰越中向境之要害押詰、在々令放火候。從景勝直書申入候。近日此口へ可進發候。今般能・加兩州堅固之御備、誠以御勇力不淺存候。貴國當方被申談上は、佐々内藏功可討果事不踵候。從此方差上飛脚下向、才覺分を尾州表秀吉公思召儀由、目出度珍重候。尚委細河口定左衞門尉可演説候。恐々謹言。
    九月十八日                     滿   親(須田) 在判
      前田又左衞門尉殿
           御宿所
〔温故足徴〕
       ○

 雖申通啓達候。仍而佐々内藏助栗柄・小原口相働由候之條、當方被合首尾、爲御後詰須田相模守初而隨分衆數多令同心越中向境之要害被押寄、在々令放火候。近日可出馬候。今般能・加兩州堅固に御備、誠以御勇力難帋面存候。貴國當方被仰談上者、佐々内藏滅亡眼前候。隨而前田又左衞門尉殿へ各以書状申入候之條、可然樣御取成奉憑存候。彌爰元時宜可御心安候。猶重而可申宜候間、不子細候。恐々謹言。
                           土肥美作守
    九月十八日(天正十二年)                     政   繁 在判
                           唐人式部大輔
                              親   廣 在判
                           寺島平九郎
                              信   鎭 在判
                           齋藤五郎次郎
                              信   言 在判
                           神保宗四郎
                              昌   國 在判
      前田五郎兵衞慰(安 勝)殿
         參御宿所
〔古蹟文徴〕
       ○

 今度越中當國鉾楯之儀、不是非次第候。就前田殿連々對御門跡樣別而御入魂之儀候間、各得其意疎略、相應之儀可馳走事簡要候。自然一揆等之儀に付、何方申催儀雖之、兼而如仰出、惣別弓箭之儀堅御停止之事間、左樣之儀一切不同心候。萬一違背候族於之者、可放御門徒候旨、多重可申越由被仰出候。則所御印件。
                           刑部卿法眼
    十月廿五日(天正十二年)                     頼   廉 在判
      能州鳳至郡
        坊主衆中
        同惣門徒中
〔鳳至郡本誓寺文書〕