第二章 加賀藩治創始期
第一節 末森の戰
坪井山の本營に在りし成政は、利家の既に來援して越中軍が敗衂せる状を聞き、自ら手兵を率ゐて雌雄を一擧に決せんと欲したりき。然るに利家は速かに隊形を整へ、一陣に村井長頼、二陣に奧村永福・種村三郎四郎、三陣に不破勝光、四陣に利長、五陣に利家の手兵を備へて敵の逆襲を待ちしかば、成政は利家の軍事に長けたるを感じ、戰を交へずして軍を班せり。利家或は成政が津幡城を襲ひてその餘憤を漏らさんことを恐れ、遙かに之に尾して彼が行動を監視せしに、成政は津幡に注目することなく、鳥越附近を過ぎて馬を納れたりき。是より先、鳥越の城主目賀田又右衞門・丹羽源十郎は、利家の末森に破れたりとの訛傳を得、直に守備を捨てゝ逃走せり。成政乃ち城中の空しきを知り、一矢を費さずして之を收むることを得たり。利家之を聞きて大に怒り、急に兵を遣はして城を復せんと欲せしが、諸將皆諫止せしを以て之に隨ひ、十二日を以て金澤城に入る。而して又右衞門等に對しては、多く年所を經るの後、向その怒を解かざりき。
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