石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第一節 末森の戰

誓文日記
 魔利支尊天武士名利(冥)、別而日本國大小之諸神、氏神明(神脱カ)奉初、自他之功名無虚説、正直日記。末後後來必不佗見也。第一恐之嘲而已。
 第一、當世之武將徳川内大臣家康尊公者、延喜天暦之追跡(垂)、文王武王之勇徳、普天率土之濱迄誰是無仰也。爲士者日々可拜可敬、御戰功數々不記矣。第二、日本國諸大名之御戰、度々之御功名、聞傳見及申儀雖之、恐多に付而略之。某根元之主公者賀州之太守、依夫御戰功奉存事、常々語り傳たる通り無相違。其後福島左衞門大夫正則公之御家士、牢人分にて數度之戰場を相勤候。第三、御旗本諸大名家中之諸士面々の戰功も荒々見屆、慥成品々世間に語傳たる事不記。乍去關ヶ原關東御中之日記に端々記置也。
 一、某し昔日賀州之太守公に御奉公相勤候刻、能州末森陣天正十二年にて有之。同十一年五月十一日に、加州太守公前田又左衞門利家公、以奧村助右衞門尉能州末森之城主に被仕、奧村嫡子助十郎・二男又十郎、父子三人にて令入部
 一、右十二年之末森陣は、佐々内藏助奧村氏を攻めんため末森に押寄、既に奧村危段利家公被聞召末森迄御出馬に付、某も御供被仰付候。達者剛強之者御より(撰)、人數八騎は御急ぎに付御馬廻之御供と被仰出、道にて大切之人留に御先え某を物見に被遣、其首尾を相勤預御褒美
 一、末森にて馬廻り之頭を被仰付候。利家公御人拂ひにて段々被仰渡旨、一々大切之御名言共、末代迄之可軍教と奉存記置侍。末後御秘事之大切也、深く可謹蜜(緊密)。篠目如左。
 一、利家公被仰次第、其方若者と雖、第一剛情にて諸卒を勇(イサメ)、人皆慕望すること被聞召知に付而、一大事を御相傳之上夜廻之大將を被仰付間、御相傳之子細肥前守樣へも堅く申上間數段、誓紙被仰付侯。於某難有段奉骨髓、此御ヶ條末代可尊蜜(マヽ)
 一、末森之城守奧村助右衞門尉を、佐々内藏助取懸り手痛攻戰ふ。勿論太守公も後見に被御出馬、各御供申者火花を散し、行懸りに相働面々有戰功、又は不幸にして打死手負候者も有之。大手之敵方馳集り、竹楯其外盡軍慮、無間無透平攻に攻る時、助右衞門尉大手の角矢倉にて下知して在り。子息助十郎搦手横相より打出、自身働に及ぶ。其時佐々氏家の子佐々勝五郎と申侍、無隱勇力之者にて有之兵もの、奧村助十郎を見懸、無二無三に打合せて暫勝負を決す。太守公被御覽、助十郎うたすなと蒙御意折に、幸と思ひ入亂れたる眞中一散に馳敗(破)り、可兒才藏上意助情仕(勢)るぞと云ふより早く、勝五郎を鑓にて一なぐりなぐりすえたれば、鑓の柄中程より折れたり。助右衞門尉是を見、矢倉より鑓をえいやうと投越し、見たるや可兒殿とよばわりたる大音耳に入、則彼鑓を戴、彌氣を得てたゝみかけ、勝五郎を捕を(押)さえ、助十郎に遂本望させたり。内藏助是を見、それもらすなと下知をする程に、うん蚊の如くたかり懸る。其足双(アシナミ)を見合せ、彼勝五郎が馬を引寄せて則飛乘り、無二無三に懸敗り、御本陣え參ければ、味方にて城中迄吐氣(閧)を擧たり。時之面目と申、預御褒美き。其時奧村よりもらいたる鑓は、左衞門尉全房政定之作鑓也。于今所持之傳る者也。
 一、自末森御歸陣後、有自餘之妨賀州牢人仕。尾州以來之御芳恩を令忘却に似たりと雖、某達存念御家に居候時は、御爲に不罷成品々有之に付、無是非罷退牢人と罷成候。根本之御主君なれば、末代忘却仕間敷事。
 一、佐々内藏助馬驗は菅笠三蓋にて有を、奧村助右衞門尉鐵炮の名人にて、三蓋ながら射落し、諸軍吐氣(閧)を擧る。弓鐵炮の名人に、一陣にて指物等射敗れては、殊之外見苦敷事を節々見及故、某は切竹に少枝を殘し指物にして、一生人双(ヒトナミ)に相勤る也。(下略)
 命(冥)土黄泉に手づとに致んと存じ如此令日記ぬ。不慮にして露命數度之關所を遁來て、又殘末後やと調記之。去程に某姊に一代離俗而終也。讀書を樂、早製身(マヽ)而隱死矣。彼尼笑、于世其方程文盲無風流成人可。自文武二道をこそ美するは上士也。されども從若年亞相大納言利家公被寵憐、御出馬毎に御馬廻不召放召遣候由、如何樣之尊縁たるぞと不審あり。其時某若年の成立を語りたり。某十四歳の夏、近所にをそろしき變化のものありと慥に云ふもの有。先如何樣のものか見申産存、夜中に其邊え參候へば、何かは不知藪の竹中より馳出、某を組付たる程に、暫く攻合、組留て搦たれば無疑人間也。是何ぞと穿議したりければ、亂心者に極り、其人主に相渡す。其前廉彼ばけものと云にをくれたる者もあり、皆人奇怪に申廣め、達上聞たること成により、太守公之御耳に入、其事年齡に合ては氣量大き也とて、翌年奧村助右衞門烏帽子親に被仰付、十五歳にて元服仕、初而御鷹野へ御供に被召連候時、大河之邊に而、河之向より急に御用之由にて、御自身扇子を被開御招、御近習より呼懸々々被召候。橋有所え通り候はゞ一町餘有之に付、大小さしながら水底をは(這)い候而、一町程之河一散に馳渡伺公仕候。乍若輩氣情(氣丈)者也と被御褒美、從夫毎御出馬御馬廻り寄御人數と被成、不召放候而剛強之御奉公相勤候。如仰文盲第一、是而已口惜存念候得ども、文學之暇は一生如此と申候得者、せめて歌と云ものを心に懸、三十一文字を連て心の和と可樂と異見申程に、上下五文字七文字を双ぶることを習、一代に只一首の歌と申納む。抑笑再拜。
  竹ならば割ても見せんわが心直の外に節もよもなし
 此書卷軸之竹歌、直道を申事、誓文日記には尤也と、或人感之給る也。
                         可兒才藏
                            竹葉軒才入印
〔加賀國初遺文〕