石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第一節 末森の戰

十一日黎明前田軍羽咋郡今濱に入りしも、敵の川尻を守るものゝ知る所とならざりき。今濱以北兩路ありて、一は成政の本營坪井山に至り、一は末森に達すべし。村井長頼乃ち利家に乞ひ、敵本營の不意を撃ちて之を一蹴せんとす。利家曰く、不可なり。成政固より軍事に長けたり。彼能く地利を擇びて營を布くべし。我は寧ろ直に末森を救援せんと欲す。今日の事宜しく我が命に背くこと勿れと。是に於いて長頼は不破勝光等と共に進みて成政先鋒を破り、利家利長と共に中堅を率ゐて城後に出でたり。敵將野々村主水・本庄市兵衞・齋藤半右衞門・櫻勘助等銃を集めて之を防ぐ。利家疾呼し、左右に命じて之を討たしめしに、篠原一孝・富田六左衞門重政、馬廻組の士半田半兵衞・山崎彦右衞門等縱横力戰せり、城兵之を見て亦勢を得、門外に突出して大に奮鬪し、斬獲する所七百五十餘級に及ぶ。利家乃ち城に入る。この時永福等、僅かに本丸の一區を保ち得たりしのみ。

 一、末守之城御後卷被成、大納言樣・利長樣彼城へ被御移候所、佐々内藏助本陣坪山より馬廻三千斗にて、御父子樣被御通候庭、御跡より末守之城迄押詰、返攻可仕行相見候處、大納言樣は末守本丸え被入、利長樣は二丸へ被御座。其砌本多三彌御家中被居候處、利長樣御近所え被召寄、内藏助旗本退口之御手立御談合被遊候。其時拙者(横山長知)、利長樣御鐵炮頭上坂又兵衞・稻垣與右衞門抔打交、御先手え罷越有之處、從利長、御近所へ罷越可之旨度々御使者下候付而、二丸迄罷越御傍に罷在候故、申立に可仕働無御座候。于今無本意存事候。
〔横山長知武功書〕