石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第一節 末森の戰

末森城が包圍せられたりとの戰報は、十日金澤に達せしに、利家は申刻を以て直に甲を擐して起てり。利家夜話には、『御具足召候時、上帶を御切被成候故、討死と御究被成候と何も奉存候。』といひ、甫庵太閤記は『物具取て着給へば、簾中御心に思召事もや有けん、熨斗鮑(ノシアハビ)・搗栗(カチグリ)など取すへ、手づからあたゝめ酒を持出、門出を祝ひ給ふ内にも、なごりおしげなる氣は見えながら、門出をいはふことの葉よはからず、さすが弓取のつまに備り給ふしるしかなと覺え侍る。』と例の健筆を振へる如く、いづれにしても利家が四十七歳の今日までに、千軍萬馬の間を馳驅して築き上げたる家門の基礎を空しく顚覆せらるゝか、若しくは更に之を磐石の如く鞏固ならしむべきかの岐路に立てる彼の首途と、彼の夫人が送別の光景の如何に悲壯にして痛快なりしかを見るべし。この匇忙の裡に在りで利家は部署を分かち、村井長頼・不破勝光・種村三郎四郎・片山延高・岡島一吉等を先鋒とし、利家の兄藏人利久・魚住隼人等をして金澤城の留守たらしめき。篠原勘六一孝時に横痃を患ふ。因りて又留守たらしめられしも、命を奉ぜずして恣に發せり。