石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第一節 末森の戰

成政は坪井山に至りて之を本營とし、先づ神保氏張父子を將として川尻に陣せしめ、以て利家金澤より來援するあらば之を撃退するの任に當らしめ、別に山下甚八・佐々平左衞門・前野小兵衞・野々村主水・菊池伊豆守・同十六郎・寺島甚助・同牛之助・本庄市兵衞・野入平右衞門・齋藤半右衞門・佐々與左衞門・堀田四郎右衞門・櫻勘助等をして、末森城下に迫りて火を放たしめんとせり。末森城の副將土肥伊豫之を見て、上下二百餘人を率ゐ突出して悉く戰ひ死せり。奧村永福も亦城外に出でゝ敵を支へんとせしが、攻圍軍の爲に付入にせられんとする恐あるを思ひ、自ら民家を焚きて退きしに、敵果して之を追ひしかば、三輪勘左衞門・野瀬次郎右衞門は防戰して彼等を刺殺せり。時に永福は三の丸の外に在りしが、衆寡途に敵すべからずとなし、士卒に命じて盡く城中に入らしめき。然るに士卒誤つて三の丸外構の揚簀戸を閉さずして退却し、敵直に三の丸に侵入したるを以て、野崎孫助・同與左衞門兄弟はこれを驅逐して揚簀戸を下し、而して敵は凱歌を擧げて之を固めり。成政戰状を視察し、前線の兵已に疲憊せるを以て、平左衞門の隊をして代り攻撃せしむ。永福乃ち兵を集めて靜かに防守の策を講じ、その子助十郎榮明・叉十郎易英は城内之巡りて警戒を加へ、助右衞門の妻は、自らを煮て勸めしかば、城中の士氣爲に大に振へり。

奧村永福畫像 金澤永福寺