石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第二章 加賀藩治創始期

第一節 末森の戰


 一、私先祖田畑兵衞、能州口郡の領主三宅彈正家秀より、能州羽咋郡志雄之保南山之蛇崩・十八尾・泉原と申山三ヶ所被扶持候。折紙今以所持仕申候。
 一、天正十二年、能州末守奧村助右衞門殿御在城之刻、越中より佐々内藏助殿御人數被催、末守え被押懸候刻、私先祖田畑兵衞先達而奧村助右衞門尉並金澤え茂御註追申上候。就夫高徳院(利家)樣に助右衞門殿より御申上候處に、御出馬被成候。高松濱之手より御通被成、御後卷被遊候處に、佐々内藏助殿御引被成候。其後先祖田畑兵衞召出、奧村助右衞門殿御取次を以、何樣の儀に而も望可申上旨被仰出候に付、古より支配仕來候山奉願候處に、持傳候山爲御扶持天正十二年十一月六日御書頂戴仕、名を高桑兵衞と被成下候。然處其以後亂妨に逢申刻、右之御書御文言之内さきとられ、者也仍如件と御座候所、高桑兵衞と御宛所、御判、年號月日付迄殘御座候故、奧村助右衞門殿え其段御斷申上候。若御判之物さきとられ候御文言之冩、並御判年號盡日付、又は相殘御文言、高桑兵衞と御座候所、今以所持仕申候。
 一、右亂妨に逢、御書さきとられ候に付、天正拾九年に奧村助右衞門殿御取次を以て、持分之山前々通爲御扶持、同年十一月七一高徳院樣御印御改被下、名を御替、田はた兵衞と被成下、御印頂戴仕、其御印を以二代目田畑兵衞・三代目田畑兵衞茂、無相違支配山被下成候。則御印今以所持仕申候。
〔田畑兵衞由緒帳〕
       ○

 志雄之保南山之内、蛇崩十八尾並泉原、如先規下付候。就其代替爲祝儀、五十疋到來目出度候。猶豐田方より可申候、謹言。
    九 月 三 日                  家   秀 在判(三宅)
      田端兵衞入道殿
〔田畑文書〕
       ○

 其表之有姿聞屆致馳走に付而、持傳候山之儀令扶持候。於向後に相違者也。仍如件。
    天正十二年十一月六日                利   家 在判
      高 桑 兵 衞 殿
〔田畑文書〕
       ○

 澤川の田はた持分の山、如前々扶持之條、他方よりかりとるにおゐては可注進もの也。
    天正十九 十一月七日                利   家 印
      澤  川
        田はた兵へ殿
〔田畑文書〕