石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第一章 領主及び領土

近江に於ける加賀藩領は、前田利家上洛の途次宿泊の利便に供せんが爲、豐臣秀吉より高島郡今津西濱九百二十八石四升、弘川之内九百三十六石五斗三升、合計千八百六十四石五斗七升の地を與へられたるに初る。然るにその朱印状の原本は、年紀の數字磨滅したるを以て、古來これに關して種々の議論あり。世人往々、寳暦五年巡見上使の來れる際加賀藩の提出せる書面に、利家近江領加賜せられたるを文祿二年に在りと記したるが故に、同年を以て之に擬するものありといへども、當時利家は未だこの文書の宛所の如く中納言に陞らざりしを以て、その非なること明らかにして、北徴遺文に文祿四と記したるを正しとすべく、同書は原本の未だ磨滅せざりし時に影寫せるを傳へたりと思はる。その後秀吉の命じてこの地方を檢地せしめし時、小出政秀の臣谷理右衞門は今津を丈量して高千百五十九石八斗三升九合と定め、片桐且元の臣安養寺喜兵衞は弘川を丈量して高千百石四斗四升三合と定めたるを以て、加賀藩の領有合計二千二百六十石二斗八升二合となれり。而してこの檢地は、今津の邑長甚右衞門より加賀藩に提出したる書類に慶長七年とすれども、秀吉の薨ぜし同三年以前に在るべきなり。

 近江國高島郡今津西濱九百貳拾八石四升、同弘川之内九百三拾六石五斗三升、都合千八百六拾四石五斗七升之事、上下之爲宿所扶持訖。全可領知者也。
    文祿四 三月六日                  朱   印(秀 吉
      加賀中納言前田利家)どのへ
〔北徴遺文〕
       ○

 高千百五拾九石八斗三升九合       高島郡善積庄之内 今津
  慶長七年八月二十日小出播磨守内谷理右衞門檢地帳之面。
 高千百石四斗四升三合          高島郡善積庄之内 弘川村
  慶長七年九月古日片桐市正内安養寺喜兵衞檢地帳之面。
 合貳千貳百六拾石貳斗八升貳合
 右之通跡々より御納所仕來候。
    寛文四年三月廿八日                今津村 甚右衞門 在判
      御算用場加賀藩
〔越登賀三州志〕