第一章 領主及び領土
明暦元年白山嶺上神祠修造の權利に關し、加賀藩の領民と越前藩の領民と紛議を釀し、容易に解決を見ず。幕府乃ち寛文八年に至り、加賀藩に屬する能美郡尾添・荒谷の二村を削りて、越前領たりし白山山麓の牛首・風嵐・島・深瀬・下田原・鴇ヶ谷・釜谷・五味島・女原・二口・瀬戸・新保・須納谷・丸山・小原・杖十六ヶ村と共に、之を幕府直轄の地となし、加賀藩に對しては、その代償として近江高島郡海津の中村を與へたりき。是を以て享保二年將軍吉宗の前田綱紀に與へたる判物は左の如く、その目録も亦寛文四年のものに、近江國高島郡之内今津村・弘川村高貳千貳百六拾石貳斗八升壹合とありたるを、近江國高島郡之内三ヶ村貳千四百三拾石餘に増加したるを見る。
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