石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第一章 領主及び領土

寛永十六年六月前田利常幕府に請ひ、その領地八十萬石を長子光高に讓りて家を襲がしめ、自ら小松城退老して、新川郡及び能美郡の一部二十二萬二千七百六十石を養老領とし、また之と同時に、次子利次に十萬石、三子利治に七萬石を分かちて支たらしめき。世に富山藩及び大聖寺藩と稱せらるゝもの即ち是にして、宗加賀藩と呼ぶを例とせり。富山大聖寺の領邑は初め一所に集團せず、富山藩能美郡に二萬石、婦負・新川二郡に八萬石なりしが、萬治三年以降婦負・新川二郡十萬石となり、大聖寺藩新川郡四千三百餘石の外、江沼郡全部なりしが、また萬治三年新川郡の地を能美郡六ヶ村と交換して、江沼郡と連接の地を有するに至れり。但し江沼郡の中那谷村のみは初め利常の領なりしが、後大聖寺藩領となる。