射水市新湊博物館/高樹文庫「石黒信由関係資料」

石黒信由関係資料

5 測量

(1) 測量・製図器具


no史資料名史資料記号
(目録番号)
原本画像目録翻刻現代語訳
器具[1][測量器具]軸心磁石盤 120度目盛・磁石台器具3画像目録--
[2][測量器具]軸心磁石盤 120度目盛器具1画像目録--
測量書[3][測量書]「測遠用器之巻」享和二年一(二)827画像目録--
器具[4][測量器具]磁石台器具2画像目録--
測量書[5][測量書]「測遠用器之巻」享和二年一(二)827画像目録--



[1][測量器具]軸心磁石盤 120度目盛(じくしんじしゃくばん)・磁石台(じしゃくだい) [解説]
 
sokuryo03  [目録 器具3]
 
おもり付きの糸を垂らした磁石台の上に120度目盛の磁石盤をセットし測点間の方位や、測点から目印となる遠くの山等への方位を測りました。まず、測点に磁石台を置き糸と台の足が平行になるよう調整します。そのうえに磁石盤を乗せ、片方の視準からもう一方の視準を通して目標物が一直線に見通せるよう磁石盤全体を回します。磁針の動きが止まったあと、磁石の北と目盛盤の北(子5度)が合うように円形の目盛盤を回転します。この位置で円周上の目盛の度数を読み取り、目標物への方位を計測しました。      画面トップ
 
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[2][測量器具]軸心磁石盤 120度目盛(じくしんじしゃくばん) [解説]
 
sokuryo01  [目録 器具1]
 
測点間及び目印となる遠くの山等ヘの方位を測る器具です。元富山大学教授鳥取孝太郎のコレクションで、磁石台・地割紙・間縄の篗(わく)等とともに携帯用の箱のなかに収納されています。箱の底裏に「磁石并台 料銀一枚七両 文化十一年戌初夏求之 作者高陵住人錺屋清六」とあり、文化11年(1814)4月に高岡御馬出町の細工人、錺屋(かざりや)清六が作製したことがわかります。清六は信由考案の磁石盤や磁石台、コンパス、曲尺など精巧な測量・製図器具の製作者です。さらに、地割紙の箱書から信由門人で砺波郡戸出町の菊池橘五郎與之が所蔵していたこともわかります。この磁石盤の目盛は十二支を10等分した120度で、さらに1度を半分に分割しています。信由は寛政7年(1795)から享和2年(1802)までこの120度目盛の磁石盤のみを使っていますが、同3年から240度目盛、文化8年(1811)から360度目盛のものを本格的に使い始めました。それでも120度目盛のものも併用しており、孫信之も嘉永4年(1851)まで用いています。この磁石盤は目標物を見通す視準を回転させるのではなく、目盛盤を回転させる様式となっています。磁針と目盛の南北を合わせて、目標物への方位を読み取ります。信由著『測遠用器之巻』に図解されています。奥行25.4cm、幅15.2cm、高さ5.0cm、目盛盤の直径15.1cm。      画面トップ
 
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[3][測量書]「測遠用器之巻」享和二年
 
1-2-0827_00_17  [目録 一(二)827]
 
17ページ目に軸心磁石盤 120度目盛について掲載されています。      画面トップ
 
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[4][測量器具]磁石台(じしゃくだい) [解説]
 
sokuryo02  [目録 器具2]
 
磁石盤を乗せる台として従来から1本の棒を土中に突きさす杖(つえ)や、その棒の先に台がある略町見台(りゃくちょうけんだい)があり、信由も『測遠用器之巻』に図解しています。この磁石台は、台の裏からおもりを付けた糸を垂らし、台の足がこの糸と平行になるよう調整することで磁石盤を水平に保つという改良型です。同書に磁石台として図解しており、信由は強盗式磁石台を考案する文政2年(1819)頃までは、このおもり付きの磁石台を用いていました。120度目盛磁石盤と一セットで、文化11年(1814)錺屋(かざりや)清六が作製し、信由門人で砺波郡戸出町の菊池橘五郎與之の旧蔵品です。台と足は組立式で各々分解して携帯用の箱に収納しました。おもりを付けた糸は切断後の補修のため短くなっています。元富山大学教授鳥取孝太郎のコレクションです。奥行・幅とも31.7cm、高さ67.5cm。      画面トップ
 
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[5][測量書]「測遠用器之巻」享和二年
 
1-2-0827_00_02  [目録 一(二)827]
 
2~5ページ目に磁石台について掲載されています。      画面トップ