射水市新湊博物館/高樹文庫「石黒信由関係資料」

石黒信由関係資料

2 越中・加賀・能登

(3) 加賀

④ 能美郡の絵図


主図no史資料名史資料記号
(目録番号)
原本画像目録翻刻現代語訳
絵図[1][清図]「能美郡若杉村八兵衛組松任町内検地領絵図」文化九年二月三(一)C133画像目録--
古文書[2][野帳]「能美郡松任町埴田村和気村原村内検地領廻右村々分間野帳,能美郡松任町内検地領廻り分間野帳,能美郡埴田村内検地領廻分間野帳,能美郡和気村領廻り分間野帳,能美郡原村内検地領廻り分間野帳」文化九年二(二)117画像目録--
[3][記録]「能美郡松任町領境等分間番杭帳」文化九年二月二(二)118画像目録--
[4][日記]「能美郡内検地御用留帳」文化九年二月二(二)120画像目録翻刻-
[5][日記]「分間方等御内御用留帳」文化九年三月二(二)129画像目録翻刻現代語訳



[1][清図]「能美郡若杉村八兵衛組松任町内検地領絵図」文化九年二月
 
3-1-C133  [目録 三(一)C133]      
 
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[2][野帳]「能美郡松任町埴田村和気村原村内検地領廻右村々分間野帳,能美郡松任町内検地領廻り分間野帳,能美郡埴田村内検地領廻分間野帳,能美郡和気村領廻り分間野帳,能美郡原村内検地領廻り分間野帳」文化九年
 
2-2-0117_00  [目録 二(二)117]      画面トップ
 
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[3][記録]「能美郡松任町領境等分間番杭帳」文化九年二月
 
2-2-0118_00  [目録 二(二)118]      画面トップ
 
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[4][日記]「能美郡内検地御用留帳」文化九年二月 [翻刻]
 
2-2-0120_00  [目録 二(二)120]      画面トップ
 

表紙   文化九年    画像  画面トップ
 
       壬申二月
 
    能美郡内検地御用留帳
 
        高木村
           藤右衛門
 
1    一、二月五日 天気    画像  翻刻トップ  画面トップ
       宅出立、金沢へ参着、
       五十里、中川、下条三親司
       様へ着ノ案内仕候、
 
    一、同六日 風雨
       高木村藤右衛門等手合、二月八日
       御当地出立高坂村へ指向、
       夫ゟ御舘村、荒屋村、松任町、
       能美村、埴田村、是ゟ末其
       節様子次第、
 
2       放寺村彦右衛門等手合、二月八日    画像  翻刻トップ  画面トップ
       御当地出立、漆村へ指向、夫ゟ
       本江村、西原村、日用村、布橋
       村、是ゟ末其節之様子次第、
       今井村文右衛門等手合、御当地
       出立、和気村へ指向、夫ゟ原村、
       若原村、
       右之通今日相談之上、相
       窺相極候間、其心得可有之候、
       指閊候義心付候ハヽ被申聞
       候様致度候、以上、
        二月六日   田井村次郎吉    画像  翻刻トップ  画面トップ
               田中村小四郎
          藤右衛門殿
          辰右衛門殿
          庄九郎殿
          彦右衛門殿
          彦次郎殿
          宅右衛門殿
       覚
     二月八日  高木村藤右衛門
       発足  舟川新村辰右衛門
           白瀬村庄九郎
           〆
 
3     二月八日  放寺村彦右衛門    画像  翻刻トップ  画面トップ
       発足  古戸出村彦次郎
           経田村宅右衛門
           〆
      跡ゟ  今井村文右衛門
           古軸屋村義右衛門
           石丸村六右衛門
           〆
      跡ゟ  西広上村四郎右衛門
           子浦村勘右衛門
           本領八百村忠次郎
           〆
      右之通被仰渡候所、荒屋村    画像  翻刻トップ  画面トップ
      等近在鶴たまり御用
      ニ付、暫ク御見合ニ相成候
      申候、
     一、同七日  時々雨
     一、同八日  北風
     一、同九日  天気
        二月十一日発足
          高木村藤右衛門
          舟川新村辰右衛門
          白瀬村庄九郎
 
4          〆    画像  翻刻トップ  画面トップ
          外ニ 竿取人
              中川村義兵衛
       但、松任町、埴田村、和気村、
       原村 〆四ケ村
          放寺村彦右衛門
          古戸出村彦次郎
          経田村宅右衛門
          〆
          外ニ 田中村仁六
       但、本江村、西原村、日用村、
       布橋村 〆四ケ村
          西広上村四郎右衛門    画像  翻刻トップ  画面トップ
          子浦村勘右衛門
          本領八百村忠次郎
          〆
          外ニ 嶋村吉兵衛
             戸出村与一郎
       但、運上嶋行、
      右之通被仰渡候間、夫々用意
      いたし出立可有之候、十二日
      朝ゟ手初可有之候、以上、
       二月九日  田中村
               小四郎
 
5        右縄張人中    画像  翻刻トップ  画面トップ
       追而竿取人、各ゟ可被申談
       候、以上、
     一、荒屋村等近辺鶴御用
       ニ而鷹師等罷出候ニ付、当月
       中内検地相成不申ニ付、
       今井村文右衛門等手合縄張
       三人御用無之旨被仰渡、
       当十日ニ金沢発足、帰村
       仕候、
 
    一、同十日 天気
        内検地方入用物    画像  翻刻トップ  画面トップ
        御渡之覚
      一、壱本   青墨
      一、弐つ   雌黄
      一、壱本   浅き
      一、壱本   しゆせき
      一、壱本   むらさき
      一、弐本   白墨
      一、壱本   朱墨
      一、八拾枚  山田紙
      一、弐束   中折
      一、七十枚  のし中折
      一、三拾丁  蝋燭
       〆      十五匁懸
 
6    一、同十一日 天気    画像  翻刻トップ  画面トップ
         高木村藤右衛門
         舟川新村辰右衛門
         白瀬村庄九郎
          外ニ竿取人
            中川村義兵衛
       右人々金沢出立ニ而松
       任町へ参着、
     一、放寺村彦右衛門等三人
       右同断、本江村へ罷越候、
     一、西広上村四郎右衛門等三人、
       運上嶋へ罷越候、
     一、内嶋村孫作殿運上嶋    画像  翻刻トップ  画面トップ
       切わけ方ニ四郎右衛門等召
       連御出役、
 
7       内検地村々へ出勤、    画像  翻刻トップ  画面トップ
 
    一、二月十一日 天気
       金沢出立、松任町
       組合頭次左衛門方旅宿
       ニ而泊り申候、
 
    一、同十二日 天気
       松任町領分間仕、
       七つ時頃ゟ夜中ニ
       至而下絵図相調申候、
 
    一、十三日 時々雨    画像  翻刻トップ  画面トップ
       松任町領下縄張立
       相済、七つ時頃ゟ下絵図
       相仕立申候、
 
    一、同十四日 時々小雨
       朝飯前下絵図相仕立、
       四つ時頃松任町出立
       埴田村ニ相向、尤埴田村 
       清作殿手代次右衛門方
 
8       旅宿へ参着仕候、中飯    画像  翻刻トップ  画面トップ
       後八つ時頃ゟ埴田村
       領中道筋分間仕候、
 
    一、同十五日 北風
       埴田村領廻り大領之所
       分間仕、昼後ゟ藤右衛門
       右下絵図相調申候、辰右衛門、
       庄九郎ハ分間ニ罷出候、
       夜中懸テ下絵図相調、
       谷入等之所相残申候、
 
    一、同十六日 天気    画像  翻刻トップ  画面トップ
       高領之所角縄四ケ所、
       縁端拾一ケ所、〆十五縄
       張申候、
       中川村義兵衛親佐右衛門
       病気ニ付、飛脚十五日
       ノ夜為遣候ニ付帰村
       仕候、
       右義兵衛為代り竿取
       戸出村与一郎運上嶋
       ゟ昼九つ時ニ罷越候、
 
9    一、同十七日 七つ時頃小雨    画像  翻刻トップ  画面トップ
       下領并人家之所ゟ谷入
       等角四ケ所、縁端十文字
       縄三十八把、〆四十弐縄
       張立申候、
       能美郡若杉村八兵衛殿
       組浜田村長兵衛先達而
       縄張人誓詞仕者共
       内分見習与して
       十三日ゟ十八日迄、松任
       町、埴田村へ縄張手
       伝ニ罷出候、
 
    一、同十八日 雨風    画像  翻刻トップ  画面トップ
       昼前三ケ所谷内分間、
       下絵図相調申候、
       昼後藤右衛門縄入下絵図、
       辰右衛門、庄九郎右三ケ所谷内
       縄張仕申候、
    一、同十九日 天気
       五つ半時頃迄藤右衛門ハ縄入、
       下絵図壱枚相調申候、
       辰右衛門、庄九郎、人家之所
       壱縄張立、是ニ而下縄
 
10      相済、都合八十縄御座候、    画像  翻刻トップ  画面トップ
       夫ゟ出立、和気村へ罷越、
       昼後寺井ゟツルキへ之
       道筋分間仕候、
        和気村旅宿
            礒右衛門
 
    一、廿日 天気
       分間仕候、
 
    一、同廿一日 天気
       昼前下絵図、昼後ゟ
       下縄張懸り申候、角縄
       弐つ、十字弐つ、〆四縄
 
    一、同廿二日 同
       下縄張四十二縄張立    画像  翻刻トップ  画面トップ
       申候、
 
    一、同廿三日 北風
       下縄四十縄張立申候、
 
    一、同廿四日 北風
       藤右衛門、庄九郎昼前
       後谷分間并下縄、
       昼後ゟ藤右衛門下絵図
       相調申候、
       辰右衛門川ノ向等下縄張、
       庄九郎共昼後同所下
       縄張申候、
 
11   一、同廿五日 天気    画像  翻刻トップ  画面トップ
       藤右衛門下縄相調済
       并御奉行所へ上ケ
       申手絵図も相調申候、
       辰右衛門、庄九郎昼前
       迄下縄張仕廻り申候、
 
    一、同廿六日 同
       朝飯前和気村下絵図
       相調済、下しらへ絵図
       壱枚袋ニ入、同村肝煎
       孫兵衛使ニ而、埴田村ニ而
       田中村小四郎殿へ上ケ    画像  翻刻トップ  画面トップ
       申候、
       原村江罷越、本領之所
       分間仕候、
          原村旅宿
             七郎兵衛
 
    一、同廿七日 天気
       原村谷入之所分間 
       仕、昼後大角縄等
       張申候、
 
12   一、同廿八日 天気    画像  翻刻トップ  画面トップ
       本領之所下縄張立
       申候、
 
    一、同廿九日 風雨
       藤右衛門黒瀬谷入下縄
       并分間仕、右下絵図
       相調申候、
       辰右衛門、庄九郎ハ大角ノ
       南小角ゟ上青田村
       領境迄、同川ノ向共
       下縄張立申候、    画像  翻刻トップ  画面トップ
 
    一、同晦日 雨風
       昼前わけの谷下縄
       張并分間、昼後
       藤右衛門下絵図、辰右衛門、
       庄九郎下縄張領中
       不残相済申候、
 
    一、三月朔日 天気
       昼前御奉行所へ
       御打立之砌上申
 
13      原村下しらへ麁    画像  翻刻トップ  画面トップ
       絵図相調、中飯喰申
       候而犬丸村旅宿次助
       方へ罷越、七つ時頃ゟ
       高坂村へ罷越、人家
       之所角縄しらへ申候、
       〆 犬丸村次助方泊り
 
    一、同二日 天気
       高坂村下縄張仕
       廻り申候、
       藤右衛門、辰右衛門、    画像  翻刻トップ  画面トップ
       竿取人与一郎、
 
    一、同三日 天気
       御舘村下縄張昼前
       相仕廻り、昼後ゟ高坂、
       御舘両村御奉行所へ上り
       申手絵図等相調申候、
 
    一、同四日 同
       荒屋村下縄張仕廻り
       申候、
 
14   一、同五日 天気    画像  翻刻トップ  画面トップ
       此日休日仕、那谷ノ観音
       へ参詣仕候、
       庄九郎、原ニ而朝飯喰
       候而犬丸村へ罷越候所、
       是も跡ゟ那谷へ参詣  
       仕、帰りニハ藤右衛門、辰右衛門、
       庄九郎、与一郎一集ニ
       罷帰り申候、
 
    一、同六日 天気
       御舘村抜物并高坂村
       御打立御座候、
       尤藤右衛門、辰右衛門、庄九郎    画像  翻刻トップ  画面トップ
       縄案内ニ罷出申候、
 
    一、同七日 雨降
       荒屋村御打立并
       抜物共不残相済、
       御奉行様縄案内藤右衛門、
       昼前高坂村飛地等
       打立、田中、加納御両人
       縄案内庄九郎、
       昼後ゟ荒屋村抜物、
       舟川新村辰右衛門金沢へ
       罷帰申候、
 
15      御打立不残相済申候、    画像  翻刻トップ  画面トップ
 
    一、同八日 雨降
       竿捕人五人共犬丸村
       朝出立、帰村可仕旨被仰
       渡、則罷帰申候、
       藤右衛門義松任町、漆村
       領絵図相調上ケ申候、
       庄九郎ハ御扶持人中
       旅宿ニ而算用仕候、
    一、同九日 天気
       犬丸村出立、金沢鶴屋
       平助方へ罷越申候、    画像  翻刻トップ  画面トップ
       尤御奉行様并御扶持人中
       方も皆々金沢へ御帰り
       御座候、庄九郎ハ十間町
       之旅宿へ罷越申候、
        〆二月十一日ゟ三月
         九日迄、廿九ケ日村々
         相勤申候、
        金沢下今町
            鶴屋平助ニ泊り
 
16   一、同十日 天気    画像  翻刻トップ  画面トップ
       金沢ニ而打立帳写、
       下絵図相調申候、
         藤右衛門、庄九郎
 
    一、同十一日 天気
       同断、御舘村、埴田村、
       下絵図相済、 
       原村打立書出申候、
         藤右衛門、庄九郎
 
    一、同十二日 同
       原村縄入下絵相調
       申候、    画像  翻刻トップ  画面トップ
 
    一、同十三日 雨
       昼前迄原村下絵図
       出来、昼後ゟ和気
       村下絵図調懸申候、
 
    一、同十四日 雨
       加納様御旅宿ニおゐて
       和気村下絵図相調申候、
       庄九郎、勘右衛門金沢出立
       帰村仕候、
 
17   一、同十五日 天気    画像  翻刻トップ  画面トップ
       加納様御旅宿ニおゐて
       犬丸村上絵図相調申候、
       墨引弐枚、
    一、同十六日 雨風
       同所ニ而和気村上り
       絵図墨引壱枚、
       荒屋村上り絵図
       并松任町領絵図
       縄無御座候分相調、
       翌十七日加納様へ
       上ル、此分ハ御関
       上りニ御座候、    画像  翻刻トップ  画面トップ
 
    一、同十七日 天気
       同所ニ而荒屋村上り
       壱枚、御舘村上り
       三枚相調申候、
 
    一、同十八日 同
       松任町上三枚并原村、
       絵図紙つき申候、
       子浦又七金沢へ着、
 
    一、同十九日 同
       原村上り絵図墨引
 
18      壱枚半相調申候、    画像  翻刻トップ  画面トップ
       此日金沢ニ而火事弐ケ所
       御座候、
 
    一、同廿日 小雨ふり
       原村絵図墨引、
 
    一、同廿一日 雨ふり
       和気村絵図弐枚
       彩色、
       松任町分間絵図壱枚
       相調申候、
 
    一、同廿二日 天気
       原村絵図彩色、    画像  翻刻トップ  画面トップ
 
    一、同廿三日 同
       和気、原村絵図彩色、  
       四郎右衛門能美郡、石川郡
       手取川絵図、義右衛門ニ、
       本吉迄罷越申候、
     
    一、同廿四日 天気
       原村絵図壱枚
       相調申候、
 
    一、同廿五日 雨
       此日、同断、
 
19   一、同廿六日 雨    画像  翻刻トップ  画面トップ
       朝五つ頃田中様ゟ呼ニ参
       罷越候所、土佐守様御家中、
       今村清右衛門殿、山口次内殿
       ゟ藤右衛門手透ニ相成候ハヽ、
       用事有之旨申伝候様
       頼有之義、田中ゟ御申
       談御座候、
       松任町分間杭帳
       相調申候、
 
    一、同廿七日 時々雨    画像  翻刻トップ  画面トップ
       
    一、同廿八日 天気
       殿様津幡御泊りニ而
       昼四つ頃金沢へ御着、
       此日御算用場復古所へ
       罷出、縄張人勤日等
       書上下書仕候、
 
    一、同廿九日 天気
       土佐守様御家中今村清右衛門殿、
       山口次内殿ゟ内分御用之義
       ニ付、田中小四郎殿方へ申参候
       ニ付、昼八つ半時頃ゟ罷出候
       而、今村清右衛門殿御宅へ
 
20      罷越、分間之義等御相談    画像  翻刻トップ  画面トップ
       ニ付、則下屋敷、馬場等分間
       仕、右絵図ハ山口殿被相調
       申候、此元夫々指図仕候、
       且又、御領国絵図相調申砌、
       他国山境等之御尋ニ付、
       先御領国中往還、海辺、
       他国へ小路分間仕、其領ハ
       山々支分ため等いたし
       宿々等分間ニ仕、其余ハ
       郡々ゟ出申絵図ヲ
       以村々入申候ハヽ可然旨
       等、右両人へ申上候、
 
    一、四月一日 雨降    画像  翻刻トップ  画面トップ
       観音ノ御能拝見
       仕候、
 
    一、同二日 天気
       朝五つ時金沢出立、高岡
       二塚屋七兵衛同道ニ而罷帰り、
       則七兵衛方ニ上宿仕候、
 
    一、同三日 同
       高岡朝飯喰、夫ゟ帰宅
       仕候、
       〆
 
21      藤右衛門手合    画像  翻刻トップ  画面トップ
    一、三百八十六文   道中駄賃
               帳之表〆
       但、金沢ゟ能美郡内検地村々
       江道中、且又村々荷物持運
       人足弐人宛ノ駄賃 〆五百六十五文
       ハ払不申ニ付、御扶持人中ゟ
       村々へ御払御座候、
    一、三百文      金沢ゟ野々市迄
               人足弐人
    一、弐百文      道中人足増
                  ちん銭
    一、八十文      半紙百枚代
    一、五百四十文    蝋燭十五匁懸
               十五挺代
    一、六百拾文     墨、筆等品々
    一、三百廿五文    両面山田紙    画像  翻刻トップ  画面トップ
                  五十枚
    一、百八十文     八寸のし五帖
    一、三百五十文    中折壱束代
    一、壱貫百文     美濃紙
                 四百五十枚
    一、九百四十文    六平手合中折
               紙三束代
    一、弐貫文      小厚等六束
                   五帖
       但、絵図裏打并下張等
       入用、又七渡、
    一、弐百拾五文    しやうゆ、ふのり
               胡粉等、又七渡
      〆七貫弐百廿六文
       銀ニ直し
        六拾八匁壱分七厘
 
22   一、八匁       雌黄壱両代    画像  翻刻トップ  画面トップ
    一、弐分五厘     焼ミやうはん
    一、三匁       朱墨壱丁
    一、四匁壱分     絵筆三本
      〆八拾三匁五分弐厘
         此分藤右衛門請払渡候、
      外ニ
        七百文  行戻り駄賃被下候銭
      〆
     日数五十八日、壱日三匁宛
               高木村
     一、百七拾四匁     藤右衛門
       但、二月四日居在所出立、五日
       金沢へ着、同十一日ゟ三月九日
       迄能美郡内検地、同十日ゟ
       廿九日迄領絵図調方等仕候、
       四月朔日金沢出立、同二日    画像  翻刻トップ  画面トップ
       帰村仕候、
      内
       四貫弐百文   二月十一日夕ゟ
                      三月九日昼迄
               廿八泊り、村々
               宿数 壱泊り百五十文
        代三拾九匁六分六厘
                 中勘渡五百目
                 之内藤右衛門かり銀  
          七拾弐匁六分七厘
         残而
          六拾壱匁
             六分七厘 本勘
         外ニ
          四拾六匁四分  一日八分宛一作
                  増銀
          八拾七匁    骨折として
                  被下銀、一日壱匁五分
 
23        〆百九拾五匁七厘    画像  翻刻トップ  画面トップ
            申六月十八日下条村
            弥二郎ゟ御渡、
         〆済
 
        自分遣入用    画像  翻刻トップ  画面トップ
    一、四貫弐百文      二月十一日ゟ三月十九日
                 迄村々宿料〆
    一、五貫六百文      鶴屋平助方
                 二十八泊り宿料
    一、七百五十文      茶代
    一、百文         下女へ為取銭
    一、五百五十文      行 金沢迄駄賃 清左衛門
    一、六百弐拾文      戻り 金沢ゟ高岡迄
                 駄賃等
    一、百三十文       行道中入用
    一、四百文        金沢ニ而髪結ちん
                 風呂 そうり等
                 惣小遣、
    一、壱貫四百廿弐文    花橘くわし四箱
                 代
 
24   一、六百文        下、中、五十リ二人    画像  翻刻トップ  画面トップ
                 加納、本江家来
                 共為取
    一、十八文        ふし十匁
    一、七十八文       針壱疋十本
    一、三百四十文      腰帯壱筋
    一、三百三十五文     笠弐蓋代
    一、弐百六十文      朱肉代、左兵衛
    一、三百文        たはこ弐百目
    一、四百文        四月一日勧音
                 御能見物入用
     〆拾六貫百文
 
25       鶴屋平助方指引    画像  翻刻トップ  画面トップ
     二月五日
    一、百五拾文       清左衛門一泊り
    一、十文         そうり一束
    一、四文         ろうそく
    一、三百文        たはこ弐つ
    一、弐百文        かり銭
    一、廿文         そうり二束
    一、三百文        二度ニかり
    一、九百文        嶋吉兵衛六泊り
    一、三貫文        舟川村辰右衛門渡し
    一、壱貫文        本領八百村
                  忠次郎渡
 
26   一、四百五十文      中川義兵衛三泊り    画像  翻刻トップ  画面トップ
    一、百五十文       嶋吉兵衛一泊り
    一、弐拾目        同人渡し
       代弐貫百十弐文  
    一、三拾目        子浦村勘右衛門渡
       代三貫百六十八文
    一、三拾目        白瀬村庄九郎
       代三貫百六十八文
     二月十一日
    一、壱貫三百五十文    かり銭
    一、七百文        石丸六右衛門
    一、壱貫文        今井文右衛門
    一、壱貫八百文      子浦村又七
                 十弐泊り分
    一、拾四匁        花橘四箱
       代壱貫四百廿八文     画像  翻刻トップ  画面トップ
     〆弐拾壱貫弐百十文
    一、壱貫弐百文      二月五日ゟ十日
                 六泊り分
    一、四貫四百文      三月九日ゟ四月一日
                 迄二十二泊り
    一、壱貫五百文      藤右衛門
                 四郎右衛門茶代
     四月一日
    一、三貫三百九十文    金子弐歩取
    一、三百三十一文     銭取
    一、弐貫七百八十四文   四郎右衛門へ渡
     惣〆 
       三拾四貫八百十五文
      内
       廿九匁一分九厘   右料銀渡り百目
                 ノ内、藤右衛門向
        代三貫六十五文
 
27    二月一日    画像  翻刻トップ  画面トップ
    一、百目     文丁銀入
       代拾貫五百六十文
     同
      百目     同   入
       代拾貫六百文
      百目     三月廿九日    
               文丁銀入
       代拾貫五百九十文
      〆三拾四貫八百十五文
         〆済
 
28      彦右衛門等手合    画像  翻刻トップ  画面トップ
    一、本江村  六十六縄  内十七角
    一、日用村  四十六縄  内六角
    一、能美村  七十四縄  内十七角
    一、西原村  十五縄   内二角
    一、漆村   十三縄   内四角
     〆
 
       四郎右衛門手合
    一、布橋村  五十二縄  内十角
    一、若原村  四十二縄  内六角    画像  翻刻トップ  画面トップ
 
29    小松ゟ埴田へ壱里半  卯辰交    画像  翻刻トップ  画面トップ
     小松ゟ高坂へ 子丑交
         御舘村へ八丁程 子正中
     小松ゟ犬丸へ丑ノ正中
     御舘村ゟ犬丸村へ弐丁程
           丑寅ノ交
     犬丸ゟ高坂へ十八丁程 
          亥正中
     犬丸ゟ荒屋へ十八丁程
             丑二十ト
     御懸道筋
     荒屋ゟ寺井へ壱里
     寺井ゟ小長野へ八丁 午
     寺井ゟ赤井十四丁
         十六町
     小松ゟ高坂へ    画像  翻刻トップ  画面トップ
       
       □拾六万千弐百三十八歩    画像  翻刻トップ  画面トップ
         内 十万千弐百十四歩七分
     小松ゟ今井へ
     今井ゟ那谷寺へ弐里 
        自生山
 
     二月八日   辰右衛門金沢ヘ着
     二月六日   庄九郎金沢ヘ着
     二月十八日  又七金沢ヘ着
 
        能美郡若杉村八兵衛組
            浜田村長兵衛
             但、小松御城之辺  翻刻トップ  画面トップ
 

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[5-1][日記]「分間方等御内御用留帳」文化九年三月 [翻刻]
 
2-2-0129_00  [目録 二(二)129]      画面トップ
 

表紙
 文化九年壬申三月  画像 画面トップ
分間方等御内御用留帳
       石黒藤右衛門
 
                   画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
 土佐守様御家来復古方役今村清右衛門殿、山口次内殿ゟ田中村
 小四郎伝言ニ而、能美郡内検地方絵図御用等相済候ハ、御用
 有之旨ニ而、三月廿九日昼八ツ半時頃、今村清右衛門殿宅へ罷上り
 申候、落付酒吸物取肴等、夫ゟ御飯御振舞ニ、又酒肴等被下候、
 其上金子百疋壱符被下候、皆々土佐守様御指図之旨被仰候、其節
 御尋之旨左之通、
一、高木村藤右衛門ハ、御高百弐拾石計作配仕、村肝煎相勤申旨、田中村
 小四郎ゟ先達而被申上置候、
一、高木村藤右衛門金沢旅宿ハ、下今町鶴屋平助方ニ御座候、
一、高木村ハ高岡ゟ道程弐里余、在所ハ高岡ゟ一里東へ往還筋行
 大門新町ゟ壱里余、高木村御座候、
一、射水郡下条村弥二郎組ニ而御座候、
                   画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
一、高木村藤右衛門算法之師匠ハ、富山御家中足軽中田文蔵ニ御座候、
 中田氏ハ江戸天文家山路久次郎弟子、山路死後ハ藤田権平ゟ
 伝授仕申由申上候、但中田文蔵ハ病死被致候而拾ケ年余ニ相成
 申由申上候、
一、町見ハ何レゟ習候哉被申聞候ニ付、町見ハ中田氏 通例之習ヒ、
 或ハ量地指南前編後編、町見弁疑等書籍見請申候得共、
 格別之義無御座候、当時相用ヒ申分間方ハ、自分未発ヲかへ
 申事ニ御座候、
一、今村清右衛門殿ハ足痛御座候ニ付、山口次内殿并私相同し磁石
 を以、土州様家中屋敷馬場ゟ今村氏宅前迄道筋分間
 仕、此場所之絵図此元指図ニ而、山口次内殿墨引絵図
 被相調申候、夫々分間方之事咄申候、
  但、右磁石ハ此方ゟ高岡ニ而為致、本江村惣助方へ被相求候分、土州様ヘ被上置候
  磁石ニ御座候、
                   画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
一、能美郡出合嶋之内検地絵御出候、打立帳ニ而絵図与合不申所々
 御尋ニ付、下絵図吟味相調申候而も、すき写ニ仕候時分、絵図紙少し
 ニ而も動キ候得共、少キ場所絵図間違申候、旦又至テ少キ場所ハ、
 分間ゟも少し太キ相調不申候而ハ難見分ニ付、分間ヲはなれ
 相調申候、左様之所ハ此三ケ所壱打ニ仕候得共、歩数分間之通りニ
 可相成与申候、則壱打ニ相しらへ候得者歩数合申候、夫々申入候所
 合点行申由被申聞候、
一、水戸ノせき水ト申人著日本絵図、同舟路相記申日本絵図
 弐枚御出候、此絵図国々別々境御座候、此道理を以御領国
 絵図相仕立候ハ丶、可相成哉ノ御尋御座候、成程壱郡宛相調合せ
 申候得者、合可申義ニ御座候得共、分間絵図其人ニよりて
 合不合御座候、是ハ大工同し道具ニ而細工仕候得共、人ニよりて
                   画像 現代語訳 翻刻トップ  画面トップ
 細工善悪出来可仕と同し事ニ御座候、又山形他国境全ク分間
 いたし候義、谷峯森林等ニ指支、容易之義ニ而ハ無御座候、
 早ク御領国絵図御出来可被遊候義ニ候ハ丶、先ツ往来筋、宿駅、
 海辺村々、他国ヘ之通路道分間ニ相認候得者、御領国宿駅、
 海辺慥ニ相認、他国山境ハ其越道ノ所ニ而分間を以見計り
 候ハ丶、大躰之絵図ニ相成可申候、其上ニ而郡々ゟ出申絵図を以、
 村々并川筋等入申候ハ丶可然哉旨申上候、
一、山口次内殿分間之義大躰合点行候得共、是ニ而ハ色々指閊
 可申義御座あるへき候間、重而御尋可申旨被申聞候、
 右咄居候所、夜四つ過ニ相成申ニ付御暇申、旅宿へ罷帰申候、
  〆磁石ハ高岡御馬出町錺屋清六細工之由申上候、
                   翻刻トップ 画面トップ
 

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[5-2][日記]「分間方等御内御用留帳」文化九年三月 [現代語訳]
                   画像  翻刻      画面トップ
前田土佐守様の家来で復古方役人の今村清右衛門殿、山口次内殿から田中村
小四郎への伝言で、能美郡の内検地方絵図御用等が終わったら御用が
あるとのことで、三月二十九日昼一時頃に今村清右衛門殿宅へ参上
しました。落付、酒、吸物、取肴等、そのあと御飯を振る舞われ、また酒肴等も頂戴いたしました。
そのうえ金子百疋(金一歩)を賜わり、すべて土佐守様のご指示との仰せでした。そのとき
お尋ねの趣旨は左のとおりです。
一、高木村藤右衛門の持高は一二〇石程で、村肝煎を勤めていることは、田中村
 小四郎より先日申し上げてあります。
一、高木村藤右衛門の金沢での旅宿は、下今町の鶴屋平助方です。
一、高木村は高岡から二里余です。在所は高岡から東へ北陸街道を東へ一里、行ったところの大門新町から一里余のところに高木村があります。
一、高木村は射水郡下条村弥二郎組に属しています。
                   翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
一、高木村藤右衛門の算法の師匠は、富山藩足軽の中田文蔵です。
 中田氏は、江戸の天文家の山路久次郎の弟子で、山路没後は藤田権平から
 伝授されたと申し上げました。ただし、中田文蔵は病死されて一〇年余になる
 と申し上げました。
一、測量は誰から習ったのかとお尋ねになられましたので、中田氏から通例の稽古、
 あるいは『量地指南前編・後編』、『町見弁疑』等の書物を読みましたが、
 特別のことはありません。いま用いている測量術は、自分で工夫を凝らした
 ものです。
一、今村清右衛門殿は足が痛いとのことで、山口次内殿と私がともに磁石
 を用いて土佐守様の家中屋敷馬場から今村氏宅前までの道筋を測量
 しました。この場所の絵図は私の指示で山口次内殿が墨引きの絵図を
 作られました。いろいろと測量のことを話し合いました。
 ただし、この磁石は私が高岡で作らせ、本江村惣助に求められたもので、土佐守様ヘ差し上げた
磁石です。
                   翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
一、能美郡出合嶋村の内検地の絵図を出されました。打立帳と絵図が合わないところを
 お尋ねられたので、下絵図を吟味して作っても、上から重ねて写すときに、絵図紙が少し
 でも動くと狭い場所の絵図は実際とは異なってしまいます。また、きわめて小さい場所は
 縮尺よりも少し大きくしなくては見分けることが難しいので、縮尺にこだわらずに
 作製しました。このような所はこの三か所を一打にすれば、縮尺のとおりの歩数に
 なると言いました。すなわち一打に作ったならば歩数は合います。それぞれ申し入れたところ、
 納得したと仰せられました。
一、水戸の赤水という人が著した日本絵図と舟路が記された日本絵図
 二枚を差し出されました。この絵図には国々の境が引かれています、この道理によって御領国の
 絵図を作製することができるかとお尋ねになられました。いかにも一郡ずつ作って合わせ
 れば、合うはずですが、測量絵図は作る人によって
 合うところと合わないところが出てきます。これは大工が同じ道具を使って細工しても、人によって
                   翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
 細工の善悪が出来るのと同じことです。また山の形や他国の境をすべて測量
 することは、谷・峯や森林等に遮られて簡単なことではありません。
 短期間で御領国の絵図を作製されるのであれば、まず往来筋、宿駅、
 海辺の村々、他国への道筋を測量していけば、御領国の宿駅や
 海辺が明確になり、他国との山境はそこを越える道筋に沿って測量
 すれば、およその絵図になります。そのうえで各郡から提出された絵図を利用して、
 村々や川筋等を書き入れていけばよいのではないかと申し上げました。
一、山口次内殿は測量について、およそ理解されましたが、このことにはいろいろとさしつかえる
 ことがあるので、改めて尋ねると仰せられました。
 右のようにお話ししたところ、午後十時過ぎになったのでお暇申し上げ、旅宿に帰りました。
 〆磁石は、高岡御馬出町の錺屋清六が細工したことを申し上げました。
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