射水市新湊博物館/高樹文庫「石黒信由関係資料」

石黒信由関係資料

2 越中・加賀・能登

(2) 越中

③ 射水郡の絵図-射水市周辺-


主図no史資料名史資料記号
(目録番号)
原本画像目録翻刻現代語訳
絵図[1][清図]「射水郡三十三ヶ村与婦負郡練合村申分場所立会見分之上御領境杭松打植分間絵図」文政二年八月三(一)BⅡ44画像目録--
古文書[2][日記]「三十三ケ村与練合村与申分場所御立会ニ付分間方ニ出申日記覚帳」文政二年八月二(二)285画像目録翻刻-
[3][野帳]「射水郡三十三ケ村婦負郡練合村申分場所分間野帳」文政二年八月二(二)286画像目録--



[1][清図]「射水郡三十三ヶ村与婦負郡練合村申分場所立会見分之上御領境杭松打植分間絵図」文政二年八月
 
3-1-BII44  [目録 三(一)BⅡ44]
 
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[2][日記]「三十三ケ村与練合村与申分場所御立会ニ付分間方ニ出申日記覚帳」文政二年八月 [翻刻]
 
2-2-0285_00  [目録 二(二)285]      画面トップ
 

表紙   文政二年卯八月    画像  画面トップ
 
    三十三ケ村与
    練合村与  申分場所御立会ニ付
                分間方ニ出申
             日記覚帳
 
               石黒藤助
 
1     射水郡三十三ケ村与    画像  翻刻トップ  画面トップ
     練合村与申分場所
     御立会御人々
       御郡奉行
           小堀八十太夫
       御改作奉行
           富永権左衛門
          同
           賀古八郎太夫
       富山御郡奉行
           佐々木百助
          同 
    当病ニ而   佐々半兵衛
    御出役無之
          〆
 
2         御郡方頭取    画像  翻刻トップ  画面トップ
            渡辺曽守
           小目付
            藤田数右衛門
          〆
     中川善左衛門  宮森庄兵衛
     谷井佐次兵衛  内山次左衛門
     舟木半右衛門
          分間人 加州浅野安右衛門
                   等弐人
              高木藤助
              石丸六右衛門
              〆
 
    一、八月十七日 天気    画像  翻刻トップ  画面トップ
       宅昼九つ時罷出、宮森へ立寄、
       夫ゟ海老江村宿弥三八方へ
       泊り、但浅野安右衛門此元宿迄
       見舞ニ被罷出、尤夜五つ頃
       安右衛門方へ藤助、六右衛門罷出
       石磁拝見仕申候、
 
    一、十八日 天気
       小堀様宿安右衛門方へ、御改作
       御奉行御出、及富山佐々木百助等
       御立会ニ御座候、就夫同日
       夜中、中川等ゟ被申聞候ハ、明日此元 
       共右場所先仮杭立ニ罷出候間、
       藤助、安右衛門并竿取壱人召連
 
3       申候与御申談御座候、    画像  翻刻トップ  画面トップ
 
    一、十九日 天気
       朝五つ半時申分場所へ双方
       御扶持人中并手代、縄張
       人御召つれ、御立合御境筋
       杭仮打并変地所之内御印渡し
       等仕申候、
       〆
 
    一、廿日 雨
       七軒之茶屋ニ而双方御扶持人中
       御立合、則縄張人等御召つれニ而、
       七つ半時頃ゟ海老江村与三十三ケ村
       領境杭壱本、双方見聞之上打立
       申候而宿へ帰り、
 
    一、廿一日 天気    画像  翻刻トップ  画面トップ
       申分場所双方御奉行中様等 
       御立合、境筋御見分ニ而、則
       分間支分等御覧被遊候ニ而、七つ時
       御立わかれ被遊候、夫ゟ御扶持人中 
       等本杭打立、且分間人中忠三郎
       近辺分間仕申候、
 
    一、廿二日 雨
       御扶持人中双方ゟ御立合之上、境
       松植申、且藤助、石丸、安兵衛并
       富山方ゟ三人罷出、申分場所
       近辺分間仕申候、昼八つ時迄
       相済、宿迄帰り申候、八つ過ゟ
       下図仕懸申候、
 
4    一、廿三日 天気    画像  翻刻トップ  画面トップ
       朝五つ時迄下図相済、夫ゟ
       御奉行所へ御覧ニ入申候、夫々
       加筆請、其上昼八つ時御場ニ而
       壱枚相調申候、
       〆
 
    一、廿四日 天気
       申分場所御奉行所并双方
       御扶持人等境筋出来見分
       之上、富山方ゟ絵図与此地之
       絵図御引合御座候所、富山方ニ
       之絵図間違有之、此地之
       絵図ニ而先二枚相調可申旨
       被仰渡、夫ゟ昼八つ時ゟ本
       絵図調ニ相懸り申候、
 
    一、廿五日 同    画像  翻刻トップ  画面トップ
       朝ゟ取懸り九つ時迄二枚出来
       仕申候ニ而小堀様へ上ケ申候、
       尤富山方番代理右衛門手伝ニ
       罷出、書入等仕申候、
        但、御改作奉行廿五日朝五つ時
        御立被遊候、小堀様昼八つ時御立、
        中川様等并浅野安右衛門等両人、
        放生津泊りニ而御出立仕申候、
        藤助、六右衛門跡ニ而弥三八方へ
        絵図相調可申旨被仰渡候、
 
    一、廿六日 同
       弥三八方ニ而絵図相調申候、
                六右衛門
                藤助 両人シテ
 
    一、廿七日 同
       右同断、
 
5    一、廿八日 天気    画像  翻刻トップ  画面トップ
       絵図等相済申候、
        但、廿七日、廿八日両日ハ久々湊村
        長蔵裏打ニ罷出居有之、
 
    一、廿九日 雨
       弥三八方出立、宮森様へ
       石丸同道ニ而罷出、絵図四枚
       指上ケ申候、且品々御咄シ申上候、
       昼八つ時帰宅仕申候、
 
    一、十一枚  惣絵図    画像  翻刻トップ  画面トップ
       内 壱枚  富山様へ 八月廿五日
         壱枚  賀か様へ 同
         壱枚  御改作所分
         壱枚  御郡所分
         壱枚  中川様分
          外ニ小絵図
         壱枚  三十三ケ村分
         壱枚  海老江村分
         壱枚  石丸
         弐枚  下絵図共 藤助
         〆
 
6     八月十五日    画像  翻刻トップ  画面トップ
    一、拾六枚   地仕置申鳥子紙
          忠三郎へ相渡ス
     同十九日
    一、五拾枚   美農紙裏打
              長蔵へ
     同
    一、拾九枚   両面山田紙
          但、下敷共
    一、八十六枚  美農
       内 村方一 中川一 石丸 浅野分
         海老江へ内分ニ而壱枚、小遣、紙共
          但、壱枚ニ付紙数十四枚
     同廿六日
    一、十八枚   笠紙出ス
    一、惣絵具   絵図十一枚代
              藤助ゟ出し申候
       但、朱ハ三十三ケゟ出ス申候、
 
     九月十五日    画像  翻刻トップ  画面トップ
    一、野帳弐冊    中川分
              宮森
       藤助ゟ相調指上申候、
    一、拾弐枚     城端八寸紙
 
 7         三十三ケ村領    画像  翻刻トップ  画面トップ
 
         練合  浜  翻刻トップ  画面トップ
 

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[3][野帳]「射水郡三十三ケ村婦負郡練合村申分場所分間野帳」文政二年八月
 
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