射水市新湊博物館/高樹文庫「石黒信由関係資料」

石黒信由関係資料

2 越中・加賀・能登

(1) 加越能


主図no史資料名史資料記号
(目録番号)
原本画像目録翻刻現代語訳
絵図[1][清図]「加越能三州郡分略絵図」天保六年一月三(一)A17画像目録--
[2][下図]「加越能三州郡分略絵図」天保五年九月三(一)A6画像目録--
古文書[3][野帳]「三州測量図籍」一(二)766画像
画像
画像
画像
画像
画像
画像
画像
画像
画像
画像
画像
目録
目録
目録
目録
目録
目録
目録
目録
目録
目録
目録
目録
--
[4][日記]「御絵図方御用留帳,御絵図方御用留帳」天保三年~六年二(二)665画像目録翻刻-
[5][日記]「新開所免附見分方等御用留帳并金沢出府御用方留」天保二年六月二(二)622画像目録翻刻現代語訳
[6][日記]「金沢出府御用留帳」天保六年三月二(二)755画像目録翻刻-
[7][日記]「金沢出府御用留帳」天保七年四月二(二)788画像目録翻刻-



[1][清図]「加越能三州郡分略絵図」天保六年一月
 
3-1-A17  [目録 三(一)A17]      画面トップ
 
--------------------------------------
 
[2][下図]「加越能三州郡分略絵図」天保五年九月
 
3-1-A6  [目録 三(一)A6]      画面トップ
 
--------------------------------------
 
[3][野帳]「三州測量図籍」
 河北郡
 1-2-0766_01  [目録 一(二)766]
 
 石川郡
 1-2-0766_03  [目録 一(二)766]
 
 能美郡
 1-2-0766_04  [目録 一(二)766]
 
 江沼郡
 1-2-0766_05  [目録 一(二)766]
 
 羽咋鹿島口郡
 1-2-0766_06  [目録 一(二)766]
 
 鳳至珠洲奥郡
 1-2-0766_07  [目録 一(二)766]
 
 砺波郡 上
 1-2-0766_08  [目録 一(二)766]
 
 砺波郡 下
 1-2-0766_09  [目録 一(二)766]
 
 射水郡
 1-2-0766_10  [目録 一(二)766]
 
 婦負郡
 1-2-0766_11  [目録 一(二)766]
 
 新川郡 上
 1-2-0766_121  [目録 一(二)766]
 
 新川郡 下
 1-2-0766_13  [目録 一(二)766]
 
--------------------------------------
 
[4][日記]「御絵図方御用留帳,御絵図方御用留帳」天保三年~六年 [翻刻]
 
2-2-0665_00  [目録 二(二)665]      画面トップ
 

表紙  天保三年辰五月    画像  画面トップ
 
      辰五月廿二日ゟ六月朔日迄金沢出府
      同八月廿日ゟ同廿七日迄金沢出府
    天保四年
      巳正月出府之中御用
      巳十月廿三日ゟ十一月十日出府中御用
    天保五年
      午三月出府中御用
 
   御絵図方御用留帳
 
      午六月廿九日ゟ七月八日迄出府中御用
      午十月十一日ゟ廿八日迄出府中御用
    天保六年
      未二月十四日ゟ三月五日迄出府中御用
    天保七年申四月廿六日出府中上ル
 
   右御用        高木村
    相済          藤右衛門
 
1                高木村    画像  翻刻トップ  画面トップ
                  藤右衛門
    右藤右衛門儀、有沢才右衛門へ被 仰付置候
    御絵図方御用有之、此段可被申談候、
    御用之義ハ才右衛門ゟ直ニ申談にて可有之事、
      五月
 
    右覚書 御次ゟ御渡ニ付、写相越之候条
    得其意早速致出府、着府之上根役所へ
    可及案内候、以上、
      辰五月十九日    林源太郎 印
           高木村
             藤右衛門方
 
      右御紙面、五月十九日小杉御出役所ゟ飛脚
      を以到来、
 
2  一、辰五月廿日 天気 小杉御出役所林源太郎様へ    画像  翻刻トップ  画面トップ
    当廿二日金沢へ出府仕候義、為御案内罷出
    申上候、
 
  一、五月廿二日 天気 家来六三郎召連申候、
    朝飯後宅出立、大門笠間氏并
    祐次方へ立寄、高岡大工源五郎、
    錺屋清六方立寄、誂物等申談候、
     高岡横田町端茶屋ニ而中飯
     今石動山田屋泊り
 
  一、同廿三日 天気 少西風
    今石動山田屋朝六つ時過出立、
    山の内加籠ニ而、八つ半時頃金沢へ
    着、
     柳橋茶やニ而中飯
     金沢十間町和泉屋
            猪右衛門方泊り
 
3    七つ時過、遠藤数馬様へ御見舞    画像  翻刻トップ  画面トップ
    申上、御内分ニ而此度御用之義、紙面
    入御覧候所、紙面御写御座候、御用之義
    御尋申上候所、図籍野帳之義ニ而、
    大形有沢殿ゟ此元へ指図之義
    申越候哉与御内分御申聞ニ御座候、
    寿落雁九十六入壱箱上ル、
 
  一、同廿四日 天気
    御根役所へ着之御案内申上候処、
    藤右衛門着之義、御次へ相達可申候間、指次
    次第可申談旨被仰渡候、
       御用番  浅加伊織様
            馬場右近様
     御用番様ゟ七つ時頃、有沢才右衛門様へ
     紙面壱封、手附棟取小右衛門ゟ旅宿
     和泉屋へ持参り請取申候、則有沢様
 
4     御宅へ罷出、右紙面壱封上ル、唯今    画像  翻刻トップ  画面トップ
     御留主之由、取次之者申聞候ニ付、
     明朝罷出可申旨申上候、帰ル、
    一、遠藤様へ夕方ゟ罷出、品々御咄等
      仕候而、夜五つ時頃旅宿へ帰ル、
 
  一、同廿五日  雨ふり
    早朝有沢様へ罷上り候所、直ニ御逢被成、
    先達而田辺吉平ゟ申談候諸郡
    絵図道程野帳、今度 御窺申
    上清書被仰付候、此元義御用多ニ
    付、遠藤数馬義絵図方相懸り
    居候間、数馬ゟ帳面調方等之義
    申談置候間、是ゟ承り可申旨
    御談ニ御座候、是ゟ数馬方へ罷出、
    承り可申旨被仰候ニ付、直クニ遠藤様へ
 
5    罷上り、右之趣申上候、    画像  翻刻トップ  画面トップ
    有沢様ゟ壱人ニ而ハ手張可申候間、
    忰等手伝為致可然旨御談ニ御座候、
    有沢様ニ而御書留之事
      高木村 藤右衛門
      同人忰 藤助
      同 孫 久三郎
     高木村、大門新町ゟ壱里海手へ入、
      旅宿 十間町和泉屋
              猪右衛門方
   一、御根役所へ有沢様ゟ御返状壱封
     御渡ニ付、御根役所へ罷出、右御返状上ケ
     申候而、遠藤様ゟ野帳調方等委細
     承り可申旨等、御用番馬場様等へ
     申上候、是ゟ遠藤様へ罷出候趣申上ル、
 
6   一、御根役所へ罷出、今朝有沢様へ罷出候    画像  翻刻トップ  画面トップ
     所、先達而田辺吉平殿ゟ申談、三州
     御絵図上ケ申候、右野帳今度清書
     被仰付候間、相調上ケ可申旨御談ニ御座候、
     尤遠藤数馬殿方へ罷出、調方等
     聞合可申旨被仰候段申上、則有沢様ゟ
     紙面壱封馬場右近様へ上ケ申候、
     昼後遠藤様へ罷上り可申義申上候、
   一、遠藤様へ昼後罷出、三州絵図
     野帳清書調方等之義、河北郡
     下絵図持参ニ而、夫々御相談申上候、
     夜五つ時頃旅宿へ帰ル、
 
  一、同廿六日   天気
    笠間氏、南氏昨廿五日出府ニ付、
    朝過見舞申候、
 
7    御用番浅加様、馬場様并山森様、    画像  翻刻トップ  画面トップ
    吉田様、内藤様、松平様、高木様、
    駒井様、渡瀬様御宅罷出、名札
    上御窺申上候、
   一、山岸小弥太殿御見舞ニ罷出、菓子箱
     壱つ上ル、御逢被成咄等仕候、ゆ者壱つ
     被下候、
   一、越中屋平右衛門方見舞申候、舟倉野
     文化十二年以来御渡銀書記置申度
     旨申談候、尤重而出府之時分
     書記呉候様平右衛門、平七申聞候、
 
  一、同廿七日   雨ふり
    五十嵐小豊次旅宿へ見舞ニ罷出
    申候、海路安心録、同絵図壱枚、渡海
    全法、外ニ絵図弐枚かし渡申候、
    又暦学算学興廃壱冊かし申候、
 
8   一、五十嵐氏舟倉野大野ニ而跡請    画像  翻刻トップ  画面トップ
     高五拾石之分、理右衛門へ引渡申由
     被申聞候、
   一、笠間氏、南氏へ見舞申候、
   一、有沢様へ罷出候所、奥ノ間ニて
     御逢被成候ニ付、遠藤様へ罷出絵
     図野帳調方等之義、夫々御持参
     御座候、猶更壱郡出来之上、出府
     仕御覧ニ入可申旨等申上候、明日
     私義帰村仕度旨申上御暇申上候、
     且又野帳調之義、随分緩々与
     相調可申旨被仰候、
   一、河野久太郎殿方へ罷出候所、
     柴野氏被罷出咄居申候、且
     帰りニ柴野氏宅へ見舞申候、
 
9     明廿八日小原氏之方出申候様    画像  翻刻トップ  画面トップ
     被申聞候、
   一、石崎彦三郎旅宿へ見舞、先達而
     約諾之五ケ山絵図相渡申候、
     扨舟倉野御開所之義、内分
     咄申候、尤当辰ノ年ゟ午ノ年
     迄三ケ年ニ三百石余田方
     開発為致可申義ニ御座候、
     午ノ年ニ至仕法相立可申旨
     申談、且無検地ニ而極高
     相極度旨等申談、此段内分
     御承知御座候様与申談、猶更
     其節ニ至リ御相談仕度旨
     申談候、
     石崎氏舟倉野借財方埒明申ニ付
     手ヲ離レ申度被申聞候ニ付、最二、三ケ年
 
10    御座候、極高相極候上私共も手ヲ    画像  翻刻トップ  画面トップ
     はなれ申度旨相談申候、
 
  一、五月廿八日   天気
    朝飯後笠間氏へ
    見舞、扨南高木村長三郎忰十三郎、
    殿村津幡江村善三郎忰喜兵衛、
    小杉村又四郎忰又三郎、右三人之者
    算法も仕、手跡等も相応ニ致し候間、
    御郡縄張人ニ被仰付候ハヽ可然旨、
    内分相談仕候処、宜敷旨被申聞候、
    且十三郎義ハ宮森ゟ紙面ニ而参り
    候様いたし度旨被申聞候、且翌
    廿九日南氏へ此義申談候所、則
    承知ニ御座候、
   一、四つ半時頃御根役所へ罷出、
     遠藤様等ゟ夫々御指図承り
     申候段申上候、明廿九日帰村仕度
 
11    旨申上候、則御暇申上旅宿へ帰ル、    画像  翻刻トップ  画面トップ
   一、夫ゟ墨屋次助方へ罷越、筆等買申候、
   一、昼後、三社宮ノ前川原片町
     小原九八郎方へ罷越申候所、
     乙崎湖太郎、前川信左衛門并
     柴野優次郎被罷出、算法等之
     咄居、七つ半時過帰ル、
   一、夕方遠藤様へ罷上候、明廿九日
     昼後出立、津幡泊り之図りニ而帰村
     仕度義申上御暇申候、且又壱郡
     草案帳相調、盆後出府仕
     御指図を請申度旨等申上候、
     但墨壱丁被下候、
   一、金山十次郎旅宿越中屋平右衛門方
     罷出、舟倉野当年用水江縁盛
 
12    普請入念ニいたし候所、水重サ相    画像  翻刻トップ  画面トップ
     増西領分水口広ケ候得共、外分水口
     水相増申候間、植付等指支之義
     無御座候、依而当年打銀高過分ニ
     相成可申候間、此段御奉行所へ
     兼而被仰上置可然旨申談候所、
     承知ニ御座候、
   一、舟倉野用水打銀寅年、卯年
     両年五貫目宛、新川郡ゟ御取立、
     此内打銀願高弐貫九百目余之分
     御引取、残り弐貫目宛御役所ニ
     御預り被成、則通ニ御書記、
     金山十次郎方へ御座候由
     被申聞候、但一作切与申上候
     得共、年々御取立被成候様子ニ
 
13    御座候、御奉行所ゟ不時成刻ハ    画像  翻刻トップ  画面トップ
     可相渡旨、則舟倉野之為ニ
     いたし候様被仰聞候様子と
     金山十次郎ゟ被申談候、
 
  一、同廿九日   天気
    朝過笠間氏、南氏、吉田屋小右衛門、
    五十嵐氏旅宿見舞、今日昼後
    出立義ニ而暇ニ参り申候、
    小原九(八脱ヵ)郎旅宿へ参ル、
    昼後和泉屋猪右衛門方出立、
    七つ時頃津幡へ着、
         河合屋理右衛門方泊り
 
  一、六月朔日   天気
    朝六つ時頃津幡出立、山の内かこニ而
 
14   四つ時過今石動へ、舟ニ而横田上り、九つ半    画像  翻刻トップ  画面トップ
    時過高岡へ着、錺屋清六ニ而中飯、
    七つ半時頃帰宅、
    〆
 
        金沢出府諸遣
    辰五月廿二日
    一、三拾文       横田町端茶や中飯
    一、拾文        福岡茶代
    同廿三日
    一、四百廿五文 金壱朱 今石動山田屋宿料
    一、五百文       今石動ゟ津幡迄かこ、荷物
                       共人足三人
    一、三拾文       酒代
    一、六文        わらんし壱足
    一、五文        石坂茶や
    一、十五文       倶利伽羅茶や角屋
    一、五文        竹橋茶や
    一、十五文       津幡茶屋
 
15   一、五文        今町茶屋    画像  翻刻トップ  画面トップ
    一、廿文        柳橋茶屋中飯
    一、四拾文       金沢ニ而草履弐足
    一、拾弐文       風呂
     〆壱貫百拾八文
    廿四日
    一、五百文       胡麻四升 吉田屋小右衛門
                     和泉や猪右衛門
    一、拾弐文       蝋燭壱丁
    一、五拾六文      八寸紙弐帖
    一、五拾文      ○六三郎へかし
    一、三百文       髪附梅かい
                    五十匁
    一、拾弐文       風呂
    廿八日
    一、十一文       散銭
    一、十四文       わらんし弐足
    一、五十文       ふし十袋
 
16   一、百四文       針壱疋三十本    画像  翻刻トップ  画面トップ
    一、六十五文     ○六三郎針壱疋代かし
    一、百文        山吹茶代
    一、壱貫弐百文     雨合羽壱枚
    一、七百文       同  供合羽
    同廿九日
    一、三貫文       和泉屋猪右衛門六泊宿料
    一、五百文       同人茶代
    一、百文        同 下男
    廿八日
  一、四百四拾文  墨壱丁、金山弐丁懸
                     墨屋次助方 
    一、三百三拾文     同壱丁半懸、同
                    同人
    一、六百文       真書筆拾弐本
                    同人
       此分金三朱相渡、残ハまけ、
    廿九日
    一、三拾文       印肉、細字左平方
    一、弐百文       伏書筆四本、松田ニ而
                 外ニ矢立筆壱本
 
17   一、五文        今町茶や    画像  翻刻トップ  画面トップ
    六月一日
    一、五百文       津幡河合屋理右衛門方
                       宿料
    一、五百文       かこ荷物共人足三人分
    一、五文        竹橋茶や
    一、十五文       倶利伽羅茶や
                     角屋
    一、拾文        今石動茶や
    一、百八文       蝋燭弐わ、今石動ニ而
    一、百廿文       舟賃
    一、三拾文       まんちう十ケ
    一、六文        わらし壱足
    〆拾貫七百九拾壱文
     内
      金壱両壱歩 出
       代八貫五百文
 
18     金壱分   和泉屋ゟ前分之内    画像  翻刻トップ  画面トップ
       代壱貫七百文      請取
      五百九拾壱文 正銭
       〆此内○印
          百拾五文 六三郎へかし
 
            和泉屋猪右衛門方指引
      一、金壱両 辰五月廿九日相渡
      一、同壱分 先達而かし申内取
       〆壱両壱歩
        代八貫五百文  一七かへ
         内
         三貫四百文  正銭三度ニかり
         三貫文    六泊り宿料
         五百文    茶代
         壱貫六百文  六月一日ニ正銭取
         〆済
 
19     河北郡絵図測量図籍    画像  翻刻トップ  画面トップ
   一、六月十五日ゟ河北郡図籍帳下書
     書懸り申候、廿三日迄之内六ケ日相
     懸り申候、
   一、七月六日ゟ同断、同十一日迄六ケ日
     相懸り申候、
     〆十二ケ日ニ而河北郡下野帳出来、
            紙数四十一枚
   一、七月十六日金沢町分下野帳
 
    私義先達而被仰渡候御絵図方御用之義
    ニ付、明日出府仕度奉存候、右為御案内申上候、以上、
      辰八月十九日      高木村
                    藤右衛門
      御郡
       御奉行所
 
20       金沢出府御用    画像  翻刻トップ  画面トップ
  一、辰八月廿日 天気 家来六三郎召連
    朝五つ時過宅出立、高岡大工源五郎方立寄、
    渾天義之輪誂申候、錺屋清六方へ立寄、根発
    代中勘金弐歩相渡申候、
        福岡町茶屋ニ而中飯、
    昼七つ時頃今石動へ着、
            山田屋ニ而泊り
 
  一、同廿一日    天気
    早朝山田屋出立、かこニ而津幡迄、市右衛門茶や
    ニ而中飯、八つ半時頃金沢へ着、
    七つ半時過遠藤様へ罷上り候所、御留主
    ニ而帰ル、
    吉田屋小右衛門へ着いたし候旨、六三郎を以
    申遣候、
        旅宿 十町屋和泉屋猪右衛門方
                     泊り
 
  一、同廿二日    曇天
 
21   朝五つ時頃遠藤様ゟ今日七つ時頃ゟ    画像  翻刻トップ  画面トップ
    罷出可申旨申参候、
   一、四つ半時頃御根役所へ罷出、着之案内
     申上候所、舟倉野新開所増免可致旨
     御談御座候、当年植付後ふり続、立毛小出来
     ニ相成減免被仰付候様村方願申候得共、押而
     増免仕上ケ申旨等申上候、
   一、郷村御しらへ方吉田様等之役所へ罷出、
     着案内申上候所、江沼郡絵図見当り
     不申、代りニ大聖寺御領境絵図壱枚
     有之、此分相調上ケ可申哉与御尋ニ候得共、
     私方ニ而相調不申、則江沼郡之絵図ハ
     上ケ申候由申上候所、御席ニ而取紛候哉
     被仰候、若江沼郡絵図入用ニ候ハヽ、重而
     上ケ申候哉之義被仰候ニ付、私方下絵図
     有之ニ付、何時ニ而被仰渡次第上ケ可申旨
     申上候、
   一、七つ時頃遠藤様へ罷出、河北郡測量
     図籍懸御目候処、此通ニ而可然旨被仰候、
     尤右書之所御案文被成御渡御座候、
 
22  一、夕方旅宿へ帰り、夕飯喰候而河野氏    画像  翻刻トップ  画面トップ
     宅へ罷出、夜九つ時過ニ帰ル、
   一、河北郡図籍御返御座候、有沢様へ御目ニ
     懸ケ申度旨申上候得者可然旨被仰候、
 
  辰八月
  一、廿三日 時々夕立 雨ふり
    朝飯過有沢才右衛門様へ罷上り、河北郡
    野帳懸御目申候所、今日御殿へ数馬も
    罷出候ニ付、今一往相談致候後、相返
    可申旨被仰候、
   一、三州略絵図懸御目候所、暫ク御借被成
     度旨、御所持之絵図相直し申度旨等
     被仰候、
   一、馬場右近様へ罷上り懸御目、舟倉野
     当年免附之義、上り申帳面之通り
     御聞届被下候様御内分御願申上候、
     当年舟倉野用水江筋之内、江縁
 
23    底ノ所四十ケ所余有之、且一江    画像  翻刻トップ  画面トップ
     穴くりノ上、堅石、山巻等普請
     入用弐貫目余相懸申候間、当年
     之所新川郡五貫目之内四、五百目
     計も上ケ、残りハ御渡御座候様御願申上候、
     且菊地様へ猶更宜敷御談被下候様
     申上候、
      但、当年ゟ来々午ノ年迄三百石
      余開発為致候ニ付、当年別而
      水取下し不申而ハ難相成候ニ付、
      右江縁盛ふしん等為致申候、且又
      地方百姓ゟも土盛等人足手伝
      為致申由申上候、
       御内密ニ而、浄土寺之高御拝領
       被仰付候得共、為冥加舟倉野請高
       歩指銀代与して、壱貫目指上
       申度候間、何分宜敷奉願候段
 
24      申上候処、御聞請宜敷躰ニ    画像  翻刻トップ  画面トップ
       御座候、
   一、昼後浅加様、山森様、林源太郎様、
     高木様へ御窺、名札上ケ申候、
一、 三州略絵図も先達而御紛ニ付、久三郎へ
         林源太郎様
     為書候分上ケ申候処、金百疋久太郎へ
     為取候様ニ而被下候ニ付受納仕申候、
 
  一、廿四日    天気
    四つ半時頃御根役所罷出候所、舟倉野
    新開所増免可仕旨被仰渡、猶更
    十次郎、十左衛門等へ相談之上、今一往詮義
    いたし増免可仕旨ニ而、御帳面御返しニ御座候
    ニ付、帳面取参り申候、
    依私義明日ニも帰村仕度旨、御暇乞
    申上候、
   一、立山切出し候材木代銀、十左衛門等へ
     申談早速指上可申旨、馬場右近様
     等ゟ御談ニ御座候、
 
25  一、遠藤様へ七つ時頃ゟ罷出、三州絵図    画像  翻刻トップ  画面トップ
     書入等之義御談ニ御座候、
   一、象限儀蘭尺法壱冊上ル、直クニ河野様へ
     御渡御座候様申上候、夜四つ時頃帰ル、
 
  一、廿五日    天気
    有沢才右衛門様へ罷上り候処、河北郡測量
    図籍御返し、此通相調可然旨御談ニ
    御座候、
   一、三州略絵図壱枚袋入上ケ申候、尤御返ニ
     無之様ニ与申上候、
   一、御根役所罷出、舟倉野新開所重而増免
     八ケ所付之所相願候所、舟倉野御開所之義ハ
     格別御入用も懸り候事ニ候間、今一往十次郎等
     相談之上増免相願可申旨ニ而、帳面御返し
     ニ御座候、依而罷帰十次郎等相談仕、帳面上ケ可
     申旨申上候、相談小紙面相添詮義方之義
     申聞、出府ニハ及不申旨御談御座候、
 
26    山森様等御列座之所ニ而、当年舟倉野    画像  翻刻トップ  画面トップ
     用水江筋四十ケ所余低キ所、江縁盛
     ふしん等例年ゟハ弐貫目余入用相増、
     其内五百目計野方ゟ為相勤、壱貫五百目
     計之増ニ相成候ニ付、新川郡五貫目之内
     四、五百目計ならて余不申旨申上候処、
     則引取残り分上ケ可申旨、山森様等ゟ
     被仰渡候、
   一、此度御次御用河北郡野帳下書、懸
     御目申候而御返ニ御座候、扨検地方、田地割方
     等之義色々御咄ニ御座候、
   一、井上井之助様ゟ根発弐丁御誂ニ而、
     高岡ニ而為致、手附小右衛門方へ指出候様
     御談御座候、
   一、八つ時過、河野氏宅へ罷出咄居申候、
     北村順吉も被罷出申候、
  儀象志三冊かり申候、
        古升ノ図壱枚
      船長日記相返申候、
 
27 一、同廿六日 曇天    画像  翻刻トップ  画面トップ
    遠藤様へ御暇乞ニ罷出候所、御留主ニ御座候、
    西村氏へ見舞申候、且符天暦再編ノ
    日月食算書借申事ニ、小原九八郎方
    御出被下候様頼置申候、
    吉田屋小右衛門、越中屋平右衛門方へも立寄申候、
    宿迄小原九八郎参ル、
   一、八つ時過金沢出立、七つ時過
     津幡へ着、
         河合屋理右衛門方泊り
 
  一、同廿七日 雨ふり
    早朝津幡出立、かこニ而今石動迄、
    小矢部□ゟ舟ニ而高岡上り、
    錺や清六、大工源五郎へ立寄申候、
    根発弐丁錺屋誂申候、
    七つ時頃帰宅、
    〆八日
 
28 一、同廿八日    天気    画像  翻刻トップ  画面トップ
    小杉御出役所松平織人様へ、金沢ゟ
    帰り案内并河北郡野帳懸御目申候、
 
       金沢出府諸遣
   辰八月廿日
   一、三拾五文      福岡町茶や中飯
   同廿一日
   一、四百文       今石動山田屋宿払
      金壱朱
   一、六文        わらし
   一、五文        石坂茶や
   一、十五文       くりから茶や
   一、五百五拾文     今石動ゟ津幡迄かこ人足
               弐人、荷物壱人、駄賃酒代共
   一、五文        竹橋茶や
   一、四拾文       津幡市右衛門茶や中飯
   一、五文        今町茶や
 
29  一、四拾五文      そうり弐足    画像  翻刻トップ  画面トップ
   一、三十六文      中折紙壱帖
   一、四十文       たはこ六三郎
   一、六文        わらし
   一、壱貫拾七文     墨、紙五十枚入
               御所落雁壱箱代
                   遠藤様使物
   一、百六十七文     笠壱かへ
   一、廿四文       六三郎髪結ちん
   一、廿五文       丸判壱つ、ほり手間
   一、七百四拾文     たはこ四玉
   一、壱貫百七拾文    筆代等、墨屋次助
   一、百廿文       唐油紙壱枚
   一、六文        わらし
   一、七拾文       九谷ノ帖入壱つ
   一、百廿文       髪附二十
 
30  一、弐貫五百文     五泊り宿払、和泉屋    画像  翻刻トップ  画面トップ
                       猪右衛門
   一、五百文       右茶代
   一、百文        下男
   同廿七日
   一、五文        今町茶や
   一、五百文       津幡河合や理右衛門
                      壱泊り
   一、五百文       津幡ゟ石動迄人足三人
   一、五文        竹橋茶や
   一、拾弐文       わらし
   一、十五文       くりから角屋茶や
   一、拾文        今石動茶や
   一、百廿文       舟賃
   一、三十文       高岡茶や中飯
   一、四十五文      まんちう十五代
 
31   〆八貫九百八拾九文    画像  翻刻トップ  画面トップ
     内
      六百文    内ゟ持参
      金壱朱    今石動山田屋宿払
       代四百文
      金壱両壱朱  金沢和泉やへ売
       代六貫七百拾五文
      金三朱    津幡ニ而売
       代壱貫弐百文
      印紙弐匁   津幡河合や宿払ノ内
          代百八拾文
      〆九貫九十五文
     指引シテ
       百六文 過
        此内 八十六文 残り銭
           廿文   小不足
           〆
 
32       和泉屋猪右衛門指引    画像  翻刻トップ  画面トップ
     一、三貫文     宿払、茶代共
     一、壱貫十七文   御所落雁壱箱代
     一、弐貫五百文   銭三度ニかり
      〆六貫五百十七文
      此所へ
            金壱分 壱貫五百八十文かへ
       金壱両壱朱
        代六貫七百拾五文
      指引シテ
        百九十八文 過 請取
         〆済
     一、金壱朱     曲尺壱丁代相渡
     一、磁石代 壱歩
        先達而取かへ之内、残り金壱分
        右引当ニ仕候、追而磁石売払
        指引可仕事、
        〆
 
33       墨屋次助方買物    画像  翻刻トップ  画面トップ
     辰八月廿三日
     一、三百文     上々光明朱壱匁
     一、三十文     上さらしにかわ五匁
     一、百廿文     白墨弐丁
     一、四十文     同 壱丁
     一、弐百文     本石小硯弐つ
     一、十文      紅から
     一、五百文     真書筆拾本
     一、七十文     同  弐本
      〆壱貫弐百七十文
      此分
       壱貫百七十文相渡、残りハ
       〆          まけ
 
34   辰    画像  翻刻トップ  画面トップ
    閏十一月五日ゟ
           紙数七十弐枚
    一、石川郡図籍ニ調懸り申候、
      十二月二日迄之内、日数
      二十六日相懸り下書相済
      申候、外ニ八月金沢町二日、
      日数〆二十八日、
    辰
    十二月六日ゟ
           紙数六十二枚
    一、能美郡図籍調懸り申候、
      十二月晦日迄ニ日数廿五日ニ
      下書相済、
 
35   巳二月十三日ゟ    画像  翻刻トップ  画面トップ
           紙数三十七枚
    一、江沼郡図籍調懸り申候、
      同廿七日迄之内、日数十一日ニ下書
      相済、
 
    一、巳正月十六日遠藤数馬様へ罷出、石川郡
      図籍懸御目申候、
    一、同十七日有沢才右衛門様へ罷出、石川郡
      図籍懸御目申候所、宜敷旨被仰候、且又
      渡海全法開板之義御内分申上候処、右書物
      も入御覧候所可然旨、尤御国之事書入
      申義ハ相成不申旨被仰候、
       附り、今度三州図籍之義ハ、野帳
       其侭打捨置残念ニ付清書仕上ケ
       申度旨、藤右衛門願之由ニ申上候義ニ付、
 
36      去年入用銀等願下り不申候、追而    画像  翻刻トップ  画面トップ
       出来之上ハ夫々可申上旨ニ候間、此段
       相心得可申旨被仰候、
    一、同十二日、有沢才右衛門様へ年賀ニ上り候所、
      能美郡御公領境道筋等之義御尋、
      此間ニ書上候様申上候、同十八日木滑、河原山
      阿手、大杉等御口留へ之道筋覚書
      仕上ケ申候、是ハ当夏秋之間ニ、右場所
      御廻り被成候ニ付、入用之旨被仰候、
      〆
 
    巳四月六日ゟ同廿四日迄之内十五ケ日
    一、口郡図籍調懸り申候、
         紙数八十五枚
    巳四月晦日ゟ五月五日迄之内五ケ日
      日数〆廿ケ日ニ而下書相済
 
37   巳六月十八日ゟ七月廿三日迄之内、    画像  翻刻トップ  画面トップ
    一、奥郡図籍  紙数七十四枚
      但、六月ノ内十日
        七月ノ内十一日
       〆弐十一日ニ而下書相済
    巳八月十六日ゟ
    一、砺波郡図籍 二冊  上五十弐枚
                下五十弐枚
      七ケ日  八月十六日ゟ廿三日迄之内
      六ケ日  九月廿三日ゟ晦日迄之内
      八ケ日  十月四日ゟ廿日迄之内
      廿一ケ日 十二月二日ゟ廿九日迄之内
     〆四十二日ニ而下書相済
 
38  天保四年巳十月廿三日ゟ十一月十日迄    画像  翻刻トップ  画面トップ
   内分御用等有之、出府中有沢才右衛門様等へ
   罷出候、
 
  一、巳十月廿五日、夕方ゟ遠藤数馬様へ罷出申候而、
    加州四郡測量図籍四冊懸御目申候、
    其内河北、石川両郡久三郎相調候分、調方
    之義御窺申上候処、随分宜敷旨御申聞ニ
    御座候、且又帳面仕立方等之義夫々申
    上候処、猶更有沢様へ申上候様御申聞ニ
    御座候、
 
  一、同廿六日、加州四郡測量図籍、風呂敷ニ包
    して上ケ申候、御透ニ御覧被下候様申上候、罷帰申候、
    同廿八日ニ有沢様へ罷出候所御逢被成、
    図籍夫々御覧被成、久三郎相調候河北、
    石川清書調方宜敷候旨被仰聞候、
    且又帳面仕立方并一国壱箱ニいたし、
    出来次第上ケ可申旨被仰聞候、猶更
 
39   遠藤様へ夫々申上候様被仰候、    画像  翻刻トップ  画面トップ
    同廿九日昼後、遠藤数馬様へ罷出、
    三州測量図籍調方有沢様ゟ
    御申送り旨申上候而、夫々調方等御
    申聞御座候、
     但、能美郡壱冊、帳面調方見本ニ上ケ
     申候所、此通相調可然旨、御両様共被仰候、
   一、箱之義ハ、かふせ蓋ニして、身ふ共ニ
     内方を黒ノかき合塗、又紐ヲ通し
     穴明与し、紐無之而ハ封ヲ付ル事相成
     不申ニ付紐ヲ付申事、
 
三州測量図籍 一寸七分          一寸七分
紙ノ寸法板     四分     四分
               七分     七分
幅六寸五分
板厚サ 五分
長九寸
 
 
40   一、賀州壱国四冊入    画像  翻刻トップ  画面トップ
箱寸法 内法 幅七寸二分 
長九寸六分
深サ 二寸
    一、能州壱国弐冊入
 箱寸法 内法 幅七寸二分
長九寸六分
深サ 一寸五分
    一、越中壱国六冊入
                幅七寸弐分
        箱寸法 内法  長九寸六分
                深三寸
    一、賀越能三州郡分略絵図 大小
                 二枚入
        箱寸法 内法  幅六寸五分
                長九寸一分
                深六分
    〆
 
41   午正月十八日ゟ    画像  翻刻トップ  画面トップ
    一、射水郡図籍 紙数七十二枚
      午正月十八日ゟ二月晦日迄之内
      日数廿九日懸り申候、
      〆
    午三月七日ゟ
    一、婦負郡図籍 紙数五十枚
      但、午三月七日同廿二日迄之内
      日数十四ケ日懸り申候、
      〆
 
42   午四月十五日ゟ    画像  翻刻トップ  画面トップ
    一、新川郡図籍二冊 上六十七枚
              下八十四枚
       十日  午四月十六日ゟ同廿五日迄
       十日  五月九日ゟ同十八日迄之内
       廿日  五月廿五日ゟ六月十四日
           迄
       〆四拾ケ日ニ而下書相済、
 
    一、五月廿一日ゟ廿五日昼迄、加州、能州
      図籍直し、彩色上り帳綴申候、
    一、六月十五日、十六日、測量図籍十二冊
      川、海ノ青色彩色仕候、
    是ニ而三州図籍下書出来、
 
43   一、越中四郡図籍清書上六冊    画像  翻刻トップ  画面トップ
      控六冊、久三郎、藤助午十二月
      迄相調済申候、
    一、賀越能三州大略絵図下書墨引
       加州 午十一月廿三日ゟ十二月三日
          之内日数八ケ日
       越中 十二月四日ゟ同十六日迄
          日数十一ケ日
       能州 十二月十七日ゟ廿二日迄
          日数六日
       右三州略絵図村名帳
          午十二月廿三日ゟ同廿七日迄
          日数五日、藤右衛門、久三郎相しらへ
          帳面下書相調申候、
         〆三十ケ日ニ相済、
 
44      此外ニ下絵図紙裏打等、午十一月    画像  翻刻トップ  画面トップ
       中旬藤助出来置申候、
       又、草高五百石以上之村数書出し、
       午十一月中旬、三日程相懸り申候、
       右下絵図出来迄、日数三十ケ日
       余相懸り申候、
       正月八日ニ下絵図仮張いたし候、
       〆
    一、越中四郡図籍
       未正月一日ゟ六日迄、図籍川、海等
       彩色并合紙入ル、
       同八日 越中図籍下綴相済、
       同九日 右図籍三方切并口張等、
       同十日 箱上書并印を押申候、
       右上り六冊箱ニ入、控六冊
       共出来仕候、
       〆
 
45   大    画像  翻刻トップ  画面トップ
    一、賀越能三州郡分略絵図  但、一里曲尺一寸
                  之図りを以相調申候、
       未正月十一日昼後ゟ系引仕懸り、十七日昼
       前迄六日半ニ而壱枚出来、
       又壱枚、正月十八日ゟ調懸り、廿八日迄之内
       五日半ニ而出来、
        二月朔日、右弐枚彩色いたし候、
       又壱枚、二月二日ゟ六日迄ニ五日ニ而出来、
        壱枚、三月中、久三郎相調申候、
       〆四枚
        此内
       弐枚、二月十一日裏打いたし候分、十九日金沢へ
       四郎兵衛飛脚ニ而到来、壱枚ハ御次へ上り、
       壱枚ハ広瀬平丞様へ先達而御申談之義
       有之、三月二日ニ広瀬様宅へ持参仕上ル、
       弐枚、三月晦日裏打仕、四月三日ニはくり申候而
 
46      折目等付申候、此分壱枚ハ御改作所上ル分、    画像  翻刻トップ  画面トップ
       壱枚ハ御算用場御奉行所ゟ広瀬様へ
       御談ニ付、広瀬様へ上申事仕申候、
       大
      右略絵図
       立 四尺    東西 五つ折
       横 四尺五寸  南北 八つ折
        但、惣廻り壱寸五分宛縁除ル事、
四尺三寸
五つ折
四尺八寸
八つ折
 
47      折畳候得ハ左之通り相成申候、    画像  翻刻トップ  画面トップ
 
賀越能三州郡分略絵図
六寸
         八寸七分程
    大
    一、賀越能三州郡分略絵図
      壱枚 遠藤数馬様行、
       但、図紙六尺四方ニ継立候分、遠藤様ゟ
       到来ニ付、未四月十九日ゟ廿三日迄
       相調、同廿八日ニ彩色いたし候、
       惣廻り等囲并凡例ハ別紙為調申候、
     大
     一、壱枚 藤助控絵図
        但、未四月廿三日ゟ廿七日迄書入等
        相済、同廿八日ニ彩色相済、
 
48    大
     一、壱枚 藤右衛門宅ニ巻絵図ニ仕立、    画像  翻刻トップ  画面トップ
          懸物ニいたし度図り、
        但、四月廿九日昼後ゟ五月四日迄ニ
                    日数五日、
        書入等相済、同五日ニ彩色仕候、
     大
     一、壱枚 藤助調申候
        但、五月十八日ゟ同廿九日迄ニ
        書入等相済申候之内、日数八日程
        懸り申候、彩色も済申候、
     大
     一、壱枚 久三郎調
        但、七月廿日ゟ廿八日迄相調申候、
 
49 天保五年午三月廿七日ゟ    画像  翻刻トップ  画面トップ
         四月六日迄
   同年午六月廿九日ゟ七月八日迄之間
七月新開方御用ニ付出府
      中御絵図方御用留
   同年午十月十一日ゟ廿八日迄之内
       出府中御絵図方御用留
  御絵図方御用留帳
   同六年未二月十四日ゟ三月五日迄之内
       出府中御絵図方御用
            高木村
              藤右衛門
 
50    金沢出府御用    画像  翻刻トップ  画面トップ
  一、午三月廿七日  北風     家来六三郎召連
     朝五つ時宅出立、福岡町茶屋ニ而中飯、
     八つ時過今石動山田屋へ、
 
  一、同廿八日    北風時々小雨
     六つ半時頃今石動出立、かこニ而津幡市右衛門
     茶やニ而中飯、又かこニ而金沢十間町小河屋
     五郎兵衛方へ八つ時着、
        金沢旅宿_小河屋五郎兵衛方泊り
   一、八つ時過御役所へ着御案内申上候、尤今度
     御絵図方御用ニ付、出府仕候与申上候、
     御役所、御郡所共御案内申上候、旅宿へ帰ル、
   一、和泉屋猪右衛門方へ見舞申候、
   一、夕方下条旅宿辰巳屋へ病気見舞ニ行、
     上牧の村宇左衛門、孫右衛門小河屋ニ泊り
      同宿いたし候、
 
51 一、廿九日     曇天 六つ時頃、地震少々宛弐度    画像  翻刻トップ  画面トップ
    朝過山森様御宅へ罷出、御内分申上度旨
    申上候処、明日ニ而も罷出可申旨取次之者申聞候、
   一、河野氏へ罷出暫ク咄申候、夫ゟ吉田屋小右衛門方へ
     見舞申候、
   一、今井村庄左衛門小河屋へ相見へ候ニ付、同村五右衛門
     高一件之示談いたし候、
   一、七つ時過ゟ遠藤様へ罷出候、日下理兵衛殿
     三角風蔵も罷出居申候、扨賀州四郡
     測量図籍懸御目申候、則上目録
     留帳ニ御書被成候、右帳面御返ニ御座候、
      且又、能州四郡図籍下書も御覧ニ入
      申候所、御返しニ御座候、
     藤右衛門、日下氏、風蔵三人へ酒肴、御飯
     出申候而夜五つ過旅宿へ返ル、
     下条ゟ承り申候、
      射水郡夫食弐千七百石 内九百石 当米
                  千八百石 新穀米渡り
       外ニ九拾五貫三百目 銀
      〆
52 一、晦日      天気    画像  翻刻トップ  画面トップ
   一、朝過山森様へ罷出候所、御取込之御様子ニ而
     夕方罷出可申旨御申聞ニ付、七つ時過御宅へ
     罷出候、御逢被成候ニ付、舟倉野極高
     定免新開ニ相成候、内密横帳御目ニ懸
     候所、御聞請宜敷、来四月四日御場ニ而右
     横帳指出候様御申談、仲間へ相談可仕旨御
     申談御座候、
     藤助去暮名代誓ノ御礼并今井村
     五右衛門高持添願御聞届之御礼等申上候、
   一、舟倉野御用水江筋之内、四十ケ所計
     江幅堅石之所、狭キ所々鉉掘ニ申付候、
     入用三貫目計相懸り申義申上候、其内
     壱貫目ハ鍛冶や道具直し、壱貫目ハ焼草
     木代、壱貫目ハ掘方人足代等中勘
     見図引渡旨申上候、尤当年米直段
     高直ニ付普請仕候、若夏中変損多ク
 
53    御座候得者、五、六百目入用方相増可申    画像  翻刻トップ  画面トップ
     与奉存候、此段御聞置被下候様申上候、
   一、加州四郡御絵図ノ野帳清書相済申分、
     四日御場ニ御窺ヒ入申度旨申上候、
   一、夕方河野氏へ罷出、柴野氏も相見
     咄居、夜四つ半時過旅宿へ帰ル、
    一、極数解一冊、北村順吉へかし申候分、
      河野氏へ相渡、
    一、常中時辰儀折本相返候、
    一、渡海標的板下、柴野氏ゟ請取、
 
  一、四月朔日    天気
    朝五つ時過下条旅宿へ見舞、中飯後
    吉田様、高木様、内藤様、浅加様へ御窺
    名札上ル、
   一、八つ半時頃有沢様へ罷出、賀州四郡
     図籍懸御目、夫々御指図等御座候、
     且先達而上ケ置申加賀四郡御絵図并
 
54    添帳共壱箱ニ御渡、但風呂敷も御かし被下候、    画像  翻刻トップ  画面トップ
加賀四郡箱 内法 長壱尺三寸
幅壱尺   深一寸五分
   一、柴野氏旅宿へ被罷出、渡海標的本書
     并板下相渡し候、
      板下書  生駒勘右衛門家来給人
            三拾石   木村源左衛門
  一、同二日    天気
   一、朝飯過大友様、林久大夫様、駒井様、
     林源多郎様、稲葉助五郎様、井上井之助様、
     高田幸助様御窺名札上ケ申候、
   一、日下氏へ見舞候所、留主ニ御座候、
   一、遠藤様へ七つ時過罷出、御絵図方奥書
     等之義御内談申上候処、図籍帳之始末
     壱枚宛并帳面上書并奥書之分、
     追而相調出し可申旨御談ニ御座候、此度
     御名前も載申ニ付、調方等少し者存不申
 
55    而ハ難相成旨被仰候、    画像  翻刻トップ  画面トップ
      附、測量之節年号月之所、一ケ所
      又古絵相用候所壱ケ所書記度旨
      被仰候、
   一、越中屋平右衛門方罷出、名札置申候、
   一、海鼠一袋二十、下条病気見舞与して
         入
     為持遣候、
       大番組頭 有沢才右衛門様
       御役料 百五拾石
        足軽五人、小者五人付申候、
       組頭並  遠藤数馬様
       役料弐百石 学校方并引替座
             兼帯
             〆
   一、日下理兵衛殿小河屋へ相見へ申候、
      金沢町絵図方河野氏、日下氏等ハ
      測量中盆暮両度ニ而銀拾枚計
      又金子五、六両計宛御拝領有之、
      図籍出来之上ニ金子拾五両宛并
 
56     御国染弐反宛御拝領御座候由、    画像  翻刻トップ  画面トップ
      又外人々金子計ニ而相済申人々も
      有之由ニ御座候、与力吉岡皆右衛門殿ハ
      高三拾石加増之由、
    一、金沢町御絵図百間曲尺壱尺、則
      壱間ヲ壱分之図り相調、金沢町六尺
      四方之絵図拾九枚ニ切分ケ申由、
    一、天保三年御家中屋敷分間ニ応し、
      書入方御指止メニ相成申候、
    一、天保四年ニ右絵図御次書写所へ
      相渡、御家中門口ノ左右ノ間数ヲ書記、
      門口之所ニ一軒々々苗字名前書入申由、
      扨、画師村田良助御算用ニ御召抱
      相成、足軽三角風蔵、右両人御次書写
      方ニ相加り、御家中名前等右大絵
      図ニ書入申事ニ相成申候、
 
57   一、算学鉤致下巻解一、二 日下氏ゟ被相    画像  翻刻トップ  画面トップ
                 返、直ニ請取申候、
 
  午四月
  一、同三日   天気
    朝五つ時頃河野久太郎殿子息久太郎殿
    旅宿へ御越、船長日記ノ写持参ニ而受取申候、
     但、写料壱枚三文宛ノ由被申聞候、
   一、有沢様ゟ御渡加州四郡分間絵図
     并添帳八冊之内、書損之ケ所夫々
     相改引直し申候、
   一、昼後東西両末寺へ参詣、夫ゟ
     墨屋次助方罷越、筆、墨等買申候、
   一、七つ時頃ゟ下条旅宿へ見舞申候所、
     段々気分宜敷相成候躰御座候、
 
  一、同四日   天気
    吉田屋小右衛門義小河屋へ参候、二上屋仁兵衛
    下条幸右衛門、右三人之者共、六渡寺村伝四郎
    借財方一件和順方ニ懸り居申候由被申聞候、
 
58  一、四つ時過御役所へ罷出、加州四郡図籍    画像  翻刻トップ  画面トップ
     壱箱ニ入、山森様等入御覧申候処、御算用
     場へハ先達而懸御目候ニ付、此度指出不申旨
     ニ而御申聞御座候、追而御役所御控壱組上ケ可申旨
御談御座候、
   一、新川郡舟倉野新開所内密書壱冊、
     御役所ニ而山森様へ上ケ申候処、仲間相談
     いたし、其上ニ而可申遣旨被仰談候、
     依外御用も無御座候ハヽ、御暇申上度旨
     申上候処、右舟倉野一件ハ追而可申遣候旨
     被仰談候ニ付、御暇申上旅宿へ帰ル、
   一、河野氏へ暇乞旁罷出候所、酒、吸物等
     出申候、扨船長日記写料金壱朱御渡、外ニ銭三拾文
     外ニ紙代弐百八文、〆弐百三拾八文、此形ニ
     前過銭三百文有之、指引〆六拾弐文
     河野氏ニ預り居事ニ相成申候、
   一、八つ時頃有沢様へ罷出、加州四郡分間絵
     図并添帳八冊壱箱ニ入、風呂敷ニ包
 
59    当月朔日借請申分御返上申候、    画像  翻刻トップ  画面トップ
     扨賀州四郡図籍壱箱ニ入上ケ申候 
     所御返、遠藤様上ケ判形被成候上ニ而、
     此元へ参り候様ニ与被仰聞候ニ付、其段
     遠藤様へ罷越申上候所、右図籍入
     壱箱遠藤様へ上ケ申所へ、此元判形
     いたし、有沢様へ直ク遣し可申旨被仰聞候、
   一、遠藤様ニ而金沢町会所ニ相調申候
     長弐間、幅九尺計大絵図御見せ
     被成、但百間三寸計之図り与相見へ申候、
     尤此絵図分間も能々合申由御咄ニ
     御座候、右絵東西南北ノ方角ヲ
     遠藤様ニ而書入置候由ニ御座候、
     遠藤様ニ而御飯并御菓子等出申候、
     暮合ニ旅宿へ帰ル、
   一、柴野優次郎弟子壱人同道ニ而、
     夜五つ時頃小河屋へ相見へ申候、
 
60    扨渡海標的板下之義、当十日頃    画像  翻刻トップ  画面トップ
     高岡辺へ罷越候用事有之ニ付、其序
     此元へも被罷出候様被申聞、其時
     板下持参可仕旨被申聞候而被相帰候、
一、 上牧野村弥十三郎(四月五日出府、
一、          吉久新村弥次左衛門
     出府、上牧野村孫右衛門ハ翌五日ニ帰ル、
 
  一、五日   昼八つ時頃ゟ雷鳴大雨ふり
    吉田屋小右衛門、吉川屋伝助へ暇乞ニ行、
    下条旅宿へ暇乞ニ罷越申候所、段々
    快気ノ躰ニ御座候、十日過ニハ帰村仕度
    旨被申聞、扨今井村五右衛門切高願
    御郡御奉行裏書物写壱枚請取
    申候、
   一、吉久二上屋仁兵衛、吉田屋小右衛門、手附幸右衛門
     〆三人之者共、金沢升屋次右衛門与
     六渡寺村伝四郎指引方一件加人ニ
     相成、此間相談いたし居候由、
 
61  一、中飯小河屋ニ而喰、昼後金沢    画像  翻刻トップ  画面トップ
     出立、七つ時頃津幡へ着、
            河合屋理右衛門方泊り、
 
  一、六日   天気
    朝六つ半時頃津幡出立、かこニ而
    今石動上野町茶屋迄罷越、四つ時頃
    福町大橋爪ゟ舟ニ而横田町上り、
    高岡へ九つ時頃着、高岡旅宿よの木ノ南
    茶屋ニ而中飯、錺屋清六方へ打寄、
    室屋ニ而八寸紙等買申候、七つ時頃帰宅
    いたし候、
 
     日数〆十ケ日
       遣物
        一、菓子壱箱   遠藤数馬様
        一、胡麻弐升   手附棟取小右衛門
        一、海鼠二十   下条村瀬一郎
         〆
 
62       金沢出府入用    画像  翻刻トップ  画面トップ
    三月廿七日
    一、弐拾文      福岡町茶屋中飯
    同廿八日
    一、金壱朱      今石動山田屋宿料
     代四百廿七文
    一、拾五文      くりから茶や
    一、五百五拾文    今石動ゟ津幡迄
               かこ并荷物三人賃銭
    一、六文       酒代
    一、五文       竹橋茶や
    一、五拾文      津幡市右衛門茶や中飯
    一、五文       今町村茶や
    一、五文       大樋町端茶や
    一、三百五拾文    津幡ゟ金沢十間町迄
               かこ人足弐人
    一、弐拾文      右酒代
      〆壱貫四百五拾三文
 
63   三月廿八日    画像  翻刻トップ  画面トップ
    一、四拾文      そり弐足
    一、拾三文      ろうそく壱丁
    同廿九日
    一、三拾文      たはこ
    一、三百六拾文    ひんつけ五十
                内十ヲかた
    同晦日
    一、四百五拾文    胡麻弐升 吉田屋
                      小右衛門へ使物
    一、六拾五文     小あつ紙壱帖
    一、四百八拾文    おしろい三包
    一、弐百三拾文    菅笠壱かへ 後□屋ゟ
                     誂
    一、七百文      供雨合羽壱枚
    一、三百文      四つ手かこノ唐油
                   廿四枚継
    四月一日
    一、金弐朱      刻たはこ五包
      代八百四拾文
 
64   一、拾文       そり壱足    画像  翻刻トップ  画面トップ
    同二日
    一、三百文      折荷つゝら壱つ
    一、百五拾文     同さなた壱丈
    一、十六文      鼠紙壱帖
    三日
    一、弐拾四文     六三郎髪結ちん
    一、五拾文      ふし十包
    一、九拾壱文     針七十本 五十本 大
                    弐十本 □□け
    一、百弐拾文     七尾紐弐拾五匁代
    一、百文       山吹茶 庄田ニ而
    一、拾文       両末寺散銭
    一、三文       なわ
    一、壱貫弐百文    海鼠二十代 下条へ使物
    一、六百廿五文    箱入菓子壱箱
               六匁五分代 遠藤様遣物
 
65   一、八匁       龍剤墨弐丁    画像  翻刻トップ  画面トップ
    一、七匁五分     金山墨三丁形壱丁
    一、拾匁       同 上々弐丁形壱丁
    一、三匁       松葉墨弐丁
    一、壱匁五分     千代春墨壱丁
    一、九匁五分     大小下ケひも壱組
    一、壱匁六分     小刀壱丁
    一、七分       千枚とし壱丁
    一、三匁       筆手帖書三本
    一、壱匁       平林□筆壱対
     〆四拾五匁八分   墨屋次助方
      内 四拾匁  印紙四拾五匁
         代四貫文
        金壱朱       相渡
         代四百廿文
 
66   一、金壱朱      船長日記写料之内    画像  翻刻トップ  画面トップ
      代四百廿文      河野久太郎殿へ渡
    四月五日
    一、三貫五百文    七泊り 小河屋
               宿料     五郎兵衛
    一、五百文      茶代 同人
    一、弐百文      宿下人弐人へ相渡
    一、百五拾文     状箱壱つ代
    一、五文       柳橋村茶や
    一、拾弐文      わらんし弐足
    同六日
    一、五百文      宿料 津幡河合屋
                      理右衛門方
    一、六百文      津幡ゟ石動迄かこ并荷物
                     人足三人
    一、五文       竹橋茶や
    一、拾五文      くりから茶屋
 
67   一、十弐文      わらんし弐足    画像  翻刻トップ  画面トップ
    一、拾文       今石動上野町茶や
    一、五拾四文     ろうそく壱わ
    一、百弐拾文     福町ゟ横田上り舟賃
    一、弐拾文      高岡旅宿町茶や中飯
    一、六拾文      日暮まんちう廿
    一、六百文      木地三重壱枚
                 壱つ  高岡ニ而
    惣入用
      〆拾八貫八百九拾三文
       内
       壱貫百文    宅ゟ持出銭
       百四拾目    印紙
        代拾四貫文
       金弐歩
        代三貫三百七拾四文
 
68      弐匁      印紙    画像  翻刻トップ  画面トップ
        代弐百文
        三百文    高岡手形
       〆拾八貫九百七拾四文
      指引シテ
        百拾壱文   釣銭
         此内
          九拾弐文 取
          拾九文  小不足相立
          〆
 
        小河屋五郎兵衛指引
    四月五日
    一、三貫五百文    七泊り宿料
    一、五百文      茶代
    一、四貫五百文    四度ニかり銭
    一、壱貫弐百文    海鼠二十代
    一、六百廿四文    菓子壱箱
    〆拾(貫脱ヵ)三百弐拾四文
     内 銀百目 代拾貫文
       金弐朱 代八百四拾文
     指引シテ
       五百十六文 過銭受取済
 
69      かふせふた箱   三州測量図籍入箱    画像  翻刻トップ  画面トップ
    一、身内法 幅七寸二分 深二寸 桐木ニ而出来
          長九寸六分
       但、箱ノ内身ふた共黒ノかき合ぬり、箱外ハ白
外深二寸五分
七寸二分  二寸    二分 三分
九寸六分 箱身 九寸六分 四寸 紐通し穴
                     三寸 深一分
                     切カキ
七寸二分  外二寸五分    サシ
 
       右賀州ハ深二寸  能州ハ深一寸五分
        越中ハ深三寸
         右高岡定塚町大工源五郎ニ為致申候、
 
70      覚    画像  翻刻トップ  画面トップ
    一、壱冊  河北郡測量図籍  四拾壱枚
    一、壱冊  石川郡測量図籍  七拾弐枚
    一、壱冊  能美郡測量図籍  六拾弐枚
    一、壱冊  江沼郡測量図籍  三拾七枚
     〆
    右賀州四郡測量図籍全部四冊
    相調上之申候、以上、
      天保五年三月    射水郡高木村
                    藤右衛門 印
        遠藤数馬様
        有沢才右衛門様   右壱箱四月四日ニ
                  遠藤様へ上ル、
 
71       覚    画像  翻刻トップ  画面トップ
    一、壱冊   羽喰
           鹿嶋 口郡測量図籍 八拾五枚
    一、壱冊   鳳至
           珠洲 奥郡測量図籍 七拾四枚
     〆
    右能州四郡測量図籍全部弐冊
    相調上之申候、以上、
              射水郡高木村
      天保五年七月      藤右衛門 印
        遠藤数馬様
        有沢才右衛門様
                右壱箱七月六日ニ
                遠藤様へ上ル、
 
72 一、天保五年午七月、新開方御用ニ罷越    画像  翻刻トップ  画面トップ
    申候節、  金沢旅宿ハ十間町和泉屋
                    猪右衛門方
   一、午七月二日昼後七つ半時頃ゟ遠藤様へ
     罷出、能州図籍二冊壱箱并砺波
     図籍弐冊、射水図籍壱冊下書之分入御覧
     申候処、御返しニ御座候、
   一、加州河北郡図籍之初と終ノ処、名前
     有之処久三郎ニ為写、遠藤様御控ニ上ケ
     申候、
   一、同五日、能州図籍弐冊壱箱并砺波
     射水図籍有沢様へ入御覧候処、御返しニ而
     能州壱箱遠藤様上可申候、遠藤様
     も御判形被成、直クニ有沢様へ被遣申様ニと
     御談ニ御座候、
   一、同日能州、越中郷庄分分間絵図
     并添帳〆弐冊御かり請、書損之所々
     相直し、六日八つ時過有沢様へ持参仕
 
73    取次之者へ相渡申候、且昨五日かり請申風    画像  翻刻トップ  画面トップ
     呂敷も包候而上ケ申候、
     尤能州壱箱ノ上ハ加越能三州組分
     絵図三枚、組分村名帳三冊入申候旨、
     付紙有之候得共、箱之内ニ相見エ不申
     ニ付、其訳各見当り不申旨張紙仕
     上ケ申候、
     〆
   一、同六日七つ半時頃、右能州図籍
     弐冊壱箱遠藤数馬様へ罷上り
     上ケ申候、則直ニ御請取判形いたし、
     直クニ有沢様へ遣し可申旨御談ニ
     御座候、
     〆
   一、同四日ニ能州図籍壱箱、御改作所へ
     御内覧ニ入候処、御返し御座候、
   一、同日、三州分間絵図十枚并郷庄分村名
 
74    帳十冊并加越能三州組分絵図    画像  翻刻トップ  画面トップ
     三枚、同組分村名帳十冊入壱箱
     かり請、同五日ニ旅宿ニおいて、書損之所
     書直し、同六日ニ上ケ申候、
      但、江沼郡絵図見当リ不申候、
      外ニ大聖寺御領境目絵図壱枚
      入有之候ニ付、其段付札を以
      箱ノ上張上ケ申候処、御詰合
      山森雄次郎様、嶋田権五郎様
      ゟ江沼郡絵図相しらへ、若し
      無之候得ハ重而可申遣候間、相調
      上ケ可申旨御談ニ御座候、
   一、同四日、先達而高田幸助様ゟ御算用
     場御奉行衆四人、三州略絵図相調上
     可申旨御紙面被遣候分、三州略絵図
     四枚持参仕候、山森様へ上ケ申候、
    〆
 
75   文政六年未八月御次上り    画像  翻刻トップ  画面トップ
能州四郡箱 内法長一尺三寸 幅壱尺
深二寸五分
 
    同未九月御次上り
越中四郡箱 内法長一尺三寸 幅一尺
深二寸
 
    文政八年六月上り、御改作所へ上ル
加越能三州郷庄分絵図 十 同村名帳 十
枚      帳入
加越能三州組分絵図 三 同村名帳 三
枚      冊入
右箱 内法 長一尺三寸 幅一尺〇五分
深二寸五分
     但、御改作所ノ箱見請候処、樟脳等入申
     候所、深不足ニ候、深三寸三分程仕直し可然事、
 
76   御改作所上り    画像  翻刻トップ  画面トップ
    一、新川郡之内、天保二年ニ無高加称山
      七ケ所一村立ニ被仰付候八ケ村
        長棟村  吉金村  亀谷村
       亀谷加称山ノ内
        新町村  虎谷村  下田村
        河原波村 松倉村
        〆八ケ村 ○此印張紙ニ仕申候、
      右組分絵図并組分村名帳、右之通り張紙を以
      直し申候、
      郷庄分絵図ニも張紙を以書直し申候
      同郷庄分村名帳ニハ、右八ケ所も天保二年ニ
      一村立ニ被仰付候、村名朱ニ而書記置申候、
      〆
    一、御次上り之分ハ、右天保二年ニ一村立ニ
      被仰付候義ニ書入等不仕候、
      〆
 
77  一、午七月四日、御改作所ニ而山森雄次郎様、    画像  翻刻トップ  画面トップ
     嶋田権五郎様ゟ諸郡測量図籍
     壱通り追而相調、壱箱ニして指上
     可申旨被仰渡候、
     〆
 
   一、午十月十四日、七つ半時頃ゟ
     遠藤数馬様へ罷出、婦負郡
     図籍下書壱冊入御覧申候、
     夜四つ半時頃ゟ旅宿和泉屋へ
     帰ル、
 
   一、同十七日夕方、有沢才右衛門様へ
     罷出、婦負郡図籍下書壱冊
 
78    御覧ニ入申候、    画像  翻刻トップ  画面トップ
   一、三州略絵図一里曲尺一寸ニ
     相調、平里高千石以上、山方ハ
     高五百石以上之村々書入上ケ
     申度旨申上候処、指図不仕候得共
     上り申候ハヽ可然旨被仰候、
   一、三州図籍来未三月上旬迄ニ
     不残指上申度旨申上候、
     御暇乞いたし旅宿へ帰ル、
 
   一、同廿日夕方ゟ遠藤様へ罷出候、
     右三州図籍且略絵図等之義
     申上候所、宜敷旨被仰候、
     御暇申上旅宿へ帰ル、
   右舟倉野内検地方御用ニ金沢出府
   ノ序ニ、御両家へ罷上り右之趣申上候、
 
79      覚    画像  翻刻トップ  画面トップ
   一、壱冊 砺波郡測量図籍 上 五拾弐枚
   一、壱冊 同       下 五拾弐枚
   一、壱冊 射水郡測量図籍   七拾弐枚
   一、壱冊 婦負郡測量図籍   五拾枚
   一、壱冊 新川郡測量図籍 上 六拾七枚
   一、壱冊 同       下 八拾四枚
    〆
   右越中四郡測量図籍全部
 
80  六冊相調上之申候、以上、    画像  翻刻トップ  画面トップ
         射水郡高木村
    天保六年二月   藤右衛門 印
     遠藤数馬様
     有沢才右衛門様
           右壱箱ニ入二月廿五日
           有沢様江上ル、
    外ニ
    一、賀越能三州郡分略絵図 大小
                 二枚
           右壱箱ニ入天保六年乙未二月
           廿五日有沢様へ上ル、
           〆
 
81 一、未二月廿一日、遠藤数馬様へ罷上り、越中    画像  翻刻トップ  画面トップ
    四郡測量図籍全部六冊、壱箱ニ入
    并賀越能三州郡分略絵図大小弐枚
    壱箱ニ入、御覧ニ入申候所、皆々能ク出来
    いたし候旨被仰候上、御返し受取参り申候、
     但、御内分ニ而入御覧ニ入申候ニ付、有沢様ニ而ハ
     此義不申上候、
 
  一、同廿二日、有沢才右衛門様へ罷上り、右弐箱
    共上ケ申候所、少与御気滞ニ而御会不被成
    候ニ付、御手透ニ御覧可被下候旨取次之者へ
    申談、旅宿へ罷帰申候、
          旅宿 金沢十間町和泉屋
                    猪右衛門方
 
  一、同廿四日、有沢様へ罷出御目ニ懸り候所、此間
 
82   指出候三州図籍等一覧いたし候所、宜敷    画像  翻刻トップ  画面トップ
    出来之旨被仰候、右図籍等弐箱共ニ
    御返、遠藤様へ罷越、判形いたし貰候上
    指上ケ可申旨御談ニ御座候、且御改作所へも
    内分入御覧可申義申上候処、御承知ニ御座候、
   一、御改作所へ右弐箱共上ケ申候処、広瀬様
     御算用場へ御持参被成候様子ニ而暫ク立
     候所、右弐箱共御奉行様方帳面并
     略絵図御覧之上、御返ニ御座候、
   一、直クニ右弐箱共、遠藤様へ持参仕上
     申候処、御判形被成御返ニ御座候、
   一、有沢様今度全図籍出来上ケ申ニ付、
     此元帰村之義ハ、御指図御座候様御談御座候
     ニ付、此段御改作所へ申上置候、
 
  一、同廿五日、有沢様へ罷上り候所、御用多ニ而
 
83   御会不被成候ニ付、右三州図籍越中分    画像  翻刻トップ  画面トップ
    壱箱并三州略絵図壱箱、取次之者へ
    遣し上ケ申候、
  一、同晦日、有沢様へ罷上り候処、御会被成三州
    図籍等二箱共、明三月朔日出勤いたし
    指上候上ニ而、帰村之義可申遣候旨被仰談候、
     右図籍ニ付願方も有之様被仰談
     候ニ付、遠藤様与御談被下候上、暖々御相談
     被成下候、何分宜敷奉願上候与御内分
     申上候、
     遠藤様へ夕方罷上り、有沢様ゟ
     被仰談候趣等申上、其上私御扶持方等
     已来之義御内分申上候処御承知ニ
     御座候、菓子并蕎麦等御出し候、夜五つ
     半時頃旅宿へ帰ル、
 
  一、未三月四日早朝、有沢様ゟ旅宿和泉屋迄
 
84   今之内罷出候様、人を以被仰遣候ニ付、    画像  翻刻トップ  画面トップ
    即刻罷上り候処、御目かヽり三州図籍
        大小二枚
    并略絵図等弐箱共指上申ニ付、勝手
    次第帰村可仕旨被仰談候、干時其元
    骨折方賞美之義、遠藤数馬様与申談
    已来相続いたし候様被申上候様、御内分
    被仰談候而御暇申上候、夫ゟ直クニ
   一、遠藤数馬様へ罷出、此度御絵図方
     御賞美方之義、有沢様御談之訳御内分
     申上候所、願方下書御内分御見せ被下、
     猶更御達等を以申談候義も有之様、
     別而御内分被仰下忝仕合与奉存候、
     御暇申上旅宿へ帰ル、
   一、同日御役所へ罷出御暇申上、同日昼後
     津幡泊り、翌五日ニ帰村仕候、
 
85     箱上書左之通    画像  翻刻トップ  画面トップ
天保四年癸巳六月
御次御内御用
三州測量図籍  賀州四郡
全部四冊 入
 
天保四年癸巳十二月
御次御内御用
三州測量図籍  能州四郡
全部二冊 入
 
天保六年乙未二月
御次御内御用
三州測量図籍  越中四郡
全部六冊 入
 
86    かふせ蓋         身     幅七寸二分    画像  翻刻トップ  画面トップ
     一、賀州壱国  四冊入 箱寸法 内法 長九寸六分
                        深二寸
 
     同            身     幅七寸二分
     一、能州壱国  弐冊入 箱寸法 内法 長九寸六分
                        深一寸五分
 
     同            身     幅七寸二分
     一、越中一国  六冊入 箱寸法 内法 長九寸六分
                        深三寸
 
      右三国共桐木ニ而かふせ蓋ニして、身ふた共
      内方黒ノかき合塗、又紐ヲ通し穴明ル事、
      紐無之而ハ、封付ル事相成不申ニ付紐ヲ付事
      〆
 
天保六年乙未二月
賀越能三州郡分略絵図  大小
二枚
       但、桐木、白木ニ而
 
87                幅六寸五分    画像  翻刻トップ  画面トップ
      右、箱寸法 身内法  長九寸一分
                 深六分
    三州略絵図折形之事
      南北長四尺八寸ヲ八ツ折
      東西長四尺三寸ヲ五ツ折
      〆
 
    △ 賀越能三州郡分略絵図 大
       但、平里草高千石以上、山方五百石以上之村々
       書入、又往来道筋等ハ少高之村ニ而も書記、
       天保六年乙未正月出来之図ニ御座候、
       未二月廿五日有沢様へ上ル、此分御次上ル分也、
     右絵図相調、追而上ケ可申覚
     △ 御算用場御奉行所御好 壱枚
       広瀬平丞殿へ上ル事
        未四月八日、舟倉野二松清五郎方ニ而広瀬様へ
        直ニ上ケ申候、
     △ 御改作所御控     壱枚
        申四月廿六日ニ直ニ上ル、
     △ 遠藤数馬様      壱枚
        但、裏打不申、其侭ニ而上ケ申事、
        三州略絵図ニ書記申村名帳三冊相添へ上ル、
 
88       未七月廿一日ニ御直ニ上ル、    画像  翻刻トップ  画面トップ
        〆
     △ 有沢才右衛門様へ   壱枚
        申四月廿七日、御宅へ直ニ上ル、
     △ 広瀬平丞様      壱枚
        但、先達而御約束ニ付相調候分
        未三月二日ニ直ニ御宅ニ而上ル、
          但、賀越能三州郡分略絵図面新書記
          之村数帳、紙数三枚ノ分、未四月八日舟倉野ニ而
        〆 上ル、
          〆
     △ 御算用場御奉行様方へ 大 壱枚 広瀬様ゟ
御談、則四月八日舟倉野
ニ而上ル
       〆
     一、加越能三州郡分略絵図 小 壱枚
          但、山岸小弥太殿へ重而相調上ル事、
          未三月十九日ニ壱枚上ケ申候、
 
89      覚    画像  翻刻トップ  画面トップ
    天保五年正月買入
    一、八百五拾文     賀州図籍入箱
                     大工源五郎
    同
    一、八百五文      能州 同断
                     同人
    同 十二月
    一、九百文       越中 同断
                     同人
    天保六年二月
    一、三百三拾文     三州略絵図入箱
                     金沢ニ而
    天保五年正月買入
    一、四百九十一文  図籍入箱三つノ緒
二丈二尺三寸 さなた
                      室屋小右衛門
                      〆
    天保六年十二月買入
    一、弐貫百文      三州測量図籍十二冊入
                御改作所上り箱
      此内        中ぬり賃共
       五百文 小箱壱つ上り不申候、代銀中勘立
    一、八拾文       真田壱丈 右箱ノ紐ニ用
 
90   天保六年未八月十五日ゟ十七日迄相済、    画像  翻刻トップ  画面トップ
    一、三州測量図籍 全部十二冊
      中才紙半組入 結申候而三方共
      たち切申候
 
     上箱書付如左
年号 月
御次御内御用
三州測量図籍  賀越能三州
全部十二冊 入
改作方控
 
91    御改作所上り箱上書左之通、    画像  翻刻トップ  画面トップ
天保七年丙申三月
御次御内御用
三州測量図籍  賀越能三州
全部十二冊 入
改作方 控
九寸六分
一尺四寸也
     かふせふた箱 身内法 長一尺四寸
                横九寸六分
                深サ三寸二分
      但、桐木身ふた共、内ノ方黒ノかき合、
      塗ニ仕候、
 
92       覚    画像  翻刻トップ  画面トップ
         賀州
    一、壱冊   河北郡測量図籍   四拾三枚
    一、壱冊   石川郡測量図籍   七拾四枚
    一、壱冊   能美郡測量図籍   六拾四枚
    一、壱冊   江沼郡測量図籍   三拾九枚
         能州
    一、壱冊   羽喰
           鹿島口郡測量図籍 八拾七枚
    一、壱冊   鳳至
           珠洲奥郡測量図籍 七拾六枚
 
93        越中    画像  翻刻トップ  画面トップ
    一、壱冊   砺波郡測量図籍 上 五拾三枚
    一、壱冊   同       下 五拾四枚
    一、壱冊   射水郡測量図籍   七拾四枚
    一、壱冊   婦負郡測量図籍   五拾弐枚
    一、壱冊   新川郡測量図籍 上 六拾八枚
    一、壱冊   同       下 八拾六枚
       都合拾弐冊   壱箱ニ入
    右賀越能三州測量図籍御控
    全部拾弐冊相調上之申候、以上、
 
94    天保七年三月    射水郡高木村    画像  翻刻トップ  画面トップ
                   石黒藤右衛門 印
    御改作方
       御郡御奉行所
 
       外
        大聖寺御領、江沼郡分間絵図
        壱枚上ル、 但、先達而上ケ置候分、御郡所ニ
              見当り不申ニ付重而上ル、
    右天保七年丙申四月廿六日
    御改作所へ上ル、
      則、広瀬平丞様、井上井之助様、
      石黒左門様、矢部順平様等
      御列座ニ御受取、御算用場へ
      広瀬様ゟ御覧ニ御入被成候、
 
95   加越能三州郡分略絵図ニ書記申村名帳    画像  翻刻トップ  画面トップ
    三冊、追而相調上可申旨、広瀬平丞様ゟ
    未七月廿三日御宅ニ而御談ニ御座候、
 

--------------------------------------
 
[5][日記]「新開所免附見分方等御用留帳并金沢出府御用方留」天保二年六月 [翻刻]
 
2-2-0622_00  [目録 二(二)622]      画面トップ
 

 (表紙)    画像  現代語訳  画面トップ
「 天保二年辛卯六月
 新開所免附見分方等御用留帳
  并金沢出府御用方留
        高木村
          藤右衛門 」
 
 卯    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
一、六月十七日  天気  土用入十二日
 七つ半時過藤右衛門、助左衛門、祐次
 三人共青井谷村へ着、
    青井谷村
      平兵衛方泊り
一、同十八日  同
 朝五つ時ゟ青井谷村野手谷
 新開所見分、
    昼  同村平兵衛方
    泊り 東広上村市郎兵衛方
 但、昼後市井村領見分、
 浄土寺村ハ青井谷村ニ而
 申談相返ス、手附喜左衛門、
 青井谷村次兵衛開見分後
 帰り申候、    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
 宮森手附源次郎、東広上
 村へ十八日罷出、村々免願書付
 出し申候、
一、同十九日  天気
 東広上村、西広上村、柳俣
 開見分、手附源次郎帰ル、
 深沢村、下伏間江村、二塚村、
 庄川縁新開見分、中川
 手附宗八二塚村へ罷出申候、
 一、当年免願帳下書藤兵衛ゟ
  取寄、東広上村ニ而相しらへ、
  加筆いたし、右帳面相返
  申候、
 一、上伏間御普請所、定検地
  御奉行水越殿出役ニ付、    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
  三人共御出役、先罷出
  御挨拶申上候、
 一、藤右衛門上伏間江ヘ立寄、二塚
  川縁善七前ニ三人共一集ニ成、
  二塚村伝兵衛迄行、
 一、昼後助左衛門東藤平村方見分、
  藤右衛門、祐砂喰ゟ十二町嶋村等
  見分、七つ半時過西藤平蔵
  九兵衛方着、
 一、夜五つ時頃ゟ雷光鳴申候、
      昼  二塚村伝兵衛 
      泊り 東藤平蔵村九兵衛
一、廿日  明六つ前夕立    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
      少々ふり
 西藤平蔵村ゟ木津村等見分、
 昼後中川、湶分、横田村
 見分、夕合ニ及横田村へ着、
 一、高岡古御城ニ而、定塚町之者
 中御城蓮根取ニ行溺死
 仕候由、見物人多ク馳申候、
    昼  木津村次郎兵衛
    泊り 横田村与十郎
 一、夜中大門家来喰滞
  之躰ニ御座候、
一、廿一日  朝五つ時頃迄雨ふり
 北嶋村ゟ二上村迄、小矢部川
 南縁見分、
 南条組手附藤兵衛出、    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
   昼  五十里村和兵衛
   泊り 守山町専久寺
一、廿二日  天気
 下田子村、耳浦村、園村所新開等
 見分、園村ゟ舟ニ而潟廻見分、
 七つ半時頃相済、
    昼  海津村清兵衛
    泊り 十二町村茂三郎
一、廿三日  天気
 泉村、加納村ゟ矢田串岡新村迄
 見分、伏木湊間改役所へ立寄、
 御内有合申候、
    昼  加納村仁左衛門
    泊り 串岡村半左衛門
 廿三日加納昼所へ上余川村、長坂村    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
 役人呼出申候、
一、廿四日  天気
 加納村ゟ古明神村等領迄
 見分、米嶋村内検地所再
 見分、堀岡又新村等舟ニ而
 見分、
 昼所ゟ倉垣組手附藤四郎
   昼  放生津松屋武兵衛 
   泊り 堀岡新村聞光寺
一、廿五日  天気
 朝五つ時過出立、四つ半時頃小杉
 水上や三人共着、
 三人共雨具等入用之物家来ニ
 為持、小杉へ持参申候、堀岡村人足壱人、
 堀岡ゟ残り荷物三人共、人足壱人    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
 為持、高木、大門、二塚へ送申候、
 一、昼後御出役所へ三人共罷
  出、免願増減下しらへ帳、笠間氏
  等及相談候所、右下しらへ之義
  相咄申候、御奉行所留主ニ而、
  御箪笥今村殿へ挨拶仕候、
 一、免願帳免相等、藤兵衛水上や
  ニ而為書入申候、
 一、ケ所目録ハ藤右衛門方ニ而相調
  申事、
 一、二塚村助左衛門七つ半時頃出立、
  祐次義母病気之躰宅ゟ申
  来候ニ付、夕合被罷帰申候、
 一、組々増免書等相封シ、笠間氏
  等相届候様藤兵衛ヘ相渡申候、
     昼并夕飯 三人共    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
      水上屋次郎左衛門方
一、同廿六日  天気
 小杉ゟ罷帰申候、
 一、砺波郡ゟ婦負郡迄六月廿一日、二日
  御郡廻り御供之義笠間氏等申談、
  原篠様へ申上、御供不仕候、
 一、廿八日婦負郡境ゟ六渡寺舟渡場迄
  祐次御供仕候、
 一、廿八日、九日伏木ゟ砺波郡境迄助左衛門
  御供仕候、
 一、藤右衛門義金沢出府ニ付、放生津ニ而
  御請上ケ、御供不仕候、
 
   免附見分宿料等払方    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
卯六月十八日
一、百六拾五文  青井谷村平兵衛
同十九日
一、百弐拾八文  東広上村市郎兵衛

一、三拾五文   二塚村伝兵衛
同廿日
一、百弐拾八文  西藤平蔵村九兵衛

一、三拾五文   木津村次郎兵衛
同廿一日
一、百弐拾八文  横田村与十郎

一、三拾文    五十里村和兵衛
同廿二日
一、百弐拾九文  守山町源四郎

一、三拾五文   海津村清兵衛
同廿三日
一、百弐拾九文  十二町村茂三郎

一、三拾五文   加納村仁左衛門
同廿四日    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
一、百弐拾七文  矢田串岡新村少助

一、三拾四文   放生津松屋武兵衛
同廿五日
一、百弐拾九文  堀岡新村円助
一、拾文     下田子茶屋
 〆壱貫弐百七十七文
   新開決算所 水上屋次郎左衛門方
一、六飯 藤右衛門上下 廿五日六日朝迄
一、四飯 助左衛門上下 廿五日昼夕
一、四飯 祐次上下   同断
   外ニ酒肴等出し申候
 
    金沢出府御用之覚    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
一、卯六月晦日  時々小雨降 小西風
 朝日の出過宅出立、今石動茶屋
 ニ而中飯、山中駕籠ニ而、七つ時過
 津幡へ着、家六三郎召連、
   今石動ゟ竹橋迄荷物人足ニ為持、
   其余ハ六三郎持、
       河合屋理右衛門方泊り
一、七月朔日  天気 小西風
 明六つ前津幡出立、五つ時過金沢
 十間町和泉屋猪右衛門方着、
 一、手附棟取小右衛門方、着之義六三郎を以申
  遣し候、四つ時過小右衛門旅宿猪右衛門方へ
  被罷出候、
 一、九つ時過御役所へ唯今着仕候御案内
  申上候、御帳面之義明日指上可申旨申上候、
      御用番 吉田兵馬様    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
          駒井丹之丞様
 一、地球絵図壱枚、地球切絵図十二枚、
  日本絵図三枚、切分ケ候分、都十六枚、
  河野氏へ六三郎ニ為持遣候、
  夕方河野久太郎旅宿猪右衛門方被罷出、
  暫ク咄仕候、
一、同二日  天気 西日方 小風
 四つ半時頃御根役所へ罷出、免願帳
 指上申候処、御見分願□請之所免附
 いたし、去年今年増減仕上ケ可申旨
 御談ニ而、帳面御返ニ御座候、
 一、新川郡亀谷村領絵図書入等之義、
  御役所ニ而安田新兵衛様へ、右絵図書入
  之義御指図を請申度旨等申上候所、
  手透次第申談候様被仰談候得共、
  御用多ニ而御帰りニ付、七つ時過
  安田様御屋敷ヘ右絵図持参ニ而
  罷出候所、則御会被成、右絵図書    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
  入方等之義夫々申上候処、右絵図ニ
  書入いたし、明後四日御場ニ而出し候様
  御談ニ御座候、
 一、先達而内密申上候義、御内分御尋
  申上候処、松平様と申談置、夫々
  取計被成度旨御内分被仰候、
 一、七つ時過山森雄次郎様、浅加織人様、
  内藤十兵衛様へ御宅へ罷上り名札上ケ
  申候、
 一、五つ時過吉田兵馬様、松平織人様へ、
  御宅々へ罷出名札上り申候、
 一、七つ半時過ゟ遠藤数馬様へ罷出、
  去年御転役等御挨拶申上候、御飯等被下候、
  海路安心録、同絵図相添并自著
  之渡海安心録壱冊并地球絵図、又
  日本接国之絵図懸御目候所、暫ク
  かし呉候様御申ニ付、則上ケ置申候、
  夜四つ時過和泉ヘ帰ル、    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
 一、二日朝越中屋平七忰旅宿へ相見へ
  申候、
 一、吉田小右衛門方へ胡麻弐升為持遣シ申候、
一、同三日  天気 西日方 小風      
 朝飯過高田幸助様、大村友右衛門様、
 林久大夫様、駒井丹之丞様、千羽彦大夫様、
 沢田幸作様御屋敷へ罷出名札上ル、
 井上井之助様途中ニ逢申候所、先達而
 御かし被成候測量書相渡候間、一両タ之内
 夕方宅へ相見ヘ候様被仰候、
 一、四つ半時頃旅宿へ帰り、当年新開
  御見分願ケ所ニ免合書入、増減書相調
  申候、
 一、新川郡亀谷村等絵図ニ書入等致し
  申候、
一、同四日  曇天
 一、越中屋平右衛門方へ見舞、且沼保村
  小十郎昨三日出府被致、平右衛門方止宿
  ニ付挨拶仕候、    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
 一、観音町塩屋与三兵衛方へ行、地球絵図
  等相求申候、
 一、新川郡亀谷村等絵図面ニ書入
  いたし候、安田様御役所ゟ御帰り之
  跡ニ付、懸御目不申候、
 一、昼後御役所へ罷出、当年免附
  願帳并ケ所目録及去年今年
  増減書相添上ケ申候所、御受取ニ
  御座候、
 一、七つ時頃ゟ井上様へ罷上り候所、御留主
  ニ御座候、山岸小弥太殿、田辺殿へ見舞
  申候、尤両家共砂糖壱曲宛上ケ
  申候、田辺様ニ而くず切御出し喰申候、
  戻り河野氏へ罷出候所、留主ニ而帰ル、
 一、暮六つ半時頃ゟ公儀町出火、
  酒屋ゟ火本之由ニ而、家
一、五日  天気 少西風    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
 昼後日下氏へ見舞、七つ時頃より
 河野氏へ罷出、夜五つ半時頃過旅
 宿へ帰ル、
 時規用法記壱冊河野氏ゟかり、
 東海道分間絵図五枚かり参申候、
一、六日  同
 四つ時過御役所へ罷出候処、
 御用番ゟ当年作躰ニ不抱、今一往
 詮義いたし増免可仕旨被仰談、
 帳面御返ニ御座候、依而役所ゟ戻り
 中飯喰、安田様ヘ御宅へ罷上り、
 新川郡亀谷村等絵図書入等
 懸御目候処、此通可然旨
 ニ而、絵図明後八日御役所指出
 候様御申談御座候而、旅宿へ罷帰
 申候、
 一、岡村二七郎相見ヘ申候、    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
 一、河野久太郎殿旅宿へ相見ヘ
  同道仕、垂球計時吉友屋へ
  罷出見物仕候、夫ゟ堅町吉
  友屋へ同道仕候、地球ヲ見ヘ申候、
  但地球指渡四尺ニ而、国々并
  舟路等も書入有之候、
 一、時圭師与右衛門方ヘ罷出、
  時圭壱丁誂申候、扨河野氏ハ
  直クニ帰候、藤右衛門も直クニ旅宿
  へ罷帰り候所、暮合ニ成ル、
一、七日  天気
 此元風邪ニ而昼前旅宿有ル、
 昼後岡村二七郎旅宿、小間物や市兵衛
 方見舞、夫ゟ遠藤様へ罷上り、
 渡海等之事咄申候、内密ニハ三州
 絵図面之図籍之義御談ニ御座候
 ニ付、図面之上ニ而何方村ゟ何方村迄
 □点之打道筋曲直書入候ハ、    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
 方位、直径、道程三行書記可然旨
 等内分申上候、七つ時半過
 和泉屋へ帰ル、
 一、昼前三具足、輪燈買申候、
 一、西村太冲殿方へ見舞申候、
一、八日  七つ半時頃ゟ夜中迄懸り
      雨ふり
 四つ時過御役所へ罷出候、六日ニ当年作躰ニ
 よらす増免可致義御談ニ而、帳面御返被成候
 ニ付、三ケ所増免壱歩宛仕、付札仕帳面上ケ
 申候、
 一、新川郡亀谷村等絵図、御役所ニ而安田様へ
  上ケ申候所、右絵図御役所ニ而御奉行所御覧被遊、
  則御返シ、東長江村十左衛門方可持遣旨
  被仰渡候、且又請書等加筆仕上ケ申候処、
  此通可然旨ニ御座候、
   新川
 一、砺波、石川、河北ハ六日御帳面上、八日増減
  等相しらへ上ケ申候義ニ御座候、
  此日御詮議方ハ無御座候、    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
 一、河野氏、旅宿へ相見ヘ申候、
 一、宮川要助忰、留主ノ間ニ旅宿相見ヘ申候、
一、九日  天気
 一、沢田義門様へ見舞名札上ケ申候、
 一、遠藤様へ御暇乞ニ罷出申候、
 一、四つ半時過御役所へ罷出候得共、御用
  無御座候、砺波、石川、河北、能美郡等新田
  才許中へ増免可仕旨被仰渡候由ニ御座候、
 一、末寺ヘ参詣、夫ゟ墨屋次助方ニ而筆墨
  等買申候、
 一、河野氏へ罷出色々咄仕、夜五つ半時頃
  旅宿和泉屋へ帰ル、六つ時相定之算法
  四冊、太陽距離表壱冊、儀象考成、
  三等已上恒星表壱冊、皮線方位
  本数算法壱冊かり参申候、
 一、東長江村十左衛門ゟ亀谷村領絵図壱枚
  并書状相添指遣、越中屋平右衛門ゟ御役所
  ニ而受取申候、    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
 一、河野氏ゟ磁石替針代中勘御印紙
  拾匁請取、高岡錺屋清六方へ
  相渡可申事、
一、十日  天気
 朝飯過河野氏へ罷出、時計
 誂方等之義咄仕候、且時計
 代三両程之内弐両中勘
 河野氏へ指預、請取書取請
 申候、
 一、四つ時頃御役所罷出候処、
  重而詮義通り被仰付候段
  御用番様御談、帳面之義
  御箪笥所へ相渡候旨被仰
  候ニ付、御箪笥所へ罷出、御
  書入相済様手附棟取小右衛門方
  御渡被下候様御談申候所、右帳面    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
  記様ノ所、願之通御印章
  御座候ニ付、又候御箪笥所へ上ケ申候、
 一、御役所御暇申上候、旅宿和泉やへ罷帰申候、
  手附棟取小右衛門宅へ見舞申候、
 一、吉川屋伝助旅宿相見ヘ申候、
 一、今日口郡、射水、新川御聞届相済、其余之
  郡ハ御聞届無御座躰ニ相見ヘ申候、
 一、金沢旅宿十間町和泉屋猪右衛門方
  八つ時過出立、七つ半時頃津幡へ着、
  河合屋理右衛門方泊り、
一、同十一日  小雨ふり
 津幡明六つ時過出立、かこニ而
 山ノ中、今石動ゟ横田迄舟ニ乗り、
 高岡錺屋清六方中飯、
 但、金沢和泉屋猪右衛門へ、仏具代ノ内
 拾匁五分かり候所、失念仕候ニ付、印紙
 拾壱匁書状封入、高岡中使出し、
 錺屋清六ゟ出候、    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
 大門祐次方へ立寄、新開免願
 御聞届等之義咄申候、夕方
 帰宅仕候、笠間氏へ祐次より
 重而増免三ケ所之義被申談候様
 頼申候、尤笠間氏留主ニ御座候、
 〆
 一、七月十二日 当免新開御免相当十日之
  御場ニ而御聞届之旨、二塚、大門連署ニ而
  案内紙面、村送りを以大門へ遣ス、
 一、六冊 壱袋ニ入 新開免願帳控
  右卯七月十九日笠間七右衛門方へ藤助
  罷越候ニ付相渡、但御印帳到来次第取替
  可申候、但し新開所御請取立ニ入用ニ付
  控帳相渡申候、
 一、当卯年免願御印帳六冊    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
  八月十三日御出役所ゟ到来、
  倉垣組、二上組御図免、村前後引直し
  書上候様、御箪笥所ゟ別紙覚書
  壱枚到来、依而来辰年免願帳
  書上之時分相改可申事、
  右御印帳八月十八日小杉御
  出役所詰番中方へ為持
  遣候、尤組々へ御渡可被下候、
  且先達而遣し候控帳御返し
  被成候様申遣候、
 一、当年物成増減帳下帳壱冊相調、    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
  卯十一月十三日大門祐次方へ村送り
  遣し申候、祐次ゟ藤兵衛へ申談、上帳
  并控帳共相調申様申遣候、
 
  金沢出府入用方    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
    小遣銭等之覚
卯六月晦日
一、拾文     福岡茶屋
一、弐文     小矢部川渡賃
一、五拾文    今石動茶屋中飯
一、拾五文    くりから茶屋
一、五文     竹橋茶屋
一、四百五拾文  山中かこちん
一、百三拾文   荷持人足 今石動ゟ
              竹橋迄
   此内四百文 金壱朱出ス
     百文  高岡手形渡
七月朔日
一、五百文    河合屋理右衛門宿料
   此内四百文 金壱朱
一、五文     今町村茶屋
同四日
一、金壱歩弐朱  塩屋与三兵衛方ニ而買
  代弐貫五百五拾文
    地球絵図壱枚 萬国絵図壱枚 十一匁
       十一匁 
    日本汐路記  四匁
同四日    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
一、八百三拾文  砂糖弐曲 田辺殿 
              山岸殿
   内八百拾文 金弐朱
    弐拾文  銭
同三日
一、四拾文    そうり弐足代
一、弐百拾文   胡麻弐升 吉田屋小右衛門
一、七拾文    真書筆弐本
同四日
一、拾文     そり壱足
一、廿四文    六三郎髪結ちん
                桜かみ
一、三百六拾文  木倉屋髪附 六十匁 
同五日
一、九百文    菓子入壱つ
   内八百文  南鐐壱片
    百文   正銭
    〆
同七日      
一、弐百拾七匁五分 輪燈 共 安居町能登や
      三具足      作兵衛ゟ
    内弐百七匁 金子三両相渡
     拾匁五分 御印紙 和泉屋ゟ相渡    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
     〆
同九日
一、壱歩弐朱金  墨屋次助方
   筆墨等代ニ相渡
一、弐百弐拾文  剃刀壱丁
一、四拾文    そうり代
一、弐百四拾文  菅笠壱かへ
一、七十五文   縄手より十わ
一、弐百八十六文 惣針代 但壱疋
              六十五文宛
一、七十五文   ふし十五
一、拾文     末寺散銭上ル
一、四拾文    たはこ
一、廿四文    髪結ちん
十日
一、百三拾文   おしろい壱袋
一、十四文    わらんし弐足
十日    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
一、五文     今町村茶や
一、九十文    荷物賃 人足代
          大樋口ゟ津幡迄
七月一日ゟ九日迄
一、四貫五百文  九泊り 和泉屋猪右衛門方宿払
一、五百文    茶代
一、弐百文    御内所へ
一、百文     下人へ為取
十一日
一、五百文    津幡河合屋理右衛門宿払
   内四百文  金壱朱代
一、五百文    津幡ゟ今石動迄かこ
   内     人足并人足壱人分駄賃 
    四百文 金壱朱
一、五文     竹橋茶屋
一、拾五文    くりから角屋茶や
一、拾文     今石動茶や    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
一、拾文     福町茶や
         今石動ニ而 
一、百三拾弐文  ろうそく三わ
一、百三拾文   小矢部川舟賃
一、拾弐文    わらんし弐足
一、四十五文   まんちう十五
一、十八文    小ふて
一、十六文    金沢中使駄ちん
             かさりや渡
 銭
  〆拾貫六百五拾三文
   此分金壱両弐分壱朱 百廿文
  外ニ 金三両三歩弐朱  壱両六十九匁
     代弐百六拾七匁三分八厘
     拾壱匁五分  銀出
  金ニして    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
   五両壱歩三朱
  外ニ
     壱貫三百文 手形等出ス
  〆
   和泉屋猪右衛門指引
卯七月十日
一、四貫五百文  九泊り宿料
一、五百文    茶代
一、弐百文    内所へ
一、弐貫五百文  かり銭 五月一日ゟ
             十日迄
 〆七貫七百文
   内
   金弐歩 先達而壱両取かへ之内
   但、文政十二年丑九月廿三日
   書状封入金壱両遣し、無利足ニ而
   宿料之内弐度ニ取申定、
   金三歩  相渡
   〆壱両壱歩    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
    代八貫百文
   指引四百文 過上 請取
   〆
卯七月十一日
一、御印紙 拾壱匁  同人渡
   但、七月十一日書状へ封入、高岡中使
   ニて金沢へ遣ス、錺屋清六ゟ出し
   此内
    拾匁五分  当七日仏具代
          ノ内和泉屋ゟ
          渡□引
   残而
    五分 渡過
     此分重而和泉や罷越候時分
     請取申事
 右七月十二日書状ニ封入遣し申候、
 
卯七月十日
一、金弐両 河野久太郎へ預り、    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
      時計壱挺、立町
      与右衛門へ誂申候中勘、
      河野氏へ預り手形取置候、
   但、金三両程出来候由被申
   聞候、
   〆    翻刻トップ  画面トップ
 

--------------------------------------
 
[5][日記]「新開所免附見分方等御用留帳并金沢出府御用方留」天保二年六月 [現代語訳]
 
 卯    画像  翻刻      画面トップ
一、六月十七日  天気  土用入十二日
 六時半過ぎ藤右衛門、助左衛門、祐次
 三人とも青井谷村へ到着。
     青井谷村
       平兵衛方に宿泊。
一、同十八日  同
 朝六時半より青井谷村の野手谷
 新開所を見分。
    昼は同村平兵衛方、
    泊りは東広上村市郎兵衛方。
 ただし、昼過ぎ市井村領を見分。
 浄土寺村の者と青井谷村で
 相談し返しました。手附喜左衛門は
 青井谷村の次兵衛開を見分したあと
 帰りました。  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
 斉藤庄五郎手附の源次郎が東広上
 村へ十八日に参り、村々の免願いの書き付けを
 提出しました。
一、同十九日  天気
 東広上村、西広上村、柳俣
 開を見分。手附の源次郎は帰りました。
 深沢村、下伏間江村、二塚村、
 庄川縁の新開を見分。中川
 手附の宗八は二塚村に参りました。
 一、当年の免願帳の下書きを藤兵衛より
  取り寄せ、東広上村で調べ
  加筆したあと、この帳面を返し
  ました。
 一、上伏間江村の御普請所に定検地
  奉行の水越殿が出役されたので、  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
  三人とも出役し、まずお伺いして
  ご挨拶を申し上げました。
 一、藤右衛門は上伏間江村に立ち寄り、二塚村の
  川縁りの善七前で三人ともいっしょになって、
  二塚村伝兵衛まで行きました。
 一、昼過ぎ助左衛門は東藤平蔵村を見分。
  藤右衛門と祐次は砂喰より十二町嶋村などを
  見分。六時半過ぎに西藤平蔵村
  九兵衛方に到着。
 一、夜九時ごろより雷が鳴りました。
   昼は二塚村伝兵衛、
泊りは西藤平蔵村九兵衛。
一、二十日  四時前に夕立  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
       少々降り
 西藤平蔵村より木津村等を見分。
 昼過ぎに中川村、湶分、横田村を
 見分。夕方になって横田村に到着。
 一、高岡古城のなかで定塚町の者が
  御城の中のレンコンを取りに行き溺死
  したとのことで、見物人がたくさん集まっていました。
    昼は木津村次郎兵衛、
    泊りは横田村与十郎。
 一、夜中に祐次の家来が食あたり
  になったとのことです。
一、二十一日  朝六時半ごろまで雨降り
 北嶋村より二上村まで小矢部川の
 南縁を見分。
 南条組手附の藤兵衛が出役。  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
    昼は五十里村和兵衛、
    泊りは守山町専久寺。
一、二十二日  天気
 下田子村、耳浦村、園村の新開等を
 見分。園村より舟で十二町潟廻りを見分。
 六時半ごろに終わりました。
    昼は海津村清兵衛、
    泊りは十二町村茂三郎。
一、二十三日  天気
 泉村、加納村より矢田串岡新村まで
 見分。伏木湊の澗改役所に立ち寄り、
 藩役人が居合わせました。
    昼は加納村仁左衛門、
    泊りは串岡村半左衛門。
 二十三日加納村の昼休み所へ上余川村と長坂村の  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
 村役人を呼び出しました。
一、二十四日  天気
 加納村より古明神村等領まで
 見分。米嶋村の内検地所を再び
 見分。堀岡又新村などを舟で
 見分。
 昼休み所より倉垣組手附の藤四郎が出役。
    昼は放生津松屋武兵衛、
    泊りは堀岡新村聞光寺。
一、二十五日  天気
 朝六時半過ぎ出立。十時半ごろ小杉の
 水上屋に三人とも到着。
 三人とも雨具等の必要な品を家来に
 持たせ小杉へ行きました。堀岡村の人足一人が
 運んだ三人分の堀岡からの残り荷物を人足一人に  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
 持たせ、高木・大門・二塚へ送りました。
 一、昼過ぎ出役所へ三人とも参
  り、免願いの増減下調べ帳について笠間氏
  等と相談に及び、この下調べについて
  お話ししました。奉行所はお留守で、
  箪笥番の今村殿にご挨拶しました。
 一、免願帳の年貢率などを藤兵衛に水上屋
  で書き入れさせました。
 一、箇所目録は藤右衛門方で作ることに
  しました。
 一、二塚村助左衛門は六時半ごろ出立。
  祐次の母が病気と家より伝え
  られたので、夕方お帰りになられました。
 一、各組の増免書等の封をして、笠間氏
  等に届けるよう藤兵衛に渡しました。
     昼、夕飯は三人とも  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
      水上屋次郎左衛門方。
一、同二十六日  天気
 小杉より帰りました。
 一、砺波郡より婦負郡まで六月二十一日、二十二日の
  御郡廻りのお供について笠間氏等と相談し、
  原篠様へ申し上げて、お供しませんでした。
 一、二十八日婦負郡境より六渡寺舟渡場まで
  祐次がお供します。
 一、二十八日、二十九日に伏木より砺波郡境まで助左衛門が
  お供します。
 一、藤右衛門は金沢に出府するので、放生津で
  請書を提出し、お供しないことになりました。
 
  免附見分時の宿料等の支払い  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
卯六月十八日
一、一六五文   青井谷村平兵衛
同十九日
一、一二八文   東広上村市郎兵衛

一、三五文    二塚村伝兵衛
同二十日
一、一二八文   西藤平蔵村九兵衛

一、三五文    木津村次郎兵衛
同二十一日
一、一二八文   横田村与十郎

一、三〇文    五十里村和兵衛
同二十二日
一、一二九文   守山町源四郎

一、三五文    海津村清兵衛
同二十三日
一、一二九文   十二町村茂三郎

一、三五文    加納村仁左衛門
同二十四日  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
一、一二七文   矢田串岡新村少助

一、三四文    放生津松屋武兵衛
同二十五日
一、一二九文   堀岡新村円助
一、一〇文    下田子茶屋
  〆一貫二七七文
  新開決算所は、水上屋次郎左衛門方です。
一、六飯 藤右衛門家来とも 二十五日、六日朝まで
一、四飯 助左衛門家来とも 二十五日昼夕
一、四飯 祐次家来とも   右に同じ
    ほかに酒、肴等をいただきました。
 
    金沢出府御用の覚  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
一、卯六月晦日  時々小雨降り 小西風
 朝日の出過ぎ出立。今石動茶屋
 で昼飯。山中は駕籠で、五時過ぎ
 津幡へ到着。家人六三郎を召し連れました。
   今石動より竹橋まで荷物を人足に持たせ、
   そのほかは六三郎が持ちました。
        河合屋理右衛門方に宿泊。
一、七月朔日  天気 小西風
 朝四時前に津幡を出立。六時半過ぎに金沢
 十間町の和泉屋猪右衛門方に到着。
 一、手附棟取の小右衛門方に、到着したことを六三郎を遣して
  知らせました。九時過ぎ小右衛門が旅宿猪右衛門方へ
  お越しになりました。
 一、十二時過ぎ役所へただ今到着したことをご案内
  申し上げました。ご帳面を明日差し上げますと申し上げました。
    御用番は吉田兵馬様、駒井丹之丞様です。  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
 一、地球絵図一枚、地球切絵図一二枚、
  日本絵図三枚に切り分けてある分、合計一六枚を
  河野氏へ六三郎に持たせて届けました。
  夕方に河野久太郎が旅宿猪右衛門方にお越しになり、
  しばらく話しました。
一、同二日  天気 西日方 小風
 十時半ごろ根役所に参り、免願帳を
 差し上げたところ、ご見分をお願いした場所の年貢率を
 定め、去年と今年の増減を調べることを
 仰せられ、帳面をお返しになられました。
 一、新川郡亀谷村領絵図の書き入れ等について、
  役所で安田新兵衛様へ、この絵図の書き入れ
  についてご指示を受けたいなどと申し上げたところ、
  手透き次第、伝えると仰せられましたが、
  御用が多くてお帰りになられたので、五時過ぎに
  安田様の御屋敷ヘこの絵図を持って
  お伺いしたところ、すぐにお会いになられ、この絵図の書き  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
  入れ方等について、いろいろと申し上げたところ、この絵図に
  書き入れて、明後四日に御場へ提出するよう
  仰せになりました。
 一、先日内密に申し上げたことについて、ご内分にお尋ね
  したところ、松平様と前もって相談なされ、それぞれ
  取り計らいたい旨ご内分に仰せられました。
 一、五時過ぎ山森雄次郎様、浅加伊織様、
  内藤十兵衛様宅に参り名札を上げ
  ました。
 一、九時過ぎ吉田兵馬様、松平織人様
  宅に参り名札を上げました。
 一、六時半過ぎより遠藤数馬様を訪ね、
  去年のご転役等のご挨拶を申し上げました。ご飯等を頂戴しました。
  『海路安心録』と添付の絵図および自分が著した
  『渡海安心録』一冊と地球絵図、また
  日本接国の絵図をお目にかけたところ、しばらく
  貸してほしいと申されましたので、その場でお渡ししました。
  夜十時半過ぎ和泉屋に帰りました。  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
 一、二日朝に越中屋平七の子息が旅宿にお越しに
  なりました。    
 一、吉田小右衛門方へ胡麻二升を届けさせました。
一、同三日  天気 西日方 小風      
 朝飯過ぎ高田幸助様、大村友右衛門様、
 林久大夫様、駒井丹之丞様、千羽彦大夫様、
 沢田幸作様の御屋敷に参り名札を上げました。
 井上井之助様と途中でお逢いし、先日
 ご貸与の測量書を返すので、一両日のうち
 夕方に家へ来るよう仰せられました。
 一、十時半ごろ旅宿へ帰り、今年の新開地の
  ご見分願い場所に年貢率を書き入れ増減書を作成しま
  した。
 一、新川郡亀谷村等の絵図に書き入れ等をしま
  した。 
一、同四日  曇天
 一、越中屋平右衛門方を訪問、また沼保村
  小十郎が昨三日に出府し、平右衛門方に宿泊
  とのことでご挨拶しました。  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
 一、観音町の塩屋与三兵衛方へ行き、地球絵図
  等を求めました。
 一、新川郡亀谷村等の絵図面に書き入れを
  しました。安田様が役所よりお帰りになられた
  後でしたので、お見せできませんでした。
 一、昼過ぎ役所に参り、当年の免附
  願帳と箇所目録および去年と今年の
  増減書を添えて差し上げたところ、お受け取りに
  なられました。
 一、五時ごろより井上様をお訪ねしたところ、お留守
  でした。山岸小弥太殿と田辺殿宅にお伺い
  しました。ただし両家とも砂糖一曲ずつ差し上げ
  ました。田辺様宅で葛切りを頂戴しました。
  戻りに河野氏を訪ねましたが、留守でしたので帰りました。
 一、八時半ごろより公儀町で火事があり、
  酒屋が火元とのことで、家……。
一、五日  天気 少西風  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
 昼過ぎ日下氏を訪問。五時ごろより
 河野氏を訪ね、夜十時頃過ぎに旅
 宿へ帰りました。
 『時規用法記』一冊を河野氏より借用。
 東海道分間絵図五枚をお借りしました。       
一、六日  同
 九時過ぎ役所に参上したところ、
 御用番より今年の作柄に関わらず改めて
 詮議し、年貢率を増やすよう仰せられ、
 帳面をお返しになられました。それで役所より戻って
 昼飯を食べ、安田様宅に参り、
 新川郡亀谷村等絵図に書き入れたものなどを
 お見せしたところ、このとおりでよい
 ので、絵図を明後八日に役所へ差し出す
 よう仰せられ、旅宿へ帰り
 ました。
 一、岡村二七郎がお越しになられました。  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
 一、河野久太郎殿が旅宿へお越しになり、
  一緒に垂球時計を吉友屋へ
  訪ね見物しました。それから堅町の吉
  友屋へ同行しました。地球儀を見ました。
  ただし地球儀の直径は四尺(一二一センチ)で、各国や
  舟の航路なども書き入れてありました。
 一、時計師の与右衛門方を訪ね、
  時計一挺を注文しました。それから河野氏は
  直ぐに帰りました。私も直ぐに旅宿へ
  帰ったところ、日暮れ時になっていました。
一、七日  天気
 風邪をひいたので昼前まで旅宿にいました。
 昼過ぎ岡村二七郎の旅宿と小間物屋市兵衛
 方を訪ね、それより遠藤様を訪問し、
 航海等のことを話しました。内密に三州
 絵図面の図籍についてお話になられた
 ので、図面の上でどの村よりどの村まで
 測点間の道筋の曲直を書き入れるには、  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
 方位、直線距離、道筋の距離を三行に書き記せばよい
 などと内々に申し上げました。六時半過ぎ
 和泉屋へ帰りました。
 一、昼前に三具足と輪灯を買いました。
 一、西村太冲殿を訪問しました。
一、八日  夕方六時半ごろより夜中まで
      雨降り
 九時過ぎ役所へ参りました。六日に今年の作況に
 よらず年貢率を上げるとのお話で、帳面をお返しになられた
 ので、三か所は一歩ずつ年貢率を上げると付札を貼って帳面を差し上げ
 ました。
 一、新川郡亀谷村等の絵図を役所で安田様へ
  差し上げたところ、役所で御奉行様がご覧になられたので、
  すぐにお返しになり、東長江村十左衛門方へ持って行くように
  仰せられました。また、請け書き等を加筆して差し上げたところ、
  このとおりでよいとのことでした。
 一、新川、砺波、石川、河北郡は、六日に帳面を上げ、八日に年貢の増減
  等を調査し、差し上げたとのことです。
  今日は詮議されませんでした。  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
 一、河野氏が旅宿にお越しになりました。
 一、宮川要助の子息が、留守の間に旅宿へお越しになりました。
一、九日  天気
 一、沢田義門様をお伺いし名札を上げました。
 一、遠藤様へお暇乞いに参りました。
 一、十時半過ぎ役所へ参りましたが、御用は
  ありませんでした。砺波、石川、河北、能美郡等の新田
  才許中へ年貢率を上げることが仰せ渡されたとのことです。
 一、末寺を参詣し、それより墨屋次助方で筆墨
  等を買いました。
 一、河野氏を訪ねて、いろいろ話し、夜十時ごろ
  旅宿和泉屋へ帰りました。夜八時に『相定之算法』
  四冊、『太陽距離表』一冊、『儀象考成』、
  『三等已上恒星表』一冊、『皮線方位
  本数算法』一冊を借用しました。
 一、東長江村十左衛門より亀谷村領絵図一枚
  と添状が届いており、越中屋平右衛門より役所
  で受け取りました。  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
 一、河野氏より磁石の替え針代の中勘として印紙
  一〇匁を請け取り、高岡の錺屋清六方へ
  渡すことにしました。
一、十日  天気
 朝飯過ぎ河野氏を訪ね、時計の
 注文等についてお話ししました。また時計
 代金三両程のうち二両を中勘として
 河野氏に預け、請取書をもらい
 ました。
 一、九時ごろ役所に参上したところ、
  あらためて詮議のとおり命じられたと
  御用番様がお話になられました。帳面について
  箪笥所へ渡したと仰せられた
  ので、箪笥所に参り、
  書き入れを終えるため手附棟取小右衛門方へ
  お渡しくださいと申し入れたところ、この帳面に  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
  記したところは、願いのとおりご印章が
  あったので、再び箪笥所に差し上げました。 
 一、役所へお暇を申し上げました。旅宿和泉屋へ帰りました。
  手附棟取小右衛門宅を訪問しました。
 一、吉川屋伝助が旅宿にお越しになりました。
 一、今日、口郡、射水、新川郡は聞き届けられ、その他の
  郡は聞き届けられていないように見えました。
 一、金沢旅宿の十間町和泉屋猪右衛門方を
  二時半過ぎに出立し、六時半ごろ津幡に到着しました。
  河合屋理右衛門方に宿泊。
一、同十一日  小雨降り
 津幡を朝四時過ぎに出立し、駕籠で
 山の中を通り、今石動より横田まで舟に乗り、
 高岡の錺屋清六方で昼飯を食べました。
 ただし、金沢和泉屋猪右衛門へ、仏具代のうち
 一〇匁五分借用したことをうっかり忘れていたので、印紙
 一一匁と書状を封に入れ、高岡よりの使いを
 錺屋清六より出しました。  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
 大門祐次方へ立ち寄り、新開の免願いが
 聞き届けられたことなどについて話しました。夕方に
 帰宅しました。笠間氏へ祐次より
 改めて年貢率が上がった三か所についてお話しされるよう
 頼みました。ただし笠間氏はお留守でした。
   〆
 一、七月十二日 今年の古田と新開地の年貢率について、この十日の
  御場で聞き届けられた旨、二塚村助左衛門、大門新町祐次連署での
  案内紙面を村送りで大門に送りました。
 一、六冊 一袋に入 新開免願帳控
  右は天保二年七月十九日に笠間七右衛門方へ藤助が
  訪ねたので渡しました。ただし、御印帳が届き次第に控帳を取り替える
  ことにしました。また、新開所の年貢納入の請書の取り立てに必要なので  控帳を渡しました。
 一、今年の免願御印帳六冊が  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
  八月十三日に出役所より届き、
  倉垣組、二上組の図り免や村の順番を引き直して
  書き上げるよう、箪笥所より別紙覚書
  一枚が届きました。よって来年の免願帳を
  書き上げるときに改めることにしました。
  右の御印帳は八月十八日小杉新町の
  出役所の詰番中へ届け
  ました。ただし各十村組へ渡してほしいこと、
  また先日渡した控帳をお返しに
  なられるよう言いました。
 一、今年の物成増減帳の下帳一冊を作り、  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
  十一月十三日に大門祐次方へ村送りで
  届けました。祐次から藤兵衛へ、上り帳
  と控帳を作るよう命じました。
 
  金沢出府入用方  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
    小遣銭等の覚
卯六月晦日
一、一〇文    福岡茶屋
一、二文     小矢部川渡し賃
一、五〇文    今石動茶屋昼飯
一、一五文    倶利伽羅茶屋
一、五文     竹橋茶屋
一、四五〇文   山中の駕籠賃
一、一三〇文   荷持人足今石動より
竹橋まで
   この内四〇〇文 金一朱出す
      一〇〇文 高岡手形で渡す
七月朔日
一、五〇〇文   河合屋理右衛門宿料
   この内四〇〇文 金一朱
一、五文     今町村茶屋
同四日
一、金一歩二朱  塩屋与三兵衛方で購入
   代二貫五五〇文
    地球絵図一枚 一一匁 万国絵図一枚 一一匁
    日本汐路記  四匁
同四日  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
一、八三〇文   砂糖二曲 田辺殿 
              山岸殿
   内八一〇文 金二朱
    二〇文  銭
同三日
一、四〇文    ぞうり二足代
一、二一〇文   胡麻二升 吉田屋小右衛門
一、七〇文    真書筆二本
同四日
一、一〇文    ぞうり一足
一、二四文    六三郎の髪結賃
一、三六〇文   木倉屋髪附 桜紙六〇匁 
同五日
一、九〇〇文   菓子入一つ
   内八〇〇文 南鐐一片
    一〇〇文 正銭
    〆
同七日      
一、二一七匁五分 輪灯共 安居町能登屋
         三具足   作兵衛より
  内二〇七匁  金子三両を渡す
   一〇匁五分 御印紙 和泉屋より渡す  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
     〆
同九日
一、一歩二朱金  墨屋次助方
   筆墨等代に渡す
一、二二〇文   剃刀一丁
一、四〇文    ぞうり代
一、二四〇文   菅笠一蓋
一、七五文    手縒り縄一〇把
一、二八六文   総針代 但し、一疋六五文宛
一、七五文    ふし一五
一、一〇文    末寺賽銭上げる
一、四〇文    煙草
一、二四文    髪結賃
十日
一、一三〇文   白粉一袋
一、一四文    わらじ二足
十日  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
一、五文     今町村茶屋
一、九〇文    荷物賃、人足代
            大樋口より津幡まで
七月一日より九日まで
一、四貫五〇〇文 九泊り和泉屋猪右衛門方宿払
一、五〇〇文   茶代
一、二〇〇文   御内所へ
一、一〇〇文   下人へ取らせ
十一日
一、五〇〇文   津幡河合屋理右衛門宿払
   内四〇〇文 金一朱代
一、五〇〇文   津幡より今石動まで駕籠
         人足と人足一人分駄賃 
   内四〇〇文 金一朱
一、五文     竹橋茶屋
一、一五文    倶利伽羅角屋茶屋
一、一〇文    今石動茶屋  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
一、一〇文    福町茶屋
           今石動にて 
一、一三二文   蝋燭三把
一、一三〇文   小矢部川舟賃
一、一二文    わらじ二足
一、四五文    饅頭一五
一、一八文    小筆
一、一六文    金沢中使駄賃 
錺屋渡し
 銭
  〆一〇貫六五三文
    この分金一両二分一朱 一二〇文
   外に 金三両三歩二朱  一両と六九匁
      代二六七匁三分八厘
       一一匁五分  銀で出す
      金にして  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
      五両一歩三朱
   外に
     一貫三〇〇文 手形等出す
     〆
      和泉屋理右衛門差引
卯七月十日
一、四貫五〇〇文 九泊分の宿料
一、五〇〇文   茶代
一、二〇〇文   勝手方へ
一、二貫五〇〇文 借銭 五月一日より
十日まで
 〆七貫七〇〇文
   内
    金二歩 先日一両取替のうち
    但し、文政十二年丑九月二十三日
    書状封入金一両遣し、無利足で
    宿料のうち二度に取る定め
    金三歩 相渡す
    〆一両一歩  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
     代八貫一〇〇文
    指引四〇〇文 過上分請け取り
    〆
卯七月十一日
一、御印紙 一一匁  同人渡し
    但し、七月十一日書状へ封入れ、高岡中使
    にて金沢へ遣わす。錺屋清六より出す。
    この内
     一〇匁五分  当七日仏具代
            のうち和泉屋より
            渡し差引
    残って
     五分 渡し過ぎ
      この分、次に和泉屋へ行くときに
      請け取ること。
  右七月十二日書状に封入れして届けさせました。
卯七月十日
 一、金二両 河野久太郎へ預ける。  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
       時計一挺、立町
       与右衛門へ注文の中勘。
       河野氏へ預り手形を取り置きました。
    但し、金三両程で出来ると仰せられ
    ました。
     〆    現代語訳トップ  画面トップ
 
--------------------------------------
 
[6][日記]「金沢出府御用留帳」天保六年三月 [翻刻]
 
2-2-0755_00  [目録 二(二)755]      画面トップ
 

表紙  天保六年乙未三月  画像  画面トップ
 
   金沢出府御用留帳
 
        石黒藤右衛門
 
1    其方儀御用有之候条、早速  画像  翻刻トップ  画面トップ
    可致出府候、以上、
     三月十四日   広瀬平丞  印
             稲葉助五郎 印
         高木村
           藤右衛門方
 
     布上下持参ニ而罷出候様、広瀬様ゟ
     手附棟取小右衛門へ被仰渡候、其段小右衛門
     申参候、
 
2             高木村  画像  翻刻トップ  画面トップ
               藤右衛門
     藤右衛門義、算術分間方ニ達罷在、御次
     御用御領国御絵図并測量方等格別
     御用立候ニ付、今般射水郡年寄列被 仰付候事、
       三月
 
             高木村
               藤右衛門
     藤右衛門義、射水郡新田方御用当分只今迄
     之通相勤可申事、
       三月
 
     右御題紙、三月十六日御場ニ而被仰渡
     御渡御座候、
 
3  一、三月十五日   天気    画像  翻刻トップ  画面トップ
    朝六つ時頃金沢ゟ飛脚
    を以御召封到来、
    五つ半時頃宅出立、福岡町
    中昼、是迄宅ゟかこニ而罷越、
    かこ人足源右衛門、和十郎福岡ゟ
    返し申候、
    六三郎、四郎兵衛、半右衛門召連、挟箱
    為持申候、福岡ゟ今石動茶や
    迄歩行、今石動ゟ津幡迄
    かこニ乗申候、竹橋ニ而暮ニ及、
    夜五つ時前津幡へ着、
         河合屋理右衛門方泊り
    北野村甚助も竹橋ニ而同道ニ而
    津幡河合屋泊り、
 
4  一、同十六日   雨ふり  画像  翻刻トップ  画面トップ
    藤右衛門、甚助同道ニ而かこニ而
    金沢迄着、甚助義ハ吉田屋
    小右衛門方着、藤右衛門和泉屋猪右衛門
    方へ着、
   一、四つ時過、藤右衛門、甚助御役所へ
     罷出候所、藤右衛門射水郡年寄列
     被仰付、新田方御用只今迄
     之通相勤可申旨被仰渡候、
     則御題紙弐通ニ而被仰渡候、
     甚助義射水郡年寄並
     被仰付候、
     今日御日柄ニ付、御礼勤等相成
     不申候、明後十八日ニ御算用場
     御礼申上候様被仰渡、依而今日
     当座御礼申上ルニ不及、十八日ニ
 
5     申上候様被仰渡候、    画像  翻刻トップ  画面トップ
   一、九つ時頃、御役所ゟ両人共
     和泉屋へ罷越、宅々へ之
     紙面相調、九つ半時頃四郎兵衛、
     半右衛門并北野之者壱人
     都合三人、夜通しニ而金沢
     出立いたし申候、
   一、七つ時頃、吉田屋小右衛門方
     罷出候所、北野氏御留主ニ
     御座候ニ付、明日吉田屋へ罷出、
     甚助、藤右衛門同道ニ而廻勤
     御礼勤申度旨、小右衛門へ
     相談仕候、
   一、夫ゟ遠藤数馬様へ
 
6     御見舞申上候、此度之  画像  翻刻トップ  画面トップ
     年寄列等御題紙弐枚
     写上ケ申候、暫ク御咄申
     上候而旅宿へ帰ル、
       旅宿名札を以見へ申候、
            太田佐次兵衛
            川合又右衛門
            折橋九皋
     一、酒弐升     吉田屋
       干いか五わ    小右衛門ゟ
     同日暮ニ及候上
     一、和泉屋家内之者等へ酒、小蓋
       にて祝申候、
 
7  一、同十七日   天気    画像  翻刻トップ  画面トップ
    朝過、折橋甚助旅宿吉田屋小右衛門方
    罷出申候而、甚助、藤右衛門同道ニ而
    御算用場御奉行四人、同御横目壱人、
    御郡御奉行所十九軒、御箪笥八軒、
    外ニ山森雄次郎様、吉田兵馬様、
      大村友右衛門様、林久大夫様、
      安田新兵衛様、
    両人、案内人庄助相雇、右廻勤礼八つ時過
    迄相済申候、其序ニ
       折橋九皋、砺波惣者川合又右衛門
       礼勤いたし候、太田佐次兵衛昼前帰村ニ而
       逢不申候、
   一、私共両人今般結講ニ蒙仰、難有仕合奉存、為
     御礼ニ罷出候間、宜敷御達可被下与申上、名札上ケ
     申候、
        御算用場御奉行所、郡付之名札上ケ申候、
        但、中敷台ゟ上り申候、
        御郡御奉行様方も中敷台へ上り申候、
 
8     御改作方御奉行所ニ而ハ、台所口へ行  画像  翻刻トップ  画面トップ
     上り不申、名札上ケ申候、
   一、御箪笥之方ニ而ハ、私共両人結講ニ蒙仰
     難有仕合奉存、為披露与罷出候、宜敷
     御達可被下与申候而、名札上ケ申候、
           新保屋 五郎右衛門
           太田屋 五郎兵衛
           吉田屋 小右衛門
           折橋甚助
   一、遠藤数馬様へ御酒弐升、干烏賊五わ
     六三郎ニ為持遣候所、此度目出度事ニ祝ヒ
     申候与被仰、御納被下候、外家来ニ
     酒弐升遣し申候、
 
9   一、河野久太郎殿御子息文太郎殿御出、    画像  翻刻トップ  画面トップ
     御酒代与して、銀三匁包被遣受納
     仕候、
 
  一、同十八日   時々小雨ふり
    四つ時過、御役所へ折橋氏同道ニ而
    罷出、四つ半時頃御算用場御礼
    申上候、但甚助、藤右衛門相同御礼
    申上候、加州三人、能州三人も
    弐人宛相同御礼申上候、
    御開作所、御郡所、御勝手方、御箪笥
    所、定検地所へ両人相同御礼申上候、
    藤右衛門義ハ産物所へ御礼申上候、
    九つ時頃旅宿へ帰ル、中飯喰候而
    柴野氏、日下氏、為披露罷出候、
    夫ゟ河野氏へ礼返ニ罷出候所、
 
10   酒、吸物等御出し被成候、  画像  翻刻トップ  画面トップ
    一、酒弐升      越中屋
      外ニ干いか三拾枚  平七
    一、酒三升      津幡河合屋
      外ニ干いか三拾枚 理右衛門
 
               瀬尾辰三郎
               喜多市十郎
               西川源兵衛
               西川長次郎
               田辺次郎吉
 
11              水内六左衛門    画像  翻刻トップ  画面トップ
               中山六郎兵衛
               林栄次郎
               亀田三郎右衛門
              小間物屋
                 市兵衛
              越中屋平次せかれ
                 平七
              河野久太郎殿
              南兵左衛門
    一、南兵左衛門出府被致、兵左衛門御扶持
      拾五石御印物相渡申候、
 
12  一、廿日御暇申上、津幡泊りニ而、廿一日ニ  画像  翻刻トップ  画面トップ
     帰村いたし候、書状壱封
     折橋甚助ゟ戻飛脚へ遣し
     申候、
 
  一、同十九日
    朝過上下ニ而南氏、折橋氏旅宿へ
    見舞、夫ゟ小間物屋市兵衛、太田屋五郎兵衛、
    越中屋平次、新保屋五郎右衛門返礼、
    吉川屋伝助、辰巳屋彦七、小河屋五郎兵衛
    方見舞、高岡屋金蔵、あらきや理助、
   一、四つ時過、山岸小弥太殿方罷出、
     三州略絵図小壱枚上ケ申候、此度之御題紙
     写も壱枚上ケ申候、御扶持方高直し已来
     相続等之義咄居申候、猶更広瀬様へ
     御席ニ御願之事申候所、御承知ニ御座候、
     御扶持等御次ニ而出来之分ハ、御次之方へ
     頼込申候可然旨、外ニ而聞合候旨被申聞候、
 
13             越中屋    画像  翻刻トップ  画面トップ
                平次
              吉川屋
                伝助
              高岡屋
                金蔵
               同人せかれ
                清蔵
              あらきや
                理助
              渡辺兵右衛門
     一、酒弐升    南兵左衛門
       外ニ 三わ 干いか 六十枚
     一、酒弐升    手附
                宗八
              太田左次兵衛忰
                左十郎
 
14  一、昼後吉田屋小右衛門方へ罷出、  画像  翻刻トップ  画面トップ
     折橋甚助与音物返礼等之
     義相談仕候、
   一、高橋円大夫旅宿富山中使
     宿へ罷出、暫ク高橋氏与
     咄居申候、
   一、暮合ゟ遠藤数馬様へ罷出
     申候而所、有沢様ゟ当春ゟ
     御郡奉行衆へ、藤右衛門義何角
     御咄も有之様子ニ承り申候、
     扨御次へ御両様御名前ニ而
     御用部屋中へ書を御上
     被成候ハ、三月晦日ニ御座候、
     右書付、同七、八日頃御算用場
     御奉行中へ内覧有之候与
 
15    遠藤様ゟ御内分御咄ニ    画像  翻刻トップ  画面トップ
     御座候、
   一、今度諸郡ニ吉事八人ハ、
     三月朔日ニ御窺紙面上り
     申様子、高橋氏内分
     被申聞候、
   一、文政二年ゟ天保六年三月迄
     御絵図方上ケ申分并御扶持
     等被下候義壱枚相調、遠藤様
     へ上ケ申候所御取被成候、何分
     取計可申旨被仰候、
     右五人扶持高ニ直し、已来
     被下候様之義申上置申候、
 
16  一、明日出立之義申上、御暇  画像  翻刻トップ  画面トップ
     申上候処、音代壱封
     被下之候、
     夜五つ時頃旅宿へ帰ル、
 
  一、同廿日  天気
    朝過南氏旅宿へ見舞申候、
    又南氏旅宿御出、折橋氏9も
    御出ニ御座候、
   一、四つ半時頃御役所へ罷出
     御暇申上候、旅宿へ帰ル、
   一、金山十次郎御役所ニ而
     出合候所、広瀬様来
     月三日、四日頃舟倉野
 
17    御出役ニ付、其場所藤右衛門    画像  翻刻トップ  画面トップ
     出可申旨等、金山氏へ
     御談御座候旨被申聞候、
   一、石川、河北仲間中旅宿へ
     相見申ニ付、年寄溜へ行、
     此間御出忝未御無礼申
     候之旨挨拶仕、旅宿へハ
     罷越不申候、
   一、河野氏、南氏、越中屋平七、柴野氏、
     宗八、酒肴等返礼為持遣申候、
   一、山岸小弥太殿旅宿へ先達而御次へ上ケ
     申小紙控御座候ハヽ、入用之旨被仰
     候ニ付、写いたし指上ケ可申旨申上候、
      則、四月廿二日小紙之写壱枚、高岡毎日便を以
      指遣し申候、
 
18  一、八つ半時頃金沢出立、日入ニ  画像  翻刻トップ  画面トップ
     津幡ニ着、
         河合屋
           理右衛門泊り
 
  一、同廿一日   天気
    早朝出立、かこニ而福町大橋爪迄、夫ゟ
    宅ゟ迎かこ人足四人罷越居候
    ニ付、かこニ乗り七つ半時頃帰宅仕候、
 
   数日
     〆七日
 
19     金沢ニ而音物貰申覚    画像  翻刻トップ  画面トップ
    一、酒弐升        吉田屋
      外ニ干烏賊五十枚    小右衛門
    一、酒弐升        越中屋
      干烏賊三十枚      平七
    一、酒三升        津幡河合屋
      干烏賊三十枚      理右衛門
    一、酒弐升        南兵左衛門
      干烏賊三わ数六十枚  
    一、酒弐升        手附
                  宗八
 
20   一、御酒代与して      河野久太郎  画像  翻刻トップ  画面トップ
       印紙三匁
    一、御肴代与して      柴野優次郎
       印紙三匁
    一、肴代与して       遠藤数馬様ゟ
       印紙三拾目
    一、半紙         和泉屋
       百枚         猪右衛門
     〆
 
21     右返報之覚    画像  翻刻トップ  画面トップ
    一、印紙五匁       吉田屋
       但、酒代       小右衛門
    一、酒弐升        越中屋
       干烏賊五十枚      平七
    一、印紙五匁       津幡河合屋
       但、酒代       理右衛門
    一、酒弐升         南兵左衛門
       干烏賊五十枚
    一、印紙三匁       手附
       但、酒代       宗八
 
22   一、酒弐升         河野久太郎  画像  翻刻トップ  画面トップ
       干烏賊三十枚
    一、酒弐升         柴野優次郎
       干烏賊三拾枚
    一、酒弐升         遠藤数馬様
       干烏賊五十枚
       外、酒弐升      御家来中へ
     〆   三月十七日ニ為持遣候所、
         同廿日御暇ニ罷出候所、
         印紙三拾目、肴代与して
         被下之候、
         〆
 
23   一、五匁   祝義    和泉屋    画像  翻刻トップ  画面トップ
                  猪右衛門
    一、三匁   同     同人内
                  久兵衛
    一、三匁   同     津幡河合屋
                  理右衛門
    三月廿日
    一、金百疋        吉田屋
                  小右衛門
    一、印紙五匁       同人せかれ、手伝
                  彦助
    一、同 三匁       同人二男  同
                  清兵衛
     〆
    一、壱貫五百文       飛脚賃 庄助
      内、弐百文酒代、宅ニ而相渡、
 
24   一、百文   礼廻り之時、庄助  画像  翻刻トップ  画面トップ
                  日用弐百文、内
                  百文甚助ゟ出ル
    一、七匁      御算用場へ取次
    一、四匁        御郡所小遣弐人
    一、九匁        物吉三手合
     五口〆三拾四匁印紙小右衛門へ渡、
 
25      金沢出府諸入用之覚  画像  翻刻トップ  画面トップ
        金沢ニ而祝義物等
    一、七匁      御算用場取次
    一、四匁      御郡所小遣弐人
    一、九百文     物吉三手合
    一、壱貫五百文   飛脚賃 庄助
        此内、弐百文宅ニ而酒代相渡、
    一、金百疋  祝義 吉田屋
       代拾七匁    小右衛門
    一、印紙五匁    同人せかれ 手伝
               彦助
 
26   一、同 三匁    同人二男  同    画像  翻刻トップ  画面トップ
               清兵衛
    一、百文      礼勤之時分、案内人庄助
              日用弐百文ノ内、百文甚助ゟ
              出申残り
    一、印紙五匁 祝義  和泉屋
                 猪右衛門
    一、同 三匁 同   同人養子人
                 久兵衛
    一、同 三匁 同   津幡河合屋
                 理右衛門
    一、同 五匁     吉田屋
       酒肴貰申返報    小右衛門
    一、同 五匁 同   河合屋
                 理右衛門
    一、同 三匁 同   手附
                 宗八
 
27      〆八拾五匁  画像  翻刻トップ  画面トップ
        代八貫六百三拾文
 
       小遣
   三月十五日
   一、五文        高岡茶や
   一、五文        立野町村茶や
   一、百五拾文      福岡茶屋 中飯并酒
        是ゟ宅ゟ之かこ人足等返し申候、
   一、六文        わらし
   一、三拾文       源右衛門、和十郎為取
   一、拾文        今石動茶や
   一、五百五拾弐文    石動ゟ津幡迄
               かこ人足弐人賃銭
 
28  一、弐拾文       くりから茶屋    画像  翻刻トップ  画面トップ
                    角屋
   一、拾弐文       竹橋人足酒代
   同十六日
   一、九百文       上下四人宿払
               津幡河合屋理右衛門
   一、四百三拾文     津幡ゟ金沢迄かこ人足
                       弐人
   一、五文        今町村茶屋
   一、拾弐文       わらし弐足
   一、五文        大樋町端茶や
   一、三拾文       杉原半紙廿枚
   一、三拾文       たはこ代 六三郎分
   一、三百文   四郎兵衛、半右衛門宅へ飛脚ニ
               罷帰り小遣銭
29  十七日  画像  翻刻トップ  画面トップ
   一、四拾文       そうり弐足
   一、百文        廻勤之刻小遣
   一、五拾文       吉田屋小右衛門使
   同十八日
   一、五拾文       越中屋平七使
   一、七文        わらし
   一、五拾文       津幡河合屋理右衛門使
   一、五拾文       河野久太郎使
   同十九日
   一、三百八拾文     髪附 堅 三十
                  梅 弐十
   一、六百文       墨屋次助方
     内
 
30     弐百四十文     真書筆八本    画像  翻刻トップ  画面トップ
      五拾文       同  弐本
      六拾文       千代墨壱丁
      八拾文       金山墨壱丁
      弐百文       墨  壱丁
      〆
   一、百文        山吹茶壱袋
   一、百四拾文      丁子粉弐袋
   一、五拾文       挟箱笈繕り手間
   一、五拾文       南兵左衛門使
   一、三拾文       手附宗八使
   一、拾弐文       ろうそく壱丁
   同廿日
   一、弐拾文       水引十わ
 
31  同廿日  画像  翻刻トップ  画面トップ
   一、弐拾文       杉原紙十枚
   一、□拾文       干烏賊弐十枚
   一、弐百六拾文     おしろい弐袋
   一、百弐拾文      干烏賊三十枚
   一、七文        わらし
   一、弐貫文       上下四泊り 和泉
                      猪右衛門宿払
   一、五百文       同 茶代
   一、弐百文       下女
   一、四百文       前分 四郎兵衛弐泊り
   一、弐百文       十六日四郎兵衛、半右衛門宿払
 
32  一、五百五拾六文    酒四升代    画像  翻刻トップ  画面トップ
   一、四百文       小ふた弐度分
   一、弐百文       花橘くわし代
   一、五文        今町村茶屋
   同廿一日
   一、五百文       津幡河合屋
            上下壱泊り  理右衛門
   一、五百八拾文     津幡ゟ今石動迄
               かこ、荷物共三人賃銭
   一、百文        福町大橋爪迄
                 三人賃銭
   一、五文        竹橋茶屋
 
33  一、三拾文       くりから茶屋 角屋  画像  翻刻トップ  画面トップ
   一、百文        福町大橋爪茶屋 中飯
                迎人足四人共
   一、弐拾四文      わらし
   一、拾文        福岡茶屋
   一、百文        高岡ニ而人足共酒代
   一、九拾文       まんちう三十代
   一、六百三拾文     手拭七筋代
        但、六三郎、四郎兵衛、源三、和十郎、なのよ、
        なりと、おミと〆七人為取
 
34   惣遣銭    画像  翻刻トップ  画面トップ
     〆拾九貫九百八拾六文
      内
      印紙三拾六匁   遠藤様等ゟ貰
               申分引
        代三貫六百五拾四文
     残而 拾六貫三百三拾弐文
       此内
       弐貫五百文    三月十五日宅ゟ
                持参銭
       金弐歩弐朱
         代四貫弐百五拾八文
       八拾九匁  印紙
         代八貫九百八拾九文
       六百三拾文  大門ニ而手拭代
 
35    惣指引  画像  翻刻トップ  画面トップ
       五拾文  銭残り
      〆
 
         和泉屋猪右衛門方指引
    一、弐貫文    四泊り 十六日ゟ十九日迄
    一、五百文    茶代
    一、四百文    前分払不足 四郎兵衛弐泊り
    一、弐百文    十六日四郎兵衛、半右衛門宿払
    一、五百五拾六文 酒四升代
    一、四百文    小ふた弐度分
    一、弐百文    花橘くわし代
     〆四貫弐百五拾六文
        三月廿日ニ相渡、
 
36 一、壱つ丸磁石  馬場右近様  画像  翻刻トップ  画面トップ
    右、中の虫為致重而
    上ケ申事、
     但、清兵衛旅宿迄持参、受取置
     申候、
     〆
  一、山岸小弥太殿先達而
    御次へ願方小紙写御入用
    之義、旅宿へ御立寄御申
    聞ニ付、追而右控写上ケ可申
    旨申上置候、
     但、未三月廿二日高岡毎日便を以為遣申候、
 

--------------------------------------
 
[7][日記]「金沢出府御用留帳」天保七年四月
 
2-2-0788_00  [目録 二(二)788]      画面トップ
 

表   天保七年丙申四月    画像  画面トップ
 
   金沢出府御用留帳
     但、奥郡時国村論所絵図等上ケニ
     出府
     三州測量図籍上ル
 
         石黒藤右衛門
 
1     金沢出府    家来半助召連    画像  翻刻トップ  画面トップ
   申
  一、四月廿四日   天気北風
     朝五つ時頃宅出立、かこ等人足三人、源右衛門、
     浅次郎、彦右衛門、立野町茶や迄、
     立野ゟ今石動迄かこニ而、八つ時過今石動へ
     着、
          昼 立野町茶や
          泊り 今石動山田屋
清兵衛方
 
  一、同廿五日    雨ふり少し北風
     今石動六つ半時出立、かこニ而金沢迄、
     八つ半時頃着、
          昼 津幡茶屋市右衛門
          泊 金沢十間町
                和泉屋伊右衛門
      暮合ゟ遠藤様へ罷出申候、夜五つ時過
      旅宿へ帰ル、文化五年卯五月御算用場ゟ
 
2      諸郡御扶持人へ御内御用ニ而、絵図方之義    画像  翻刻トップ  画面トップ
      御触紙面之写、文政二年正月高木藤右衛門へ
      諸郡道程しらへ方御紙面之写、〆弐通
      御内分ニ而上ル、是ハ略絵図凡例之
      御入用のため上ル也、
   一、同夜御くわし并蕎麦被下候、
 
  一、同廿六日    雨天
     四つ時過御役所へ罷出、三州測量
     図籍全部十二冊入壱箱并三州略
     絵図壱枚等壱袋、江沼郡絵図
     壱枚壱袋上ル、則広瀬平丞様
     御受取被成候、則御算用場へ広瀬様
     ゟ御上ケ被成候、尤御改作所へ又御戻しニ御座候、
     役所ニ而中飯喰、昼後相成旅宿へ帰ル、
   一、七つ時頃広瀬様御宅へ罷出候様、
     御役所ニ而御談ニ御座候、依七つ時広瀬様
     御宅へ罷上り、奥郡時国村論所分間
 
3     絵図并両時国村領見取絵図壱袋ニ    画像  翻刻トップ  画面トップ
     入上ル、尤夫々場所之義申上候、且又
     御預り地御奉行并奥郡惣年寄
     行壱袋宛上ケ、広瀬様ゟ御渡
     被下候様申上ル、
   一、公辺御絵図方御用之義ハ、郡々ゟ
     御尋之趣書出方相揃候迄、私出府
     之義御免被下候様申上候処御聞届、左候へハ
     盆前後ニ而可相成与被仰候、
   一、夕方ゟ山岸氏へ罷出、御扶持米已来
     相続之義等内分頼入置帰ル、
 
  一、廿七日     天気
     朝過越中屋平七方へ罷出、去年
     舟倉野銭弐貫目等之義示談いたし
     候、新川郡と一口ニ而打越銀ニ相成申ニ付、
     舟倉野ハ其内ニ而御座候、仕分之義金山氏へ
 
4     相談いたし候申聞候、    画像  翻刻トップ  画面トップ
   一、有沢才右衛門様へ罷上り、江戸より
     御帰之御挨拶等申上候処、山中入湯
     来五月八日御帰之義申聞候ニ付、
     依而賀越能三州郡分略絵図大形
     壱枚并村数帳相添、壱袋ニ入上ル、
     并海鼠数三上申候処、江戸御帰
        十六
     土産与して団扇壱本、茶台壱つ、
     たはこ入弐つ被下候、
   一、吉田屋小右衛門へ罷出申候、
   一、昼後御絵図役所へ罷出申候処、
     広瀬様、井上様、石黒様、矢部様、
     御出役并瀧川等主附五人ニ出役、
     越中国写絵図読合被致候、
   一、北村為次郎行、時国村等絵図二枚一袋
 
5     入、右御役所ニ而広瀬様へ上ル、    画像  翻刻トップ  画面トップ
   一、飛州一国絵図壱枚、瀧川氏へ
     かし渡申候、
   一、大路水経録六冊、近日之内御返し
     被下候様、広瀬様へ申上候、
   一、此外ニ御用も無御座候ハヽ、一先つ御暇
     申上候ニ而旅宿へ帰ル、
   一、犬丸村北村与右衛門、小磁石目録
     相繕候分、時国村ニ而受取、錺屋清六方ニ而
     夫々直し候分、且右直し賃壱匁五分
     之義申遣候、書状ニ小磁石壱対ニ
     して手附棟取小右衛門へ相渡、是ゟ
     相届候様頼置申候、
 
6   一、馬場右近様御出役ニ付、御暇申上候、    画像  翻刻トップ  画面トップ
     序ニ懸札村、小田中村、論所之義
     申上候所、尚更弥八郎相談いたし申候
     様御申聞ニ御座候、依此元ゟ序ニ弥八郎へ
     内談いたし可申事、
     御郡所へ浅加様、馬場様、御出役、
   一、柴野氏へ罷出、日本支弐冊返上、
     留主ニ御座候、
   一、河野氏へ罷出候所、浜へ稽古ニ被罷
     出候由ニ而留主、
     又奥郡絵図壱枚かし候分上ル、
     先達而かり申高山、富山迄之絵図
     壱枚返上、
   一、夕方ゟ遠藤様へ罷出、夜五つ時頃
 
7     旅宿へ帰ル、御くわし等御出被下候、    画像  翻刻トップ  画面トップ
     此度図籍等御賞味之義、御用部(屋)中へ
     相達候紙面之写、先達而御算用場御奉行
     中へ内分御見セ御座候様、御咄ニ御座候、
     当時御算用場表向之方、宜敷様子
     ニ候間、猶又有沢様与御内談被下、
     御扶持之義已来相続之義奉願上候
     而旅宿ヘ帰ル、
   一、河野久太郎、夜中旅宿和泉屋へ
     相見申候、
 
  一、廿八日     昼後大雨北風
     朝前河野氏へ見舞ニ罷出、暫ク
     咄合帰ル、
     柴野氏四つ時頃和泉屋へ相見申候
     ニ付、検地方帳面壱冊かし申候、且又
 
8     皈除得商続遍壱冊かし申候、    画像  翻刻トップ  画面トップ
     尤平七へも見セ申様申談候、
     先達而誂置候算書之内、五部
     請取申候、且代銭少々不足之由ニ候得ハ、
     重而指引可仕事ニ相談いたし候、
     一、算法極指南 三  一、大全塵却記
     一、算側円詳解 二  一、温知算叢 一
     一、算法雑爼 一
      〆五部
     昼後金沢和泉や出立、大樋町
     端ゟかこニ乗り、津幡迄七つ時頃着、
            昼 和泉屋伊右衛門
            泊 河合屋理右衛門
 
  一、廿九日     雨ふり時々北風
 
9     津幡六つ頃出立、かこニ乗り    画像  翻刻トップ  画面トップ
     高岡へ八つ半時頃着、
      福町村ゟ舟ハ大水并雨ふりニ而不乗、
      昼 高岡木舟町伏間江や
             甚兵衛方
      七つ半時頃帰宅仕候、
     日数
      〆六ケ日
 
10          有沢様へ上ル    画像  翻刻トップ  画面トップ
    一、海鼠 数三十 壱包
六壱連 
     〆
    一、有沢様ゟ江戸帰り土産被下候、
     一、壱本 江戸団扇
     一、弐つ 紙たはこ入
     一、壱つ 小茶台
     〆
11     小遣之覚    画像  翻刻トップ  画面トップ
  八月廿四日
   一、五文    大門茶や
   一、七拾文   立野茶屋中飯
人足共
   一、百文    人足三人、源右衛門、浅次郎、彦右衛門
酒代
   一、五文    福岡茶屋
   一、四百文   立野ゟ今石動迄
かこ人足三人
    外ニ
     三拾文   右酒代
  同廿五日
   一、四百廿文  今石動山田屋清兵衛
      代金壱朱       宿払
   一、五百七拾文 今石動ゟ津幡迄
かこ等三人、酒代共
 
12  一、十五文   くりから茶屋    画像  翻刻トップ  画面トップ
   一、五文    竹橋山下茶や
   一、五文    わらし
   一、七拾文   津幡市右衛門方中飯
   一、五百五拾文 津幡ゟ金沢迄
かこ等三人
   一、五文    今町茶や
   一、五文    大樋茶や
   一、十五文   わらし等
   一、十三文   五匁懸ろうそく一丁
  同廿七日
   一、十文    より壱束
   一、十文    杉原紙弐枚
   一、十文    たはこ
 
13  一、四百文   上々おしろい四袋    画像  翻刻トップ  画面トップ
   一、百廿文   同 上包紙添ル
   一、百文    上紅 猪口弐つニ付ル
   一、百六十五文 黒手剃刀 壱丁        
    〆七百八拾五文 和泉や取貰申候
   一、弐百拾文  ひんつけ三十
庄兵衛分
   一、三百五拾文 同   五十、自分
  廿八日  廿五日ゟ廿七日迄
一、壱貫五百文 和泉屋伊右衛門
三泊之宿料
   一、五百文   右茶代
 
14  一、百文    下人嘉平    画像  翻刻トップ  画面トップ
   一、廿文    印紙五十め替ちん
   一、十四文   わらし弐足
   一、拾文    大樋町端茶や
   一、五文    今町村茶や
   一、三百文   大樋ゟ津幡迄
かこ等三人分
  同廿九日
   一、五百文   津幡河合屋
理右衛門宿料
      印紙五匁相渡
   一、五文    竹橋山下茶屋
   一、十五文   倶利伽羅茶屋
   一、五百五拾文 津幡ゟ今石動迄
 
15          かこ等三人    画像  翻刻トップ  画面トップ
    外ニ 三拾六文 酒代等為取、
   一、拾文    今石動茶や
   一、五百五拾文 今石動ゟ高岡迄
かこ等三人
   一、五文    福岡茶屋
   一、五文    立野茶や
   一、拾壱文   わらし
   一、六文    たはこ
高岡ニ而
   一、四拾五文  まんちう十五
   惣入用銭
    〆七貫八百四拾五文
    内
 
16    壱貫文   四月廿四日 宅ゟ持参    画像  翻刻トップ  画面トップ
     八百四拾文 同日    今石動ニ而金弐朱
     四百廿文  同廿五日  同 金壱朱、山田やへ
     五貫文   同廿八日  金沢ニ而印紙五拾目
但百目之内切
     五百文   廿九日   印紙五匁、河合屋へ
     弐百文   同日    今石動人足へ印紙
弐匁
      〆七貫九百六拾文
    指引〆
      百拾五文  過
       此内 七拾二文 銭、平助ゟ取
          四十三文 小ふ□并
たはこ等
      〆
 
 
17      覚    画像  翻刻トップ  画面トップ
   一、三貫百六拾□文   高木村ゟ時国村迄道程
               行戻共七拾四里廿二町
               分間道具持運人足弐人
               惣賃銭
                壱里壱人分
                  廿一文弐分三厘宛
   一、五拾弐匁五分    殿村津幡江村喜兵衛
      但、三月廿四日ゟ四月九日迄、出入共
      日数十五日、壱日三匁五分宛
   一、十五日       石黒藤右衛門
               同人 孫 久三郎
      但、三月廿四日ゟ四月九日迄、出入共
   一、道程 三拾七里十一町 高木村ゟ
                時国村迄
 
18  一、百弐拾枚      自宅ニ而相調申絵図    画像  翻刻トップ  画面トップ
    代三匁        八枚分入用、みの紙、
   一、三匁        右絵具代中勘
    〆
   一、右下絵図紙之義ハ、時国村ゟ
    請取申候、
     申四月
      右之通相調、北村為次郎へ
      相渡、為次郎ゟ御改作方へ
      相窺申事ニ申談候、  翻刻トップ  画面トップ