射水市新湊博物館/高樹文庫「石黒信由関係資料」

石黒信由関係資料

2 越中・加賀・能登

(1) 加越能


主図no史資料名史資料記号
(目録番号)
原本画像目録翻刻現代語訳
絵図[1][清図]「加越能三州郡分略絵図」文政八年四月三(一)A16画像目録--
[2][下図]「三州図入用絵図紙之図」文政七年申三月二十二日三(一)A2画像目録--
[3][下図]「加越能三州郡分略絵図」文政八年四月三(一)A4画像目録--
古文書[4][日記]「御内御用方金沢出府御用留帳」文政二年十月三日二(二)297画像目録翻刻-
[5][日記]「御内御用方道程調理方金沢出府御用日記帳」文政三年二月二(二)305画像目録翻刻-
[6][日記]「絵図など書上日記」文政三年ヨリ二(二)330画像目録翻刻-
[7][記録]「諸郡道程調理方諸事当用覚帳」文政四年正月・文政五年正月・同六年二月二(二)331画像目録翻刻-
[8][日記]「御内御用ニ付金沢出府方覚帳」文政四年二月ヨリ十一月一(二)72画像目録翻刻現代語訳
[9][記録]「当用覚帳」文政四年八月二(二)346画像目録翻刻-
[10][日記]「御内御用方金沢出府御用方覚帳」文政五年二月二(二)353画像目録翻刻現代語訳
[11][記録]「諸郡道程調理方絵図帳面等当用覚牒」文政五年七月二(二)368画像目録翻刻-
[12][日記]「御内御用方金沢出府御用方覚帳」文政六年二月・十月・文政七年三月二(二)388画像目録翻刻現代語訳
[13][記録]「御次御用町見方等当分覚帳」文政七年五月二(二)414画像目録翻刻-
[14][記録]「御領国御絵図方下調理諸書物覚帳」文政九年十二月二(二)477画像目録翻刻-



[1][清図]「加越能三州郡分略絵図」文政八年四月
 
3-1-A16  [目録 三(一)A16]      画面トップ
 
--------------------------------------
 
[2][下図]「三州図入用絵図紙之図」文政七年申三月二十二日
 
3-1-A2  [目録 三(一)A2]      画面トップ
 
--------------------------------------
 
[3][下図]「加越能三州郡分略絵図」文政八年四月
 
3-1-A4  [目録 三(一)A4]      画面トップ
 
--------------------------------------
 
[4][日記]「御内御用方金沢出府御用留帳」文政二年十月三日 [翻刻]
 
2-2-0297_00  [目録 二(二)297]      画面トップ
 

 文政二年卯十月三日ヨリ    画像  画面トップ
        十日マテ
 御内御用方
  金沢出府御用留帳
   但宗門改方御請
    道程しらへ方入用等書上等
    品々窺申御用
          石黒藤右衛門
 
一、十月三日  時々雨    画像  翻刻トップ  画面トップ
   朝七つ時頃宅出立、但じんし川橋ノ
   辺ニ而挑灯けし申候、昼七つ半時頃
   津幡へ着
     越中屋与兵衛方ニ泊り
 
一、同四日  天気
   朝五つ時頃金沢へ着、但壱里計
   挑灯ニ而行、
   昼九つ時頃御改作所ヘ着之案内
   申上候、八つ時頃賀古様へ見舞、
   同刻宗門御横目中西新助殿宅
   案内并渡辺様ゟ之書付相渡
   申候、新助殿御用ニ罷出翌五つ半
   時頃帰宅之旨申聞候、
   七つ半時過田辺様御宅へ御見舞
   申上候、能州道程しらへ方野帳
   等懸御目申候、
    立山絵図并能州名勝絵図等
    折本両面御見せ御座候、尤立絵図
    ニ而画ニ御座候、    画像  翻刻トップ  画面トップ
    新番役山岸小弥太殿、田辺様
    御宅ニ有之候、絵図方改之由田辺様
    ゟ被仰候、町見方等之義相談いたし
    度旨ニ御座候、
    昼五つ時頃旅宿へ帰り、
   旅宿 十間町 和泉屋順平
 
一、同五日  小雨
   早朝中村宅左衛門様御宅へ罷出、
   道程しらへ方入用書物入内覧候、
   尤宜敷候間、御役所へ上ケ可申旨被仰候、
   直クニ永井徳左衛門様御宅へ罷出候所、
   只今御出候由ニ而罷帰申候、
   中西新助殿宅へ罷出、宗門帳
   内覧仕候、明六日御算用場ニおゐて
   御請印取可申旨被仰候、
   山崎小左衛門様町御奉行ニ而御算用場
          御兼帯  
   大村友右衛門様五十石御加増    画像  翻刻トップ  画面トップ
    右両御屋敷へ上下ニ而御祝義ニ罷上候、  
   井上猪之助様御算用場兼帯帰役
   関九郎兵衛様御改作御奉行    
    右御挨拶与して袴ニ而御見舞申 
    上候、
   中川下村宮森旅宿へ見舞申候、    
   田辺様ゟ能州しらへ方野帳面指出 
   可申旨御紙面被遣候、
 
一、同六日  雨ふり
   早朝田辺様御宅へ罷上リ、能州
   等しらへ方野帳上申候、是ハ御用
   部屋様へ内覧ニ入相遣し可申旨ニ
   被仰候、
   算学鉤致三冊田辺様へ上ケ申候、
   四つ時頃御改作所罷出道程しらへ方
   入用書物、御用番中村様、賀古様へ
   上ケ申候所、請取申旨被仰候、
   四つ半時頃宗門御横目中西    画像  翻刻トップ  画面トップ
   新助殿、舟木平九郎殿算用場
   取次所衝立ノ前へ御出役、宗門帳
   御請印形御見届被成、帳面上ケ申候
 
一、同七日  天気
   賀古様へ御宅へ罷出、磁石代
   銀分明八日御渡し御座候様申上候、
   算学鉤致三部御役所へ
   上リ申分上ケ申候、
   算学鉤致小堀様御宅へ
   御暇乞旁罷出上ケ申候、
   日下理兵衛殿方へ見舞、夕
   方□咄し仕、旅宿へ罷帰
   飯ヲ喰、折橋伊兵衛方へ
   罷出候、御坊主御次御絵図
   方役人ニ御座候、折橋宅へ
   被罷出、町見方等習ヒ申    画像  翻刻トップ  画面トップ
   度旨ニ而咄し居申候、
   御坊主松本梅慶殿ニ御座候、
   鉄五郎も上京いたし候由ニ而
   出府御座候ニ付、夜中三人
   咄し居申候、
 
一、同八日  天気
   御改作所罷出御暇乞仕申候、
   磁石代三百三十五匁、駄賃五百文代
   四匁七分由、〆、内三百目金沢
   町方手形三枚、三拾九匁七分由
   銀子御座候、
   七つ半時頃田辺様へ罷出候処、
   能州等野帳御用部屋様へ入
   御覧、御返し被成旨ニ而、右帳面
   御返しニ御座候、并能州千路潟
   分間帳面御貸しニ御座候、
   御改作御奉行様算学鉤致之事
       之旨被仰候、    画像  翻刻トップ  画面トップ
 
   宮川要助宅へ見舞候所、夫婦共
   留主ニ而御座候ニ付、名札下女ヘ相渡
   申候、
        
一、同九日  天気
   中川下村宮森等旅宿へ
   見舞、昼後金沢出立、
    津幡河合屋理右衛門泊り
 
一、同十日 曇天 五つ時小雨
        但くりからゟ東ハふり
        不申候、
   今石動ゟ舟ニ乗り夕方
   帰宅いたし候、吉兵衛ハ私宅
   迄荷物持候而帰宅いたし候、
   〆
      諸入用払    画像  翻刻トップ  画面トップ
 十月三日
一、八百七拾五文      鴨二羽 遣物代
一、七文          福岡茶屋
一、六文          わらし代 壱足
一、拾五文         今石動茶屋
一、拾五文         くりから茶屋
一、三百五拾文       石動ゟ津幡迄
                 かこ賃
 二泊分
一、四百文         津幡越中屋与兵衛方
                     宿料
 同四日
一、拾弐文         わらし弐足
一、五文          柳橋茶屋
一、拾八文         ひんつけ三つ
 同八日
一、百弐拾文        同   二十
一、四百文         墨壱丁    画像  翻刻トップ  画面トップ
               墨屋次助
一、三百文         真書筆六本
一、百文          槙かヽり壱つ
 同九日
一、弐貫五百文       和泉屋順平宿料
   但、十月四日ゟ八日迄五泊リ分
   上下弐人
一、三百文     同人 茶代
一、五拾文     同 下女
一、百五拾文    金沢端ゟ津幡迄
          駄賃 馬弐疋分
 同九日夕泊リ
一、四百文     津幡 河合屋理右衛門方
          上下弐人宿料
 同十日
一、六文      わらし壱足
一、五文      竹橋茶や
一、六文      わらし壱足    画像  翻刻トップ  画面トップ
一、九拾文     弐人分 舟賃
          石動ゟ横田迄
一、拾文      くりから茶代
一、五拾五文    ろうそく代
一、弐拾文     津幡ゟ竹橋迄
               駄ちん
一、六拾文     竹橋ゟ石動迄
               駄ちん
一、三拾文     まんちう拾ケ
 同九日
一、五百文     磁石駄賃取かへ番代
 同八日      半右衛門渡り、和泉やニ置候、
一、六百廿九文   吉兵衛取かへ
 同九日
一、六拾七文    同人へろうそく等取かへ
 同
一、金子壱歩    書物代中勘、塩屋
          与三兵衛へ渡
 〆七貫五百壱文    画像  翻刻トップ  画面トップ
     内
      六百九十六文 吉兵衛へ取替
      五百文    磁石駄賃
                番代渡り
      八百文    墨筆代
     残而
      五貫五百五文 金沢入用
      外ニ
    〆
         出    画像  翻刻トップ  画面トップ
十月三日
一、壱貫百文       銭
 同夕
一、南鐐壱片       津幡ニ而 
  代七百九拾文          
 八日          金沢
一、同 壱片       金沢   
  代七百七十五文
 同
一、同 壱片       同 墨屋次助
  代八百文
 同九日
一、金壱歩弐朱      金沢
  代弐貫三百四拾文
 同日    画像  翻刻トップ  画面トップ
一、壱貫文     和泉やゟ
   当七月預ケ申銭代
 同日
一、南鐐壱片    津幡
   代七百七十八文
  〆七貫五百八十三文
   内
    七貫五百壱文 右金沢
           入用
    八十弐文   請取
    〆
 
  十月五日    画像  翻刻トップ  画面トップ
 一、壱歩弐朱 金子
    本吉妙くわんや徳兵衛
    所持根発、曲尺、くさり
    三品代銀ニ相渡、中村様へ
    〆
 同九日      塩屋与三兵衛
一、壱歩 金    書物代中勘
 〆  翻刻トップ  画面トップ
 

 
--------------------------------------
 
[5][日記]「御内御用方道程調理方金沢出府御用日記帳」文政三年二月 [翻刻]
 
2-2-0305_00  [目録 二(二)305]      画面トップ
 

表紙 文政三年辰二月    画像  画面トップ
 御内御用方
 道程調理方金沢出府御用日記帳
         高木村藤右衛門
 
 絵具相求申事    画像  翻刻トップ  画面トップ
 真書筆買申事
 
一、二月十七日  天気    画像  翻刻トップ  画面トップ
   宅六つ前出立、夕合金沢      
   旅宿和泉屋順平方着
 
一、同十八日  雨降
   四つ半時頃御改作所へ着
   御案内申上候、并定検地所へ
   御見舞申上候、
   中川、宮森、下村、串田旅宿、
   番代小右衛門方へ見舞、夫ゟ
   御改作所へ罷出申候、
   御用番金谷様、富永様
   御宅へ見舞申候、
   小堀様、渡辺様御屋敷へ御見
   舞申上候、
   七つ半時頃ゟ田辺様へ罷出
   六つ過罷帰申候、
        
一、同十九日  雨降    画像  翻刻トップ  画面トップ
   早朝金谷様御宅ニ罷出、
   道程しらへ方御入用銀之義御
   内分願上申候所、御次へ申上候
   中勘御貸被下候様被仰候、
   尤弐貫目程中勘借請申度
   旨申上候、
   朝飯後田中、埴生、大瀧、
   大西へ上下ニ而祝儀之挨
   拶ニ旅宿罷出候、
   白江様へ御忌中之為、
   挨拶与して羽織袴ニ而
   御見舞ニ罷出候、
   七つ半時過ゟ遠藤様へ    画像  翻刻トップ  画面トップ
   罷上リ申候、尤磁石かん
   とう台上ケ申候、夜四つ
   時頃迄咄罷帰申候、
 
一、同廿日  天気
   早朝田辺様へ罷上リ申候、
   絵図等懸御目申候、扨口郡
   邑知潟金納等之義算法
   立方御咄御座候、
   四つ半時頃ゟ御改作所へ
   罷出申候、地割紙上ケ申候、
   九つ半時頃御役所ゟ
   帰リ申候、
   日下、今村、宮川三軒へ
   見舞ニ罷上リ申候、    画像  翻刻トップ  画面トップ
 
一、同廿一日  朝夕雨
   中川等仲見舞、夫ゟ日下
   氏へ行咄候、昼後鍋屋、折橋、
   塩屋等へ見舞、夕方より
   遠藤様へ咄しニ罷出候、夜
   四つ過帰リ申候
 
一、同廿二日  朝過ゟ天気
   四つ時頃ゟ御役所へ罷出候処、
   道程しらへ御入用銀弐貫目
   御渡ニ付請取書上ケ申候、
   依而御暇乞申上候、
   定検地所ゟ御召ニ付罷出候
   所、新川郡御検地所へ磁石
   仕抹いたし箱へ入申様
   被仰候ニ付、夫々しまつ    画像  翻刻トップ  画面トップ
   いたし上リ申候、依而御暇乞
   申上候、
   御郡所渡辺様へ御暇申上候、
   渡辺様、小堀様御屋敷へ
   罷出名札ヲ上ケ御見舞申上候、
   白江様御吉事之御祝義ニ
   名札上ケ申候、尤上下ニ而罷出候、
     覚
一、弐貫目  文丁銀
 右諸郡道程しらへ方諸入用為
 中勘、右銀高御渡被下請取申候、已上、
  文政三年二月廿二日 高木村 藤右衛門 印判
 御改作
  御奉行所
        
一、同廿三日  天気    画像  翻刻トップ  画面トップ
   金谷様御屋敷へ御暇乞ニ罷出
   候所、八線表弐冊御かし渡し
   請取申候、
   朝五つ時頃田辺様へ罷出
   上ケ置申絵図等御渡御座候、
   加州三郡絵図之義ハ番代
   方へ跡ゟ御出御座候様被仰聞候、
   八つ時頃金沢出立、
    津幡河合屋理右衛門方泊リ、
 
一、同廿四日 朝前雨少し
   津幡出立、七つ半時頃帰宅仕候、
   吉兵衛宅へ罷帰申候、
  〆
 
      出府ニ付入用    画像  翻刻トップ  画面トップ
二月十七日
一、五文     今石動茶や
一、三百五拾文  石動ゟ津幡かこ
一、拾五文    右酒代
一、七拾文    石動ゟ竹橋人足、酒代
一、廿三文    竹橋ゟ津幡迄同断
一、六文     わらし壱足
一、拾文     津幡問屋茶屋
一、五文     柳橋茶ヤ
一、拾弐文    ひんつけ弐つ
一、八文     より
一、三文     はんけの末
 同十八日    画像  翻刻トップ  画面トップ
一、三拾五文   扇子壱本
一、百八拾文   胡麻弐升
一、七百八拾文  鷹壱羽
一、拾四文    わらんし弐足
一、拾三文    ろうそく壱丁
 同廿三日
一、弐百七拾四文 印判屋細字左平
一、弐百拾五文  髪附三十五
一、十六文    より弐わ
一、壱貫文    墨屋次助
一、弐百八拾文  尾張町古梅□草紙
一、六拾五文   ござ壱枚    画像  翻刻トップ  画面トップ
一、九百廿文   紙屋久兵衛
一、七文     わらし壱足
 〆四貫三百六文
一、三貫文    和泉屋順平方
 但、二月十七日ゟ廿二日晩迄六泊リ
 宿料
一、五百文    茶代
一、百文     下女
一、五文     今町村茶や
 同廿四日
一、五百文    津幡河合屋
         理右衛門宿料
一、三百三拾文  かこ賃
一、廿五文    竹橋迄人足賃    画像  翻刻トップ  画面トップ
一、六拾四文   今石動迄人足賃
一、五拾文    くりから茶、年頭
一、十五文    同 茶代
一、六文     わらし壱足
一、拾文     今石動茶代
一、四拾四文   ろうそく
一、百文     舟賃
 惣〆九貫五拾五文
    比内壱貫文 出銭
      七貫九百九十三文 銀七拾弐匁也
      六拾文 中川忠右衛門へ藤助渡
      〆
  右之内
   弐百七拾四文 肉代等細字左平    画像  翻刻トップ  画面トップ
   六百四文   上中折弐束
   三百文    天具定百枚
   六匁八厘   雌黄目形弐匁七分
   壱匁弐分五厘 白墨四丁
   六分三厘   焼ミやうはん十匁
   弐匁八分   筆七本、但真書筆
   百六文    より髪附代
  引残而〆弐貫三百九十六文
   六貫六百五拾九文 自分入用
   〆
 
    覚    画像  翻刻トップ  画面トップ
一、六百目    道程しらへ御入用銀弐貫目
         之内
一、四拾五匁   遠藤様ゟかんとう磁石
             台代
 〆六百四拾五匁
  内弐分    目切候四十五匁ノ内
   五百七拾弐匁  金拾両
   七拾弐匁八分  請取
   代七貫九百九十三文   さし一〇九八
   〆辰二月廿三日  翻刻トップ  画面トップ
 

--------------------------------------
 
[6][日記]「絵図など書上日記」文政三年ヨリ [翻刻]
 
2-2-0330_00  [目録 二(二)330]      画面トップ
 

1     文政三年辰年也    画像  翻刻トップ  画面トップ
     辰
    一、五月十一日ゟ十五日之内 外御用相勤
                   申外
        能州、加州、砺波、此度相しらへ
        申ケ所、町数ニ依テ曲尺寸
        算用仕出、朱書仕候、
        〆
    一、十七日ゟ
       十八日迄   地割紙調
    一、同十九日    奥郡切下絵図調懸り
    一、同廿日     同
    一、同廿一日    同
    一、同廿二日    同
    一、同廿三日    同
    一、同廿四日    同
        昼八つ時頃ニ相済
       〆 六日程
    一、廿五日     口郡切下絵図
    一、廿六日
    一、廿七日
    一、廿八日
    一、廿九日
    一、六月一日
    一、同二日
    一、同三日
    一、同四日 
         昼前迄相済
        〆九日
    一、同五日    河北郡
    一、同六日
        
2        昼八つ時頃相済    画像  翻刻トップ  画面トップ
    一、同七日    砺波郡切下絵図
    一、同八日    同
     〆
    一、九日      砺波郡切下絵図
              三国山之所等共
    一、十日     加越能三州三国山
             ノ所等付合
             并砺波郡切下絵図
             ゟ本下絵図へ書記
             写入申候、
    一、十一日    射水郡高岡ゟ
             氷見迄、守山町、
             五十里村領、砺波境
             迄切下絵
    一、十二日    能州舳倉嶋、七つ
             嶋分絵図壱枚
             下書仕候、
             射水郡大絵図、のり
             はなれ申ニ付、所々
             のりニ而付申候、
             〆
    一、十六日    能州口郡切下絵図
             を以下絵図へ写上ル、
    一、十七日    右同断
    一、十八日    能州口郡、砺波、新川
             下絵図ニ墨線筋、
             一尺〇八分ニ宛ニして入申候、
        
3    半日    画像  翻刻トップ  画面トップ
    一、十九日    昼後奥郡下絵
             図紙東西南北
             十字線及切下絵
             図惣廻り置並ル、
    一、廿日     奥郡切絵図ゟ
             下 絵図写、
     半日
    一、廿一日    昼後ゟ奥郡
             下絵図写上、
    一、廿二日    同断
     〆
    一、同廿三日   道程しらへ野帳面
             入袋、
    一、同廿五日   射水郡大下絵
             図紙系引下、
    一、同廿六日   射水郡、能州境
             目下絵図調懸り申候、
     〆
     七月
    一、十五日       射水郡絵図大下書、
                但、大絵図を以一町一分ニ
                縮メ申候事カヽル、
     半日
    一、十六日
     同
    一、十七日       昼後大門へ新開方御用、
     同
    一、十八日       同断
    一、十九日       射水郡下絵図、 大絵ヲ
                        縮申事、
    一、廿日        同断
    一、廿一日       同
    一、廿二日       同
        
4   一、同廿三日       同断    画像  翻刻トップ  画面トップ
     〆射水郡下絵図墨引相済、
      日数〆四十八日
 
     十一月十六日ゟ廿一日迄
    一、六日        加州三郡道程しらへ方
                野帳、直径ノ一町曲尺一分
                ノ図りニ而朱書惣帳書入、
     十一月廿三日ゟ十二月五日迄之内
    一、十一日      河北郡津幡ゟ南ノ方
               石川郡境、
               金沢町惣廻り冊
               下絵図
               〆
      十二月八日ゟ同廿七日迄之内
    一、十九ケ日     石川郡切下絵図
     文政四年
     巳正月七日ゟ十八日迄
    一、十二ケ日     能美郡切下絵図
               相調申候、
     同十九日
    一、一日       石川郡、能美郡大
               下絵図紙接足等
     同廿日ゟ廿四日迄
    一、五日       石川、能美郡
               下草絵図
               出来、
    同廿八日
   一、壱日        加州三郡下絵図
               ニ而白山并
               大門山、高三郎山
               等諸方支分ニ而
               有所相定申候、
               〆 但、藤助手伝
    同廿九日
   一、壱日        能美郡遠見之
               村々下絵図へ書入ル、
        
5   巳二月十日、十一日    画像  翻刻トップ  画面トップ
   一、二日        江沼郡絵図写、
    同十二日、十三日
   一、二日        金沢町中往還
               道筋下絵図
    同十四日、十五日     
   一、二日        金沢町見取絵図
               壱枚写、
    同十六日
   一、壱日        新川郡道程しらへ
               申村々書記申候、
    同十七日
   一、壱日        砺波郡道程しらへ申
               村々書出し申候
    三月廿日、廿二日、廿三日
   一、三日        射水郡下絵図
    同廿四日 
   一、壱日        大絵図を以田方并
               山地境下しらへ
    同廿六日、廿七日     
   一、二日        射水郡下絵図
               村名等書入
               并川筋等直し、
   一、四月二日ゟ同廿六日迄、新川郡
     道程しらへ方出役、
   一、三日
      四月廿八日、廿九日、新川郡出役仕、野帳
      四冊分寸ヲ朱ニ而書入方等、
   一、三日    五月一日、五日迄之内、新川郡
           東岩瀬ゟ町新庄迄、滑川ゟ
           栃山村等ノ間、切下絵図并
           下絵図江書入申候、
   一、一日半  同八日、九日、黒部川ノ東
          切下絵図、
        
6  一、三日半  巳    画像  翻刻トップ  画面トップ
           五月十一日ゟ十三日迄
           ノ内、角川、白岩川、大岩川、
           眼目川、栃津川等川筋
           村々切絵図、
   一、四日    同十四日ゟ同十七日迄、
           右切絵図を以下絵図へ
           書入并見不申村々も
           不残書入相済、
   一、四日    同十八日ゟ新川郡絵図ト
           村名帳与引合并射水郡
           村名帳仕立方等
             下帳相調申候、
   一、三日    巳六月二日ゟ五日迄之内、新川郡立山下
           温泉等道筋分間、分間ノ寸
           書入、切下絵図へ書入、
   一、二日    六月十日、十一日、砺波、
           新川郡毎日しらへ方村々
           覚帳、但組付仕候、
   一、三日    同十二日ゟ十四日迄
           射水郡、砺波郡野帳
           面を以町間書出し申候、 
   一、五日    新川郡、六月
           十五日ゟ
           十九日迄、
   一、二日半   同廿日より廿二日昼前、
           能州口郡道程
           書出し候、
   一、二日    六月廿九日、七月一日、
           奥郡道程書出し、
   一、一日    七月廿一日、
           五ケ山手絵図調、
   一、四十二日  八月一日、九月十三日
           迄、砺波郡五ケ山等
           分間、
        
7  一、四日    十月七日ゟ    画像  翻刻トップ  画面トップ
           同十二日迄内、
           五ケ山等野帳見通し
           ノ寸書入、
   一、二日    十一月二日ゟ三日
           迄、細池辺下絵図、
   一、十九日   十二月二日、廿日迄、
           砺波郡、河北郡境
           并五ケ山、且婦負郡
           境等切下絵図、
   一、三日    同廿一日ゟ同廿四日ノ内、
           婦負郡境并
           福光ゟ井波迄、
           石丸ゟ西新神迄
           見取分間ノ分
           下絵図へ書入、
    〆
    文政五年
   一、四日宛   午閏正月九日ゟ十二日
           昼前白山、立山
           ノ下絵図  藤右衛門
                 藤助
            但、藤助、十三日宅出立、
   一、三日    午閏二月二日ゟ四迄、 藤助
           白山下并江沼郡切下絵図ゟ
           下絵図手伝、
   一、弐拾四日   閏正月十七日ゟ
            二月十一日迄、
           江沼郡絵図帳面出来、
           能美郡、石川郡、河北郡
           去年書残村々下絵図ニ入、
           去年見申分婦負郡ニ書入、
           〆
    一、午二月一日西広上村四郎右衛門相見へ
      申ニ付、射水郡道程書出方図り、
      先達而射水郡絵図之時分、四郎右衛門
        
8     手分ケ分間野帳四郎右衛門ゟ    画像  翻刻トップ  画面トップ
      借り申候、
    一、三日    午
             二月十二日ゟ
             同十四日迄
            江沼郡村名帳、砺波郡
            杉木新町辺古絵図并
            道程しらへ方分間絵図も
            切紙下絵図等、
    一、十七日    三月一日ゟ同廿日迄之内、
             河北、石川、能美郡三郡
             絵図面共郷庄書入、
             村名帳下書出来、
    一、六日     午三月廿二日昼後ゟ
             新川郡下絵図ニ郷庄
             書入、村帳下書相済、
             同廿七日迄、
    一、六日     四月四日より九日迄ノ内、
             砺波郡当春見取分間 
             切下絵図書入并
             郷庄絵図ニ書入并
             郷庄村名下帳
             調、
    一、四日     同十日ゟ十四日迄之内、
             諸郡東西南北
             系引直し、且、
             郡界合形違之
             所々絵図直し候、
    一、廿日     四月十七日ゟ五月
             十一日之内、江沼郡道程町間
                   婦負郡
             書出し
             下絵図直し、道程
             町間書出し候、
             能州口郡下絵図
             及郷庄、村名等、
        
9            下張出来、    画像  翻刻トップ  画面トップ
    一、十二日程   五月十四日ゟ
             六月二日迄之内、
             能州奥郡下絵
             図并郷庄村名
              下帳
    一、三日     六月四日ゟ六日、
             河北郡絵図壱枚
             并立山等高算法
             等いたし候、
    一、三日     六月廿二日ゟ廿四日
             迄、河北郡道程
             書上帳、絵図裏
             打等、
    一、十四日    七月十日ゟ
             同廿四日迄之内、
             婦負郡切下絵図
             ヲ書入申事、
             并富山御領
             新川郡絵図
             書入、
             右道程書しらへ出、
             郷庄村名帳調、
     七月廿六日ゟ廿八日
    一、三日     立山、白山下絵図
             地取下書、
             諸郡分間帳、郷庄帳、
             道程帳相しらへ、
             夫々一郡切一袋ニ入
             相しらへ
             加州立横指渡
               等しらへ、
        
10    八月一日ゟ二日    画像  翻刻トップ  画面トップ
    一、二日     飛州絵図二枚
                 墨引、
     八月五日、十六日迄
    一、十二日    飛州絵図彩色、
             白、立二山絵図方
             弥平へ指図、且又
             白、立絵二山絵図
             写、河北郡壱枚
             絵図相調申候、
            〆
     八月十七日ゟ九月十三日迄内
    一、廿二日   河北郡、石川郡上絵図  
             并添帳相調申候、
      九月十六日ゟ廿六日迄
    一、十一日   舟見村太郎右衛門方行
             立山後御縮山絵図、
             引口、
      同廿七日、十月四日迄之内
    一、五日       新川郡立山後御縮山
        不合之所    絵図下絵図□□
        帳面ニ付札   并新川、婦負郡
        いたし置候   田辺様ゟ相渡り帳面
        夫相尋可申事  を以、品々絵図面
                引合、
           〆
      十月五日ゟ同十四日迄西広上村与
        井口八ケ、十七ケ用方申分清水坪
        絵図相調、
      十月十五日 
    一、壱日     能美、石川、射水
             絵図紙接立候、
     同十六日ゟ廿一日迄
    一、六日     能美郡道程帳江書
             并能美、江沼両郡
             絵図と村名帳引合
             等仕候、
        
11    同廿二日ゟ廿九日迄    画像  翻刻トップ  画面トップ
    一、八日     能美郡弐枚
             絵図調申候、
             但、山海ノ色相残り、
     十一月一日ゟ五日迄
    一、五日     江沼郡絵図弐枚
             并能美郡海共
             相済、
             山色相残、
     同八日、九日、十日
    一、三日     能美、江沼
             両郡、山色彩色
             いたし候、
             読合等仕候、
      同十一日ゟ十三日
    一、三日     信州松本領絵
             写并朱墨三丁拵、
             外ニ所々しらへ方、
      同十九日、廿日
    一、二日     能美、江沼両郡
               村名帳控弐冊
             相調申候、
      同廿五日ゟ
      十二月二日迄之内
    一、六日     能美郡、江沼郡
             道程帳中紙
     十二月六日ゟ八日迄
    一、三日
     十二月四日ゟ九日昼迄 
    一、五日半    能美、江沼両郡
             村名帳并道程帳共
             四冊上り相調申候、 
             并下帳面与読合等相済、 
             算当りも相済、
     同十日ゟ十二日迄
    一、三日     河北郡、石川郡
             村名帳控相調申候、
     同十四日、五日
   一、弐日程     河北郡道程帳読合、算当り
             相済、
        
12   午十二月十八日    画像  翻刻トップ  画面トップ
   一、壱日      能美郡、江沼郡
             絵図裏打、上り、控共四枚、
    同十九日、廿日
   一、弐日      石川郡道程帳相調并
             読合、算当り相済、
    十二月廿六日ゟ
   一、五日      射水郡道程帳下書
             調、
     文政六年
     未正月一日ゟ同十二日迄之内
   一、八日      右同断
      〆拾三日
    同十三日ゟ十七日之内
   一、三日      射水郡絵図ト道程帳
             与引合并道程算
             当り相済、
             且絵図直し仕候
    同廿一日ゟ二月六日迄之内
   一、十三日     砺波郡道程帳面中紙
             下しらへ并絵図
             面直し等、
    二月七日ゟ十一日昼迄
   一、四日半     婦負郡、新川郡
             道程帳ト絵図面ト
             引合、悪敷所ハ
             直し申候、
     十一日ゟ十二日迄
     壱日半     新川郡旧記
             抜書写申候、
     同十四日、十五日
   一、二日      新川、婦負両郡
             道程帳順書等
             しらへ方、
     未三月八日ゟ十二日迄
   一、五日      砺波、射水、新川
             村高帳写、 
     未三月十五日昼ゟ
   一、        口郡道程帳順書しらへ初メ、
        
13      一、三月十六日ゟ十九日迄、八線表    画像  翻刻トップ  画面トップ
         分間絵図解等仕候、
    二月廿日ゟ廿四日迄
   一、五日      能州口郡道程帳
             下しらへ、絵図引合
             下帳面出来、
      〆
    三月廿五日ゟ四月二日迄
   一、七日      能州奥郡道程帳下しらへ
             絵図引合
             道程下帳出来、
      四月三日、五日迄
   一、三日      能州口、奥下絵図
             道川等直し、
      同十三日ゟ十八日迄
   一、六日      能州口、奥両郡之
             村名帳与絵図与引合、
             絵図紙継立、下絵図水
             張付絵図面見合等
             品々相懸り、
           〆
    同十九日、廿日
   一、二日      能州御預所□□
             等田辺様借請申帳面
             之内書抜、
    四月廿二日ゟ廿六日迄
   一、五日     口郡絵図弐枚
     四月廿七日ゟ五月三日迄
   一、六日     奥郡絵図弐枚
      五月四日ゟ六日迄内
   一、弐日程     新川郡滑川辺村々
             書入、能州舳倉嶋、七つ嶋
             絵図弐枚、射水郡絵図
             紙接等品々、
    五月十三、十四日
   一、弐日      砺波郡杉木新町
             辺等絵図面直し
              等仕候、
        
14   五月十六日、十八日、十九日、廿日、廿一日    画像  翻刻トップ  画面トップ
   一、五日      射水郡絵図
             弐枚
    同廿二日
   一、壱日      砺波郡絵図面抜書
             水はり、天狗状百枚
             計地いたし候、
    同廿四日、五日、六日
   一、三日      婦負郡道程帳
             中紙相調、
             且絵面与引合等
             絵図面抜書しらへ、
    五月廿七日、廿九日
   一、弐日      砺波郡絵図
      六月一日ゟ三日 弐枚書入等相済、
   一、四日      彩色残り、
      〆 六日
    六月七日、八日
   一、二日程     砺波郡道、川筋直し、
             村名、道程帳ト絵図二枚ニ
             引合、
    同九日ゟ十三日迄
   一、五日      婦負郡絵図四枚
             調并村名帳、道程帳
             引合相済、
    六月廿五日
   一、壱日      射水郡絵図弐枚、道程帳
             引合相済、
             砺波郡針山用水、六ケ村用江筋入
             砺波絵図下、本共三枚ニ書入申候、
    同廿六日
   一、壱日      能州口郡絵図弐枚共、
             村名、道程帳共各引合
             相済、
    同廿七日
   一、壱日      能州奥郡絵図弐枚共
             村名帳、道程帳共引合、
    同廿八日
   一、壱日      能州四枚、射水弐枚、海ノ青色
             入申候、
    同廿九日ゟ七月四日迄
   一、五日      能州四枚、射水弐枚、砺波弐枚
             絵図山色入申候、
        
15   七月八日ゟ十二日迄    画像  翻刻トップ  画面トップ
   一、五日      新川郡道程帳
             中紙、富山御領共、
    同十三日 
   一、壱日      新川郡下絵図ト村名帳ト
             道程帳ト引合相済、
    同十八日
   一、壱日      新川郡郷庄、村数等受書、
             下絵図ニ入、又道等も直し、
    同十九日
   一、壱日      天狗状紙地いたし候、
    廿一日
   一、壱日      新川郡絵図下物
             水はり、
    同廿二日ゟ廿五日迄
   一、四日      新川郡絵図紙弐枚
             接立并舟倉野新開
             所分間一寸五分縮絵
             図相調申候、
    七月廿七日ゟ八月四日迄
   一、八日      新川郡絵図
             弐枚調申候、書入相済、
             但、彩色ハ不仕候、
    八月十八日、十九日迄
   一、二日      新川郡絵図弐枚、
             村名帳、道程帳読合、
    同廿日、廿一日、廿二日
   一、三日      新川郡絵図弐枚
             彩色山々名書入、
             婦負郡同断、
       〆
    八月廿三日ゟ廿九日
    迄之内
   一、六日半     越後国絵図写
             下書、
    八月二日ゟ四日迄之内
   一、弐日半     同書入、彩色等、
        〆 九日相済
    同五日ゟ七日迄
   一、三日      江沼郡壱枚、美濃国
             略絵図、越後国略
             絵壱枚、越中合形越後
             国壱枚相調申候、
        
16     〆 諸郡絵図相仕廻り    画像  翻刻トップ  画面トップ
           申候、
     未
     九月十日
    一、能州口、奥両郡絵裏打       弐枚
     同十二日
    一、同断               弐枚 控
      同十四日
    一、越前絵図壱枚
       能州舳倉嶋絵、上、控共弐枚 裏打
      同十六日
    一、砺波、射水、江沼郡絵図 裏打 三枚
      同十八日
    一、砺波、射水絵図弐枚 裏打  控
      九月十一日ゟ十七日迄之内
    一、四日   能州口、奥四郡村名帳控共
           四冊相調申候、読合、道程等夫々
           しらへ済、
      九月廿日ゟ廿五日迄之内
    一、三日   口郡道程帳弐冊調
              読合、下帳并清帳三口共相済、
      同廿六日ゟ廿九日之内
    一、三日   奥郡道程帳弐冊、
                 読合右同断、
      九月廿七日
    一、婦負郡絵図弐枚裏打、
      同廿九日
    一、壱枚   新川郡絵図 裏打、  
      十月二日、六日迄
    一、五日   三州分間絵図見合、抜書
           帳、上り、控共五冊 
           旧能州絵同弐冊、山ノ色ヲ入
           并帳面、絵図袋出来、
      同七日ゟ八日迄
    一、弐日   能州絵図上弐枚折形、
           右袋等仕来方
           上り道程帳弐冊算当仕候、
        
17    同九日    画像  翻刻トップ  画面トップ
    一、射水郡村名帳壱冊相調申候、
     同廿四日
    一、砺波郡村名帳壱冊相調申候、
     同廿六ゟ廿七日迄 
    一、婦負郡村名帳并砺波郡書残り共、
     同廿八日、廿九日、十一月一日
    一、三日   新川郡村名帳壱冊調、
     同四日昼ゟ六日迄之内
    一、二日半 新川郡村名帳壱冊、
     同七ゟ十日迄しらへ方等相済、
    一、四日  砺波郡 村名帳 壱冊
          射水郡 同断  壱冊
          婦負郡 同断  壱冊
        〆
    同十一日ゟ十九日迄之内
    一、六日半  砺波郡道程帳弐冊
           読合算当り相済、
      同廿四日ゟ九日之内
    一、四日程  婦負郡道程帳弐冊
           読合算当り□相済、
      十二月朔日ゟ六日迄之内
    一、五日   射水郡道程帳弐冊
           読合算当り相済、
      同七日ゟ十四日迄
    一、八日   新川郡道程帳 
           弐冊、読合并算
           当り相済、
        〆諸帳面調方相済、
 
      文政七年
        
18    申    画像  翻刻トップ  画面トップ
     二月十二日ゟ十五日昼迄
    一、三日半 十 河北郡小絵図   
            弐枚、見本与して
            相調申候、
      申二月十七日ゟ十九日迄
    一、三日    諸郡絵図袋出来
            書入等仕候、
      申二月廿六日、廿七日
    一、二日    越中四郡分間絵図
            折、上書張付申候、
            惣廻り裁申候、
          但、三州共調絵図も右同断、
        
19       藤助内手伝等    画像  翻刻トップ  画面トップ
      辰
    一、六月八日    新川郡切下絵図、
    一、同九日     同断
    一、同十二日    同断并能州
              七つ嶋分絵図ニ付
              手伝、
    一、同十三日    新川郡切下絵図
    一、十四日     同断
    一、十六日     同断
    一、十七日     同断
     半日
    一、十八日     昼前下絵図紙
        昼前    奥郡分裏折
        半日    并射水下絵図共 
     半日
    一、十九日昼前   婦負郡切下
              絵図
    一、廿日      同断
     半日
    一、廿一日     能美郡絵図写
    一、廿二日     同  
      〆
      七月十七日
    一、石川、河北、能美三郡并砺波郡
      写絵図四枚裏打、
        
20    七月    画像  翻刻トップ  画面トップ
    一、同十九日    婦負郡写絵図書足シ
              等仕候、
    一、同廿二日    河北郡、砺波郡、婦負郡
              写絵図彩色、
       〆十四日
     半日
    一、七月廿九日頃  婦負郡等絵図
              裏打
      〆十四ケ日
      惣日数
       〆弐十八日  翻刻トップ  画面トップ
        

--------------------------------------
 
[7][記録]「諸郡道程調理方諸事当用覚帳」文政四年正月・文政五年正月・同六年二月 [翻刻]
 
2-2-0331_00  [目録 二(二)331]      画面トップ
 

表紙   文政四年辛巳正月    画像  画面トップ
     文政五年壬午正月
     同 六年癸未二月
 
   諸郡道程調理方諸事当用覚帳
 
           石黒藤右衛門
 
1   当巳ノ年分    画像  翻刻トップ  画面トップ
  一、九百七拾三匁弐厘    中勘銀
     但、去辰ノ年入用本勘銀壱貫弐拾
     六匁九分八厘之所、辰十一月廿六日
     御改作所ゟ為中勘弐貫目御渡、
     辰ノ年本勘銀指引〆九百七拾三匁
     弐厘過、当巳ノ年中勘銀ニ、
     〆
   巳九月三日
  一、壱貫目         御改作ゟ
                 中勘銀
     但、九月三日御次ゟ御根役所へ
     同五日作道御用所ゟ為替ニ而
     請取申候、
   巳十二月十日
  一、四百四拾壱匁      御入用本勘銀
      八分八厘
     但、御郡所ゟ手附棟取小右衛門へ
     御渡、巳十二月廿日下条組使
     之者下条へ至来、下条ゟ
               受取
    〆
     外ニ
      五百五拾八匁    来午年御入用
        壱分七厘    中勘銀
      右同断
 
2        買物等入用遣    画像  翻刻トップ  画面トップ
   三月一日
  一、七匁六分        極上々
                 雌黄 目形
                    三匁八分
  一、壱匁壱分        焼明はん
                    廿目
                 金沢墨屋次助方
    〆
   二月廿五日ゟ三月三日迄
  一、九日        ○ 嶋村吉兵衛
     但、金沢出府召連申候、
    一、四百文      右出府中金沢ニ而
              ○吉兵衛へ取かへ
   巳三月
  一、五帖          野帳面
  一、壱束五帖        諸郡村名帳
  一、五帖          出役之時分宿料帳等
   四月三日ゟ同廿二日迄
  一、弐十日       ○ 三六
     新川郡道程しらへ方召連、
     此銭壱貫文、藤助ゟ相渡、
    〆
   四月三日ゟ同廿六日迄
  一、弐拾四日        嶋村
              ○   吉兵衛
     但、新川郡道程しらへ方下手伝
     勤日数、
    一、五拾九文    ○右しらへ中、四月廿六日
               富山ニ而硯壱つ代、札八拾文
               取替銭
 
3   四月三日    画像  翻刻トップ  画面トップ
  一、八拾文     下村迄荷物
            持人足渡  ○彦右衛門
   五月廿日
  一、三百廿文       城端八寸紙 壱束
                室屋小右衛門ニ而
   五月廿三日ゟ六月朔日迄   嶋村
  一、九日            ○吉兵衛
     新川郡立山下温泉等道程
     しらへ方手伝、
     五月□日
    一、百六拾八文       ○同人へ取かへ
       富山ニ而札弐百四拾文取かへ代
     五月晦日
    一、金壱両 但シ壱歩四切  ○同人へ取かへ
       富山下条屋理右衛門方ニ而相渡
       但、料銀中勘渡り
     〆
   五月廿三日ゟ同晦日迄
  一、八日             村
                  ○ 甚右衛門
     新川郡立山下温泉等道程しらへ
     方召連、
     此雇賃四百文 六月一日ニ渡ス、
     〆
   五月一日
  一、弐百拾文           大門かしや
                    四兵衛
     但、くさり直し代
   六月十日ゟ七月十日迄
  一、三十日            藤助
     加州能美郡白山下并江沼郡等
     見取分間方御用出役、
   同断
  一、三十日           嶋村
                  ○吉兵衛
 
4   七月廿二日ゟ同廿七日迄    画像  翻刻トップ  画面トップ
  一、六日            ○藤助
     立山道筋等見取分間、
   同断
  一、六日            嶋村
                  ○吉兵衛
   七月
  一、壱束、城端八寸紙      室屋
    代      野帳      小右衛門
   八月一日ゟ九月十三日迄
  一、四拾弐日          西広上村
     砺波郡五ケ山等道程しらへ方勤日 ○四郎右衛門
   同断
  一、四拾弐日          嶋村
                  ○吉兵衛
   同断
  一、四拾弐日          村
                  ○甚右衛門
     此日用銭
      弐貫百文
     〆
    一、八百文       ○四郎右衛門取替
                      可渡事
     内
       五百文      ○吉兵衛ニ渡り
       三百文      ○甚右衛門渡り
      〆
       右四郎右衛門ゟ両人へ為取申候
       此元ゟ相渡し可申事
    一、五百七十七文    ○四郎右衛門へかし
    一、弐百五拾五文    ○吉兵衛へかし
    一、八百文       ○甚右衛門へかし
   八月朔日
  一、七拾五文          ○三六
     高木村ゟ高岡迄人足壱人
 
5      甚右衛門指引    画像  翻刻トップ  画面トップ
  一、弐貫百文         四十二日分
    外ニ
     三百文         四郎右衛門ゟ
     弐百文         為取
    〆弐貫六百文
     内
      八百文        五ケ山ニ而苧代
                       取かへ引
      壱貫八百文      九月廿七日
                    庄兵衛ゟ渡
      〆
   十月十五日ゟ廿一日迄
  一、七日            嶋村
                  ○吉兵衛
     但、砺波郡蓑谷村縄池之辺
     村々道程しらへ方手伝
   十一月八日ゟ十五日迄
  一、八日            ○同人
     但、金沢出府御用召連
     弐百四拾七文  ○吉兵衛へかし
      〆
 
6     西広上村四郎右衛門指引    画像  翻刻トップ  画面トップ
  一、百五匁          砺波郡五ケ山等
                 勤日、四十二日分
     内
      百目    十二月廿三日上伏間江
            甚左衛門へ相渡、四郎右衛門方
            相届候事
      残而
       五匁   渡不足、過銀
        代五百三拾三文
         此形ニ
         五百文     嶋村吉兵衛へ渡
         三百文     高木甚右衛門ヘ渡
         五百七拾六文  出役之時分
                 取かへ銭
        〆壱貫三百七拾六文
       指引〆
         八百三拾三文 不足
 
7     嶋村吉兵衛指引    画像  翻刻トップ  画面トップ
  一、九日         巳二月廿五日ゟ三月三日迄
               金沢行
  一、弐拾四日       四月三日ゟ同廿六日迄
               新川郡行
  一、九日         五月廿三日ゟ六月一日迄
               立山温泉廻り行
  一、三十日        六月十日ゟ七月十日迄
               能美郡白山并
               江沼郡等行
  一、六日         七月廿二日ゟ廿七日迄
               立山行
  一、四拾二日       八月朔日ゟ九月十三日
               迄、砺波郡五ケ山
               等
  一、七日         十月十五日ゟ同廿一日迄
               砺波郡縄池辺行
  一、八日         十一月八日ゟ十五日迄
               金沢行
    〆百三拾五日
    此雇賃銀
     弐百弐匁五分    但、壱日
                  壱匁五分
      内
       六拾目     五月晦日富山ニ而
               金壱両相渡
       百目      十一月廿四日ニ使文次郎
               為持遣候
      引残而
       四拾弐匁五分  さし一〇六五
        代四貫五百廿六文
 
8        外ニ    画像  翻刻トップ  画面トップ
         五百文   四郎右衛門取分
        〆五貫弐拾六文
         内
         四百文      三月三日
                  金沢ニ而相渡
         五拾九文     四月廿六日、富山ニ而
                  札八拾文渡ス 
         百六拾八文    五月、富山ニ而札弐百
                  四拾文相渡
         弐百五拾五文   九月、五ケ山行之時分
                  相渡
         弐百四拾七文   十一月十五日、金沢
                  行取かへ
         弐百文      高木甚右衛門へ渡
                  但、いび代之由
         八拾四文     去年、じやうめい
                  草種代、藤助渡
         九拾文      七月、立山行
                  之時分取かへ
                  □等百十六文
         三百七拾三文   六月、白山行
                  取かへ
         〆壱貫八百七拾六文
        十二月廿四日
         三貫弐百廿文 金弐歩 使文次郎
         弐百文    高岡手形 一枚
                     かへ
         〆五貫弐百九拾六文
        指引〆
          弐百七拾文 過 但、薬代等ニ
                  相渡
 
9         〆済    画像  翻刻トップ  画面トップ
         外ニ 十二月廿四日、使文次郎
           南鐐弐片
            当年世話料与して
            相渡申候
         〆
   巳十二月廿日
  一、壱貫目         巳年本勘銀并
                来午年中銀共
                金沢小右衛門ゟ下条へ出ル
    内
     百目         十二月廿三日
                西広上村四郎右衛門へ渡
     百目         同廿四日
                嶋村吉兵衛へ渡
     弐百目        十二月廿八日、法内組
                用山印、小杉新町
                徳兵衛ヘ渡ス
      入 百目       十二月廿日
                 藤助ゟ指引ニ而
                 文丁銀取
     五拾目        午正月廿五日
                金沢番代小右衛門
                料銀等ニ遣ス
     拾弐匁五分      小玉 取
     六百三拾七匁五分   藤助へかし
       此分午年閏月指引ニ取
     〆
折込 切紙    画像  翻刻トップ  画面トップ
   覚
 一、弐百拾文        長くさり
                四つ
               丸くさり 三つ
               〆七ツ新出来
               外ニ直シ
     右之通り御座候、以上、
     巳五月十日
           大門鍛冶四兵衛
 
別紙    画像  翻刻トップ  画面トップ
○     入用
    巳年分中勘
  一、七貫五百廿八文     三月、金沢行
  一、七貫百五十九文     十一月、金沢行
  一、三貫文         右両度、品々入用
  一、弐拾弐貫弐百
        拾一文     四月、新川行
  一、七貫四百七十六文    五月、同断
  一、五拾四貫弐百
        五十一文    八月、九月
                   砺波行
  一、三貫四百八拾文     十月、同断
  一、拾七貫六百
        三十弐文    六月、加州
                行
  一、三貫五百文計      七月、
                 立山行
  一、三貫文         紙
  一、百五匁         四郎右衛門
  一、弐百弐匁五分      吉兵衛
  一、九十目         藤助
  一、五百六拾文       大門かしや
                くさり直し
  一、四貫文計        人々日用
 
○   銭〆百三拾三貫七百九十七文
        銀ニして
         壱貫弐百弐拾目程
    銀〆三百九十七匁五分
 
    午年分中勘
  一、弐貫四百三拾文     閏正月、藤助
                金沢出府入用
  一、壱貫八百六拾文     三月、砺波郡行
  一、四貫七百三拾文     五月、新川行
  一、壱貫五百文       八月、金沢出府、藤助入用
  一、四貫八百文       嶋村吉兵衛
  一、六貫五百文       藤助
  一、壱貫四百文       十一月、金沢紙朱筆
                      金沢ニ而藤助調
  一、三貫文         紙代等
  一、拾壱貫弐百文      二月、出府惣入用
  一、壱貫文         六月、筆墨等
  一、九百廿文        浅野や弥兵衛
                   三日分
    〆三拾九貫三百四拾文
 
10    文政五年    画像  翻刻トップ  画面トップ
   午閏正月十二日ゟ十七日迄
  一、六日         ○藤助
     金沢行、但田辺殿ゟ
     白山、立山絵図方之義ニ而
     出府いたし候、
   二月二日ゟ四日迄
  一、三日         ○同人
     能美郡御公領并江沼郡
     下絵図調手伝
   午二月廿三日ゟ同廿九日迄
  一、七日         嶋村
               ○吉兵衛
    金沢出府召連
   午三月十一日ゟ十五日迄
  一、五日         ○藤助
     砺波郡立野町ゟ上村々
     見取分間
   同
  一、五日         嶋村
               ○吉兵衛
     同断、下手伝
   午五月九日ゟ同廿日迄
  一、十二日        ○藤助
     新川郡水須村ゟ有峰村迄しらへ方、
     夫ゟ婦負郡等見取分間
   同
  一、十二日        ○吉兵衛
     右同断、下手伝
 
11  午六月廿九日ゟ七月六日迄    画像  翻刻トップ  画面トップ
  一、八日         ○吉兵衛
     道程しらへ并新開方兼候而
     出府召連、
      三百六文 吉兵衛買物代かし
      〆
   午八月七日ゟ九日迄
  一、三日         高岡浅野や弥平
     但、日用銀九匁、此内南鐐
     壱片、銭百文相渡
     但、白立二山下絵図相
     調申候而、九日ニ高岡ヘ帰ル
    〆
   午八月十九日ゟ
  一、 南鐐壱片相渡     藤助
     午八月十九日昼頃、宅出立ニ而
     白立二山絵図等田辺様ヘ
     上ニ行
   嶋村吉兵衛勤日
    〆三拾弐日
     此料銀
       四拾八匁
        此分藤助ゟ相渡
   藤助勤
    〆廿六日
     此料銀 六拾五匁
 
12    文政六年分    画像  翻刻トップ  画面トップ
   未二月十七日ゟ廿五日迄金沢召連
  一、九日         嶋村
                吉兵衛
     前々指引之上、銭九拾文
     取かへ御座候
    〆
   三月十九日ゟ廿二日迄
  一、四日          藤助
     新川郡水橋ノ上江上辺村々見
     取分間方
   同
  一、四日         嶋村
                吉兵衛
     同断
    〆
   三月十五日、十六日
  一、弐日          同人
     青田、高月新村等しらへ  翻刻トップ  画面トップ
 

--------------------------------------
 
[8][日記]「御内御用ニ付金沢出府方覚帳」文政四年二月ヨリ十一月 [翻刻]
 
1-2-0072_00  [目録 一(二)72]      画面トップ
 

(表紙)    画像  画面トップ
「 文政四年辛巳二月
       又十一月
 御内御用方
 金沢出府御用方覚帳
        石黒藤右衛門 」
 
一、二月廿五日  曇天北風    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
 朝六つ半時頃宅出立、今石
 動問屋ノ済兵衛茶屋ニ而中飯、
 昼七つ時過津幡へ着、
 中野村吉三郎くりからゟ同道、
 吉兵衛廿四日宅迄泊り懸り
 罷出ニ付召連、
   津幡河合屋
      理右衛門方泊り
一、同廿六日  天気
 昼四つ時頃金沢和泉屋ヘ
 着、九つ時頃御役所へ出申候、
 昼後御用番賀古様、
 寺尾様へ着之為御案内、
 御宅へ罷上り申候、 
 広瀬欣左衛門様去暮御転役
 之為挨拶与して、上下ニ而御宅へ
 御見舞申上候、    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
 宮川要助方へ見舞申候、
 田辺様へ着之為御案内、
 御見舞申上候、 
 中川、下村、串岡旅宿へ
 見舞申候、又砺波郡和泉村
 彦三郎旅宿へ罷出、五ケ山
 道程しらへ方、当年何時
 頃罷越可申哉相尋申候、
一、二月廿七日 四つ時頃ゟ雨北風
 一、賀古様御宅へ罷上り、明廿八日
  御場へ加州三郡下絵図入
  御覧候哉之旨申上候、則廿八日
  罷出可申旨被仰候、
 一、御郡御奉行小堀様、渡辺様
  御宅々へ御見舞申上候、
 一、昼後金谷様御宅へ罷上り、
  暦象考成三冊返上申候、    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
  尤御留主ニ付、取次ノ人ニ相渡申候、 
 一、沼保村次郎左衛門旅宿へ罷出、
  新川郡見残居候村々道程
  しらへ方之義相談ニ罷出候、 
 一、遠藤数馬様へ上り、先達而
  御誂之水台上ケ申候、夕方
  和泉屋へ帰り
    金沢旅宿十間町
       和泉屋順平方
一、同廿八日  天気
 四つ半時過御改作所罷出、
 加州三郡下絵図御覧ニ入申候
 而、右下絵図持帰り申候、
 七つ時頃ゟ右三郡下絵図并
 金沢町通筋分間致候ケ所    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
 下絵図、三郡野帳共
 田辺様へ御覧ニ入上ケ置申候、
 一、白山并江沼郡見取分間、
  忰藤助ニ為致度旨御咄申上候
  処、右場所へ指向候刻ハ、田辺様
  へ上り候様いたし候ハヽ、夫々指図
  可仕旨御申聞ニ御座候、
   但、盆前新開方御用ニ而右白山
   等へ罷越かたく、盆後ハ五ケ山へ
   罷越候ニ付、私隙無御座候、忰為遣
   不申而ハ、当年中ニ分間出来
   不申ニ付、右之通申上候、
 一、宮森、田中旅宿へ見舞申候、
  番代小右衛門へ内分之義、町見方
  前書等之義申入置候、
一、二月廿九日  天気    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
 日下氏へ見舞ニ行、数学乗
 除往来并精要下解壱冊
 返済、外ニ三冊算書かし、
 巻物弐本相渡、
 下村、串岡旅宿見舞申候、
 夕方松本氏へ見舞申候所、逗留
 ニ御座候、
一、同晦日
 早朝金谷様へ罷出、暦象考成
 弐拾冊恩借仕候、 
 河野久太郎旅宿へ御出、昼後
 河野氏宅へ罷上り候旨申上候、
 昼八つ時過ゟ河野久太郎殿方へ
 罷越、算法天文等之義咄居申候、
 夜四つ時過旅宿へ帰り、    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
一、三月朔日  西風雨ふり
 四つ半時過御改作所へ罷出、
 御暇乞申上候、 
 一、新川郡当年道程しらへ
  方村々書記、沼保村次郎左衛門へ
  相渡申候、御役所ニ而、
 一、砺波郡五ケ山等当年道程
  相しらへ申村々書記、田中村
  小四郎ヘ役所ニ而相渡申候、
 一、江沼郡へ忰藤助義当六月
  指遣し候時分、今江村源助ゟ
  功者成者案内ニ指出候様
  之義、野々市村又右衛門へ申談候
  所、源助へ申談候旨役所ニ申聞候、 
 一、白山へ忰藤助義指遣し申時分、
  中宮村ゟ功者成人案内    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
  仕者指遣し候様、村井村六左衛門へ
  相談有之旨等、田井村次郎吉へ
  申談候所、夫々可申談旨申聞候、 
 一、遠藤様へ暇乞旁御見舞
  申上候処、水台代銭三貫五百文
  御渡ニ御座候、 
 一、田辺様ゟ諸郡村名帳十七冊、
  砺波婦負両郡堺古絵図壱枚、
  江沼郡絵図上ケ申候得共、村名落
  等有之ニ付、又候御渡ニ御座候、
  加州三郡下絵図も御返ニ御座候、
  尤御用部屋へ御見懸申旨御
  申聞ニ御座候、 
 一、道程直径ノ標并勾配心径ノ標
  共二冊、日下理兵衛へ旅宿ニ而かし申候、
一、三月二日    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
 中川、宮森、下村旅宿見
 舞ニ罷出、
 昼八つ時頃金沢出立、
   津幡河合屋理右衛門方泊り
一、同三日
 帰村仕候、嶋村吉兵衛宅ヘ帰申候、
 三月一日請取  田辺吉平様ゟ
 一、壱符    眼目立川寺へ
   四月十九日新川郡道程しらへ方
   御用出役、眼目村へ罷越候ニ付、立川寺へ
   相届申候、
 
   金沢出府入用    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
巳二月廿五日
一、弐拾六文     呉座壱枚 高岡ニ而
一、七拾三文     高岡ゟ人足賃□人
一、拾五文      同 酒代
一、五拾六文     今石動ゟ人足壱人
一、弐拾四文     同 酒代
一、拾八文      竹橋ゟ人足壱人
一、拾弐文      同 酒代
同廿六日
一、五拾五文     津幡ゟ人足壱人
一、拾五文      同 酒代
同廿五日
一、拾五文      今石動茶屋
一、五拾文      倶利伽羅茶屋    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
一、三百五拾文    今石動ゟかこ代
一、五文       竹橋茶屋
一、五百文      津幡河合屋理右衛門
           宿賃
一、廿七文      ひんつけ より
一、三百六拾文    胡麻四升代
    但、弐升番代、弐升松本氏へ
一、弐百七拾文    今石動ニ而
           鰹ふし七本
一、三拾九文     八寸壱帖
           并半紙十枚
三月二日
一、百四拾文     油唐油紙壱枚    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
一、拾四文      わらし弐足
一、八百六拾文    雌黄并焼ミやうはん
           墨屋次助
一、四百七拾四文   つか袋壱つ
           同紐代共
一、百文       山吹茶屋 庄田ニ而
一、弐百五拾文    尾張町印判屋
           印壱つ代
一、百八拾文     同肉代 肉入共
    内三拾文肉代
一、三拾五文     印ほうき
一、拾五文      肉代
一、三貫文      和泉屋順平    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
    但、廿六日ゟ三月一日迄六泊り
一、五百文      同 茶代
一、百文       同 下女
一、壱貫文      取替 吉兵衛へ
一、百六拾文     筆五本代 古梅園
一、百八拾九文    髪附三十代 
            外、廿文より壱わ
一、五文       茶代
一、弐文       はんけノ末
一、六文       草履
三月三日       三月二日夕津幡    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
一、五百文      河合屋理右衛門方宿料
一、弐拾五文     津幡ゟ竹橋人足賃
                酒代共
一、三百五拾文    津幡ゟ今石動迄かこ人足
一、七拾文      竹橋ゟ今石動迄
               人足賃 酒代
一、拾五文      くりから茶屋
一、拾文       福岡茶や
一、六文       わらし壱足
一、拾文       立野茶屋ニ而中飯茶代
一、五拾六文     ろうそく并せん香一包共
一、拾文       大門ニ而ほう十ヲ
一、三百文      雁壱羽 二月廿五日
               和右衛門ゟ買
            田辺様へ出物
〆拾貫弐百九拾弐文    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
 内
 壱貫文  金沢ニ而 嶋村吉兵衛へ
           取かへ
  内六百文取
 九貫弐百九拾弐文    惣遣銭
    内七貫五百廿八文   入用
 〆   壱貫七百六十四文  作物代等
 右之内
  壱貫弐百文   巳二月廿五日銭持参
  三貫五百文   金沢ニて遠藤様ゟ
  三貫五百廿九文 百目ノ内南鐐九片取
          残り
  八百廿文    二月廿五日津幡ニ而南鐐一片取
  八百三拾三文  三月三日今石動ニ而
                南鐐一片取
    内、三百文 雁代
      百八拾弐文 銭残り
    但、五百九拾弐文 過相見申候
        比分六百文吉兵衛ゟ取分ニ当ル
   〆
二品    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
一、壱つ つゝミ
          田辺様ゟ貰申候
一、壱束 かんぴ紙
 〆
二品
一、弐枚 大くわし
          日下氏ゟ貰申候
一、十枚 黒のり
 〆
一、松風煎餅壱袋  和泉屋ゟ貰申候
 〆
 
一、十一月八日  風雨    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
 早朝宅出立、暮合ニ津幡ヘ着、
 中飯今石動鍋八方ニ而喰申候、
 嶋村吉兵衛七日夕方泊り懸ニ罷越
 申候、金沢へ召連申候、
 高岡問屋へ指紙為遣、転馬帳面
 付さセ申候、
     津幡河合屋
         理右衛門方泊り
一、同九日  同
 早朝津幡出立、四つ半時頃
 金沢へ着、
 今石動ゟ人足壱人取、荷物為持
 申候、
 一、七つ時頃田辺様へ着御案内旁
  罷上り、五ケ山等野帳懸御目則
  上ケ置申候、
      十間町和泉屋
          順平方泊り
一、同十日  時々小雨    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
 四つ時頃御郡根役所へ罷出申候、
 諸郡共道程しらへ方相済
 申旨御案内申上候、
 御用番 広瀬欣左衛門様
     水越縫殿太郎様
 日下理兵衛殿、西村太冲殿、
 吉田屋小右衛門方見舞申候、
 夕方遠藤様へ御見舞申上候、
 夜四つ時頃迄御咄申上候、
 旅宿順平方へ帰り、
一、同十一日  雨ふり
 早朝広瀬様御宅へ罷上り、
 当年道程しらへ方諸入用
 書上、御内覧ニ入申候所、猶更
 役所上ケ可申旨被仰聞候、
 旅宿帰り、但早喰前ニ御座候
 一、磁石算根元記 一冊 先達而御かし、    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
             申書物
 一、秘伝地域図法大全書 二冊 
       此度借申候
  〆三冊 遠藤様ゟ旅宿へ為持被遣、
      請取申候、 
 一、昼後田辺様へ罷上り候、砺波郡
  絵図并切下絵図御返し御座候、且
  射水郡村名附、同道程帳、砺波郡
  道程帳上ケ申候、御覧之上御返可被成候事、
 一、河野久太郎殿方罷出候、日下氏も
  御こしニ而、夜四つ時頃迄算法等之
  咄合仕、旅宿へ帰り、
 一、真数表壱枚、拙子ニ写させ候様頼置申候、
一、同十二日
 昼四つ時頃御根役所へ罷出、御用番
 広瀬様へ当年道程しらへ方諸入用
 本勘書上壱通并来春中勘
 書付共上ケ申候、昼前役所ゟ
 旅宿へ帰り、
 一、早朝金谷様御宅へ罷上り、先達而
  借り申暦象考成十三冊之内    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
  七冊返上申候、且上編八、下編五冊
  残り居候旨申上候、
  暦象考成表十六冊恩借仕候、
 一、昼七つ時頃沢田義門様御宅へ
  罷上り、算法等之義御咄ニ御座候、算法
  習度旨被仰候ニ付、日下氏ゟ御相伝被成
  候様申上候、酒等御出し御座候、夕合後
  旅宿へ帰り、
一、同十三日  曇天
 一、昼飯過天正寺村十兵衛旅宿へ罷越
  申候所、来春新川郡へ広瀬様
  御出役ニ而、舟倉野へ御見分被遊候
  御様子ニ候間、其節舟倉野へ罷出
  地境等改申度、其節前廉申遣
  へき旨申談ニ御座候、
 一、昼前折橋伊兵衛殿方へ見舞、則義吉
  在合、算法等之義咄いたし申候、
 一、昼七つ時頃ゟ田辺様へ御暇乞ニ
  罷上り申候、射水砺波道程帳    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
  等三冊御返しニ御座候、且布市村等
  先年土方領分村々相しらへ為知
  可申旨等御申談ニ御座候、白山立山
  絵ハ金子氏書申由御咄シニ御座候、
 一、車棹之義ハ上ケ申ニ不及、其地
  指置可申旨御申談ニ御座候、
 一、河野久太郎殿ゟ點竄指南録三冊
  被遣、則代銀八匁此鉦南鐐金ニ引相渡申候、
 一、河野久太郎殿夜五つ時頃ゟ
  四つ時迄旅宿へ相見ヘ咄仕申候、
一、同十四日  天気
 昼四つ半時頃御根役所へ罷出
 御暇申上候、中勘銀之義ハ相渡り
 次第、小右衛門へ御渡御座候様申上候、
 一、根役所年寄溜ニ而中川善左衛門殿
  会申候、但昨十三日夕方着之由、    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
 一、日下理兵衛殿旅宿へ相見ヘ申候、
 一、昼後金沢旅宿和泉や順平方
  出立、夕合津幡河合屋理右衛門方
                泊り
一、同十五日  天気
 早朝津幡出立、夕合ニ帰宅いたし候、
 但、今石動ゟ舟ニ而高岡横田町上り、
 中飯ハ舟中ニ而喰申候、
 嶋村吉兵衛夕方ゟ罷帰申候、
 〆  翻刻トップ  画面トップ
 

--------------------------------------
 
[8][日記]「御内御用ニ付金沢出府方覚帳」文政四年二月ヨリ十一月 [現代語訳]
 
一、二月二十五日  曇天北風    画像  翻刻      画面トップ
 
 朝五時ごろに家を出て、今石動町の
 問屋の済兵衛茶屋で昼飯をとり、
 昼四時過ぎに津幡へ到着。
 中野村吉三郎が倶利伽羅から同行。
 吉兵衛は二十四日まで家に泊まり掛けで
 出てきたので召し連れました。
   津幡の河合屋理右衛門方で宿泊。
一、同二十六日  天気
 昼十時ごろに金沢の和泉屋に
 到着。十二時ごろに役所へ行きました。
 昼過ぎに御用番の賀古様、
 寺尾様に金沢到着をお知らせするため
 御宅に参りました。
 広瀬欣左衛門様は昨年の暮れにご転役
 なさったので挨拶のためかみしも裃でお宅に
 お伺いしました。  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
 宮川要助方を訪ねました。
 田辺様宅へ金沢到着をお知らせするため
 お伺いしました。
 中川、下村、串岡の旅宿を
 訪ねました。また砺波郡和泉村
 彦三郎の旅宿へ参上し、五箇山の
 道筋の測量について今年いつ
 ごろ行けばよいかと尋ねました。
一、二月二十七日 十時ごろより雨北風
 一、賀古様宅に参り、明二十八日
  御場(改作所)へ加賀三郡下絵図を
  ご覧に入れますかとお尋ねしました。すなわち二十八日に
  参るよう仰せられました。
 一、郡奉行の小堀様と渡辺様の
  御宅へお伺いしました。
 一、昼後に金谷様宅に参り、
  『暦象考成』三冊をお返ししました。  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
  もっともお留守でしたので、取り次ぎの人に渡しました。
 一、沼保村次郎左衛門の旅宿に参り、
  新川郡でまだ終わっていない村々の道筋の
  測量について相談しました。
 一、遠藤数馬様をお訪ねし、先日
  ご注文の水台を差し上げました。夕方に
  和泉屋へ帰りました。
    金沢の旅宿は十間町の和泉屋順平方。
一、同二十八日  天気
 九時過ぎ改作所へ参り、
 加賀三郡下絵図をご覧に入れ、
 この下絵図を持ち帰りました。
 四時ごろから、この三郡下絵図と
 金沢町通筋を測量した  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
 下絵図、三郡の野帳とも
 田辺様にご披露し、差し上げました。
 一、白山と江沼郡の測量を
  忰の藤助にさせたいと申し上げた
  ところ、その場所へ行くときは田辺様
  にお伺いすれば、それぞれ指示を
  するとのことでした。
   ただし、盆前は新開方の御用があり、白山
   等へ行くことが難しく、盆後は五箇山へ
   行くので、私には暇がありません。忰を遣わさ
   なくては、今年中に測量が出来
   ないので、このように申し上げました。
 一、宮森、田中の旅宿を訪ねました。
  番代の小右衛門へ内分のこと、測量方
  前書等のことを申し入れて置きました。
一、二月二十九日  天気  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
 日下氏を訪ねたところ『数学乗
 除往来』と『精要下解』一冊を
 返却してもらい、ほかに三冊の数学書を貸し、
 巻物二本を渡しました。
 下村、串岡の旅宿を訪ねました。
 夕方に松本氏を訪問したところ、滞在中
 でした。
一、同晦日
 早朝、金谷様宅に参り『暦象考成』
 二〇冊を借り受けました。
 河野久太郎が旅宿にお越しになり、昼過ぎ
 河野氏宅に参ると申し上げました。
 昼二時過ぎから河野久太郎殿方を
 訪ね、算法、天文等について話し合いました。
 夜十時過ぎに旅宿へ帰りました。  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
一、三月一日  西風雨降り
 十一時過ぎに改作所へ参り、
 お暇乞いを申し上げました。
 一、新川郡で今年測量を行う
  村々を書き記し、沼保村次郎左衛門へ
  渡しました。役所にて。
 一、砺波郡五箇山等で今年
  測量を行う村々を書き記し、田中村
  小四郎ヘ役所で渡しました。
 一、江沼郡へ忰藤助等を六月に
  遣すとき、今江村源助より
  その土地をよく知っているものを案内として差し出すよう、
  野々市村又右衛門に相談した
  ところ、源助に相談すると役所で返答がありました。
 一、白山へ忰藤助等を遣すとき、
  中宮村よりその土地をよく知っているものを案内  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
  として差し出すよう、村井村六左衛門に
  相談したいと田井村次郎吉に
  申し入れたところ、それぞれ相談するとのことでした。
 一、遠藤様へ暇乞いを兼ねてお伺い
  しましたところ、水台の代銭三貫五〇〇文を
  渡されました。
 一、田辺様から拝借の諸郡村名帳一七冊、
  砺波・婦負両郡境の古絵図一枚、
  江沼郡絵図を差し上げましたが、村名が落ちているところ
  などがあるので、またすぐ渡されました。
  加賀三郡下絵図もお返しになられました。
  ただし、御用部屋へお目にかけたとの
  仰せでした。
 一、道程直径の標と勾配心径の標の
  二冊を、日下理兵衛に旅宿で貸しました。
一、三月二日  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
 中川、宮森、下村の旅宿を
 訪ねました。
 昼二時ごろに金沢を出立。
   津幡の河合屋理右衛門方で宿泊。
一、同三日
 帰村しました。嶋村吉兵衛も家に帰りました。
 三月一日請取          
 一、一符    田辺吉平様より
         眼目立川寺へ 
  四月十九日に新川郡の測量
  御用で眼目村へ行ったので立川寺へ
  届けました。
       
   金沢出府の経費  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
巳二月二十五日
一、二六文     ござ茣蓙一枚 高岡で
一、七三文     高岡より人足賃□人
一、一五文     同 酒代
一、五六文     今石動より人足一人
一、二四文     同 酒代
一、一八文     竹橋より人足一人
一、一二文     同 酒代
同二十六日
一、五五文     津幡より人足一人
一、一五文     同 酒代
同廿五日
一、一五文     今石動茶屋
一、五〇文     倶利伽羅茶屋  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
一、三五〇文    今石動より駕籠代
一、五文      竹橋茶屋
一、五〇〇文    津幡河合屋理右衛門宿賃
一、二七文     鬢付け油、縒り
一、三六〇文    胡麻四升代
    但し、二升番代、二升松本氏へ
一、二七〇文    今石動で、かつおぶし七本
一、三九文     八寸一帖
と半紙一〇枚
三月二日  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
一、一四〇文    油唐油紙一枚
一、一四文     わらじ二足
一、八六〇文    雌黄と焼明礬
          墨屋次助
一、四七四文    つか袋一つ、
同紐代とも
一、一〇〇文    山吹茶屋 庄田で
一、二五〇文    尾張町印判屋 
印一つ代
一、一八〇文    同印肉代、肉入れとも
    内、三〇文印肉代
一、三五文     印掃除用
一、一五文     印肉代
一、三貫文     和泉屋順平  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
    但し、二十六日より三月一日まで六泊
一、五〇〇文    同 茶代
一、一〇〇文    同 下女へ
一、一貫文     取替 吉兵衛へ
一、一六〇文    筆五本代 古梅園
一、一八九文    髪付け油三〇代 
           外、二〇文縒り一把
一、五文      茶代
一、二文      半夏の抹
一、六文      草履
三月三日  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
一、五〇〇文    三月二日夕津幡
          河合屋理右衛門方宿料
一、二五文     津幡より竹橋人足賃
酒代とも
一、三五〇文    津幡より今石動まで駕籠人足
一、七〇文     竹橋より今石動まで
              人足賃 酒代
一、一五文     倶利伽羅茶屋
一、一〇文     福岡茶屋
一、六文      わらじ一足
一、一〇文     立野茶屋で昼飯、茶代
一、五六文     ろうそくと線香一包とも
一、一〇文     大門で奉灯
一、三〇〇文    雁一羽 二月二十五日
和右衛門より買
          田辺様へ贈り物
〆一〇貫二九二文  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
 内
一貫文  金沢で 嶋村吉兵衛へ
取替
  内六〇〇文取
 九貫二九二文   総使い銭
  内七貫五二八文 入用
   一貫七六四文 作り物代等
 右の内
  一貫二〇〇文 巳二月二十五日銭持参
  三貫五〇〇文 金沢で遠藤様より
  三貫五二九文 百目のうち南鐐九片取
残り
  八二〇文   二月二十五日津幡で南鐐一片取
  八三三文   三月二日今石動で
南鐐一片取
   内、三〇〇文 雁代
     一八二文 銭残り
   但し、五九二文過に見える。
      この分六〇〇文吉兵衛より取分に当る。
   〆
二品  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
一、一つ  包み
             田辺様より貰いました。
一、一束  かんぴ紙
 〆
二品
一、二枚  お菓子
             日下氏より貰いました。
一、一〇枚 黒のり
 〆
一、松風煎餅一袋     和泉屋より貰いました。
 〆
       
一、十一月八日  風雨  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
 早朝家を出立し、夕暮れ津幡に到着。
 昼食を今石動町の鍋八方で食べました。
 嶋村吉兵衛が七日の夕方から泊りがけでやって来
 ました。金沢に召し連れました。
 高岡の問屋へ指し紙を送って転馬帳面に
 付けさせました。
   津幡町の河合屋理右衛門方に宿泊。
一、同九日  同
 早朝津幡を出立し、十時半ごろ
 金沢に到着。
 今石動より人足一人を雇い、荷物を持たせ
 ました。
 一、三時半ごろ田辺様へ到着のご案内を兼ねて
  参り、五箇山などの野帳をご覧に入れ、
  差し上げました。
    十間町の和泉屋順平方に宿泊。
一、同十日  時々小雨  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
 九時半ごろ根役所に参りました。
 諸郡とも測量が完了
 したことをご案内申し上げました。
 御用番は広瀬欣左衛門様、水越縫殿太郎様です。
 日下理兵衛殿、西村太冲殿、
 吉田屋小右衛門方を訪問しました。
 夕方遠藤様宅にお伺いしました。
 夜九時半ごろまでお話し申し上げました。
 旅宿の順平方へ帰りました。
一、同十一日  雨降り
 早朝広瀬様宅に参り、
 当年の測量方諸経費の
 書き上げを内々にご覧に入れたところ、すぐに
 役所へ提出してよいと仰せられました。
 旅宿に帰りました。ただし、朝食前でした。
 一、『磁石算根元記』一冊 先日お貸しした  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
書物
 一、『秘伝地域図法大全書』二冊 
           このたびお借りしました。
  〆三冊 遠藤様より旅宿へ届けられ、
      請け取りました。
 一、昼後に田辺様宅に参りました。砺波郡
  絵図と切下絵図をお返しになられました。また、
  射水郡村名付と同郡道程帳、砺波郡
  道程帳を差し上げました。ご覧のうえお返しになるとのことです。
 一、河野久太郎殿宅を訪ねたところ、日下氏も
  お越しで、夜九時半ごろまで算法等について
  話し合い、旅宿へ帰りました。
 一、真数表一枚を私に写させてほしいと頼んでおきました。
一、同十二日
 昼九時半ごろ根役所に参り、御用番の
 広瀬様へ今年の測量方諸経費の
 精算書一通と来春の見積書
 を差し上げました。昼前に役所より
 旅宿へ帰りました。
 一、早朝金谷様宅に参り、先日
  拝借した『暦象考成』一三冊のうち  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
  七冊をお返ししました。なおまた上編八巻と下編五冊が
  残っていることを申し上げました。
  『暦象考成表』一六冊を拝借しました。
 一、昼三時半ごろ沢田義門様宅に
  参り、算法等について話されました。算法を
  習いたいと仰せられたので、日下氏から教えを受けられる
  よう申し上げました。酒等を出されました。夕暮れ
  旅宿へ帰りました。
一、同十三日  曇天
 一、昼飯過ぎに天正寺村十兵衛の旅宿を訪ねた
  ところ、来春新川郡へ広瀬様が
  出役になり舟倉野をご見分なさる
  とのことなので、そのとき舟倉野へ行き
  土地の境界などを改めた、その際はあらかじめ命じる
  とお話になられました。
 一、昼前に折橋伊兵衛殿を訪ねたとき、義吉が
  居合わせ、算法などについて話しをしました。
 一、昼四時ごろより、田辺様へお暇乞いのため
  参りました。射水・砺波道程帳  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
  など三冊をお返しになられました。また布市村など
  先年土方領分の村々を調べ知らせて
  ほしい旨等をお話になりました。白山・立山の
  絵は金子氏が書いたものであるとお話しになりました。
 一、車棹については提出に及ばないので、その地に
  留めて置いてよいとお話になりました。
 一、河野久太郎殿より『點竄指南録』三冊が
  届けられ、すぐに代銀八匁に相当する南鐐金で渡しました。
 一、河野久太郎殿が夜七時半ごろから
  九時半まで旅宿へお越しになり話し合いました。
一、同十四日  天気
 昼十時半ごろ根役所に参り、
 お暇申し上げました。中間払銀はお渡しになられたら、
 すぐに小右衛門へ渡してほしいと申し上げました。 
 一、根役所の年寄溜りで中川善左衛門殿に
  会いました。ただし、昨十三日夕方に到着とのことでした。  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
 一、日下理兵衛殿が旅宿へお越しになりました。
 一、昼後に金沢の旅宿和泉屋順平方を
  出立し、夕方津幡、河合屋理右衛門方に宿泊。
一、同十五日  天気
 早朝津幡を出立し、夕方に帰宅しました。
 ただし、今石動より舟で高岡横田町に到着。
 昼飯は舟の中で食べました。
 嶋村吉兵衛は夕方より帰りました。
 〆  現代語訳トップ  画面トップ
        
--------------------------------------
 
[9][記録]「当用覚帳」文政四年八月 [翻刻]
 
2-2-0346_00  [目録 二(二)346]      画面トップ
 

表紙 文政四年辛巳八月    画像  画面トップ
  当用覚帳
     石黒藤右衛門
 
1     御算用場御奉行    画像  翻刻トップ  画面トップ
   文政五年九月三百石     遠田誠摩様
    御加増 御公事場奉行被仰付候
   文政元年寅八月十六日    大地縫殿左衛門様
    文政五年六月御転役
   文政二年卯九月三日ゟ    山崎小右衛門様
                    頼母様と改名
   同年帰役          堀三郎左衛門様
                    孫左衛門様改名
   文政五年          石野雅楽助様
    文政十二年御転役
   同 文政十二年丑正月    笠間源太左衛門様
    十六日於江戸病死
   文政十二年二月廿九日ゟ   有賀甚六郎様
    文政十三年三月四日御免、御公事場奉行被仰付候
   同             原五郎左衛門様
 
2   文政十三年         成瀬主税様    画像  翻刻トップ  画面トップ
 
     御横目    画像  翻刻トップ  画面トップ
                 桑嶋織人様
   文政三年辰二月十八日ゟ   長田兵馬様
                 藤懸和兵衛様
 
3     三州    画像  翻刻トップ  画面トップ
      御郡御奉行
        但御改作方兼帯文政四年
        巳六月廿八日ゟ七月改ル
 
     戌五月十一日金沢町奉行被仰付候
     午■■ゟ
   頭並定検地兼帯       ○小掘八十大夫様
   申二月十七日但外■御郡奉行兼帯
   酉八月四日■先筒頭被仰付候
   同 未七月廿五日      ○千羽彦大夫様 △
百石御加増、物頭並
被仰付、戌八月七日御先筒頭被仰付候
天保三年辰正月四日病死
   同 文政九年戌七月     ○広瀬欣左衛門様
     依願役義御免
   同 文政六年未二月廿二日  ○有賀甚六郎様
     御先■■改方奉行
   同 文政五年十一月     ○溝口蔵人様
     御改作所奉行被仰付候
   同             ○金谷佐大夫様 △
     文政十三■寅十一月十九日御先弓頭被仰付、御勝手兼帯
   同 文政十三年寅十二月一日■ ○浅加伊織様  △
 
4   文政九年十二月一日    長谷川三右衛門様    画像  翻刻トップ  画面トップ
御馬廻御番頭■同役被仰付候
   午十月廿七日         土肥三左衛門様
    宮腰町奉行被仰付候
   午十二月役義御指除      水越縫殿太郎様
   酉十月頭並■仰付候     ○内藤十兵衛様 △
   文政十二年丑■■御馬廻御番頭
   大坂ニ而巳八月十九日     賀古八郎大夫様
   病死
   文政五年 月         永原貢様
   御役替被仰付候
   午十二月廿三日       ○小竹茂右衛門様
   頭並被仰付候
       酉八月病死仕候
   申三月           ○山森雄次郎様 △
   御頭並被仰付候
   午 月           ○大村友右衛門様 △
   頭並被仰付候
   申十月三日役義       ●寺尾喜左衛門様
   御指除逼塞被仰付候
   文政五年六月         原田又右衛門様    画像  翻刻トップ  画面トップ
   役義御免除
   文政九年戌十二月頭並    ○林久大夫様 △
    〆
   巳八月ゟ          ○中村岡三郎様 △
   天保三年辰二月廿八日頭並被仰付候
   文政五年午五月四日      松江多左衛門様 △
    亥八月廿四日病死
      当分兼帯
   同 未五月廿一日       中山義右衛門様
     表御納戸奉行
         役替
   同 未五月廿一日能美郡    竹内作左衛門様
     御代官御役替
   同九月廿八日ゟ        金子与三之助様
    文政九年戌五月御大小将横目被仰付候
   同十一月十三日ゟ       中村新左衛門様 △
    丑四月廿九日病死
 
5   文政五年午十二月廿三日    井上与兵衛様 △    画像  翻刻トップ  画面トップ
    天保二年卯■月三日病死
   同              石黒鍈八郎様 △
   御先手頭          ○木梨左兵衛様
    文政六年未二月廿七日
    申九月三日御指除■■被仰付候
   同五月二日          関屋平馬様
    申九月御近習番役被仰付候
   同五月廿一日         中川外記様
   惣頭並            大平欣大夫様
   同五月廿一日
   文政九年戌十一月依願役義御免
   同十二月八日加人       礒松森右衛門様 △
    申九月廿一日本役
   同廿八日           井上陽次郎様
                     庫太ト改名
   文政七年           嶋田権五郎様 △    画像  翻刻トップ  画面トップ
    申九月廿六日加人
   申十二月十五日        児嶋五郎右衛門様 △
    ■九月御横目へ転役
   文政九年戌六月七日本役被仰付候
   同加人            松本織人様 △
   文政八年酉七月八日      安田理右衛門様 △
   当分加人戌二月十二日      新兵衛様 戌■月五日
         本役被仰付          御改名
    天保二年卯十月四日御預地方御用転役
   同 八月廿一日当分加人    中八十郎様
   右同断            高田幸助様 △
  頭並ニ而御郡奉行      ○吉田兵馬様 △
十月十三日
   文政九年戌正月廿三日     駒井丹之丞様 △
   同十年亥十一月廿五日本役
   戌四月八日当分加人      笠間羊五郎様 △
   同              嶺四郎左衛門様
 
6   文政九年戌六月七日被仰付候  原篠金右衛門様 △    画像  翻刻トップ  画面トップ
    天保三年辰八月改名        六郎左衛門様
   同 六月 文政十二年     青木多門様 △
        丑二月十二日
             御普請奉行被仰付候
   同              稲葉助五郎様 △
   文政十年亥二月        沢田幸作様
    天保三年辰八月廿四日御大小将横目御転役
   同 丑七月本役被仰付     高木主税様
                  寅十月名替 主馬様
                    右近様
   同 九月十三日加人      馬場五郎左衛門様
寅九月本役被仰付候
   同 寅十二月本役被仰付    渡瀬左大夫様
                    七郎
   文政十二年丑二月廿九日加人  井上井之助様
   同年丑五月十二日加人     林源多郎様
    辰四月五日本役被仰付候
   天保二年卯二月        上月数馬様
   同卯十月当分加人       菊地九右衛門様    画像  翻刻トップ  画面トップ
   辰二月廿三日当分加人     笠間善七郎様
   同     当分加人     萩原勘大夫様
   同十月十二日当分加人     神尾主殿様
 
7      小杉新町詰足軽
   文化十五年寅正月ゟ      瀧田喜兵衛    画像  翻刻トップ  画面トップ
   山廻り
   寅正月ゟ留書         福井吉郎
   文政六年十月頃        安田貞右衛門
   ゟ山廻り役
                  小寺丈之助
                  高橋助七郎
                  高橋円大夫
                  山内六之丞
    瀧田喜兵衛天保四年巳七月■日役義御暇被下
    代り瀧明次郎御足軽ニ成ル、且山廻役明次郎へ被仰付候
       〆七人
 
8      高岡町御奉行    画像  翻刻トップ  画面トップ
   文政四年ゟ          半田佐門様
    天保五年御役替
   同              大橋作左衛門様
   天保六年           奥村
 
9      高岡御蔵所御徒    画像  翻刻トップ  画面トップ
                  田中又作殿
                  川嶋甚左衛門殿
      同所御蔵番足軽
                  米原義兵衛
                  矢部善左衛門
      吉久御奉行    画像  翻刻トップ  画面トップ
   文政■年五月病死       山森小弥太様
   天保七年四月病死       馬渕半大夫様
   天保七年申五月ゟ       嶋田権五郎様
      同所御徒
   辰四月ゟ           中村亦作殿
    但、文政十三年寅正月ゟ役義
    御免金沢へ帰り申候、尤吉久御蔵
    御指止ニ相成申候
 
10      年号元年ノ干支記ス    画像  翻刻トップ  画面トップ
   一、天正   癸酉 十九年 天正元癸酉年ヨリ
      天正十年秀吉公将軍  享和三年マテ
                 凡二百四十三ケ年
   一、文録   壬辰 四年
   一、慶長   丙申 十九年
      慶長四年三月三日利家公薨去
      同 八年家康公将軍
      同 十九年五月廿日利長公薨去
   一、元和   乙卯 九年
      元和二年家康公薨去
   △、寛永   甲子 二十年
 
11  一、正保   甲申 四年    画像  翻刻トップ  画面トップ
   一、慶安   戊子 四年
   一、承応   壬辰 三年
   一、明暦   乙未 三年
   一、万治   戊戌 三年
      万治元年十月十二日利常公薨去
   一、寛文   辛丑 十二年
   一、延宝   癸丑 八年
   一、天和   辛酉 三年
   △、貞享   甲子 四年    画像  翻刻トップ  画面トップ
   一、元禄   戊辰 十六年
   一、宝永   甲申 七年
   一、正徳   辛卯 五年
   一、享保   丙申 二十年
   一、元文   丙辰 五年
   一、寛保   辛酉 三年
   △、延享   甲子 四年
 
12  一、寛延   戊辰 三年    画像  翻刻トップ  画面トップ
   一、宝暦   辛未 十三年
   一、明和   甲申 八年
   一、安永   壬辰 九年
 
   一、天明   辛丑 八年
   一、寛政   己酉 十二年
   一、享和   辛酉 三年
   △、文化   甲子 十四年
            三月三日改元
   一、文政   戊寅 十二年    画像  翻刻トップ  画面トップ
            五月四日改元
   一、天保   庚寅
            十二月十六日改元
 
13    射水郡    画像  翻刻トップ  画面トップ
   文政四巳七月      中川村  文政十二年丑十月廿三日病死
    惣年寄          南善左衛門
     文政九年七月増御扶持高拾石被仰付候
     同十年七月五日御扶持高是迄之通り
    同          嶋村
                 折橋善兵衛
     文政八年七月先代之通御扶持高壱町六反百三拾九分被仰付候
     文政十三年寅十一月十日役義御指除
    年寄並        大門新町
                 笠間七右衛門
     文政十年亥七月惣年寄、天保四年巳三月御指除
    同          橋下条村
                  瀬一郎
    同          宮森村
                  庄五郎
     文政五年午四月八日 中川村
    同             南兵左衛門
     文政十年亥七月惣年寄
     文政六年未二月廿六日 加納村
    同             弥八郎
 
14    文政十年亥七月    嶋村    画像  翻刻トップ  画面トップ
    一、年寄並         儀左衛門
     文政十三年寅十二月十日役義御指除
 
       新田才許
    一、文化十年 被仰付候    二塚村
                    助左衛門(花押)
    一、文化十一年七月ゟ    大門新町
                    祐次(花押)
    一、文化十四年丑七月ゟ並役 高木村
      文政二年閏四月本役被仰付候 藤右衛門(花押)
      文政七年申十二月廿七日御扶持頂戴
    一、文政三年辰十二月ゟ   加納村
      文政六年未二月廿六日    弥八郎
        射水郡年寄並転役
    一、辰十二月ゟ       大白石村
      新川郡新田才許       三郎右衛門
       文政五年午十一月廿六日役義
       御指除
 
       山廻り    画像  翻刻トップ  画面トップ
    一、文政十年二月病死    下八ケ新村
                    兵九郎
    一、            東海老坂村
                    八郎左衛門
    一、            小杉新町
                    八左衛門
    一、            小杉三ケ村
                    太郎兵衛
    一、文政八年酉九月十二日  小杉新町
               病死   長七郎
 
15   一、文政元年寅七月ゟ    開発村    画像  翻刻トップ  画面トップ
                    源内
                  二塚村
    一、文政五年十一月       弥次右衛門
       山廻列 天保六年未三月山廻り役被仰付候
    一、文政七年十月      久々江村
       山廻列 文政十一年子五月 次左衛門
           役義御指除
    一、文政九年戌七月十三日  北野村
       山廻役          小左衛門 
                    甚助   名替
    一、文政十年亥三月朔日ゟ  小杉新町
       砺波郡山廻り役      長左衛門
       亥六月射水郡山廻役被仰付候
    一、文政十年亥六月     五十里村
       砺波郡山廻り役被仰付候  庄助
    一、天保二年卯十二月十六日ゟ 万尾村
       山廻り列         次兵衛
 
       無役年寄列    画像  翻刻トップ  画面トップ
    一、文政四年巳七月ゟ    下村
                    源七郎
                  宮森村
    一、同 文政十年亥五月六日   庄兵衛
        御公事場禁牢被仰付候所、同六月牢死仕候
    一、同              串岡村
        文政十一年子五月役義御指除  半左衛門
    天保三年辰七月十七日御場  
    一、惣年寄列臨時御用      折橋善兵衛
    同             
    一、年寄並帰役         嶋村義左衛門
         上庄組主附
    天保六年未三月       
    一、年寄列           石黒藤右衛門
       当分新田才許今迄之通可相勤事
 
16      砺波郡    画像  翻刻トップ  画面トップ
    文政四年巳七月ゟ      田中村
    一、惣年寄           得能小四郎
       文政五年午六月病死
                  和泉村
    一、同             石崎彦三郎
                  内嶋村
    一、同             五十嵐小豊次
                  中田村
    一、年寄並           源五郎
                  田中村
    一、同 御扶持高頂戴      覚太郎
       文政九年ゟ惣年寄
                  四日町村
    一、同             平助
                  金屋本江村
    一、同             金右衛門
 
17                 大瀧村    画像  翻刻トップ  画面トップ
    一、同 文政五年        平左衛門
         午年ニ病死
                  野尻村
    一、年寄並 未二月       六郎右衛門
                  埴生村
    一、同   同         伝三郎
                  中田村
    一、同   同年        義四郎
                  和泉村
    一、同             市右衛門
        無役年寄列
                  四日町村
                    斉右衛門
                  井波
       文政十年五月公事場    彦六
       禁牢被仰付牢死仕候
                  野尻村
       未二月廿八日       六郎右衛門
       年寄並被仰付候
                  埴生村
                    伝右衛門
                  大西村
       文政九年山廻り役兼帯   嘉左衛門
                  戸出村
    一、文政九年無役年寄列     又右衛門    画像  翻刻トップ  画面トップ
       同十年ゟ山廻り兼帯
    一、同断          宮丸村
                    次左衛門
 
        新田才許
                  苗嶋村
    一、文政三年辰三月ゟ      弥左衛門
                  埴生村
    一、同辰十二月ゟ        伝三郎
       未二月年寄並へ転役
                  岡村
    一、同五年十一月        二七郎
                  相木村
    一、同七年申八月        権六郎
 
18       砺波郡    画像  翻刻トップ  画面トップ
          山廻り
                  沢川村
    一、         御扶持人 田畑兵衛
                  木舟村
    一、病死            長兵衛
                  杉木新町
    一、文政四年十二月御指除    磯右衛門
                  相木村
    一、              権六郎
                  浅地村
    一、              新右衛門
                  下川崎村
    一、文化(政ヵ)十一年子五月   十左衛門
          役義御指除
                  木舟村
    一、文政三年辰八月ゟ      長一郎
 
    一、         苗嶋村弥左衛門忰    画像  翻刻トップ  画面トップ
 
    一、はきの露を取り墨にてすり
      喜の字かき申事、人のころハん■り
      に成るよし、
 
19       射水郡組名    画像  翻刻トップ  画面トップ
    一、倉垣組  惣年寄弐人主附
    一、法内組  橋下条村瀬一郎
    一、浅井組  嶋村
            折橋善兵衛
    一、二上組  中川村
            南善左衛門
    一、南条組  大門新町
            七右衛門
    一、上ノ庄組  同人
    一、八代組  宮森村
            庄五郎
     〆七組
 
        砺波郡
    一、福田組 主附内嶋村
            五十嵐小豊次
    一、宮嶋組  大瀧村    画像  翻刻トップ  画面トップ
            平左衛門
    一、若林組  金屋本江村
            金右衛門
    一、蟹谷村  四日町村
            平助
    一、石黒組  田中村
            得能小四郎
    一、太美組  田中村
            覚兵衛
    一、能美組  和泉村
            石崎彦三郎
    一、盤若組  中田村
            源五郎
    五ケ山赤尾谷、下梨谷、上梨谷、但大牧先組
    一、小谷組  五ケ山弐組
    同利賀谷、小谷、但岩渕先組惣年寄三人
                 之主附
    一、利賀谷組
     〆十組
 
20 (一紙文書)    画像  翻刻トップ  画面トップ
五ケ山  判金壱枚ハ代銀四百六十五匁替 
之法  同壱両ハ四十六匁五分、金四匁四分ニ而壱両也
同壱両ハ銀拾匁五分六厘八一八
         〆
五ケ山両組七拾ケ村之草高
       五千八百六拾四石七斗八升五合
一、金百弐拾枚七両三歩九分六厘七毛
一、金八枚   烟硝役
一、壱枚五両  大牧村湯運上
一、七枚    蝋、漆、蓑、紙役
〆金百三拾七枚三歩九分六厘七毛
但、百三拾七枚三両壱匁七分四厘弐毛五味
代銀
六拾三貫八百六拾弐匁九分弐厘
右算法寄違又金直し之仕立如何候哉、
相違有之様ニ相見申候、
 
21   一、三役所ハ    画像  翻刻トップ  画面トップ
        諸方、下行、御知行割
      右御借知御代官分口米右三ノ役所
      人々へ被下候事、
    一、御領国村御印ハ寛文十年
      九月七日也、
    春秋両度御郡廻り御請書
     今般御郡廻りニ御出被成諸事御法度
     御縮方之義被仰渡奉得其意候、依而
     私共御請判形仕上之申候、以上、
      年号月   __  
              __ 
            __
              __ 
                
     御郡
      御奉行所  但一役名連名
 
    一、寛政十戊午年、本朝天王ノ御名、    画像  翻刻トップ  画面トップ
    一、江戸■井越前守三千石、御作奉行、
    一、関先生ノ墓所、江戸堀ノ内妙法寺ニアル由、
    一、紅毛ノ制、舟人ノ用器也、象限器(ヲクタントウ)ハ所々ニ目鏡仕込、
     日月星ヲ写テ見ル道具之由、
    一、伊能勘解由ノ孫伊能三郎右衛門、御公儀ヨリ五人扶持
     帯刀御免、江戸日本橋辺白屋町ニ而十五間四方
     居屋敷拝領之由、
    一、大坂土屋五郎兵衛、御公義ヨリ居屋敷十五間四方拝領、
     大坂質屋棟取被仰付置候由、
    一、遠藤様磁石ハ子一度七十五分ハ正南北ニ当ル
    一、金城御絵図道程惣間一十三万七千五百間也、
     則六十三里廿三町四十間と成ル、
    一、砺波郡野端村縁川橋長拾間也、
    一、天池ノ辺ゟ信州鑓ケ岳、薬師ケ岳ト砺波郡
     鍬崎山トノ間ヨリ見ル也、
    一、京都河野通礼ノ弟子、石つ禅師也、天文ノ弟子也、
    一、天球、地球相求メ申度事、
 
22   一、渾天新語  一、海路安乗録    画像  翻刻トップ  画面トップ
    一、地球ノ図
 
      有沢才右衛門殿方
       与力吉岡皆右衛門
       藤田殿家来 清水宇八郎
       長屋平馬殿家来 伊藤源五兵衛
      遠藤数馬殿方
            西村太仲
       長様御家来 河野久太郎
       村井様同  日下理兵衛
       玉井様同  早川理兵衛
      割場小矢庄右衛門 三角風蔵
          足軽ニ被仰付候
       遠藤数馬殿家来
            千塚甚五右衛門
      御次 御絵図方主附
            田辺吉平
            山岸喜左衛門
            有沢幸蔵
            〆
    一、金城御絵図、文政四年ゟ文政十三寅年迄    画像  翻刻トップ  画面トップ
      御絵図并野帳出来ニ而御次へ上ル、
    一、金城御絵図、御家中居屋敷右絵図面へ
      書入方役人 天保二卯年ゟ
             西村太冲
             清水宇八郎
             三角風蔵
            外ニ足軽壱人
       御細工方  村田
          画師
       右人々相懸り、御殿ニ御絵図方
       役所有之由ニ承り申候、
       〆
     宗半町   有沢才右衛門様
     彦三弐番町 遠藤数馬様
 
23    長様御家中    画像  翻刻トップ  画面トップ
           柴野優次郎
     柴野門人
      長様御家中
           乙崎湖太郎
     同断
     本多播磨守様御家中
           前川信左衛門
     同  菊地大学殿家中
      三社宮ノ前川原片町 小原九八郎
 
    一、松前箱立 高田屋
      ヲロシヤ■之時分彼国被召捕箱立舟ニ乗せ
      返ス人也、彼国ノ者と約定シタル事ヲ公義へ申上ル
      大功者也、太刀槍等御免、日本町人頭ノヨシ、
      本ハ兵庫ノ商人也、
 
       御次御絵方役    画像  翻刻トップ  画面トップ
    文政十一年子八月改ル
    一、    西町 宮方政之丞
    一、       山本清兵衛
     〆
          三社 宮井柳之助
    一、医王仙高四百八十間計与遠藤様御咄、
      又粟ケ崎辺ヨリ遠サ五里計ニ遠藤殿
      測量之由、但小磁石ニ而左右一里計退進ニ而
      量り申由、
     彦三五番町
     遠藤様ノ西小路     西村太冲
     ゟ下り候ハヽ西村氏宅へ行申候、
            甲斐守様御家中
     三社梅沢円左衛門方    柴野優二郎
     同居  文政九年十二月
但、梅沢優二郎義、柴野故喜五右衛門
為養子跡式相続仕候、
 
24   一、御米方并検使方ニハ、野袴并    画像  翻刻トップ  画面トップ
      せつたへはき羽織ノ下可仕候ニ而可然事、
    一、大聖寺様御通り御用、野合ニ而ハ
      𥿻羽織せつたへ并たちつけはき
      可申事、名札ハ性名書記申事、
    一、放生津新米改方印形取之時分、
      袴ノ羽織計ニ而申渡候事、
      大聖寺様御通りニ付名札
射水郡年寄高木村
婦負郡御境目附役人 石黒藤右衛門
打出本江村肝煎
助三郎
 
               新川郡南保村 町ノ肝煎
一、 助次
              隣    画像  翻刻トップ  画面トップ
           長様ノ前通り北角
    一、居住替ル申候     宮方政之丞殿 ○
               砺波郡三郎丸村
    一、          盤若組 喜右衛門
              富山立町横今町
               黒崎永宗寺向
    一、          高木屋吉兵衛
    当町鶴来      福町中屋喜平次弟
     米屋甚右衛門ニ成ル  影山直次
              砺波郡若林組
               寄嶋村 彦右衛門
    申二月
              同郡宮嶋組
               芹川村佐次兵衛忰
    申七月            佐兵衛
      縄張人ニ被仰付候ニ付、
      私宅へ相見へ申候、
               福町村六郎谷屋
                  伝右衛門
 
25              城端紺屋文左衛門忰    画像  翻刻トップ  画面トップ
                   五左衛門
                二男 喜右衛門
               同所谷屋次郎右衛門忰
                   吉右衛門
               加州寺井村
                   八右衛門
               同 漆畑屋
                   市郎右衛門
               同 宮竹新村
                   太郎右衛門
               砺波郡下次郎嶋村
                   せ
                   湯四郎
            金沢大橋作之進殿ノ内
                   梅沢優次郎
     新川郡東岩瀬      岩田甚左衛門忰
     在住足軽          岩田武次郎
                 岩田義七郎忰
                     シヨ
                   岩田恕太郎
         村井又兵衛様上御家中    画像  翻刻トップ  画面トップ
                 日下理兵衛
         長甲斐守様上家中 三番町
                河野三郎左衛門忰
                   久太郎
         浅野川大橋爪川除御徒町
                   松本梅慶
         才川古寺町
                   山岸小弥太殿
         才川大工町
                   宮川要助
         彦三弐番町遠藤数馬様内
                   増田茂平
                   手塚甚五右衛門
         小橋ノ下■■野町国沢様ノ隣西村太冲
         ほろ町       沢田義門様
         竪町阿つ称屋小路
          八月病死    ○田辺吉平様○
 
26      割付時附    画像  翻刻トップ  画面トップ
    子   夜九つ時  半時前日ノ分
半時今日ノ分
丑   同八つ時
寅   同七つ時
卯  ○六つ時   半時 夜
          半時 昼
辰   昼五つ時
巳   同四時
午   同九時
未   同八時
申   同七時
酉  ○昼六つ時  半時 昼
    夜     半時 夜
戌   夜五つ時
亥   同四つ時
    〆  翻刻トップ  画面トップ
 

--------------------------------------
 
[10][日記]「御内御用方金沢出府御用方覚帳」文政五年二月 [翻刻]
 
2-2-0353_00  [目録 二(二)353]      画面トップ
 

(表紙)    画像  画面トップ
「 文政五年壬午二月
 御内御用方
 金沢出府御用方覚帳
      石黒藤右衛門 」
 
   金沢出府御用日記    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
一、午二月廿三日  天気西風
 早朝宅出府、福岡町茶屋ニ而
 中飯喰、夫ゟ矢部村、西宮森村、
 水落村等ゟ芹川村往還道迄、
 七つ時迄相廻り申候ニ而、今石動
 へ着、但嶋村吉兵衛早朝罷出候
 ニ付召連申候、
    今石動町斉藤屋
         久兵衛方泊り
一、同廿四日  天気
 早朝今石動出立、九つ半時頃
 金沢へ着、
 一、千羽彦大夫様へ罷上り、高岡
  古御城外湶分領境絵図等
  上り申候、
 一、田辺吉兵衛様御宅へ罷上り、
  御案内申上候、絵図之義ハ逗留    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
  中指上可申旨申上候、罷帰申候、
    金沢十間町和泉屋
          猪右衛門方泊り
一、同廿五日  天気
 御役所へ出府御案内罷出申候、
 但御用番浅加伊織様、長谷
 川三右衛門様御宅へ御見舞ニ罷上り、
 名札上り申候、
 金谷様御宅へ御見舞申上候、
 則御会被成、来月十日頃
 小杉御出役へ御交代等之義
 御咄被遊候、
 遠藤数馬様御宅へ御見舞ニ
 罷上り申候、明廿六日朝ゟ昼前迄
 罷出候様御申聞ニ御座候、
 西村太冲殿宅へも見舞申候、    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
一、同廿六日  天気
 朝五つ時頃日下氏旅宿へ
 相見、同道ニ而遠藤様御宅へ
 罷上り申候、今度金沢町御
 絵図遠藤様御主附被仰付、
 昨廿五日御城外廻り分間下
 役人中被致候、右下絵図等
 引被申候ニ付、此元義何角
 相談御座候、且又磁石台之
 かんとう輪鉄ニ而拵候ニ付、
 磁石方位七、八度程宛間
 違申候所見出申候、尤右
 下絵図も合不申候、
 右台ニ而遠藤殿屋根ニ而諸方
 見申候処、台東西南北与置
 直し候毎ニ支分違申候、
 かんとう輪赤銅ニ而拵申台    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
 ニ而諸方見申候処、何レも
 違不申候、昨廿五日見申場
 所之義ハ、重而其辺見申
 時分見直し申事ニ下
 役人中相談被致候、昼
 八つ時頃旅宿へ帰り、
 一、砺波能美江沼三郡下
  絵図、田辺殿へ内覧ニ入申候
  而預ケ申候、
 一、夕方ゟ日下氏宅へ見舞、
  夜五つ半時迄ニ咄合申候、
  旅宿へ帰申候、
一、同廿七日  天気    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
 一、朝五つ半時頃ゟ沢田義門様
  御宅へ御見舞申上候、暫ク御咄御座候、
  尤鏡面ノ算法壱枚上ケ申候、
 一、昼後ゟ絵具并天具定
  紙等買ニ町へ出申候、
 一、夕方ゟ河野久太郎殿方へ
  罷出申候、真数八線表
  写請取申候、且金子壱歩
  写料として中勘預ケ申候、
一、同廿八日  大雨ふり
 早朝千羽彦大夫様御宅へ
 罷上り、湶分出役入用書上
 方之義御尋申候所、湶分
 宿壱泊り三匁五分宛書出シ
 可申旨被仰候、則手附棟取    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
 小右衛門ゟ請取書指出次第、
 御渡被成旨御申聞ニ御座候、
 一、田辺様へ罷出、此間上ケ置申
  絵図御渡御座候ニ付、御暇
  申上候、
 一、四つ半時頃御役所へ罷出、
  御暇申上候、
 一、河北、石川両郡金沢廻り
  村之内、金沢付之村無家ニ
  候哉与所々田井村次郎吉等へ
  相尋申候、
 一、遠藤様へ御暇乞ニ罷出候
  所、御逗留ニ御座候ニ付、手塚
  甚五右衛門へ暇乞之義御序    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
  被申上呉候様申談候、
 一、嶋村折橋善兵衛金沢出府、
  太田村ニ出会申候、
 一、昼八つ半時頃金沢旅宿
  和泉屋猪右衛門方出立、
  七つ半時過津幡へ着、
      河合屋
         理右衛門方泊り
一、同廿九日  雨風烈し
 早朝津幡出立、高岡横田端茶屋
 ニ而中飯、七つ時過帰宅いたし、
 嶋村吉兵衛義宅へ戻り申候、
 高岡錺屋清六方へ立寄、    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
 大小磁石針早速拵金沢
 遠藤様へ上ケ申候様申談候、
 高岡大工源五郎方立寄候所、
 源五郎有合不申ニ付、内所へ
 十間鎖縄并棒弐本早速拵
 申様申談置候、
  〆
   但、午二月廿三日ゟ同
   廿九日迄、数日七ケ日
   〆
  
    金沢出府入用    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
二月廿三日
一、六百文    鳫壱羽 高岡ニ而
一、拾五文    福岡茶屋
一、五文     芹川茶屋
一、弐百五拾文  鰹ふし九本 目百四拾目
               一八かへ
一、六拾七文   立野ゟ今石動迄 
         人足壱人 酒代共
一、五百文    今石動斉藤や
           久兵衛宿賃
一、三百七拾文  今石動ゟ津幡迄
             かこ 酒代共
一、六拾六文   今石動ゟ竹橋迄
              人足
一、三拾文    くりから茶や
一、拾文     津幡茶屋    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
一、六文     わらんし壱足
一、十六文    金沢ニ而そり
一、拾弐文    風呂ちん
一、三拾壱文   八寸紙壱帖
一、三百拾文   笠弐かへ
一、百七拾六文  胡麻弐升
一、百廿文    小くわし
一、百八拾文   ひんつけ三十
一、壱貫百文   天具定紙八折
一、九文     蝋燭壱丁
一、拾四文    わらんし弐足    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
一、五拾文    丸印并肉共
一、壱貫百五拾文 胸当せつたへ
一、金壱歩弐朱    筆并 
  代弐貫四百九拾文 絵具品々
            墨屋次助
廿四日ゟ廿七日夕迄
一、弐貫文    和泉屋猪右衛門
          四泊り宿賃
一、五百文    茶代
一、百文     下女
同廿九日
一、拾弐文    わらし弐束
一、五百文    河合屋理右衛門方宿料    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
一、三百五拾文  かこ賃
一、七拾四文   人足ちん
一、三拾文    右かこ并人足三人
            酒代
一、弐拾文    くりから茶屋
一、七文     竹橋前坂茶屋
一、廿文     今石動茶屋
一、六文     わらんし壱足
一、拾弐文    同   弐足
一、三拾五文   横田端茶屋
一、四拾四文   上之ろうそく
         今石動ニ而壱包
 〆拾壱貫弐百八拾七文
   内    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
    壱貫文   銭
    五百文   手形高岡分
   同廿三日
    八百三拾文 南鐐壱片 今石動
   同廿七日
    壱歩弐朱  金壱歩弐朱
     代弐貫四百九拾文  墨屋次助
   同
    壱歩金   金沢ニ而買
     代壱貫六百五拾文
   同廿八日      
    金弐歩弐朱     同
     代四貫百五拾文
   同廿八日夕
    南鐐壱片  津幡
     代八百拾七文
   〆拾壱貫四百三拾七文
 指引〆
   百五拾文  過
  
一、六月廿九日宅出立、和田新町ゟ    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
 北嶋村、石塚村等ゟ本保村出、夫ゟ
 荒又往還へ出、
    今石動斉藤屋久兵衛方
    泊り
 同晦日金沢へ出府、新開方
 免願并道程しらへ方御用
 等相仕廻り、七月五日金沢出立、
 今石動斉藤屋ニ泊り、翌
 六日帰村仕候、
     家来ハ
      嶋村吉兵衛召連、
 右金沢逗留中日記、新開    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
 免附見分日記帳ニ書記置
 申候、
 
一、壱貫文   銭    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
一、五百文   手形
一、弐朱    壱つ 今石動
   代八百三拾文
二月廿七日
一、壱歩弐朱     墨屋次助

一、壱歩
   代壱貫六百五拾文
同廿八日
一、金弐歩弐朱
   代四貫百五拾文
 
一、日下氏ゟあつらいノ    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
  くさり早速被致申事、
一、遠藤様磁石ノ目鏡、
 かさりやゟ早速上ケ申事、
一、同磁石針かけかい、錺屋ゟ
 被致上ケ申事、
一、暦象考成表写本之義、
 日下氏等ヘ頼ミ為写可申旨
 相談いたし候、  翻刻トップ  画面トップ
        

--------------------------------------
 
[10][日記]「御内御用方金沢出府御用方覚帳」文政五年二月 [現代語訳]
 
   金沢出府御用日記    画像  翻刻  画面トップ
一、午二月二十三日  天気 西風
 早朝家を出立し、福岡町の茶屋で
 昼飯を食べ、それより矢部村、西宮森村、
 水落村等より芹川村の往還道(北陸道)まで
 四時までに廻り、今石動
 に到着。ただし、嶋村吉兵衛が早朝から来た
 ので召し連れました。
   今石動町の斉藤屋久兵衛方に宿泊。
一、同二十四日  天気
 早朝今石動を出立し、一時ごろ
 金沢に到着。
 一、千羽彦大夫様をお訪ねし、高岡
 古城外の湶分領境絵図等を
 提出しました。
 一、田辺吉兵衛様宅に参り、
  到着のご案内を申し上げました。絵図については金沢滞在  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
  中に差し上げると申し上げました。帰りました。
    金沢十間町の和泉屋猪右衛門方に宿泊。
一、同二十五日  天気
 役所へ出府をお知らせするため参りました。
 それで、御用番の浅加伊織様、長谷
 川三右衛門様宅に参り
 名札を上げました。
 金谷様宅をお訪ねしたところ、
 お会いになられ、来月十日ごろ
 小杉新町の出役を交代することなどについて
 お話しになられました。
 遠藤数馬様宅に参り
 ました。明二十六日朝より昼前まで
 出て来るようお話になられました。
 西村太冲殿宅も訪ねました。  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
一、同二十六日  天気
 朝八時ごろ日下氏が旅宿に
 お越しになり、一緒に遠藤様宅に
 参りました。このたび金沢町の御
 絵図事業の主附に遠藤様が仰せ付けられ、
 昨二十五日金沢城の外廻りの測量が下
 役人たちによって行われました。この下絵図等の
 作製に当たり、私にいろいろと
 ご相談なされました。また、磁石台の
 強盗の輪が鉄で作られていたので、
 磁石の方位が七、八度程ずつ異
 なっているところを見付けました。もっとも、この
 下絵図も合致しません。
 この台を使って遠藤殿の家の屋根であちこちの方位を
 調べたところ、台を東西南北と置き
 直すごとに方位が異なりました。
 強盗の輪を赤銅で作った台  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
 で方位を調べたところ、いずれも
 異なることはありませんでした。昨二十五日測量した場
 所については、もう一度そのあたりを調べる
 ときに見直すことにすると下
 役人たちが相談されました。昼
 二時ごろ旅宿へ帰りました。
 一、砺波・能美・江沼三郡の下
  絵図を田辺殿へ内々にご覧に入れ、
  預けました。
 一、夕方より日下氏宅を訪ね、
  夜九時まで話し合い、
  旅宿へ帰りました。
一、同二十七日  天気  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
 一、朝九時ごろより沢田義門様
  宅にお伺いしました。しばらくお話をなされました。
  そして鏡面の算法一枚を差し上げました。
 一、昼過ぎから絵の具と天狗状
  紙等を買いに町へ出ました。
 一、夕方より河野久太郎殿方を
  訪問しました。『真数八線表』の
  写しを請け取りました。とりあえず、金子一歩を
  写し料の一部として預けました。
一、同二十八日  大雨降り
 早朝千羽彦大夫様宅に
 参り、湶分への出役経費の書き上げ
 についてお尋ねしたところ、湶分の
 宿料は一泊につき三匁五分ずつ書き出す
 よう仰せられました。手附棟取  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
 小右衛門より請取書が出され次第、
 すぐにお渡しになられるとのことでした。
 一、田辺様を訪ね、この間提出した
  絵図をお渡しになられたので、お暇
  申し上げました。
 一、十一時ごろ役所へ参り、
  お暇申し上げました。
 一、河北、石川両郡の金沢周辺の
  村のうち、金沢近隣の村は家がない村
  ですかと、あちこちの村について田井村次郎吉等へ
  尋ねました。
 一、遠藤様へお暇乞いに参上した
  ところ、お留守なので、手塚
  甚五右衛門へ暇乞いをついでのときに  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
  申し上げてほしいと伝えました。
 一、嶋村の折橋善兵衛が金沢に出府。
  太田村の者に出会いました。
 一、昼二時半ごろ金沢の旅宿
  和泉屋猪右衛門方を出立、
  四時過ぎに津幡へ到着。
    河合屋理右衛門方に宿泊。
一、同二十九日  雨風烈し
 早朝津幡を出立、高岡横田端の茶屋
 で昼飯、三時過ぎ帰宅しました。
 嶋村吉兵衛は家に戻りました。
 高岡の錺屋清六方へ立ち寄り、  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
 大小の磁石針を早速作って、金沢の
 遠藤様へ差し上げるように言いました。
 高岡の大工源五郎方に立ち寄ったところ、
 源五郎はその場に居合わせなかったので、妻に
 十間の鎖縄と棒二本を早速作る
 ように申し置きました。
  〆
  但し、午二月二十三日より同
  二十九日まで日数七か日
  〆
 
    金沢出府の経費  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
二月二十三日
一、六〇〇文   雁一羽 高岡で
一、一五文    福岡茶屋
一、五文     芹川茶屋
一、二五〇文   かつおぶし九本 目一四〇目
                  一八替え
一、六七文    立野より今石動まで 
         人足一人、酒代とも
一、五〇〇文   今石動斉藤屋久兵衛宿賃
一、三七〇文   今石動より津幡まで
                  駕籠、酒代とも
一、六六文    今石動より竹橋まで人足
一、三〇文    倶利伽羅茶屋
一、一〇文    津幡茶屋  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
一、六文     わらじ一足
一、一六文    金沢で、ぞうり
一、一二文    風呂賃
一、三一文    八寸紙一帖
一、三一〇文   笠二蓋      
一、一七六文   胡麻二升
一、一二〇文   焦粉
一、一八〇文   鬢付け油三〇
一、一貫一〇〇文 天狗状紙八折
一、九文     蝋燭一丁
一、一四文    わらじ二足  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
一、五〇文    丸印と印肉とも
一、一貫一五〇文 胸当せつたへ
一、金一歩二朱  筆と絵の具品々 
  代二貫四九〇文 墨屋次助
二十四日より二十七日夕まで
一、二貫文    和泉屋猪右衛門
          四泊り宿賃
一、五〇〇文   茶代
一、一〇〇文   下女       
同二十九日
一、一二文    わらじ二束
一、五〇〇文   河合屋理右衛門方宿料  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
一、三五〇文   駕籠賃
一、七四文    人足賃
一、三〇文    右駕籠と人足三人、酒代
一、二〇文    倶利伽羅茶屋
一、七文     竹橋前坂茶屋
一、二〇文    今石動茶屋
一、六文     わらじ一足
一、一二文    同  二足
一、三五文    横田端茶屋
一、四四文    上の蝋燭
今石動で一包
 〆一一貫二八七文
   内  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
    一貫文   銭
    五〇〇文  手形高岡分
   同二十三日
    八三〇文  南鐐一片 今石動
   同二十七日
    一歩二朱  金一歩二朱
     代二貫四九〇文  墨屋次助
   同
    一歩金   金沢で両替
     代一貫六五〇文
   同二十八日
    金二歩二朱 同
     代四貫一五〇文
   同二十八日夕
    南鐐一片  津幡
     代八一七文
   〆一一貫四三七文
 差引〆
   一五〇文  過
 
一、六月二十九日に家を出立し、和田新町より  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
 北嶋村、石塚村等より本保村に出て、それより
 荒又往還に出ました。
   今石動町の斉藤屋久兵衛方に
   宿泊。
 同晦日に金沢へ出府し、新開方の
 免願いと測量方の御用
 等を終え、七月五日に金沢を出立し
 今石動の斉藤屋で泊り、翌
 六日に帰村しました。
       家来は
        嶋村吉兵衛を召し連れました。
 右の金沢逗留中の日記は、『新開  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
 免附見分日記帳』に書き記しておき
 ました。
 
一、一貫文   銭  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
一、五〇〇文  手形
一、二朱    一つ 今石動
   代八三〇文
二月二十七日
一、一歩二朱  墨屋次助

一、一歩
   代一貫六五〇文
同二十八日
一、金二歩二朱
   代四貫一五〇文
 
一、日下氏よりご注文の  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
 鎖を早速作らせること。
一、遠藤様の磁石の目鏡を
 錺屋より早速差し上げること。
一、同じく磁石針の掛け替えを錺屋より
 作らせ差し上げること。
一、『暦象考成表』の写本について
 日下氏等ヘ頼んで写させるよう
 相談しました。  現代語訳トップ  画面トップ
 
--------------------------------------
 
[11][記録]「諸郡道程調理方絵図帳面等当用覚牒」文政五年七月 [翻刻]
 
2-2-0368_00  [目録 二(二)368]      画面トップ
 

表紙  文政五年壬午七月    画像  画面トップ
 
   諸郡道程調理方絵図帳面等当用覚幉
 
             石黒藤右衛門
 
○     河北郡    画像  翻刻トップ  画面トップ
   午六月
  △、下絵図    出来
  △、道程帳    同 算当ル相済
                 十八枚
  △、郷庄村名帳  同     十八枚
   〆 上り出来ニ而
      右午九月十三日、金沢田辺様へ
      済書飛脚ニ而上ル、
  一、道程しらへ方野帳     五冊
  一、上絵図    午八月
             出来
     道程帳之表〆
     一、四拾七里弐拾弐丁弐間
      外ニ
       竹橋村ゟ九つ折村領越中境迄、
       壱里拾四丁程
      〆四拾九里弐間
 
○     石川郡    画像  翻刻トップ  画面トップ
  △、下絵図    出来
  △、郷庄村名帳  出来 弐拾三枚
  △、道程帳    出来 三拾弐枚
   〆 上り出来ニ而
      右午九月十三日清書相調
      金沢飛脚ニ而田辺殿へ遣ス、
  一、八冊   道程しらへ方野帳
     道程しらへ帳ノ上
     一、七拾三里七町三拾間
 
      能美郡    画像  翻刻トップ  画面トップ
  △、下絵図    出来
  △、郷庄村名帳  同 弐拾枚
  △、道程帳    同 三拾壱枚
   〆 上り出来ニ而
      右未二月廿一日田辺様御宅へ
      罷上り直ニ上ケ申候、
  一、道程しらへ方野  七冊
     一、百弐里壱町弐間
      内
       四十里拾丁三拾八間   御公領地
                   見図り道程
 
○     江沼郡    画像  翻刻トップ  画面トップ
  大聖寺御領分
  △、下絵図   下書
           出来
  △、郷庄村名帳 同
           同 十三枚
  △、道程帳   同
           同 拾九枚
   〆 上り出来ニ而
      右未二月廿一日田辺様御宅へ
      罷上り直ニ上ケ申候、
   見取分間野帳
  一、三冊   道程しらへ方野帳
          但、能美郡袋ニ入
    大聖寺御領道程見図り
    一、四拾八里弐拾弐丁三拾五間
   加賀四郡道程
    〆弐百七拾弐里三拾壱町九間
 
      能州口郡    画像  翻刻トップ  画面トップ
  一、下絵図    出来
  一、郷庄村名帳  同 三拾四枚
  一、道程帳    同 三拾八枚
   〆 右上り出来ニ而
      文政六年未十月十七日ニ山岸小弥太殿
      宅ニ而直ニ上ル、
  一、道程しらへ方野帳  拾壱冊
   一、百弐拾九里三拾五町弐拾五間
 
○     能州奥郡    画像  翻刻トップ  画面トップ
  一、下絵図    出来
  一、郷庄村名帳  同 三拾弐枚
  一、道程帳    同 三拾壱枚
   〆 右上り出来ニ而
      文政六年未十月十七日山岸小弥太殿
      宅ニ而直ニ上ル、
  一、道程しらへ方野帳  九冊
  一、百拾壱里弐町四拾弐間
    能州四郡道程
     〆弐百四拾壱里弐町七間
 
      砺波郡    画像  翻刻トップ  画面トップ
  一、下絵図    出来
  一、郷庄村名帳  同 四拾弐枚
  一、道程帳    同 六拾壱枚
   〆 右上り出来ニ而
      文政七年申三月九日山岸小弥太殿
      宅ニ而直ニ上ル、
  一、道程しらへ方野帳  拾弐冊
     外ニ壱冊、見取分間野帳
   〆十三冊
    惣道程数
    一、百八拾三里六丁拾弐間
 
○     射水郡    画像  翻刻トップ  画面トップ
  一、下絵図    出来
  一、郷庄村名帳  同 弐拾弐枚
  一、道程帳    同 四拾九枚
   〆 右上り出来ニ而
      文政七年申三月九日山岸小弥太殿
      宅ニ而直ニ上ル、
  一、弐冊    文政二年しらへ方
            道程分間野帳
  一、六冊    文化七年
            中郡道程しらへ野帳
  一、七冊    同
            氷見庄道程しらへ野帳
  一、六冊    同
            道程しらへ野帳
    〆弐拾壱冊     四郎右衛門手合
           外ニ 但、四郎右衛門手合壱冊
              紛失御座候、
   一、百三拾八里三十町〇四十八間
    内 三十五里三十二丁三十七間
                枝道
 
      新川郡    画像  翻刻トップ  画面トップ
  一、下絵図    出来
  一、郷庄村名帳  出来
             五拾九枚
  一、道程帳    同 七十五枚
   〆 右上り出来ニ而
      文政七年申三月九日山岸小弥太殿
      宅ニ而直ニ上ル、
  一、拾四冊     道程しらへ方野帳
      外 壱冊 立山見取分間野帳
        壱冊 見取分間野帳
        壱冊 立山下ニ而諸方支分帳
        〆十七冊
   一、弐百弐拾壱里三拾弐町〇九間
       内
      百八拾七里拾四町五拾三間
               御領分道程
      弐拾七里拾六町  富山御領分
           拾六間 見図り道程
      七里壱丁     飛州地
                見図道程
      〆
 
○     婦負郡    画像  翻刻トップ  画面トップ
   富山御領分
  一、下絵図    出来
  一、郷庄村名帳  同 弐拾三枚
  一、道程帳    同 三十二枚
   〆 右上り出来ニ而
      文政七年申三月九日山岸小弥太殿
      宅ニ而直ニ上ル、
   見取分間野帳
  一、拾冊     婦負郡并
           新川郡之内
           富山御領
   一、九拾里弐拾七町四拾三間
       但、神通川ノ西新川郡村々
       等共道程、
    越中四郡道程
     〆 六百弐拾七里弐拾三町五拾弐間
      外ニ
        七里壱町 飛州地しらへ申候、
 
  一、新川郡魚津町田地方    画像  翻刻トップ  画面トップ
     村形書入可申事、
       但、相尋申事、
  一、後立山御縮山舟見村
     太郎右衛門与相談いたし、下絵
     図相調可申事、
       しらへ相済申候、
  一、塩野大久保垣内相尋、入
     可申事、
  △、婦負郡坂下新村ハ三熊村之
    辺ニ入申事、但、絵図并帳面直し済、
       作道村魚商人ニ相尋申事、
  一、西岩瀬ゟ草嶋村へ道筋書
    入申事、
  一、大坪村ゟ山田湯へ道筋
     甚右衛門相尋可申事、
  一、高日舘村、島村、小倉村等
    道筋、
      嶋吉兵衛相尋させ
            可申事、
 
○      砺波郡和泉村    画像  翻刻トップ  画面トップ
         石崎彦三郎ゟかり
   午七月五日
  △、壱枚     飛騨国絵図
     〆 但、七月九日小杉御出役へ
       彦三郎ゟ書状相添
       至来、請取申候、
     右絵図午十一月十五日返ス申候、
  △、五ケ山絵図少し縮メ
    候而壱枚相調、石崎氏へ
    遣し可申事、約速いたし置候、
      午十一月十五日絵図相調遣し申候、
  一、土方勘左衛門殿、新川郡布市
    村辺ニ而壱万石、先年御知行
    所之村々書記御指越御座候
    様、天正寺村十右衛門并東長江村
    十左衛門へ願置申候、
      但、天正寺へハ去巳十一月
                  相談申候、
        東長江へ午七月四日
      〆
  一、舟見村太郎右衛門方へ当御参府
    御通り後、来八月罷越先達而
    早速いたし候後立山等
    御縮山絵図引直しニ    画像  翻刻トップ  画面トップ
    罷越申候様、午七月廿一日
    書状遣ス、
      但、東岩瀬足軽岩田武次郎ゟ
      相届候様頼遣候、
  △、午七月廿八日、高岡通り町
    浅野や弥平来八月四日、五日頃
    罷越、絵図調もらい申度旨
    書状遣ス、
  △、白山、立山画 相仕立可申事、
      八月七日ゟ九日迄弥兵衛来ル、下絵図相仕立申候、
  △、金沢町 立横道程指渡共
  △、加州  同断
  △、五十里村領岩渕之絵図
  一、六ケ村用水ハ中野、若杉村西ニ候哉、東ニ候哉、
    相尋可申事、
  △、円池新村ノ内山下(サンカ)
      絵図并帳面共直し済、
 
○     金沢町    画像  翻刻トップ  画面トップ
   南北立
  一、壱里弐拾八町拾七間     大樋町入口ゟ
                  泉出町入口迄道程
  一、指渡し壱里拾八町拾間
              未廿一度
   〆
   東西横
  一、壱里六町三拾間       宮腰入口ゟ
                  田井出町入口迄
  一、指渡し一里     辰十八度半
   〆
     立道
      一、千弐百六拾間    大樋町入口ゟ
         廿一丁      浅野川大橋北爪
      一、千四百五拾四間   浅野川北爪ゟ才川
         廿四丁十四間   橋西爪迄
      一、千百四拾三間    才川橋西爪ゟ
         十九丁三間    泉出町端迄
       〆三千八百五拾七間
          但、壱里廿八丁拾七間
     横道
      一、十五丁十九間    宮腰口長田出町
                  端ゟ武蔵辻迄
      一、八丁八間      武蔵辻ゟ懸作り
                  材木町入口迄往還筋
      一、拾九丁三間     懸作り往還ゟ
                  田井出町端迄
       〆壱里六町三拾間
 
      能州四郡立横如左
                  能州境高松境
  一、三里十六丁四拾間
                  津幡駅御高札
  一、弐里廿八丁五十五間
                  金沢町入口
   金沢町
  一、弐拾壱丁
                  浅野川橋北爪迄
   同
  一、廿九丁四間         野町 往還    画像  翻刻トップ  画面トップ
                     御上使道 追分
   御上使道金沢町中
  一、拾四町弐間         右追分ゟ地黄□町
                  南端入口迄
      金沢町三四合壱里廿八丁六間
   御上使道
  一、弐里三拾壱丁四拾弐間    鶴来村御高札
   同               
  一、三里十八丁四拾八間     吉野古橋迄
  一、壱里廿丁四拾九間      木滑新村
                     御口留御門迄
  一、四里拾壱町          牛首村中  
       四拾五間        
  一、壱里三拾町拾弐間
                  加賀
                    御国境谷峠
                  越前
             但、是ゟ越前国谷村へ道程
             廿丁計、又谷村ゟ勝山御
             城下へ道程三里計
    能州境ゟ 道程
    越前境迄
    〆弐拾弐里六丁五十七間
 
      加賀国
   立南北
  一、弐拾弐里七町程       能州境ゟ越前境迄
                  加州地道程
     此指渡拾八里廿八町程     午廿六度
    〆
   横東西
  一、指渡 八里三拾弐町程
             但、安宅湊ゟ五ケ山境
             大門山迄、但道筋無之
 
○      安宅湊ゟ砺波郡刀利村領御郡    画像  翻刻トップ  画面トップ
       境迄道筋
                  安宅
  一、三拾壱丁廿九間
                  梯出村往還
  一、壱里拾壱町五間
                  寺井村御高札
  一、拾九丁五十九間
                  粟生村御高札
  一、弐里廿弐丁四十四間
                  手取川宮竹村舟渡
  一、壱里五丁程
                  鶴来村迄
   是ゟ至テ山道ニ而山稼人夏中相通り申由
  一、弐里三丁程
                  後谷村迄
   同
  一、三里十八丁程
                  二又村迄
   同
  一、壱里程
                  加州越中御境刀利村へ道筋
    〆拾三里三丁十七間程
 
      覚
  一、壱枚        白山絵図
  一、壱枚        立山絵図
  一、弐本        立山白符鷹ノ羽
  一、壱通        金沢立横道程并指渡
              加賀国 同断
  一、壱枚        射水郡五十里村領岩渕ノ
                       絵図
   〆
    右午八月十九日、藤助持参仕昼頃
    宅出立、廿日田辺様御宅ニ而藤助ゟ
 
○   指上ル、同廿二日昼頃帰村    画像  翻刻トップ  画面トップ
              いたし候、
    〆
 
   石川郡絵図
     一、南北ハ九寸三分   六つ折
     一、東西ハ一尺一寸六分 三つ折
      〆
   河北郡絵図
     一、南北ハ九寸三分   四つ折  外七分
                       折返ス
                         有ル
     一、東西ハ一尺一寸六分 弐つ折
      〆
         九寸三分
分     加州
八 一寸    石川郡分間絵図
寸 五分
三     九分 六寸  三分
   両面山田紙 袋上書
     文政五年壬午九月
     加州石川郡分間絵図 ト書申候
射水郡高木村藤右衛門 
   絵図袋 幅九寸七分半
    添帳袋 幅六寸八分
         立ハ両面山田紙有合一尺一寸計
        但、二冊并テ入
      文政五年壬午十二月
      加州能美郡分間絵添帳
          射水郡高木村藤右衛門
 
   両郡絵図并帳面入     内法
     上箱 幅壱尺    長一尺二寸五分
        深 八分   長一尺三寸
          壱寸五分
 
○  九月十三日認    画像  翻刻トップ  画面トップ
  一、壱枚     石川郡分間絵図
    外
     壱冊 郷庄村名帳
     壱冊 石川郡道程町間帳
    〆
  一、壱枚     河北郡分間絵図
    外
     壱冊 郷庄村名帳
     壱冊 道程町間帳
    〆
   外ニ
     壱枚 石川郡旧絵図
     壱冊 同 村名帳
     壱枚 河北郡旧絵図
     壱冊 同 村名帳
    〆 但、此分先達而田辺様ゟ御渡し分
      返上申候、
    右壱箱ニ相認、且田辺様へ書状共
    小杉出役所ゟ吉田屋小右衛門方翌十四日、
    中川ゟ飛脚を以遣し申候、尤吉田屋
    小右衛門ゟ上ケ申様ニ書状遣申候、
 
   午九月十六日認ニ而書状相添至来、
  一、壱枚 越中国飛騨之合形御絵図
  一、壱冊 加越能三ケ国御絵図被仰付覚書
         婦負郡之部
  一、弐冊 同断      乾坤
         新川郡部
    〆田辺様ゟ御渡、
 
   天正寺村十次郎、東長江村十左衛門へ    画像  翻刻トップ  画面トップ
   相尋可申事、左之通り、
    婦負郡之内村立左之通り、
        長沢郷
       計 長 富崎村
       丁    田中郷
       十    田 鉾木村
        田中郷
       計 田 森田村
       丁   但、此森田村婦負郡御絵図并村名帳
       五   無御座候、
        同
        田 三田村
    右森田村先達而御上被成候婦負郡
    絵図并村名帳ニ無御座候、右村書洩候哉、
    又婦負郡田中郷ニ森田村無御座候哉、又ハ
    何村之垣内ニ而候哉、御聞合被成御しらせ
    可被下候、右図引之通森田ト申垣内
    御座候得共、御領違ニ而委ク義相知不申候、
    御座候間、乍御邪魔実正之所御内密ニ而
    御聞糺御しらせ被下候様、御願申上候、以上、
     午十月         高木村
                   藤右衛門
      金山十次郎様
      東長江村十左衛門様
 
○   婦負郡楡原村郷    画像  翻刻トップ  画面トップ
      但、八尾ノ上仁部谷村立左之通り
 
      楡 大下村
      楡 下仁部村
      楡 中仁部村 但、中仁部、婦負郡
             御絵図并村名帳ニ
             無御座候、
      楡 上仁部村
    右中仁部村ハ高三拾八石、家数拾壱軒村肝煎も
    有之由風評承り候得共、先達而御上ケ
    被成候婦負郡絵図并村名帳ニ無御座候
    間、右村書洩ニ候哉、又何村之垣内ニ
    候哉、
    右図引之通り中仁部ト申垣内
    御座候得共、御領違ニ而委ク義相知不申候、
 
    右森田村、中仁部村、婦負郡ニ
    又右等之村名無御座候□□
    御内分御聞合、実正之所御しらへ可被下候
    様御願申上候、右得御意度如此ニ
    御座候、以上、
    〆
     午    画像  翻刻トップ  画面トップ
      十月        高木村
                  藤右衛門
      金山十次郎様
      東長江十左衛門様
    追啓長      御壮健ニ御勤達可被遊
 尚々不得貴意御物遠相暮申候、益
    御座候哉、珍重ニ奉存候、然ニ漸々御難題之
    義ニ御座候得共、右婦負郡村々私方ニ而実正之義
    相しらへかたく御座候間漸々御多様之中申上置候
    得共、御内分御聞糺被成、御しらへ被下候様奉願上候、以上、
  一、      新川郡加積郷
              大坪村
     家五軒有之旨申聞候、
      但、安田村、赤浜村辺ニ有之村方、
  一、          石田新村
     家壱軒有之旨申聞候、
       同郡布施保内ニ三ケ村有之、
       高野郷ニ壱ケ村有之、〆四ケ村之内、
    〆
  一、      同郡入部郷
              橋場新村
     家壱軒有之由
        申来候、
    〆 三ケ村
    右大坪村、石田新村、橋場新村
    先達而無家村之旨御書上被成、
    其後文化十四年ニ御上ケ被成村名
    帳ニ無家村之印無御座候、右三ケ村共
    無家村候哉、又大家御座候哉、
 
○   御しらへ被成委細御しらせ    画像  翻刻トップ  画面トップ
             可被下候、
     午
      十月廿六日   高木村
                藤右衛門
      金山十次郎様     同廿七日
      東長江十左衛門様   小杉御出役所
                 役十村中方へ
                 遣候、
  一、魚津町田地方と申村、先達而御尋申上候所、百拾弐軒
    有壱軒ハ六郎丸村、壱軒ハ袋村ニ居住仕候由被仰遣
    奉承置候、併右村領ハ魚津辺ニ候哉、又六郎丸村辺ニ
    候哉、領之有所御しらへ被成御申越可被下候、村形ヲ
    絵図面ニ入申度ニ付如此御座候、
  一、右御尋申上度如此御座候、早速御しらへ
    能々委細御申越可被下候、以上、
  一、石川郡中宮村ノ手楫橋ゟ
    中宮温泉迄道程弐里弐拾間程と
    添帳ニ相調上ケ申候得共、拾町相増
    弐里拾町廿間程相直し可申事、
  一、松任ゟ坂尻村迄道筋
      添帳坂尻と相調候哉無心元
      候間、坂尻と書直し可申事、
   右十一月、田辺様へ書状相認遣し申候、
  一、新川郡辰尾村在所相尋可申事、    画像  翻刻トップ  画面トップ
     塩野、大久保村
      往来道所々ヲ町大久保と云、
      又岡田屋等作小屋ノ辺ヲ
      東大久保と云、
      塩村ノ前ニ家十軒有之由
      西大久保と云、
     〆
      右舟倉野作人次郎八相尋
      候処如此申聞候、
  一、能州口郡高畠村辺吉兵衛
    能州へ来春薬売ニ罷越候節、
    聞合申度事、
      能州惣年寄高田由五郎等へ
      相尋申処、相分り申候、
 
○ 一、砺波郡才川七村之領ニ白はけ    画像  翻刻トップ  画面トップ
    山与唱申山有之哉之旨、右郡
    へ相尋候処、白はけ山ハ
    河北郡ノ山ニ御座候旨申来候、
    則才川七村、香城寺村、広谷村
    三ケ村ゟ田中村覚兵衛方へ
    案内書物砺波郡ゟ遣し申候、
    午十二月十日、石崎氏、五十嵐氏
    ゟ書状至来、
     〆
   加州四郡入かふせふた
  一、絵図箱 内法  長壱尺三寸
            幅壱尺
            深壱寸五分
     右大工源五郎ニ為致可申事、
 
    文政五年壬午十二月
 
右箱        四   八
上書 加賀四郡分間絵  添帳 入
          枚   冊
 
  一、能美郡絵図
     南北 九寸三分宛     五折ト五寸八分一折
     東西 壱尺一寸六分宛   三折ト八寸五分一折
     〆
  一、江沼郡絵図
     南北 九寸三分宛     三折ト六寸六分一折
     東西 壱尺一寸六分宛   弐折ト三寸一分一折
     〆
      右文政五年壬午十二月と絵図
      帳面袋上書等書申候、
      印此元印章之義相用ヒ    画像  翻刻トップ  画面トップ
      申候、
 
右袋
上書  文政五年壬午十二月
   加州能美郡分間絵添帳
    射水郡高木村
            藤右衛門
 
    文政五年壬午十二月
   加州江沼郡見取分間絵添帳
       射水郡高木村
            藤右衛門
 
  一、飛騨国絵図写未二月
    廿一日、田辺様へ上ケ申候、
  一、立山後御縮山下絵図   一枚
     外ニ
      信州松本領絵図   壱枚
      鷲羽岳ノ辺三州境絵 小絵図
                壱枚
       此弐枚ハ舟見村太郎右衛門ゟ去年
       借申絵図、此度相返候、
      〆 壱符弐重包ニして
        未三月八日、小杉御出役所へ遣ス、
      右四月二日認右絵図書状相添、小杉御出役所ゟ
      至来請取申候、
      〆
  一、戸出竹村や七郎右衛門行状壱封、高岡増山や
    出ス、使下次郎、嶋村瑞四郎、
  一、三階村北村覚右衛門ゟ同郡高岡横田村家立
    之所書記、書状相添壱封未三月七日小杉
    御出役所ゟ至来、御郡絵図夫々引直し
    申候、且土方領外林村、カナ付も申来ニ付
    帳面直し申候、
  一、三月七日、砺波郡杉木新町ノ辺絵図
    みの紙ニ書申候、但、重而砺波郡行申時分
    是ニ而川筋直し可申事、
 
○ 一、当十七日迄杉木御出役所絵図方之義ニ付    画像  翻刻トップ  画面トップ
    罷こし可申旨、五十嵐氏ゟ書状至来
    候得共、少相滞未タ尓々不仕候ニ付、廿日過ニ而
    重而御談之時分御しらせ可被下候、返状
    三月十四日小杉御出役へ遣ス、
  一、河北郡高松御高札ゟ今浜御高札
    迄道程弐里壱町四拾三間也、
      但、河北郡道程帳ニ弐里弐町弐拾三間
      計申ハ書損也、書直し可申事、
   未三月廿日認
  一、田辺様行壱封、金谷様行壱封、
    日下氏へ壱封、
   〆三月廿二日金沢迄嶋村吉兵衛へ相渡、
   三月廿六日認
  一、壱封書状田辺吉平様ゟ
     三月廿九日小杉御出役所ゟ飛脚、
      但、富山ゟ高山へ之道筋町間付
      可相指越旨申来候ニ付、富山ゟ加賀沢
      村領飛州境迄道程町間相記、四月十三日
      書状相認、吉田屋小右衛門へ遣ス、但小杉御出役所へ
      出ス、
     〆
  一、新川郡山田新村、江田新村
    浜石田新村之分、未四月七日ニ東長江村十左衛門へ
    舟倉野ニ而尋申書物壱枚相渡、
    東長江村十左衛門ゟ委細付札ニ而申参ル、
   砺波
  一、六ケ村用水江筋ハ中野、若杉村ノ西下領
    ヲ通り申候、村ハ中領ニ御座候、
  一、針山用水ハ六ケ用水ゟ五、六間計西ノ方ヲ
    通り申候、且安川村中も通り申候、
      但、今泉村中、瀧村西家腰ヲ通り
      申由、
     〆
 
      能州 立横    画像  翻刻トップ  画面トップ
   立
  一、高松境ゟ三崎金剛崎迄
    指渡弐拾五里拾五町程  丑廿一度
   立
  一、三国山ゟ三崎金剛崎迄指渡
    弐拾五里弐拾七町程、   丑十六度
     一、横ハ弐里半ゟ八里半迄、
       平均五里拾三町程、
      〆
    横
    一、射水、砺波、羽咋三郡境ゟ川尻川尻迄、
      弐里三拾三丁程、
    一、射水、羽咋、鹿嶋三郡境ゟ羽咋川尻
      迄指渡弐里弐拾壱町程、
  六里三拾壱丁
    一、大泊りゟ安部屋迄指渡六里三十壱丁程、
    一、島地ノ鰀目ゟ羽咋、鳳至郡境迄
      指渡八里拾七丁程、
    一、鵜川ゟ黒嶋迄指渡
      八里四丁程、
    一、鵜川ゟ輪嶋迄指渡
      六里拾八丁程、
    一、鳳至、珠洲御郡境東西指
      渡四里三拾四丁程、
    一、正院ゟ折戸迄指渡
      弐里拾九丁程、
     〆
    右未四月十七日能州四郡
    絵図面ニ依而しらへ出し申候、
 
○ 一、五月廿八日、金山十次郎、東長江十左衛門    画像  翻刻トップ  画面トップ
    方へ婦負郡中仁歩、木林村并新川郡
    大坪新、石田新、橋場新村之義書状を以
    尋ニ遣ス、
      天正寺ゟ返状書付を以申越相済、
      婦負郡之事不申参候、
  一、射水郡伏木岩崎国分村沖ニ有之島ヲ
    男岩ト云、雨晴ノ東ニ有ル島ヲ女岩と云
    由、伏木辺之者申聞候、
   未七月十四日、下絵図面ニ而しらへ
 
    新川郡 越中国
   立
  一、倶利伽羅ゟ境川迄
    指渡弐拾里三十二町   寅廿度
   又
   立
         信州
  一、倶利伽羅ゟ  境迄
         越後
    指渡弐拾壱里三十四丁  卯十度
   横
   東
  一、境川ゟ鷲ケ岳迄     午十六ト九
    指渡十七里五丁
   中
           高山川
  一、東岩川湊ゟ猪谷   落合 午十四ト
           高原川
    指渡八里廿八丁
   西
  一、脇村ゟ五ケ山子スか谷境迄   午十九ト
    指渡廿里弐丁
   右三ケ所平均 拾五里拾弐丁程
    〆
 
○  かふせふた    画像  翻刻トップ  画面トップ
  一、能州四郡絵図箱  かふせふた
         長壱尺三寸  桐木仕立
      内法 横壱尺
         深サ壱寸五分 一寸三分ニ而も
                可然事
      右九月十日、大工源五郎方申遣候、    画像  翻刻トップ  画面トップ
      但、廿二、三日頃迄ニ相仕立候様
      申遣置候、
       廿三日ニ取寄申候、
 
  一、新川郡絵図袋外同様事、    画像  翻刻トップ  画面トップ
    添帳入ハ少し幅延し申事、
  一、越中絵図箱深二寸ニ而も
            可然事、
 
袋    文政六年癸未五月
上     羽咋           分
書   能州  口郡分間絵図添帳    八
       鹿島            寸
         射水郡高木村    六
             藤右衛門
絵図    羽咋
表   能州  口郡分間絵図
      鹿島
 
     文政六年癸未五月
絵図    羽咋            半
袋  能州  口郡分間絵図      分
上    鹿島            七
 書         射水郡高木村   寸
             藤右衛門   九
 

箱   文政六年癸未五月
          弐  四
上  能州四郡分間絵 添帳 入
書         枚  冊
 
○ 一、能州口郡絵図    画像  翻刻トップ  画面トップ
     南北 九寸三分宛    六折ト六寸五分一折
     東西 一尺一寸六分宛  三折ト九寸四分一折
      〆
  一、能州奥郡絵図
     東西 九寸三分宛    六折ト七寸八分一折
     南北 一尺一寸六分宛  四折ト六寸五分一折
      〆
      外 舳倉島
       立 八寸七分 六折
       横 一尺一寸三分 一折 六寸八分折
     一、能州口郡道程帳算当り上り帳
       之分、未六月十二日ニ仕候、
  一、婦負郡絵図
     南北 九寸三分    五折ト五寸
     東西 一尺一寸六分  弐折ト八寸
  一、射水郡絵図
     南北 九寸三分    四折ト五寸
     東西 一尺一寸六分  三折
  一、砺波郡絵図
     南北 九寸三分    七折ト三寸
     東西 一尺一寸六分  三折
  一、新川郡絵図    画像  翻刻トップ  画面トップ
     東西 九寸三分    八折ト一寸三分
     南北 一尺一寸六分  五折
   右上箱 長壱尺三寸
       幅壱尺
       深二寸 内法也 かふせふた
 
     文政六年癸未九月
           四  八
    越中四郡分間絵図 添帳 入
           枚  冊
 
○     天狗状ニ而絵図紙左之通り    画像  翻刻トップ  画面トップ
  △、立 三枚
    横 弐枚半    河北     七枚半
  △、立 四枚半
    横 四枚     石川     十八枚
  △、立 四枚半
    横 五枚     能美     廿弐枚半
  △、立 三枚
    横 三枚     江沼     九枚
    〆
  △、口郡   立 五枚
         横 五枚       弐拾五枚
  △、奥郡   立 五枚
         横 六枚       三拾枚
    〆
  △、礪波郡  立 五枚半
         横 四枚       弐拾弐枚半
  △、婦負郡  立 四枚半
         横 三枚半      拾五枚
  △、新川郡  立 六枚
         横 七枚       四十二枚
    〆
  △、射水郡  立 三枚半
         横 四枚       拾四枚
    〆  翻刻トップ  画面トップ
 

--------------------------------------
 
[12][日記]「御内御用方金沢出府御用方覚帳」文政六年二月・十月・文政七年三月 [翻刻]
現代語訳    画像
 
2-2-0388_00  [目録 二(二)388]      画面トップ
 

(表紙)    画像  現代語訳  画面トップ
「 文政六年
    未二月十七日ゟ同廿五日迄
    未十月十四日ゟ同廿日迄
  文政七年
    申三月六日ゟ同十四日迄
 御内御用方
 金沢出府御用方覚帳
          石黒藤右衛門 」
 
一、未二月十七日 天気 朝六つ時頃宅出立    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
 但、嶋村吉兵衛十六日泊り懸ニ罷越召連申候、
         津幡河合屋理右衛門方泊り
一、同十八日  天気 早朝津幡出立、四つ時頃
 金沢へ着、中飯喰、御根役所へ罷出申候、
 御場仕廻りニ能美郡、江沼郡分間絵図
 并添帳、御奉行所へ入御内覧申候、
 一、七つ半時頃ゟ田辺殿へ上下ニ而去暮御
  加増之御祝義申上候、罷帰り、
 一、夕飯後、中川旅宿へ見舞申候、
       金沢十間町和泉屋
             猪右衛門方泊り
一、同十九日 天気 朝飯後、嶋、内嶋、天正寺
 旅宿へ見舞申候、又日下、河野、西村へ
 見舞候処、皆々町間方御用出役之留主ニ御座候、
 沢田殿ヘ見舞候処、御取込之様子ニ而、名札上ケ
 帰り申候、手附棟取小右衛門方へ見舞申候、
 一、口郡三階村覚右衛門旅宿へ罷出、口郡
  無家村郷庄附、土方領之内五ケ村仮名    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
  附聞合相記申候、且高畠村、福田村、
  藤井村有所等重而相しらへ、御申越
  御座候様、高畠村等家立之見取絵
  図相渡申候、
一、二月廿日 天気 朝前金谷様御
 宅へ罷出、舟倉野之義御内分申上候、
 越中高付帳壱冊借用仕候、
 一、夕方ゟ遠藤様へ罷出候処、測量方
  役人中相見へ、夜九つ時頃迄咄いたし
  帰り申候、
一、同廿一日  同
 朝飯後、中川、嶋、吉田屋へ見舞、昼後
 田辺殿へ能美郡、江沼分間絵図并添帳
 且両郡御絵図、村名帳、先達而御渡之分指上
 申候、山岸小弥太、田辺殿御宅ニ而会申候、
 一、暮合ゟ新川郡天正寺旅宿へ罷出、舟倉
  野等之義相談仕候、
一、同廿二日  同
 中川、内嶋、高田、和泉、沼保、山田    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
 旅宿へ見舞、昼後塩屋与三兵衛ゟ算学
 鉤致壱部、日本絵図壱枚買申候、
 一、有賀甚六郎様御転役被遊候、為挨拶
  上下ニ而罷出、夫ゟ直クニ日下氏宅へ
  罷出、夜四つ時過迄咄、且河野氏も
  相見ヘ申候、
一、同廿三日
 早朝金谷様へ罷上り、暦象考成表
 拾壱冊返上申候、且大聖寺御領分
 江沼郡等村名附帳面書記上ケ申候、
 一、四つ半時頃御根役所へ罷出、御暇乞
  仕候、
    御用番
      金谷佐大夫様
      内藤十兵衛様
 一、二月廿二日、此元諸郡丁見方御用
  誓紙前書、添書所ゟ御横目ヘ
  御達之上、写壱枚添書所ゟ直ニ
  御渡御座候、
 一、御根役所へ江沼郡絵図壱枚    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
  相調上ケ可申旨、金谷様ゟ
  御申談ニ御座候、
一、二月廿三日 八つ時頃雨ふり北風
 田辺様ゟ昼後罷出候、砺波郡
 射水郡東西南北之郡境村名
 等夫々指図仕候、
 但、砺波郡ハ西ハくりから、東ハ和田新町、
 北者能州境沢川、南ハ飛州境
 水無村、射水郡西ハ横田、東ハ
 利波新、北ハ能州境脇、南串田
 之由申上候、
 越後国絵図等かり申候、御暇乞
 申候、帰り、但絵代与して金百疋被下候、
 一、七つ半時頃ゟ河野氏へ罷出、夜
  九つ時頃迄咄いたし罷帰申候、
  日下氏も被罷出候、
一、同廿四日  北風
 朝飯後、中川、嶋、内嶋へ暇乞    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
 ニ罷出、帰り、
 遠藤様罷出候所、御留主ニ御座候、
 但、河野氏等四人罷在、斗圭師も
 居申候、則尺斗圭等見申候、
 昼後金沢旅宿和泉屋
   猪右衛門方出立申候、
   津幡河合屋
      理右衛門方泊り
一、同廿五日  北風
 早朝出立、かこニ而今石動迄、同所ゟ
 舟ニ而横田上り、昼七つ時頃帰宅、
 吉兵衛義宅へ罷帰申候、
 一、下次郎嶋村湍四郎方へ、今石動上野町御□
  今村や利右衛門方へ書状出ス、
        
  金沢出府入用  未二月十七ゟ同廿五日迄    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
          日数九日
未二月十七日
一、七百五拾文  高岡ニ而鴨壱ちかい     
一、弐百五拾文  鰹ふし七本 目百四拾目
                 一八かへ
一、拾文     福岡町茶屋
一、六文     わらんし壱足
一、三拾弐文   今石動茶屋中飯入用
一、五拾文    くりから茶屋 
           酒出申ニ付茶代
一、三百五拾文  今石動ゟ津幡迄かこ人足
一、七拾文    人足壱人 今石動
一、拾七文    同    竹橋
一、弐拾四文   人足酒代
一、五文     竹橋前坂茶屋
一、五百文    津幡河合屋理右衛門宿払
同十八日
一、拾弐文    わらんし弐足
一、五文     柳橋茶屋
一、百六拾文   胡麻弐升代 吉田屋    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
                年頭
一、拾三文    末寺さいせん
一、六文     そうり壱足
一、拾文     同
一、百五拾文   菓子壱袋  田辺様御子へ
一、三拾九文   ひんつけ より
一、三拾文    河野氏遣之者へ為取
一、三文     にいごう縄
一、七文     わらし壱足
未二月十八日ゟ廿三日迄六泊り
一、三貫文    和泉屋猪右衛門宿払
一、五百文    茶代
一、百文     下女
廿四日
一、拾文     大根種
一、拾文     今町茶屋
同廿四日夕    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
一、五百文    津幡河合屋理右衛門上下宿払
一、三百五拾文  津幡ゟかこ人足
一、百文     津幡ゟ今石動迄人足壱人
一、拾文     人足酒代
一、五文     竹橋前坂茶屋
一、弐拾文    くりから茶屋
一、六文     わらんし壱足
一、拾五文    今石動茶屋
一、拾五文    福町茶屋
一、百三拾文   舟賃
一、廿六文    高岡橋爪茶屋 中飯
   〆七貫弐百九拾六文
一、弐百五拾文  酒弐升
一、四拾文    ぬり入壱つ
一、弐拾八文   八寸紙壱帖
一、百四拾九文  去年たち付代    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
         不足 和泉屋へ
一、四拾八文   すきくし櫛壱枚
一、三百文    ひんつけ五十匁
一、弐拾七文   縄手より三わ
一、百四拾文   つか袋壱つ 但はんくわい
一、弐百弐拾文  足袋壱足 但十文
一、三百五拾弐文 日下氏へ書物写料
         指引不足
一、三百文    雪平真書筆等六本代
一、弐百文    一寸ノ絵はけ
一、壱貫六百八拾文 蓑壱つ 内 九百文 みの
                五百五拾文 阿ミ
                弐百弐拾文 ゑり等
一、三百九拾文  笠弐かへ 但ずきあて等共
一、五百四拾文  丸合羽壱枚
一、百七拾文   唐油壱枚
一、弐貫八百文  奥嶋たちつけ 和泉屋
同廿四日    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
一、弐貫六百六拾文 金壱歩弐朱 塩屋 
          銭弐百文   与三兵衛
   但、八百五拾文 鉤致壱部 壱貫八百拾文 日本絵図
   〆拾貫弐百六拾弐文
 惣入用銭
   〆拾七貫五百五拾八文
    内
     壱貫文   銭
     五百文   同手形壱枚
     十七日
     八百拾五文 南鐐壱片 津幡
     銀百目   金沢ニ而 和泉屋へ売
      代拾貫弐百八拾文
     金壱歩   同
      代壱貫六百四拾文
     南鐐壱片  津幡
      代八百拾五文
     金壱歩弐朱  塩屋与三兵衛
      代弐貫四百六拾文
       〆拾七貫五百拾文
       〆相済 但、四拾八文過相見申候、
    未二月廿三日    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
   一、田辺様為祝義金子百疋貰申候、
   一、河野氏ゟ翁饅頭壱袋貰申候、
   一、和泉屋ゟも同断
      外ニ岡野友助書申横物壱枚貰申候、
      又額ニ仕候ハヽ可然事、
     未二月十七日ゟ同廿五日
     日数九日 吉兵衛召連
 
     金沢出府御用    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
一、未十月十四日  天気 宅出立、半助
 召連申候、夕方津幡へ着、
    津幡 河合屋
         理右衛門方泊り
一、同十五日  時々雨ふり
 津幡明六つ時前出立、金沢へ
 四つ前ニ着、御根役所着之案内
 旁罷出候、此度能州絵図上ケニ
 罷出、御内覧被下候哉申上候処、
 明十六日御役所指出候様被仰候、
 御用番 千羽様、石黒様
 一、田辺吉平様八月廿六日ニ
  御病死ニ付、右吊ニ罷上り申候、
  但、先達而御渡書物、惣而山岸殿ヘ上可申与
                  御申談御座候、
 一、山岸小弥太殿宅へ罷出、今日    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
  出府之義申上候、御絵図方之義
  申上候、夜御飯等被下候事、
 一、嶋、中川旅宿へ見舞ニ罷出候、
        和泉屋猪右衛門方泊り
一、同十六日  雨ふり
 朝飯後、御根役所へ罷出、能州
 絵図帳面箱共ニ上ケ申候
 処、御覧被成、八つ時頃御渡
 御座候、
 御用番 広瀬欣左衛門様
     関屋平馬様
 一、天正寺村十次郎旅宿へ見舞、
 一、夕方ゟ遠藤様へ御見舞申上候、
  夜九つ半時過帰り、
一、同十七日  雨降
 内嶋旅宿へ見舞、東末寺へ参詣、
 昼後ゟ山岸小弥太殿宅へ    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
 罷上り、能州四郡絵図帳面并
 田辺様ゟ御渡之絵図等上ケ申候、同人
 文政二年御改作所ゟ諸郡へ道程しらへ方
 御廻文、并御算用場ゟ六月諸郡町在
 共御廻文之写仕上ケ申候、
 一、夕方ゟ日下氏宅へ罷出、夜九つ時頃
  旅宿へ帰り、
 一、三州共一国壱枚小絵図、追而被仰渡
  有之候ハヽ可相調旨、山岸殿ゟ
  御内分御相談仕置候事、
一、十八日  天気
 昼前御根役所へ罷出、御暇申上候、
 昼後沼保旅宿へ見舞申候、
 一、夕合ゟ河野氏宅へ罷上り、夜九つ
  時過帰り、
一、十九日  同
 南氏、折橋氏、小右衛門方へ見舞、
 并内嶋旅宿へも見舞申候、
 昼後金沢旅宿和泉や猪右衛門方    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
 出立、夕方津幡着、
       河合や理右衛門方泊り
一、廿日  南風雨ふり 
 暮合ニ帰宅仕候、
     一、十五日ゟ十八日迄四泊り
         金沢十間町和泉屋
               猪右衛門方
    〆
     一、蓬来饅頭壱袋 河野氏ゟ
                 貰申候
 
      金沢出府入用    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
十月十四日
一、五文    福岡茶や
一、三拾五文  今石動茶や 中飯
一、拾五文   くりから茶や
一、百三拾文  かこ人足并荷物壱人共
一、拾文    酒代
一、五文    たはこ
同十五日
一、五百文   津幡河合や理右衛門方
              弐人宿料
一、拾文    柳橋茶や わらんし共
一、拾文    そうり壱束
同十七日
一、五文    末寺散銭
一、拾五文   ふし五袋
一、五拾文   印肉
一、六百文   筆等代 墨屋次助
一、三拾九文  うすヾみ紙四拾三枚
一、四百七十文 笠三かひ并頭つけ弐つ    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
一、十文    唐かさ古紙并小な□共
一、十八文   ひんつけ三つ
一、廿四文   より三わ
一、五文    たはこ
一、百八十文  ひんつけ三十
一、六文    わらんし
一、四百八拾文 花橘壱箱 田辺様へ使物
一、弐百文   胡麻弐袋 重而山岸様へ使物
             和泉ヤへ預り中勘
  但、胡麻弐升弐、三合計、代銭跡ニ而為引候事
一、五百八拾文 □合羽六百三拾文之内
        古合羽五十文引残り
一、拾文    ろうそく壱丁
一、弐貫文   四泊り宿料 和泉屋猪右衛門
一、五百文   同 茶代
一、百文    同 下女為取銭    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
十月十九日
一、五文    今町村茶や
一、五百文   津幡河合や理右衛門方
           上下弐人宿料
一、三百五拾文 かこ壱丁人足代
一、七拾文   竹橋ゟ石動迄荷物
一、廿文    人足酒代
一、拾五文   くりから茶や
一、十文    今石動茶や
一、百文    福町長次郎茶や
   此内五拾文、願海寺村次郎右衛門へかし
一、拾壱文   わらんし弐足
一、五文    たはこ
一、八拾四文  ろうそく弐包
一、五文    福岡茶や
一、弐拾壱文  小ふし
  〆七貫六百八文
   内    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
    壱貫弐百文   十四日銭持参
    壱貫六百四拾文 金壱歩
    四貫百廿五文  同弐歩弐朱
    八百拾文    同弐朱 津幡ニ而
    〆七貫七百七十五文
    此内
     百六十七文  残り銭
   〆
    右未十月十四日ゟ廿日迄、日数七日
    半助召連申候、
       
 文政七年    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
    金沢出府御用
         天気
一、申三月六日  宅明六つ時頃出
 立、七つ時過ニ津幡へ着、
       河合屋理右衛門方泊り
       但、家来ニ半助召連
一、同七日  天気
 津幡六つ半時頃出立ニ而、
 昼四つ時頃金沢へ着、
     和泉屋猪右衛門方泊り
 一、中川、嶋并吉田屋へ見舞
  申候、
 一、八つ半時頃ゟ山岸小弥太様
  宅へ罷上り、着之御案内    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
  申上候、越中四郡絵図等
  出来仕旨申候、御役所へ内覧ニ
  入候上、絵図并帳面上ケ可申候
  旨申上候、且御入用本勘銀
  書上、御目ニ懸申候、
一、三月八日  南風
 早朝広瀬欣左衛門様御宅へ
 罷出、道程しらへ方御入用
 本勘書懸御目、越中四郡
 御絵図等出来ニ付、今日
 御場ニ御内覧ニ入可申旨
 申上候、扨先達而被仰
 談候歩苅算法書、
 并歩苅帳ニ張札いたし、
 相添上ケ申候、    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
 松江多左衛門様御宅へ御着
 之御案内申上候、
 一、四つ半時頃御場へ罷出候、
  御絵図并添帳内覧ニ入、
  御返御座候、御入用本勘
  書上ケ申候、
 一、江沼郡分間絵図壱枚御根役所へ上ル、
     御用番
      広瀬欣左衛門様 
      松江多左衛門様
 一、七つ半時過ゟ遠藤様へ
  罷上り候処、西村氏、河野氏、
  日下氏、三角風蔵有合
  申候而、色々咄いたし候、
  御絵図等遠藤様へ内覧、
  且西村氏等も見被申候、    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
  夜四つ半時ゟ旅宿へ帰り、
一、同九日  天気 夜四つ時頃ゟ
          雨ふり
 朝過折橋氏へ旅宿へ罷出
 申候、脇指ノ銘有之物与
 引替度旨相談いたし候、
 少し足銀いたし候ハヽ、幾重
 ニも可仕旨ニ付、此元脇指
 遣し申事ニ相談いたし候、
 翌十日ニ折橋氏へ脇指為持遣候、
 且替さや三拾目計ニ而誂申候、
 一、昼後ゟ山岸小弥太殿へ罷出、
  越中四郡分間絵図并添帳共
  壱箱ニ入上ケ申候、
  又田辺様ゟ先達而御渡之越中
  四郡絵図并村名帳不残    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
  山岸殿へ御返上申候、
 一、河北郡小絵図壱枚、墨引絵図
  ノ侭ニ上ケ申候、山岸様ゟ御申
  聞ハ、御用部へ懸御目小絵図
  被仰渡候得者、此墨引絵図
  重而相返可申旨御申聞ニ御座候、
 一、八ノ宮様ノ御歌、中納言家持公
  御歌并放生津潟中宮ノ旧記、
  山岸様へ上ケ申候、
  七つ時過旅宿へ帰り、
 一、河野久太郎殿方へ罷出、算法
  等之咄し仕居、夜九つ半時ニ
  旅宿へ帰り、
一、同十日  雨降    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
 南氏旅宿并塩屋与三兵衛方へも
 罷出候、
 昼後宮方政之丞殿へ罷上り、
 夫々御内御尋之品御申聞
 御座候、
 七つ半時過ゟ日下氏へ罷出、
 夜九つ時頃旅宿へ帰り、
一、同十一日  天気
 御根役所へ四つ半時頃御暇ニ
 罷出申候、
 一、山岸小弥太殿養母御病死ニ付、
  御吊ニ上下ニ而罷出申候、
 一、田辺様へ御見舞申上候、但くわし
  箱壱つ上ケ申候、
 一、四つ時頃宮方政之丞殿旅宿迄、
  越中四郡御絵図之義御尋之    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
  書物御持参ニ而立寄、御渡受取
  申候、
  遠藤様御暇乞、西村氏へ見舞、
一、十二日  天気 夕方ゟ雨ふり
 折橋氏旅宿見舞申候、替さや
 之義相頼申候、夫ゟ東末寺へ参詣、
 一、田辺様ゟ呼ニ参り候ニ付罷出候所、
  羽織壱枚并銀封被下候、
 一、七つ時頃ゟ宮方殿へ暇乞ニ罷出候
  所、くず切ヲ御出御座候、夕方帰り、
 一、夕方ゟ河野氏へ罷出候、日下氏も
  御出算法等之義咄いたし、九つ半時頃
  旅宿ヘ帰り、
   日下氏ゟ磁石針大盤ノ
   替針壱本誂、但遠藤様
   ニ御座候由、
一、同十三日  雨ふり    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
 朝飯後、南氏、折橋氏、吉田屋
 へ暇乞ニ罷出申候、
 昼後金沢和泉屋猪右衛門方
 出立、七つ時過津幡理右衛門方ヘ泊り、
一、同十四日  天気
 早朝津幡出立、福町ゟ舟ニ乗り
 高岡横田町上り、但今石動福町
 茶屋ニ而中飯、七つ時頃帰宅仕候、
   〆 日数九日
      七日ゟ十二日迄、和泉屋猪右衛門
      方泊り、
        
    金沢出府入用    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
申三月六日
一、四百五拾文   鴨壱羽 高岡ニ而
             山岸殿使物
一、五文      福岡町茶や
一、拾弐文     わらんし弐足
一、七拾三文    高岡ゟ今石動へ人足賃銭
                   酒代共
一、十六文     同酒代
一、廿五文     竹橋人足賃銭 同断
一、弐百六拾文   鰹ふし七本 目百五拾目
           一八かへ 今石動ニ而
一、六文      たはこ
一、弐拾文     倶利伽羅茶や
一、三拾文     今石動茶や 中飯
一、三百七十文   かこ人足 酒代共
一、七十五文    今石動ゟ竹橋人足 酒代共
同七日朝
一、五百文     津幡河合屋理右衛門
             上下弐人宿料
一、拾弐文     わらし弐足
一、五文      今町茶や
一、八文      たはこ
一、百九拾文    胡麻弐升 吉田屋ヘ使    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
一、三百七拾文   花橘五十入壱箱 折橋ヘ遣
            六
一、六百五拾文   丸合羽壱枚代
一、三百三拾五文  髪附五十五 内五つかた
一、百七拾五文   笠壱かへ 笠残分
一、拾文      同つつみ申古かさ紙
一、拾文      そり壱足
一、三百四拾文   雪平筆六本代三百文
          外ニ四十文 木地壱つ 墨屋次助
一、弐拾三文    ふし十匁
一、拾文      末寺さいせん
一、拾弐文     ろうそく壱丁
一、八文      たはこ
一、四拾文     丸判弐つ
一、弐拾文     肉壱かい
一、三貫文     和泉屋猪右衛門
        六泊り宿料
一、五百文     同人方茶代    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
一、百文      下女
一、拾弐文     わらんし弐足
一、五文      今町茶や
同十四日朝
一、五百文     津幡   河合屋
            宿料   理右衛門
一、三百五拾文   津幡ゟかこ
一、弐拾三文    同所ゟ人足壱人 酒代共
一、五拾六文    竹橋ゟ人足壱人
一、拾壱文     今石動茶や
             わらんし、茶代共
一、廿文      くりから茶や
一、拾七文     福町茶や
一、百三拾文    舟賃
一、四拾四文    ろうそく壱包
一、三拾文     まんちう十ケ
一、六文      わらんし壱足
   〆八貫八百六拾四文    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
    内
     壱貫五百文 銭
     五百文   手形
     六貫四百八拾文 金壱両 金沢ニ而売
                   一六二かへ
     四百五文  小玉四匁五分代
    惣指引〆弐拾壱文 残り銭       
 
      和泉屋猪右衛門方指引
一、壱貫四百五拾文 かり銭〆
一、百九拾文    胡麻弐升代
一、三百七十文   くわし代
一、三貫文     六泊り宿料
一、五百文     茶代
  〆五貫五百拾文
  此形ニ金壱両相渡 代六貫四百八拾文
  指引〆 九百七拾文過 十四日ニ請取
   〆済             
       申三月十三日
一、田辺様ゟ 羽織壱枚并白銀壱封七匁五分
       故吉平様為しやうふ分と被下候、
一、日下氏ゟ紙壱折貰、
一、和泉屋ゟ松風煎餅壱袋貰、
一、日下氏磁石針弐本代十四匁余    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
 請取、申三月十四日錺屋清六方ヘ
 相渡、
一、河野氏、右同断
申三月十三日夕 河野氏ゟ借
一、八線表根算法
一、精要算法解 三口弐冊
   但、下巻三冊之内
 〆
一、暦象考成後編ノ目録書写、
 河野氏ヘ遣し可申事、
 
點竄指南著述人、川井越前守、    画像  現代語訳  翻刻トップ  画面トップ
領地三千石、江戸御作事奉行之由、
  漆塗申上ニ紙ヲ張申時ハ、
  しらふのりニ糖ヲ入て張へし、
一、壱本 磁石盤針 遠藤様、日下氏江誂、
関先生ノ墓、江戸堀ノ内妙法寺ニ
有之由、本多氏ノ咄ニ御座候由承り申候、    翻刻トップ  画面トップ
 

--------------------------------------
 
[12][日記]「御内御用方金沢出府御用方覚帳」文政六年二月 [現代語訳]
 
一、未二月十七日  天気 朝六時ごろ家を出立。    画像  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
 ただし、嶋村吉兵衛が十六日泊りがけで来たので召し連れました。
            津幡河合屋理右衛門方に宿泊。
一、同十八日  天気 早朝津幡を出立。十時ごろ
 金沢に到着。昼飯を食べ、根役所に参りました。
 御場のしまいごろ能美郡、江沼郡分間絵図
 と添帳を奉行所で内々にお見せしました。
 一、五時ごろより田辺殿へかみしも裃で、去年の暮のご
  加増のお祝いを申し上げて帰りました。
 一、夕飯後に中川の旅宿を訪ねました。
      金沢十間町の和泉屋猪右衛門方に宿泊。
一、同十九日  天気 朝飯後に嶋、内嶋、天正寺の
 旅宿を訪ねました。また日下、河野、西村を
 訪ねたところ、皆々金沢町測量の御用に出役され留主でした。
 沢田殿を訪ねたところ、お取り込みの様子で名札を上げて
 帰りました。手附棟取の小右衛門方を訪問しました。
 一、口郡三階村覚右衛門の旅宿へ参り、口郡
  無家村の郷庄附と土方領のうち五か村の読み仮名を  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
  聞き合わせ記しました。また高畠村、福田村、
  藤井村の位置などを改めて調べ知らせる
  ようにとのことで、高畠村等家立ての見取絵
  図を渡しました。
一、二月二十日  天気 朝前に金谷様
 宅に参り、舟倉野について内々に申し上げました。
 越中の高付帳一冊を借用しました。
 一、夕方より遠藤様を訪ねたところ、測量方
  役人がお越しで、夜十二時ごろまで話し合い
  帰りました。
一、同二十一日  同
 朝飯後に中川、嶋、吉田屋を訪問。昼後に
 田辺殿へ能美郡、江沼郡分間絵図、添帳
 と両郡絵図、村名帳、先日渡された分を差し上げ
 ました。山岸小弥太に田辺殿宅でお会いしました。
 一、夕暮れより新川郡天正寺の旅宿に参り、舟倉
  野等について相談しました。
一、同二十二日  同
 中川、内嶋、高田、和泉、沼保、山田の  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
 旅宿を訪問。昼過ぎに塩屋与三兵衛より『算学
 鉤致』一部、日本絵図一枚を買いました。
 一、有賀甚六郎様がご転役なされました。ご挨拶として
  裃で参上し、それより直ぐに日下氏宅に
  参り、夜十時過ぎまで話し合い、また河野氏も
  お越しになりました。
一、同二十三日
 早朝金谷様を訪ね、『暦象考成表』
 一一冊を返上しました。また、大聖寺藩領の
 江沼郡等の村名付帳面を書き記し差し上げました。
 一、十一時ごろ根役所に参り、お暇乞いを
  申しました。
    御用番は、金谷佐大夫様、内藤十兵衛様です。
 一、二月二十二日に私の諸郡測量方御用の
  誓紙前書を添書所より横目ヘ
  届けたうえ、写し一枚を添書所より直に
  お渡しになられました。
 一、根役所へ江沼郡絵図一枚を  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
  作製して差し上げるよう、金谷様より
  仰せられました。
一、二月二十三日  二時ごろ雨降り北風
 田辺様へ昼過ぎにお訪ねしました。砺波郡と
 射水郡の東西南北の郡境に位置する村名
 などについて、絵図を指して説明しました。
 ただし、砺波郡の西は倶利伽羅、東は和田新町、
 北は能登国境の沢川、南は飛騨国境の
 水無村で、射水郡の西は横田、東は
 利波新、北は能登国境の脇、南は串田
 であると申し上げました。
 越後国絵図等をお借りしました。お暇乞いを
 申して帰りました。ただし、絵代として金百疋(金一歩)を頂戴しました。
 一、五時ごろより河野氏を訪ね、夜
  十二時ごろまで話しをして帰りました。
  日下氏もお越しでした。
一、同二十四日  北風
 朝飯後に中川、嶋、内嶋へ暇乞い  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
 に参り、帰りました。
 遠藤様を訪ねたところ、お留守でした。
 ただし、河野氏等四人がお越しで、時計師も
 居合わせました。そのとき、尺時計等を見ました。
 昼後に金沢旅宿和泉屋
    猪右衛門方を出立しました。
    津幡の河合屋理右衛門方に宿泊。
一、同二十五日  北風
 早朝出立し、駕籠で今石動まで。同所より
 舟で横田まで行き、昼四時ごろ帰宅しました。
 吉兵衛は家に帰りました。
 一、下次郎嶋村湍四郎方へ、今石動上野町御□
  今村屋利右衛門方へ書状を出しました。
 
 金沢出府の経費 未二月十七より同二十五日まで  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
         日数九日
未二月十七日
一、七五〇文   高岡で鴨一つがい
一、二五〇文   かつおぶし七本
               目百拾目一八かへ
一、一〇文    福岡町茶屋
一、六文     わらじ一足
一、三二文    今石動茶屋中飯入用
一、五〇文    倶利伽羅茶屋 
           酒を出されたので茶代
一、三五〇文   今石動より津幡まで駕籠人足
一、七〇文    人足一人 今石動
一、一七文    同    竹橋
一、二四文    人足酒代
一、五文     竹橋前坂茶屋
一、五〇〇文   津幡河合屋理右衛門宿払
同十八日
一、一二文    わらじ二足
一、五文     柳橋茶屋
一、一六〇文   胡麻二升代 吉田屋年頭  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
一、一三文    末寺賽銭
一、六文     ぞうり一足
一、一〇文    同
一、一五〇文   菓子一袋 田辺様子どもへ
一、三九文    鬢付け油 縒り
一、三〇文    河野氏からの使いの者へ渡す
一、三文     ニゴ縄(実子縄)
一、七文     わらじ一足
未二月十八日より二十三日まで六泊り
一、三貫文    和泉屋猪右衛門宿払
一、五〇〇文   茶代
一、一〇〇文   下女へ
廿四日
一、一〇文    大根の種
一、一〇文    今町茶屋
同廿四日夕  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
一、五〇〇文   津幡河合屋理右衛門二人の宿料
一、三五〇文   津幡より駕籠人足
一、一〇〇文   津幡より今石動まで人足一人
一、一〇文    人足酒代
一、五文     竹橋前坂茶屋
一、二〇文    倶利伽羅茶屋
一、六文     わらじ一足
一、一五文    今石動茶屋
一、一五文    福町茶屋
一、一三〇文   舟賃
一、二六文    高岡橋爪茶屋 中飯
   〆七貫二九六文
一、二五〇文   酒二升
一、四〇文    ぬり入一つ
一、二八文    八寸紙一帖
一、一四九文   去年たち付代  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
不足 和泉屋へ
一、四八文    すきくし櫛一枚
一、三〇〇文   鬢付け油五〇匁
一、二七文    縄手より三把
一、一四〇文   つか袋一つ 但し半分
一、二二〇文   足袋一足 但一〇文
一、三五二文   日下氏への書物写料の
差引不足
一、三〇〇文   雪平真書筆等六本代
一、二〇〇文   一寸の絵刷毛
一、一貫六八〇文 蓑一つ 
           内 九〇〇文 みの
             五五〇文 あみ
             二二〇文 えり等
一、三九〇文   笠二蓋 但し頭巾当て等とも
一、五四〇文   丸合羽一枚
一、一七〇文   唐油一枚
一、二貫八〇〇文 奥嶋たっつけばかま裁着袴 和泉屋
同二十四日  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
一、二貫六六〇文 金一歩二朱  
         銭二〇〇文  塩屋与三兵衛
   但し、八五〇文『鉤致』一部 一貫八一〇文日本絵図
   〆一〇貫二六二文
 総入用銭
   〆一七貫五五八文
    内
     一貫文   銭
     五〇〇文  同手形一枚
     十七日
     八一五文  南鐐一片 津幡
     銀一〇〇目 金沢で 和泉屋で両替
      代一〇貫二八〇文
     金一歩   同
      代一貫六四〇文
     南鐐一片  津幡
      代八一五文
     金一歩二朱 塩屋与三兵衛
      代二貫四六〇文
       〆一七貫五一〇文
       〆相済 但し四八文過と見える。
  未二月二十三日  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
 一、田辺様から祝儀として金子百疋(金一歩)を貰いました。
 一、河野氏より翁饅頭一袋を貰いました。
 一、和泉屋よりも同様。
    ほかに岡野友助が書いた横物一枚を貰いました。
    また額に仕立てるのがよいとのことでした。
   未二月十七日より同二十五日まで
   日数九日 吉兵衛を召し連れました。
 
     金沢出府御用  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
一、未十月十四日  天気 家を出立。半助を
 召し連れました。夕方、津幡に到着。
     津幡の河合屋理右衛門方に宿泊。
一、同十五日  時々雨降り
 津幡を朝五時半前に出立し、金沢へ
 九時半に到着。根役所へ到着の案内を
 兼ねて参りました。このたび能登の絵図を提出するために
 参りましたので、ご内覧なさいますかと申し上げたところ、
 明十六日に役所へ差し出すよう仰せられました。
 御用番は千羽様、石黒様です。
 一、田辺吉平様が八月二十六日に
  ご病死なさいましたので、お弔いに参りました。
  ただし、先日お渡しになった書物をすべて山岸殿ヘ差し上げるようとの
                          仰せでした。
 一、山岸小弥太殿宅に参り、今日  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
  出府したことを申し上げました。御絵図方について
  申し上げました。晩ご飯等を頂戴しました。
 一、嶋、中川の旅宿へ挨拶に参りました。
         和泉屋猪右衛門方に宿泊。
一、同十六日  雨降り
 朝飯後に根役所へ行き、能登の
 絵図、帳面を箱ともに差し上げました
 ところ、ご覧になられ、二時ごろお渡しに
 なられました。
 御用番は広瀬欣左衛門様、関屋平馬様です。
 一、天正寺村十次郎の旅宿を訪問しました。
 一、夕方より遠藤様をお訪ねしました。
  夜十二時半過ぎに帰りました。
一、同十七日  雨降り
 内嶋の旅宿を訪ね、東末寺に参詣しました。
 昼過ぎより山岸小弥太殿宅に  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
 参り、能登四郡絵図、帳面と
 田辺様より渡された絵図等を差し上げました。同人へ、
 文政二年改作所より諸郡へ三州測量方の
 ご廻文と、算用場より六月諸郡町村への
 ご廻文の写しを作り上げました。
 一、夕方より日下氏宅に参り、夜十一時半ごろ
  旅宿へ帰りました。
 一、加越能三州の一国一枚の小絵図を後日提出するよう仰せ渡された
  ならば作製するように、山岸殿より
  内々にご相談がありました。
一、十八日  天気
 昼前に根役所に参り、お暇申し上げました。
 昼過ぎに沼保の旅宿を訪ねました。
 一、夕暮れより河野氏宅を訪ね、夜十一時半
  過ぎに帰りました。
一、十九日  同
 南氏、折橋氏、小右衛門方を訪ね、
 さらに内嶋の旅宿へも行きました。
 昼過ぎに金沢の旅宿和泉屋猪右衛門方を  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
 出立し、夕方津幡に到着。
        河合屋理右衛門方に宿泊。
一、二十日  南風雨降り 
 暮合に帰宅しました。
    一、十五日より十八日まで四泊り
          金沢十間町和泉屋猪右衛門方
   〆
    一、蓬来饅頭一袋を河野氏より
                貰いました。
  
      金沢出府の経費  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
十月十四日
一、五文    福岡茶屋
一、三五文   今石動茶屋 昼飯
一、一五文   倶利伽羅茶屋
一、一三〇文  駕籠人足と荷物持ち一人とも
一、一〇文   酒代
一、五文    たばこ
同十五日
一、五〇〇文  津幡河合屋理右衛門方
二人宿料
一、一〇文   柳橋茶屋 わらじとも
一、一〇文   ぞうり一束
同十七日
一、五文    末寺賽銭
一、一五文   ふし五袋
一、五〇文   印肉
一、六〇〇文  筆等代 墨屋次助
一、三九文   うすずみ紙四三枚
一、四七〇文  笠三蓋と頭つけ二つ  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
一、一〇文   唐かさ古紙と小な□とも
一、一八文   鬢付け油三つ
一、二四文   縒り三把
一、五文    たばこ
一、一八〇文  鬢付け三〇
一、六文    わらじ
一、四八〇文  花橘一箱 田辺様へ贈り物
一、二〇〇文  胡麻二袋 再び山岸様へ贈り物
             和泉屋へ預り中勘
  但し、胡摩二升二、三合程、代銭はあとで値引きさせました。
一、五八〇文  □合羽六三〇文のうち
        古合羽五〇文引残り
一、一〇文   ろうそく一丁
一、二貫文   四泊り宿料 和泉屋猪右衛門
一、五〇〇文  同 茶代
一、一〇〇文  同 下女に渡した銭  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
十月十九日
一、五文    今町村茶屋
一、五〇〇文  津幡河合屋理右衛門方 
            上下二人宿料
一、三五〇文  駕籠一丁人足代
一、七〇文   竹橋より石動まで荷物
一、二〇文   人足酒代
一、一五文   倶利伽羅茶屋
一、一〇文   今石動茶屋
一、一〇〇文  福町長次郎茶屋
   この内五〇文を願海寺村次郎右衛門へ貸す。
一、一一文   わらじ二足
一、五文    たばこ
一、八四文   ろうそく二包
一、五文    福岡茶屋
一、二一文   小ふし
  〆七貫六〇八文
   内  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
    一貫二〇〇文  十四日銭持参
    一貫六四〇文  金一歩
    四貫一二五文  同二歩二朱
    八一〇文    同二朱 津幡で
    〆七貫七七五文
    この内
     一六七文  残り銭
   〆 右未十月十四日より二十日まで日数七日
     半助を召し連れました。
 
 文政七年  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
    金沢出府御用
一、申三月六日  天気 家を朝五時半ごろ出
 立し、四時過ぎ津幡に到着。
      河合屋理右衛門方に宿泊。
      ただし、家来に半助を召し連れました。
一、同七日  天気
 津幡を七時ごろ出立して、
 昼十時ごろ金沢に到着。
      和泉屋猪右衛門方に宿泊。
 一、中川、嶋と吉田屋を訪ね
  ました。
 一、三時ごろより山岸小弥太様
  宅に参り、到着したことをご案内  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
  申し上げました。越中四郡絵図等
  が出来たことを申しました。役所へ内々にご覧に
  入れたうえ、絵図と帳面を提出する
  旨を申し上げました。また経費の本勘銀の
  書き上げをお目にかけました。
一、三月八日  南風
 早朝、広瀬欣左衛門様宅に
 参り、三州測量の経費の
 本勘書をお目にかけ、越中四郡
 絵図等が出来たので、今日
 御場(改作所)で内々にご覧に入れる旨を
 申し上げました。そのほか先日仰せ
 られた歩刈の算法書
 と歩刈帳に貼り札したものを
 添えて提出しました。  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
 松江多左衛門様宅へ、到着
 のご案内を申し上げました。
 一、十一時ごろ御場に参りました。
  絵図と添帳を内々にご覧に入れ、
  お返しになられました。経費の本勘
  書を差し上げました。
 一、江沼郡分間絵図一枚を根役所に提出しました。
  御用番は広瀬欣左衛門様、松江多左衛門様です。
 一、五時過ぎより遠藤様を
  訪ねたところ、西村氏、河野氏、
  日下氏、三角風蔵が居合わせ、
  いろいろ話し合いました。
  絵図等を遠藤様へ内々にご覧に入れ、
  また西村氏等もご覧になりました。  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
  夜十一時より旅宿へ帰りました。
一、同九日  天気 夜十時ごろより
          雨降り
 朝過ぎ折橋氏の旅宿に参り
 ました。脇差の銘があるものと
 引き替えたいとのことを相談しました。
 少し足し銀すれば、どのよう
 にもなるので、私から脇差を
 お渡しすることに相談しました。
 翌十日に折橋氏へ脇指を届けました。
 また、替えの鞘を銀三〇目程で注文しました。
 一、昼過ぎより山岸小弥太殿を訪ね、
  越中四郡分間絵図、添帳ともに
  一箱に入れて差し上げました。
  また田辺様より先日渡された越中
  四郡絵図と村名帳を残らず  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
  山岸殿へ返上しました。
 一、河北郡の小絵図一枚を墨引絵図
  のまま差し上げました。山岸様よりの仰
  せでは、御用部屋へお目にかける小絵図を
  作ることを仰せ渡されたならば、この墨引絵図を
  この次に返すと仰せられました。
 一、宗良親王の御歌、大伴家持公の
  御歌と放生津潟中の海龍社の旧記を
  山岸様へ差し上げました。
  四時過ぎ旅宿へ帰りました。
 一、河野久太郎殿方を訪ね、算法
  等の話をして、夜一時に
  旅宿へ帰りました。
一、同十日  雨降り  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
 南氏の旅宿と塩屋与三兵衛方へも
 参りました。
 昼過ぎ宮方政之丞殿を訪ね、
 いろいろ内々にお尋ねしたことについてお話
 なさいました。
 五時半過ぎより日下氏を訪ね、
 夜十二時ごろ旅宿へ帰りました。
一、同十一日  天気
 根役所へ十一時ごろお暇乞いに
 参りました。
 一、山岸小弥太殿の養母がご病死されたので、
  お弔いにかみしも裃で参りました。
 一、田辺様を訪問しました。ただし、菓子
  箱一つ差し上げました。
 一、十時ごろ宮方政之丞殿が、旅宿まで
  越中四郡御絵図についてお尋ねの  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
  書物を持って立ち寄られ、お渡しになられたので受け取り
  ました。
  遠藤様へお暇乞い。西村氏を訪問。
一、十二日  天気 夕方より雨降り
 折橋氏の旅宿を訪問しました。替えの鞘
 について頼みました。それより東末寺に参詣。
 一、田辺様より呼びに来られたので、参上したところ、
  羽織一枚と銀一封を頂戴しました。
 一、四時ごろより宮方殿へお暇乞いに参上した
  ところ、葛切りをお出しになられました。夕方帰りました。
 一、夕方より河野氏を訪ねました。日下氏も
  お越しで、算法等について話し、夜一時ごろ
  旅宿ヘ帰りました。
  日下氏より磁石の針のうち大きな盤の
  替え針一本の注文がありました。ただし遠藤様
  からとのことです。
一、同十三日  雨降り  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
 朝食後に南氏、折橋氏、吉田屋
 へお暇乞いに参りました。
 昼過ぎ金沢和泉屋猪右衛門方を
 出立し、四時過ぎ、津幡理右衛門方で宿泊。
一、同十四日  天気
 早朝津幡を出立。福町より舟に乗り
 高岡横田町に到着。ただし今石動の福町
 茶屋で昼飯。四時ごろ帰宅しました。
 〆 日数九日
   七日より十二日まで和泉屋猪右衛門
   方に宿泊。 
 
    金沢出府の経費  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
申三月六日
一、四五〇文    鴨一羽 高岡で
             山岸殿へ贈り物
一、五文      福岡町茶屋
一、一二文     わらじ二足
一、七三文     高岡より今石動へ人足賃銭
                  酒代とも
一、一六文     同酒代
一、二五文     竹橋人足賃銭 同断
一、二六〇文    かつおぶし七本 目一五〇目
             一八替え 今石動で
一、六文      たばこ
一、二〇文     倶利伽羅茶屋
一、三〇文     今石動茶屋 中飯
一、三七〇文    駕籠人足 酒代共
一、七五文     今石動より竹橋人足酒代とも
七日朝
一、五〇〇文    津幡河合屋理右衛門
             上下二人宿料
一、一二文     わらじ二足
一、五文      今町茶屋
一、八文      たばこ
一、一九〇文    胡麻二升 吉田屋ヘ贈る  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
一、三七〇文    花橘五六入一箱 折橋ヘ贈る
一、六五〇文    丸合羽一枚代
一、三三五文    髪附五五 内五つ肩紐
一、一七五文    笠一蓋 笠残分
一、一〇文     笠包み用の古かさ紙
一、一〇文     ぞうり一足
一、三四〇文    雪平、筆六本代三〇〇文
       ほかに四〇文 木地一つ 墨屋次助
一、二三文     ふし一〇匁
一、一〇文     末寺賽銭
一、一二文     ろうそく一丁
一、八文      たばこ
一、四〇文     丸判二つ
一、二〇文     印肉一蓋
一、三貫文     和泉屋猪右衛門
          六泊り宿料
一、五〇〇文    同人方茶代  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
一、一〇〇文    下女へ
一、一二文     わらじ二足
一、五文      今町茶屋
同十四日朝
一、五〇〇文    津幡宿料 河合屋理右衛門
一、三五〇文    津幡より駕籠
一、二三文     同所より人足一人 酒代とも
一、五六文     竹橋より人足一人
一、一一文     今石動茶屋
             わらじ、茶代とも
一、二〇文     倶利伽羅茶屋
一、一七文     福町茶屋
一、一三〇文    舟賃
一、四四文     ろうそく一包
一、三〇文     まんじゅう一〇個
一、六文      わらじ一足
   〆八貫八六四文  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
    内
     一貫五〇〇文 銭
     五〇〇文   手形
     六貫四八〇文 金一両 金沢で両替
                一六二替え
     四〇五文  小玉四匁五分代
    惣差引〆二一文 残り銭
 
    和泉屋猪右衛門方差引
一、一貫四五〇文  借り銭〆
一、一九〇文    胡麻二升代
一、三七〇文    菓子代
一、三貫文     六泊り宿料
一、五〇〇文    茶代
  〆五貫五一〇文
  この方に金一両渡し 代六貫四八〇文
  差引〆 九七〇文過ぎ 十四日に請け取り
   〆済             
        申三月十三日
一、田辺様より 羽織一枚と白銀一封七匁五分
        故吉平様の形見分けとして、頂戴しました。
一、日下氏より紙一折を貰いました。
一、和泉屋より松風煎餅一袋を貰いました。
一、日下氏より磁石針二本代として一四匁余を  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
 請け取りました。申三月十四日に錺屋清六方ヘ
 渡しました。
一、河野氏 右に同じ
申三月十三日夕 河野氏より借り
一、『八線表根算法』
一、『精要算法解』 三口二冊
   但し、下巻三冊のうち
   〆
一、『暦象考成後編』の目録を書き写し、
 河野氏ヘ届けること。
 
『点竄指南』の著述人は川井越前守。  翻刻  現代語訳トップ  画面トップ
領地三千石、江戸御作事奉行とのこと。
 漆を塗った上に紙を張るときは、
 白布海苔に糖を入れて張るべし。
一、一本 磁石盤針 遠藤様 日下氏へ誂える。
関先生の墓は江戸堀ノ内妙法寺に
あるとのこと、本多氏の話であることを承りました。  現代語訳トップ  画面トップ
 
--------------------------------------
 
[13][記録]「御次御用町見方等当分覚帳」文政七年五月 [翻刻]
 
2-2-0414_00  [目録 二(二)414]      画面トップ
 

     文政七年申五月    画像  翻刻トップ  画面トップ
 
    御次御用町見方等当分覚帳
      但、絵図出来方等覚帳ニ御座候
 
              石黒藤右衛門
 
1     御郡所上り絵図    画像  翻刻トップ  画面トップ
  一、南北 立 五枚 九寸三分   六折ト六寸五分  口郡
    東西 横 五枚 一尺一寸六分 三折ト九寸
  一、東西 立 五枚 九寸三分   六折ト七寸八分  奥郡
    南北 横 六枚 一尺一寸弐分 四折ト四寸五分
     外  一、八枚 舳倉嶋、七つ嶋別絵図
           南北 八寸七分   六折
           南北 一尺一寸三分 一折ト六寸八分
   申
  一、五月二十九日、晦日、六月一日ゟ三日
    迄日数五日、能州口、奥絵図弐枚、
    彩色ハ残り申候、
   同四日ニ相調申候、彩色ハ残し申候、
  一、東西 横 三枚  一尺一寸六分 弐折     河北郡
    南北 立 三枚半 九寸三分   四折ト八分
     上ケ申箱寸法
     一、内法 長壱尺三寸 幅壱尺    加州
                深一寸五分
     一、同               能州
     一、同  長三尺三寸
          幅壱尺          越中
          深二寸
    〆
       上書
        
2 一、石川   南北 立 四枚半  九寸三分   六折    画像  翻刻トップ  画面トップ
         東西 横 四枚   一尺一寸六分 三折
  一、能美   南北 立 四枚半  九寸三分   五折ト五寸八分
         東西 横 五枚   一尺一寸六分 三折ト八寸
  一、江沼郡  南北 立 三枚   九寸三分   三折ト六寸六分
         東西 横 三枚   壱尺一寸六分 弐つト三寸
    〆
  一、砺波   南北 立 五枚半  九寸三分   七折ト三寸
         東西 横 四枚   一尺一寸六分 三折
  一、射水   南北 立 三枚半  九寸三分   四折ト五寸
         東西 横 四枚   一尺一寸六分 三折
  一、婦負   南北 立 四枚   九寸三分   五折ト五寸
         東西 横 三枚半  一尺一寸六分 弐折ト七寸八分
  一、新川   南北 立 六枚   九寸三分   八折    画像  翻刻トップ  画面トップ
         東西 横 七枚   一尺一寸六分 五折
    〆
   六月八日
  一、右石川、能美并越中四郡
    絵図紙接立申候、
   同九日ゟ十一日迄
  一、三日    石川、能美両郡
          絵図相調、
          但、山海彩色残り、
   七月廿日昼ゟ廿四日昼前迄
  一、四日    新川郡絵図
          壱枚、海山彩色不仕候、
   同廿四日昼ゟ廿五日迄
  一、壱日半   婦負郡絵図
          壱枚、山海彩色残り、
   廿六日、廿七日昼前、八月三日昼前迄
  一、弐日    射水郡絵図壱枚、
          海山彩色残り、
   八月九日昼ゟ十日、十一日
  一、弐日半   砺波郡絵図壱枚、
          山色相残り、
   八月十六日
  一、壱日    三州絵図拾枚
          海ノ色入申候、
   同十七日ゟ十九日迄
  一、三日    同山粉色、
    〆 三州絵図拾枚相調方日数、
      廿七日程相懸り申候、
 
3  八月廿日    画像  翻刻トップ  画面トップ
  一、壱日    諸郡分間絵図
          朱ニ而五寸四方宛ニ
          中系引仕候、
 
  一、河北郡   村名帳 拾八枚
          道程帳 拾八枚
  一、石川郡   村名帳 弐拾三枚
          道程帳 三拾弐枚
  一、能美郡   村名帳 弐拾枚
          道程帳 三拾壱枚
  一、江沼郡   村名帳 拾三枚
          道程帳 拾八枚
  一、口郡    村名帳 三拾四枚
          道程帳 三拾八枚
  一、奥郡    村名帳 三拾弐枚
          道程帳 三拾壱枚
  一、砺波郡   村名帳 四拾弐枚
          道程帳 六拾壱枚
  一、射水郡   村名帳 弐拾弐枚
          道程帳 四拾九枚
  一、婦負郡   村名帳 弐拾三枚
          道程帳 三拾弐枚
  一、新川郡   村名帳 五拾九枚    画像  翻刻トップ  画面トップ
          道程帳 七拾五枚
    〆六百七十一枚
     内弐百八十六枚  村名帳
      三百八十五枚  道程帳
      〆
   八月廿九日 昼前
  一、壱日    三州絵図紙 東西南北
                系引
   八月晦日ゟ
  一、十七日   越中四郡壱枚、下
          絵図
     内
      五日   八月晦日ゟ閏八月四日迄、
           砺波郡下絵図墨引
      三日半  閏
           八月六日ゟ九日昼前、
           射水郡下絵図
      二日   閏
           八月九日昼ゟ十一日迄之内、
           婦負郡絵図
      六日半  閏八月十二日、十四日、十五日半日、
           十六日、十七日、廿六日、廿七日、
           新川郡下絵図
        〆
  一、九日    加州四郡壱枚
          絵図下書
     内
      弐日   閏八月廿八日、廿九日、河北郡
      三日   石川郡 九月一日、九日、
               十日
      二日半  能美郡 九月十三日、十四日
               十五日昼迄
      一日半  江沼郡 九月十五日昼ゟ
               十六日迄
        〆
4 一、九日    能州四郡壱枚    画像  翻刻トップ  画面トップ
          下絵図
     内
      四日半  口郡、九月十七日、十八日、
           十九日、廿日、廿一日昼前
      四日半  奥郡、九月廿一日昼ゟ
           同廿五日迄
        〆
  一、九月廿五日、広瀬欣左衛門様并松江
    多左衛門様へ小杉御出役所ニ而、諸郡
    分間絵図并村名帳相添イ
    壱箱ニ入、御役所御指上ケ可申
    哉之旨御窺申上候所、其通り
    可仕旨被仰渡候、
    〆
  一、婦負郡絵図面之内天狗平
    之義、右天狗平山ノ切崖之所ニ
    常ニ天狗住居申由ニ付、右山
    ヲ天狗平与唱申由候、
  一、羽根村領ニ有御旅屋屋敷跡之義、
    ハ、富山大蔵様長沢辺
    御鷹野有之刻、羽根村領ニ
    御旅屋御建御休所ニ被遊候
    由、其後ハ右御旅屋御修理も無之、
    当屋敷跡迄相残居申候、
 
    右婦負郡天狗平山、御旅屋跡    画像  翻刻トップ  画面トップ
    之義、小杉新町長七郎夫々
    聞合被申聞候、
      九月廿五日、小杉御出役所
      ニ而被申聞候事、
     〆
  一、八日半   三州壱枚略絵図
          但、越後佐渡ノ端も書入、
      但、九月廿七日昼後ゟ十月五日迄
      墨引相済、
     〆
     三州壱里壱寸八分之図り
  一、加賀国  南北 四尺五寸 立四枚
         東西 三尺三寸 横四枚
  一、越中国  東西 五尺   立四枚半
         南北 四尺   横五枚半
  一、能登国  東西 三尺五寸 横四枚
         南北 五尺   立四枚
          外ニ舳倉嶋弐尺
     〆
     壱里三分六厘之図り
  一、三州壱枚略絵図  南北 弐尺弐寸
             東西 弐尺弐寸
      但、舳倉嶋、佐土国端書入申事
   〆
 
5 一、十日  十月七日ゟ十七日迄之内、    画像  翻刻トップ  画面トップ
        精要算法解 一、二、百廿写申候
                    三枚
  一、申十月一日、御次ゟ新川郡
    御騎射場等之義御尋之趣、天
    正寺村金山十次郎方へ書状
    遣申候、但小杉御出役所ゟ岩瀬
    御出役所迄、
    右之趣又十二月六日書状相認遣
                 申候、
  一、十一月八日ゟ越中四郡村名帳
    書懸り申候、同十七日迄調済、十ケ日
  一、能州四郡村名帳十一月十九日
    昼ゟ廿三日昼迄、五ケ日
  一、加州四郡村名帳十一月廿五日
    ゟ晦日迄之内、四ケ日
 
       文政八年    画像  翻刻トップ  画面トップ
  一、二月八日ゟ同十八日迄
     闕疑抄一百好答術下書
  一、右清書 二月廿日ゟ廿五日迄
        相済
  一、三月四日 加州国図ニ村之組分書入
  一、同五日  能州 右同断
  一、同六日、七日 越中国 右同断
 
       奥郡下町野組
    先達而奥郡弐拾村分
                ニシインナイ
    ゟ御絵図方之時分    西院内村
                ヒガシインナイ
    書上ニ御座候、     東印内村
       但、西院内村 東院内村、又
       西印内村 東印内村と書候哉、
       何レ
       宜敷候哉相知不申候、
    先達而奥郡御扶持人中
                   ムネスヱ
    御絵図方之時分書上ニ御座候、 宗水村
       但、宗末村与書申候哉、
   右三ケ村ノ文字相訳兼候間、奥郡
   手附棟取中へ御願被成、実正之所乍御邪魔
   御しらへ被成早速被遣候様仕度、右御願申進度
   如此ニ御座候、已上、
     乙酉三月六日     高木村
                  藤右衛門
      吉田屋
        小右衛門様
 
6 一、酉三月八日    画像  翻刻トップ  画面トップ
      加州石川、河北、能美
      三郡絵図裏打、
  一、同八日、九日
      三州絵図組分ノ合紋印
      入申候、
  一、十一日
      能州奥郡、婦負郡
      絵図裏打、
  一、十日ゟ越中組分村付調
     同十七日迄ニ下しらへ済、
  一、同十三日
      能州口郡、射水郡裏打、
  一、十六日
      礪波郡絵図裏打、
  一、十七日
      新川郡絵図裏打、
  一、廿日
      天狗状紙九十枚地
      いたし申候、
  一、十五日、十八日、十九日
      三州村名高帳与引合
      加州、能州村名帳中帳、
  一、廿日昼ゟ廿一日迄
      越中村名帳中帳、
  一、廿二日、廿三日、廿四日昼迄、昼後紙つき、
      三州組分村名仮名附相済、
   廿五日、廿六日    画像  翻刻トップ  画面トップ
  一、二日  加州組分絵図壱枚
        出来、但彩色ハ残り、
   四月一日ゟ四日昼前迄之内
  一、二日  同壱枚
   同四日昼後ゟ六日昼迄
  一、二日  同壱枚
  一、壱日  右三枚絵図村名読合、
        川筋有増引等、
     〆七日
   四月七日ゟ十三日迄内
  一、六日  能州組分絵図
     〆
  一、四月十四日 天狗状紙地ヲいたし候、
   四月十五日ゟ廿二日昼前迄之内
  一、四日半 越中国組分絵図
              壱枚
   同廿二日昼ゟ廿六日昼前迄
  一、四日  同断
   同廿六日昼ゟ五月一日迄
  一、四日半 同断
   五月二日ゟ五日迄
  一、四日   越中絵図川筋等
         彩色、婦負郡村名
         しらへ方、
         同石川、江沼、射水、
         婦負、奥郡村形
         彩色、
   五月六日
  一、壱日  富山御領分村組分
        絵図書入等、且村
        しらへ等、
 
7  五月七日ゟ十一日迄    画像  翻刻トップ  画面トップ
  一、五日   三州組分絵図
         九枚、山川海等彩
         色入
   同十二日
  一、壱日  富山御領村名帳下書、
   同十三日ゟ十六日迄
  一、四日  三州略絵図四枚
         相調申候、
   五月廿日
  一、壱日  三州郷庄分絵図九枚
        折形いたし候、
     〆
   五月廿二日
     一、内法ニ而  長壱尺三寸
             幅壱尺〇五分
             深弐寸五分
        但、桐木板ニ而  かふせふた
             出来  箱壱つ
             大工源五郎方申遣候、
        但、当月中ニ出来御座候様申遣候、
       〆
   同廿一日ゟ廿七日迄
  一、七日  加州組分村名帳 二冊
        能州 同    同
        越中 同    同
   同廿八日ゟ六月二日迄之内
  一、四日  加越能三州三冊相調
        申候、
     〆
   同廿八日ゟ打懸ル
  一、三州組分絵図裏打
   六月六日    画像  翻刻トップ  画面トップ
  一、三州組分絵并三州略絵図折方等
    いたし候、
 
   御郡所上り
 
    文政五年壬午十二月
袋  加州四郡分間絵図四枚入     一尺
        射水郡高木村
            藤右衛門
 
  文政六年癸未五月
 能州四郡分間絵図二枚入
     射水郡高木村
          藤右衛門
 
 文政六年癸未九月
 越中四郡分間絵図四枚入
     射水郡高木村
          藤右衛門
 
   文政八年壬酉四月
袋 加越能三州組分絵図三枚 村名帳三冊入
           射水郡高木村
               藤右衛門
 
    文化八年乙酉六月    画像  翻刻トップ  画面トップ
上  三州郡分分間絵十枚 郷庄分村名帳十冊入
箱  三州組分絵図三枚 組分村名帳三冊入
 
         但、此箱 内法 長壱尺三寸
                 幅壱尺〇五分
                 深弐寸五分
           但、桐木板ニ而出来 かふせふた
                     箱壱つ
       〆
  一、加賀国組分村名帳   十六枚
  一、越中国組分村名帳   三拾弐枚
  一、能登国組分村名帳   拾五枚
              〆 六十三枚
    〆  翻刻トップ  画面トップ
 

--------------------------------------
 
[14][記録]「御領国御絵図方下調理諸書物覚帳」文政九年十二月 [翻刻]
 
2-2-0477_00  [目録 二(二)477]      画面トップ
 

表紙  文政九年丙戌十二月    画像  翻刻トップ  画面トップ
 
   御領國御絵図方下調理諸書物覚帳
 
              石黒藤右衛門
 
1上   御次御内御用    画像  翻刻トップ  画面トップ
      御領国御絵図等下書入箱
   御次江指上候下書
   一、加賀四郡分間絵図    四枚
   同
   一、能州四郡分間絵図    弐枚
   同
   一、越中四郡分間絵図    四枚
   同
   一、加越能三州壱国壱枚宛之
      絵図     組分之
                 大三枚
   同             大小
   一、加越能三州略絵図    弐枚
   同
   一、加越能三州大略絵図  壱枚
      但、嘉永三年海岸御巡見
      之砌、河合清左衛門殿ゟ 御前江
      御上被成候分、
    〆
   同            大小
   一、加越能三州郡分    弐枚
           略絵図
    〆
           一国壱枚宛之分
   一、加越能三州村々組分絵図
               小三枚
    〆
 
1下   御領国御絵図方    画像  翻刻トップ  画面トップ
     書物入箪笥四切
   上壱番
   一、河北郡分間絵図      壱枚
      外ニ
         郷庄分村名帳 壱冊
         道程帳    壱冊
   一、石川郡分間絵図      壱枚
      外ニ
         郷庄分村名帳 壱冊
         道程帳    壱冊
   一、能美郡分間絵図      壱枚
      外
         郷庄分村名帳 壱冊
         道程帳    壱冊
   一、江沼郡見取分間絵図    壱枚
      外
         組分村名帳  壱冊
         道程見図帳  壱冊
    右壱箱ニ入、御次江上ル控
      外ニ加州四郡分間絵図面之内
        見合書抜帳壱冊相添ル
                 上ル控
   一、能州口郡分間絵図     壱枚
      外ニ
         郷庄分村名帳 壱冊
         道程帳    壱冊
 
2  一、能州奥郡分間絵図     壱枚    画像  翻刻トップ  画面トップ
      外ニ
         郷庄分ケ村名帳壱冊
         道程帳    壱冊
    右壱箱ニ入、御次ヘ上ル控
      外ニ能州四郡分間絵図面之内
        見合書抜帳壱冊相添上ル控
   一、砺波郡分間絵図      壱枚
      外
         郷庄分ケ村名帳壱冊
         道程帳    壱冊
   一、射水郡分間絵図       壱枚
      外ニ
         郷庄分村名帳 壱冊
         道程帳    壱冊
   一、婦負郡見取分間絵図     壱枚
      外ニ
         郷庄分村名帳 壱冊
         道程帳    壱冊
   一、新川郡分間絵図       壱枚
      外
         郷庄分村名帳 壱冊
         道程帳    壱冊
    右壱箱ニ入、御次江上ル控
      外ニ越中四郡分間絵図面之内
        見合書抜帳壱冊相添上ル控
 
3  一、加賀四郡組分絵図    壱枚    画像  翻刻トップ  画面トップ
      外ニ組分村名帳  壱冊
   一、能州四郡組分絵図    壱枚
      外ニ組分村名帳  壱冊
   一、越中四郡組分絵図    壱枚
      外ニ組分村名帳  壱冊
   一、加越能三州略絵図    壱枚
    右壱袋ニ入 御次江上ル控
      但、御根役所へ茂此通り相調
      上ケ申候、
      又右三州郡分分間絵図拾枚
      并郷庄分村名帳拾冊相添、
      酉七月御根役所へ上ル、
      〆
    右御絵図并添帳等
    御次江上ケ申年月等、諸郡
    道程調理方御内御用留帳ニ
    其時々書記置申候、
 
4   文政十年亥九月出来    画像  翻刻トップ  画面トップ
   一、射水郡大絵図     壱枚
      外ニ射水郡組分村名帳
      但、文化七年ニ相調置申大絵図
      を以、射水郡分間絵図相調、御次江
      上ケ申候、
      右文化七年ニ相調置申大絵図、文政
      十年亥七月御郡新堤等書入、絵図
      面相改申候、此大絵図并組分村名
      帳、且壱組切之小絵図ニ切全ク七枚
      惣年寄折橋善兵衛等へ相渡申候、是ハ
      御出役所ニ納置可申図り御座候、
      又御次へ上ル射水郡分間絵図并
      郷庄分村名帳相添、右同人江
      相渡、右同断之事、
 
   一、御題紙等入      壱箱
    内
     ○御絵図方諸書物御預ケ
      之御入紙面壱通
            等
     ○山岸小弥太殿ゟ内分書状、且
      御用部屋中江願紙面写壱通
      等壱結
     ○三州図籍出来指上候処、
遠藤様ゟ
      御用部中江願書写壱通
     ○御内御用等ニ付諸郡相廻ノ
      砌、宿料払等之御入紙面
                壱結
     ○役義被仰付候御題紙壱巻
     ○御用勤向等御入壱結
      〆
 
5  一、金沢ゟ越中境町迄往来筋    画像  翻刻トップ  画面トップ
     巻絵図壱枚
 
    文化十四年七月
   一、新田才許並被仰付候節、
     金沢出府御用方一巻
 
    文政二年閏四月
   一、同本役被仰付候節、金沢
     出府等御用方一巻
 
    文政七年十二月
   一、五人扶持被 下之候節、
     金沢出府御用方一巻
 
    天保六年三月
   一、年寄列被 仰付候節、
     金沢出府御用方一巻
 
    天保七年七月
   一、御扶持高拾五石被仰付
     候節、金沢出府御用一巻
    同十二月
   一、仮所付返上一巻
      但、藤右衛門病死後
 
6   天保九年閏四月    画像  翻刻トップ  画面トップ
   一、御扶持高七石五斗被仰付
     候砌、金沢出府御用一巻
 
    弘化三年七月
   一、御印物頂戴被 仰付候
     ニ付一巻
 
    嘉永元年十二月
   一、祖父藤右衛門拾五石之
御印物、
     孫藤右衛門信之頂戴被
     仰付候一巻
 
    文政元年戊寅六月書上ル
   一、由緒帳 壱冊控
    〆
 
    天保六年乙未正月
   一、加越能三州郡分略絵図等壱袋
      内
       壱冊 右村数帳
       三冊 加越能村名帳
 
   一、御目録等入 壱箱
      銀子等被下候御題紙入
      内○文化十三年白銀壱枚被下之
        候分、下条弥二郎へ御入御紙面
 
7      ○文政八年、金弐両御根役所ゟ    画像  翻刻トップ  画面トップ
        被下之御書立
       ○同九年金五百疋御次ゟ
        拝領被仰付候御目録
       ○天保四年御改作所ニ而金拾両
        被下之御書立
       ○天保七年七月小判三両御次
        ゟ被下之候御目録
       ○同年十二月御預所御役所ゟ白銀
        壱枚被下之候御書立
         〆六度拝領金 信由也
          内 両度 御目録
            四度 御書立
            〆
       ○同九年二月御改作所ゟ金弐両
        被下之御書立、御絵図方
       ○同十二月御次ゟ金三百疋被下之候
        御目録等也、御絵図方
       ○同、御改作方ニ付品々御用出情相勤
        候ニ付白銀二枚御目録を以被下之
       ○同十一年十一月、宮野開高五拾石拝領御題紙
       ○同十四年御預所ゟ白銀三枚被下之
        御題紙
       ○同十五年右同断
       ○弘化二年右同断
       ○嘉永三年金弐百疋被下之候
        御目録
       ○同年十月嘉永元年以来新開
        方為骨折白銀壱枚被下之候
        御目録也
       ○同四年銀五枚御改作所ゟ被下
        之候御題紙
         〆拾度 信之
          内 高拝領壱度
            御目録四度
            御題紙五度
            〆
 
8    弐番    画像  翻刻トップ  画面トップ
   一、諸郡道程調理方御内御用留帳
      但、御領国御絵図方御内御用之事
   一、加越能三州古絵図面村々垣内
     増減仕候分しらへ出帳壱冊
      文政五年七月ゟ
   一、諸郡道程調理方絵図帳面等
     当用覚帳
      但、此帳面ニ壱郡切道程里数等書記、
      絵図出来等寸法書上、箱出来寸法等
      書記、
       外ニ文政三年七月ゟ絵図調方日記等一冊
         文政七年五月ゟ絵図出来方等覚一冊
       〆壱結三冊
   一、加越能三州切下絵図 十袋
   一、立山後御縮山下絵図 壱袋
      〆壱結
    文政二年
   一、諸郡道程しらへ方出役中日記 壱冊
    文政三年
   一、同             壱冊
    文政四年
   一、同             壱冊
    文政五年
   一、舟見村太郎右衛門方へ罷出、立山後御縮山
     示談仕候時分日記      壱冊
      〆四冊壱結
 
9   文政二年    画像  翻刻トップ  画面トップ
   一、諸郡道程調理方御内御用出役中
      宿料払方村々請取帳   二冊
      人足遣申帳       二冊
      荷物駄賃帳       二冊
      出役中指引帳      二冊
      〆八冊壱結
    文政三年
   一、諸郡道程しらへ方御内御用出役中
      宿料払帳        二冊
      人足帳         二冊
      荷物駄賃帳       二冊
      指引帳         壱冊
      〆七冊壱結
    文政四年
   一、諸郡道程しらへ方御内御用出役中
      宿料払方帳       二冊
      人足帳         二冊
      荷物駄賃帳       二冊
      右指引帳        壱冊
      文政四年ゟ六年迄指引帳 壱冊
      〆八冊壱結
    文政二年ゟ文政七年迄
   一、金沢出府御用方一巻壱結
    文政二年ゟ文政四年迄
   一、諸郡道程しらへ方出役中毎日村々
     留帳
      射水郡   壱冊
      砺波郡   壱冊
      新川郡   壱冊
      能州四郡  壱冊
 
10     加州四郡  壱冊    画像  翻刻トップ  画面トップ
      〆五冊
       外ニ立山、白山等しらへ
       方藤介出役中日記、覚帳
       〆壱結
   一、諸郡道程しらへ方出中
     常用仮覚帳  三冊
一、五ケ山前々道程書等
      壱冊
    〆壱結
   一、古城跡等之部    弐冊
   一、延喜式内神名略記  壱冊
   一、越中式内并式外之覚 壱冊
   一、加越能道程并駄賃留 壱冊
 
             四つ折帳    画像  翻刻トップ  画面トップ
11  一、入会潟分間野帳    壱冊
   一、能州御預所村仮名附帳 壱冊
     婦負郡
   一、新川郡 御絵図方覚  壱冊
     砺波郡     書抜 
     婦負郡
   一、   御絵図覚書抜  壱冊
     新川郡
   一、三冊
     白山
   一、  之絵図      壱袋
     立山
   一、御次ゟ御渡絵図之写、所々
     ニ而写取申絵図    壱袋
   一、御次ゟ御尋之品々書上并ニ
     上申絵図等之下書、且所々相尋
     之品書記到来仕候書物等
              〆壱袋
 
12  一、御領国組々村高免帳  八冊    画像  翻刻トップ  画面トップ
   一、能州御預所高附并諸事 壱冊
   一、富山御領分高免帳   壱冊
    〆壱結
   一、三州神社名記     壱冊
   一、三十番神堂略縁起   壱冊
    射水郡分
   一、御絵図面書記申橋帳  壱冊
   一、十村等誓詞御前書   壱冊
    〆
    天保三年辰五月ヨリ同七年迄
    御次
   一、御絵図方       壱袋
        御内御用一巻  
    越中ゟ
   一、飛州江之通路道筋御絵図
     方御用一巻入     壱袋
    〆
13  一、田辺吉平殿ゟ来状   壱結    画像  翻刻トップ  画面トップ
    〆
     御郡
   一、   御奉行所御紙面
     御改作
      但、追々被仰渡候
           御用御紙面
      此処ゟ可申事、
    文政六年未九月ゟ
     山岸小弥太殿
   一、      ゟ来状  一結
     宮方政之丞殿
   一、分役御題紙之写    一結
    文政三年、同四年分
   一、能美郡御関所過書   一結
   一、御内御用砌料銀受取等之
    控一結
   一、丁間方誓詞案文    一結
    〆
 
     三番    画像  翻刻トップ  画面トップ
    道程しらへ方分間野帳
   一、五冊    河北郡
   一、八冊    石川郡
   一、七冊    能美郡
   一、三冊    江沼郡
   一、拾壱冊   能州口郡
   一、九冊    同 奥郡
   一、拾三冊   砺波郡
   一、弐拾壱冊  射水郡
   一、拾冊    婦負郡
      但、富山御領新川郡共
   一、拾七冊   新川郡
      〆百四冊
 
   一、加越能三州古絵図写  拾枚
      但、文化年中 御次ニ而田辺吉平殿
      壱町壱分ニ引直し之絵図ニ御座候、
      尤村々在所曁垣内在所且道筋、
      川筋等多クハ実地ニ合不申候、右
      絵図田辺殿ゟ御渡ニ付写置申候、
      且又此絵図道程しらへ出役中
      持参仕、夫々引合申候、
  
14     四番    画像  翻刻トップ  画面トップ
    御次江指上候下書
   一、加賀四郡分間絵図添帳   八冊
    同
   一、能州四郡分間絵図添帳   四冊
    同
   一、越中四郡分間絵図添帳   八冊
    同
   一、加越能三州壱国壱枚之組分
     絵図添帳、組分村名帳   三冊
    同
   一、射水郡大絵図       壱枚
      外ニ添帳 壱冊
     〆
    同
   一、加越能三州郡分略絵図添帳
     〆            三冊
    右下絵図天狗状紙を以、すき
    写ニいたし候而、上り絵図等相調
    申候、
    同
   一、加州測量図籍       四部
    同
   一、越中測量図籍       六部
    同
   一、能州測量図籍       弐部
     〆
       
15   御次上り之控    画像  翻刻トップ  画面トップ
   一、加州測量図籍       四部
    同
   一、越中測量図籍       六部
    同
   一、能州測量図籍       弐部
     〆
 
16     道程しらへ方往還道筋等    画像  翻刻トップ  画面トップ
      分間仕候出役日数之覚
   文政二年      卯
   一、弐拾七日     四月四日ゟ
              閏四月朔日迄   射水、砺波
   一、十二日      閏四月五日ゟ   婦負郡
              同十六日迄     野積谷等
   一、廿八日      五月十二日ゟ
              六月九日迄    新川郡
   一、五十日      七月廿四日ゟ   高岡、氷見等ゟ
              九月十四日迄   能州海辺廻り
   一、十五日      九月十六日ゟ
              同晦日迄     新川郡魚津町等
      〆百三拾弐日
 
   文政三年
   一、六十四日     辰三月二日ゟ   能州四郡
              五月五日迄    中道筋并河北、
                       砺波郡等之内
   一、十六日      五月十五日ゟ   新川郡飛州境
              六月一日迄         等
   一、九十日      七月廿七日ゟ
              十月廿七日迄   加州三郡
      〆百七十日
 
   文政四年      巳
   一、四十七日     四月三日、五月五日迄   新川郡等
              又五月廿日ゟ六月二日迄   立山温泉共
   一、三十日      六月十日ゟ        加州白山下并
              七月十日迄        大聖寺御領分等
                           藤助勤
   一、八日       七月廿日ゟ        立山下等
              同廿七日迄           新川郡
       
17  一、五十一日     八月一日ゟ九月十三日迄  砺波郡    画像  翻刻トップ  画面トップ
              又十月十五日ゟ同廿三日迄   五ケ山等
      〆百三拾六日
 
   文政五年      午
   一、四十二日     三月十一日ゟ       新川郡、婦負郡
              五月廿日迄之内      等しらへ方
   一、十二日      九月十八日ゟ同廿九日迄
                  立山御縮山下絵図等
                  しらへ方、舟見村太郎右衛門等方
      〆五十四日
 
    分間方出役日数
      〆四百九拾弐日
 
       金沢出府御用
   文政二年       卯
   一、九日        正月十九日ゟ同廿七日迄
               但、御料理頂戴御用済候而ゟ
   一、七日        閏四月廿七日ゟ五月四日迄
               新田才許本役被仰付候砌兼而
   一、十一日       七月三日ゟ同十三日迄
               新開免願御用兼而
   一、八日        十月三日ゟ十日迄
               宗門方御用兼而
   文政三年       辰
   一、八日        二月十七日ゟ同廿四日迄
   一、十一日       十月十七日ゟ同廿七日迄
               宗門方御用兼而
 
18  文政四年       巳    画像  翻刻トップ  画面トップ
   一、九日        二月廿五日ゟ三月三日迄
   一、八日        十一月八日ゟ同十五日迄
   文政五年       午
   一、七日        二月廿三日ゟ同廿九日迄
   一、八日        六月廿九日ゟ七月六日迄
               新開免願方御用兼而
   文政六年       未
   一、九日        二月十七日ゟ同廿五日迄
   一、七日        十月十四日ゟ同廿日迄
   文政七年       申
   一、九日        三月六日ゟ同十四日迄
    金沢出府御用日数
     〆百拾壱日
 
    文政二年卯閏四月ゟ
    文政七年申二月廿七日迄之内
          御領国御絵図、下絵図、
   一、千日余  上り絵図、且右添帳調方
          夫々相しらへ、惣日数凡
          千日計相懸申候、
    惣日数
     〆千六百日余
 
19   文政七年申四月ゟ    画像  翻刻トップ  画面トップ
    文政八年酉六月六日迄之内
          三州壱国壱枚宛之組分
          絵図、下絵図并上絵図弐
   一、弐百廿日 通、右組分村名帳弐通り、
          且又御次へ上り申郷庄分御
          絵図并郷庄分村名帳
          壱通り、御根役所上り共、
          且又三州略絵図調方共、
     〆
 
      諸郡相しらへ申道程町間左之通
   道程
   一、四拾九里弐間        河北郡
   同
   一、七拾三里七町三拾間     石川郡
   同
   一、百弐里壱町弐間       能美郡
      内、四拾里拾町三拾八間、白山下御公領見図道程
   見図り道程
   一、四拾八里弐拾弐町三拾五間  江沼郡
      加州道程〆弐百七拾弐里三拾壱町九間
   道程
   一、百弐拾九里三拾五町弐拾五間 能州口郡
   同
   一、百拾壱里弐町四拾弐間    同 奥郡
      能州道程〆弐百四拾壱里弐町七間
   道程
   一、百八拾三里六町拾弐間    砺波郡
   同
   一、百三拾八里三拾町四拾八間  射水郡
   同
   一、弐百弐拾壱里三拾弐町九間  新川郡
      内
 
20      弐拾七里拾六町拾六間 富山御領分見図り    画像  翻刻トップ  画面トップ
       七里壱町       飛州地見図り
   見図り道程
   一、九拾里弐拾七町四拾三間   婦負郡
       但、神通川ノ西、新川郡富山御領分共
      越中四郡道程
        〆六百弐拾七里弐拾三町五拾弐間
         外ニ七里壱町飛州地しらへ
   惣道程
    〆千百四拾八里弐拾弐町八間
 
       御次ゟ御渡惣御入用銀請取之覚
   一、壱貫目         文政二年卯閏四月六日 中勘
   一、壱貫目         同    七月十二日 同
   一、七百弐拾七匁四分三厘  同十一月廿二日    本勘
   一、弐貫目         文政三年辰二月廿二日 中勘
   一、弐貫目         同   十一月廿六日 同
   一、壱貫目         文政四年巳九月三日  同
   一、四百四拾壱匁
         八分三厘    同   十二月三日  本勘
   一、五百五拾八匁
         壱分七厘    同   同  三日  中勘
   一、八百拾七匁三分三厘   文政七年申三月廿六日 本勘
    惣請銀
     〆九貫五百四拾四匁七分六厘  翻刻トップ  画面トップ