高岡市雲龍山勝興寺/文化財デジタルアーカイブ

宝物

作品解説

絵画

顕栄真影(九代)


顕栄真影(九代)(けんえいしんえい)     [目録を見る]   [ 宝物解説へ ]
 
[画中]
 顕榮
  
[裏書]
          釋□□(花押)
     (ママ)天保十二稔 甲申 十二月廿六日
 顕榮眞影

 勝興寺第9代住職・顕栄の肖像である。檜扇と念珠を持って高麗縁の上畳に斜め右向きに座し、僧綱襟を立てた鈍色の法衣に、白地の袈裟を着けている。顕栄は、永正6年(1509)、勝興寺第8代住職・実玄(1486~1545)の三男として生まれた。母は、妙勝(顕証寺蓮淳の娘)。
 
 実玄の長子・証玄は、20歳にして早世。次子・玄宗は、天文14年(1545)父の没後、継職するが、弘治2年(1556)43歳にして没し、三男・慶栄(後、顕栄と称す)が勝興寺住職を継ぐ。顕栄は、永禄11年(1568)から始まった越中一向一揆と神保長職勢との抗争では、一揆勢力の中心として活躍した。また、石山合戦にも出陣したという。
 
 天正9年(1581)、木船城主・石黒左近将監によって放火され、安養寺の寺基を焼失。この後、本願寺に寄寓したようで、和泉国貝塚で没している。
 
 没年は、「安政三年勝興寺殿御由諸抜書」(高岡市教育委員会編『勝興寺伽藍』所収)に、天正8年(1580)12月2日没、『真宗人名辞典』には、天正8年12月1日没とある。また、「勝興寺系図」(『富山県史』通史編Ⅱ所収)に、典拠『宇野主水日記』として、天正12年(1584)12月卒。『貝塚御座所日記』に、天正12年12月1日とある。裏書の「天保十二稔甲/申」部分は、後補であるが、「天正十二年庚/辰」を書き誤ったものとすれば、没年は天正12年となろうか。

(高田克宏)


【参考文献】『釈尊と親鸞 親鸞編 第4期出品 解説』龍谷大学 龍谷ミュージアム,平成24年(2012)