柏崎市/高精細デジタルアーカイブ

わたしたちの柏崎

7 くらしを高める努力

(2)学問を広める

③藍沢南城の教えと三余堂


わたしたちの学校と三余堂は、どんなところがちがうかしら。000-8
 
052-4 南城は、「三余とは、一年の余(あま)りの冬、一日の余りの夜、時(とき)の余りの雨の日である。人間その気になればいつでも学問はできる。」という意味から、塾の名を三余堂としました。
 塾を新築(しんちく)したときには、「一つまみの土も積もれば山になり、一てきの水も集まれば大海になる。人の志(こころざし)も同じことで、ひたすら努力を続けることである。」というお祝(いわ)いの文を書きました。
 南城は、人が生きていくための守るべききまりや年上の者に心をつくしてつかえる大切さを教えました。
 三余堂に入学したのは、柏崎や近くの村々の人ばかりではありません。遠くは新潟や上越、ときには、県外からも入学する、新潟だけでなく全国にも知られた塾となりました。29才で塾を開いてから南城が69才でなくなるまでの間に、塾生となった人の合計は700人以上にのぼりました。また、南城がなくなった後も、三余堂は明治時代まで引きつがれました。
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 三余堂とならんで称(しょう)された私塾(しじゅく)に「長善館(ちょうぜんかん」(今の燕市(つばめし)粟生津(あおうづ))があります。
 明治時代に新潟県内でこの長善館と三余堂がすぐれた学校として表彰(ひょうしょう)されました。