柏崎市/高精細デジタルアーカイブ

わたしたちの柏崎

7 くらしを高める努力

(1)米のとれる土地をつくろう

③米のとれる土地をつくろう


昔の人は、どんなくらしをしていたのかな。
どうして藤井ぜきをつくったのかな。
000-5
 
000-9それはね、昔の人のちえと工夫、たくさんの努力があったからよ。何があったのか、いっしょに調べましょう。

 昔から柏崎の平野は、土地が低いために水はけが悪かったり、反対に水がなかったりして、田にすることができずに人々はまずしいくらしをしていました。水をめぐる争いも絶(た)えませんでした。また、鯖石川は大雨のたびに川の水があふれ出し、人々を苦しめていました。そのため、戦国(せんごく)武将(ぶしょう)である直江兼継(なおえかねつぐ)や石田三成(いしだみつなり)も「なんとかして柏崎の平野(へいや)を豊(ゆた)かな土地にしたい」と考えていたほどでした。

 今から370年ほど前に、青山瀬兵衛(あおやませべえ)というさむらいが刈羽郡(かりわぐん)奉行(ぶぎょう)として柏崎ではたらくことになりました。
 瀬兵衛は、苦しむ人々をすくうことができないかと考えて、土地の様子や鯖石川の流れを調べて回りました。そのけっか、藤井地区にあるせきを、1kmも上流の平井地区にうつして、そこから用水路をほって水を引き、あれ地を田にする計画を立てました。
048-1
 瀬兵衛は、さっそく平井地区の人々にせきをつくることをおねがいに行きました。ところが、なかなかゆるしてもらえませんでした。せきをつくると、川の水を自由(じゆう)につかえなくなることを心配(しんぱい)したからです。しかし、「柏崎のために」と何度もお願(ねが)いに来る瀬兵衛の熱心(ねっしん)さに平井地区の人たちは心をうたれ、せきをつくることをゆるしたのでした。
000-7瀬兵衛さんは、何をしているのかな。