多摩デジタル新選組資料館 新選組関連資料

小島資料館 所蔵資料

近藤勇の稽古着 

近藤勇の稽古着
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 武州多摩郡小野路村名主小島鹿之助は、小野路村外三十四ヶ村を束ねる寄場名主であったので、武術を奨励し自宅を剣術の出稽古場として提供していた。『小島日記』によると、天然理心流の近藤勇が小島家を初めて訪れたのは、嘉永五年三月十八日である。
十九日の記載に、「昨夜江戸ゟ嶋崎勝太、福田平馬、染谷先生御来臨ニ付終日稽古」とあり二泊した。島崎勇は、近藤勇が宮川家から近藤家に養子入りしてからの名で、染谷先生は、近藤周助の高弟下染谷村の原田忠次郎で、福田は近藤の先輩である。小野路宿の橋本分家で剣術の稽古をしたあと、嶋崎と原田は、正午頃に分梅村(現府中市)の来助宅へ向かった。その後、近藤は小島鹿之助と親しくなり、義兄弟の契りを結んだと伝えられている。この稽古着は、近藤勇の妻つねが近藤のために刺繍したもので、小島家の庭で出稽古が行われ、その折に近藤勇が着用したと伝わっている。
 稽古着の背中には、人の頭より大きい髑髏が白い糸で刺繍(チェーンステッチ)してある。古来武術家が決死の覚悟で試合に臨むとき。自分の稽古着の襟などに小さな髑髏の刺繍をしたものを縫い付けたという。近藤勇は、新選組を結成する直前まで、小島家でこの稽古着を着用して、いつも、戦場と同じ気持ちで真剣に剣術を指南したものと考えられる。近藤は、後に京から郷里の門人にあてて、「白刃の戦いは竹刀の稽古とは格別の違いもこれなく候間、剣術執行(修行)は、よくよく致しおきたく事にござ候。必ず御出精願うところに候。」と書簡で述べている。
                            (小島資料館蔵)