多摩デジタル新選組資料館 新選組関連資料

小島家の日記『梧山堂雑書』

文久3年の軍事的緊張と村での対応 

 以上、文久3年のはじめ半年間を、小野路村にどのような江戸・上方情報が届いているか、鹿之助や角左衛門ら名主層は、それをどのようにとらえているかについて、2つの小島日記の記述に即して、したがって日時を追ってたどってきた。この間の江戸からの情報は、村方にとっては直接的に影響を受けるものであった。江戸の軍事的緊張は、地頭である旗本の緊張であって、村方ではすなわち上納金の必要と人足の差出しにつながり、また疎開の受け入れのための御殿建設ともなった。
また、今回は触れられなかったが、対外的緊張に基づく幕府の兵制改革が始まっており、すでに昨年暮れには兵賦令というこれまでにない制度も始まり、今年2月には兵賦1人出すようにとの命令が届いている。税として兵士を出すという徴兵制のはじめであり、今後幕末までつづく新たな税負担であった。これについては次回以降に取り上げていく。また、文久3年という年は、京都で八月十五日の政変といわれるクーデターが起こった年であり、これに関わる情報の錯綜の状況も、ぜひ検討してみたいと考えている。

小島日記研究会報「おのぢ艸」第45号(2015年4月18日発行)より転載