多摩デジタル新選組資料館/新選組関連資料

小島家の日記『梧山堂雑書』

文久3年の軍事的緊張と村での対応

 こうして攘夷期限の日を過ごしたのであるが、この日長州では関門海峡を通行するアメリカ商船を攘夷の実行と称して砲撃するという挙に出た。しかしこの情報はまだ小野路村には届いていない。
 12日になって、小野路村から出て横浜で商売をはじめている忠兵衛の聟が、横浜から帰ってきてもたらしたビッグニュースが飛び込んできた。
「交易の義、英夷へ十九万ドル御遣しにて講和に相成り候、一笑の至りと存じ奉り候」(『日記』)
 生麦事件の賠償金を支払うについては、朝廷と幕府の確執あるところであり、幕府は攘夷の実行5月10日と約束しているという立場もあって、償金支払いは幕閣の中でも意見が対立していた。ところが、5月9日、攘夷期限ぎりぎりになって、幕府は突然イギリスに対して44万ドル(11万ポンド)の賠償金を支払った。これにより、3月以来の緊張状態は一気に弛緩したかに見えた。鹿之助がこのことを評して「一笑の至り」と断じたのは、鹿之助に攘夷実行への幕府の決断に期待があったのであろうか、その期待が裏切られた時の失笑なのであろうか。
 ともかく、数か月間続いた戦争への緊張感は、この日いっきに弛緩した。角左衛門の日記には、「今日より打ち払い相初め候由、松平様より御達し御座候へ共、今以て御沙汰これなく、愛で度し」(『雑書』5月11日)と、何も起こらなかったことへの歓びがあふれている。さらに、忠兵衛忰が横浜から帰ってきて、横浜は穏やかになっていて、奉行所からも「渡世専らに致す様」御沙汰が出ていることを伝えてきた(『雑書』5月12日)。