多摩デジタル新選組資料館/新選組関連資料

小島家の日記『梧山堂雑書』

文久3年の軍事的緊張と村での対応

 9日、鹿之助が帰村すると、10日には小野路村の組頭と百姓代など村方役人を呼び集めて寄合、「非常之節御奥様其外引取談いたす」(『日記』)。そして、鹿之助と入れ替わりに今度は角左衛門が出府することになった。角左衛門は『雑書』3月13日に
「江戸表御武家方町人等に至る迄厳重の御触れ達しこれ有り、銘々御旗本様方御知行所へ御引き取り、御蔵前取り又は遠国御知行所これ有るの面々は、御親類様方へ御頼み相成り候事故、同日出府」
と書いて出かけて行った。老人の出府は殿様の家族を引き取ることがいちばんの用件であったと思われる。帰村したのは16日であった。鹿之助のその日の日記には次のようにある。
「殿様御像を写候鏡被下、床之間江きじの箱江入置、御旗本様方御老若御知行江御引取不苦旨御触書写老人持参、江戸之騒動実ニ筆紙ニ難尽」
この記述から、先にあげた『異聞録』にある触書類のいくつかは、角左衛門の出府によってもたらされたものであることが分かる。角左衛門の帰村後直ちに行動は起こされた。奥様引取りのために、その住居として、野津田村の石阪家の隠居のための家を買い取り、小野路村へ移築しようということになり、このあと御殿の建築が進んでいく。(このことについては、小島日記研究会編『小島日記物語』のうち淀川好幸「奥様御殿」に詳しく紹介されている)。
 また、角左衛門が山口氏へ伺候して奥様引取りの相談などしたときに、殿様から直々にお土産を貰ったことがこれで分かる。つまり「殿様御像を写候鏡」をくださったというのであり、「鏡」というのはガラス板に写された写真に他ならない。小島家ではこの写真を木地の箱に入れて床に間に飾ったというのであるが、現在も小島家には伝存している。実はこの写真は、あのジョン万次郎が江戸・芝新銭座の江川太郎左衛門の屋敷で撮影したものであることが最近分かった。→画像を見る。山口直邦がかねて講武所の砲術指南役であり今年騎兵頭に昇進したことを考えれば、江川家との交流が想像されるところである。
 脇道にそれたが、角左衛門が江戸へ行って、英国軍艦入港と戦争の危機をめぐる町の様子を見聞したところは、「江戸の騒動実に筆紙に尽し難し」(『日記』)という状況であった。