多摩デジタル新選組資料館/新選組関連資料

小島家の日記『梧山堂雑書』

文久3年の軍事的緊張と村での対応

 3月に入ると、江戸方面の情報はにわかに騒がしくなった。5日、下男八蔵が東海道方面鎌倉郡の中田村(現横浜市泉区)名主・小山氏から手紙をもって帰ってきた。「上方筋に変事が出来したのだろうか、早駕篭が頻繁に通行している」(『日記』)という情報で、街道筋の騒然とした様子が伝わってきた。
次の日、6日の『日記』は「御府内高輪芝辺取払之趣風聞」があり「心配」なことだと不安を隠さない。角左衛門の日記『雑書』3月7日では次のように書いている。
「一 御城最寄芝辺一同戦の場所に相成り、六日七日両日の内引き払い候様御触出しこれ有り、右場所柄のもの一同恐縮大変の由、咄しにも出来申さざる由風聞」
 英国軍艦が横浜へ来たのである。そのため、江戸城から高輪、芝のあたりにかけて戦場になるかもしれないので、急いで引払うよう触れが出た。江戸の町は大騒動になり、戦争になるかもしれないという事態となった。武士も町人もこのままではいられない。
 小島家に残っているこの時期3月上旬の幕府の沙汰書・達書・触書として、次のように多数があり、『異聞録』に筆写されている。
 
3月5日 英国軍艦渡来ニ付備方(触達)
亥3月  異国艦船横浜碇泊中市中取締(触達)
亥2月19日 英国軍艦差出候書簡
3月4日 異船渡来ニ付横浜川崎間警衛ニ付(井伊家へ)(申渡書)
3月5日 英国軍艦渡来ニ付備方(牧野越中)(申渡書)
亥3月  異国艦船横浜碇泊ニ付江戸市中女子并老若病者在方立退(触達)
     江戸市中女子共立退関所判鑑相渡ニ付(触達)
亥3月  非常之節家族在所へ差遣ニ付(申渡書)
亥3月  家族近国知行所江差遣之節関所自分判断ニ而通行ニ付(申渡書)
 
 小島家にとっては3月7日の段階ではまだ風聞に過ぎなかったが、この日、地頭所から急飛脚が到着して、殿様の直々の手紙が届いたため、にわかに現実の問題となった。受け取った鹿之助は直ちに野津田村名主の三左衛門らと共に、明日の未明には出立というあわただしい事態となった。旗本にとって、一つは武士として戦争に備えて準備に入らなくてはならないし、他方で、その家族を避難させることも考えなくてはならない。そのために、村方の名主たちを呼び集めたのである。
 すでに代官・江川太郎左衛門様の奥方は昨日、田名村の半兵衛方へ御立退きになったとの情報も入ってきた。