西東京市図書館/西東京市デジタルアーカイブ

柳沢つげの手紙

留守番の妻から夫へ

解説

柳沢つげ画像1
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 徳川幕府が崩壊して失職した武士たちの中で、明治新政府の役人になれた者は幸運でした。その一人、柳澤敏克(※1)は、明治三年(一八七〇)に土木大令史準席・測量係として出仕します。この年政府は、長崎から東京を経て青森までの電信回線を架設する工事が急に決まり、突貫工事の末、僅か三年間で日本縦断の電信回線が開通してしまいます。敏克は工事の先駆けとして長期出張の身となり、四谷尾張町(東京都新宿区)の、旧藩邸付属長屋に留守番の妻を残して勤めに出ます。
 妻つげ(※2)は、尾張藩邸で藩主近くに仕えた女中だったと察せられます。文面から敏克とは明治6年の始め頃に結婚したようで、婚家には姑と義弟が居ましたが、まもなく敏克は長期出張となり、姑も病身な峯次郎を心残りに他界します。留守を預かる身となったつげは、寂しさに加えて懐妊の身となった不安も加わり、一日も早く帰ってほしい気持ちから、夫あてに連日手紙を出します。そこには“御長屋”で暮す人々の心暖まる交流も描かれています。
 現存するつげの手紙は、明治六~九年の間に交わされた四十七通(断片を除く)です。敏克もこれに応じていることが文面から分かりますが現存するのは一通だけです。この手紙は敏克在任間の辞令等とともに、娘の直(なお)の嫁ぎ先(西東京市の浜中家)に伝わっていました。市に寄贈された後、現在は西東京市図書館に所蔵されています。
 
 ※1 柳澤敏克…天保七年(1836)~明治二十五年(1892)五十六歳 公務従事 明治三年(1870)~同九年(1876)
 ※2 妻 つげ…(生年不詳)~明治十七年(1884)
文責 吉田 豊

 今回、公開にあたり、吉田 豊氏、永瀬 鉄男氏に資料整理と翻刻を行っていただきました。