町田市/町田デジタルミュージアム

歴史資料

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大正~昭和初期

 明治半ばまでほとんどの村に置かれた小学校は、1886(明治19)年の小学校令をうけて1892年に尋常(高等)小学校となりました。明治末までには、合併後の5つの村ごとに統廃合が進み、多いときには24校もあった小学校は、大正期になると分校も含め12校に減少しました。
 大正期には教育の理念や手法についての研究が反映され始め、作文教育、絵画教育などにおいて生徒が自由にテーマを選ぶ機会を設けたり、積極的に校外学習を取り入れることも行われました。一方で、日清・日露、第一次大戦と続いた戦争の影響も色濃くありました。
 
史料
忠生尋常高等小学校での授業風景忠生尋常高等小学校での授業風景『卒業記念写真帳』より。黒板に向かって左側に女子、右側に男子と席が分かれています。理科の授業風景で、黒板には掛図、教卓には地球儀があり、黒板には「昼夜 自転、四季 公転」の板書が確認できます。
忠生尋常高等小学校の振鈴忠生尋常高等小学校の振鈴忠生尋常高等小学校で使用されていました。携帯できるため、さまざまな場面で、合図に用いられたと思われます。
忠生尋常高等小学校の第一期卒業生忠生尋常高等小学校の第一期卒業生1912(明治45)年に開校した忠生尋常高等小学校初の卒業生です。前から2列目は教員で、向かって右から5番目が校長の大森彦次郎、その右隣が後の忠生村長天野佐一郎です。
忠生尋常高等小学校玄関屋根の鬼飾り忠生尋常高等小学校玄関屋根の鬼飾り大森彦次郎校長から校舎の玄関屋根にのせる校章の図案を考えるよう言われた、高等科2年生の井上武がデザインしました。“忠義なる人を生ずる”という意味の「忠生」から、この図案にしたといいます。
忠魂碑の清掃をする児童忠魂碑の清掃をする児童南尋常高等小学校の児童たちが南村の忠魂碑を清掃している様子です。戦前の小学校では、教育が国家、戦争と近い関係にあったことがわかります。