昭島市デジタルアーカイブズ/あきしま 水と記憶の物語

昭島の歴史

第Ⅵ編 現代の昭島

第1章 平和都市を目指して

一 敗戦から復興へ

 農業生産が回復し、食料への不安が少なくなるとともに、他の産業も次第に復興していきました。昭和飛行機を中心に発達してきた昭島の工業は、敗戦を境に、廃業や平和産業への転向をさせられました。しかし、平和産業に転換した企業も、資材の不足から困難な経営を続けていました。
 そのような工業に代わって建設業が大きく発展していきました。これは、立川飛行場に駐留するようになったアメリカ軍による、立川基地の工事量の増大によるものでした。
 昭和二十三年、昭和町の建設に従事する人は、六千二百五十七人で、製造業の二千五十五人を大きく引(ひ)き離し、町全体の就業者の半分を占めるほどでした。
 
昭和町産業別就業者調査(昭和23) 昭和町誌より
業種人員業種人員
農業975商業569
林業7金融業102
水産業23運輸通信業464
鉱業28サービス業223
建築工業6,257自由業226
製造工業2,055公務団体515
ガス・電気・水道業102その他の産業957
人員総合計12,507

 また、空襲によって焼かれてしまった東京をはじめとする都市の再建や、住宅不足を解消するための建設ラッシュにより、砂利の採取も盛んに行われました。多摩川の河原からの砂利採取は、明治時代から始まり、品質の良いことで評判でした。大正時代から戦争前までは、馬や引き込み線などを使って、採取した砂利や砂を運び出し、鉄道により東京を中心とした都市に送られていました。
 戦後、コンクリートによる建設が急速に伸(の)びるとともに、砂利や砂の需要が増え、多摩川の河原には採取した跡の砂利穴が至る所にできていました。
 青梅線の利用客数も、昭和二十三年には大幅な増加があり、戦後の混乱を抜けだし、新しい世の中へ歩みだしたことがうかがわれます。

多摩川の砂利採取(拝島橋付近) 昭和32(1957)年 昭島市民秘蔵写真集より