昭島市デジタルアーカイブズ/あきしま 水と記憶の物語

昭島の歴史

第Ⅵ編 現代の昭島

第1章 平和都市を目指して

一 敗戦から復興へ

 空襲による被害、敗戦による軍需工場の撤退など、戦争による影響の大きかった昭島ですが、戦後の復興は比較的順調に進みました。
 それは、昭島の地域が食料生産地帯であり、他の地域に比べると、食料の確保が安定していたからでした。
 戦争中の働き手の召集や徴用により、農業の生産力は極端に低下していました。そのうえ、海外からの引き揚げ者の増加もあり、戦争が終わってからも食料が不足し、日本中が飢(う)えていました。
 昭島の地域でも、農業生産地帯であるとはいえ例外ではありませんでした。
 米は不足し、配給でしか買うことができず、それも十分ではありませんでした。しかし、昭島の地域では、戦争中から桑畑をつぶしてサツマイモの生産に取り組んでいました。働き手が戦場から帰ってきたこともあり、その生産力が向上していきました。
 表に示されているように、拝島村の農業生産も、昭和二十二年、二十三年と上昇を示しました。特に、甘藷(サツマイモ)、馬鈴薯(ジャガイモ)の生産額が急上昇しました。これは、食料が不足していた社会状況の反映でした。米や麦が不足していたため、収穫量の多いサツマイモやジャガイモの増産が求められたからでした。昭島の地域では、残っていた桑畑を芋畑や麦畑に転換し、食料の増産に励みました。
 
拝島村主要農産物生産高
年次昭和20年21年22年23年24年
品目
248石383石475石558石654.7石
大麦722石374石341石490石690.8石
小麦377石225石146石183石324石
甘薯30,000貫44,000貫53,705貫72,011貫113.241貫
馬鈴薯2,378貫16,450貫26,731貫47,028貫41,962貫