昭島市デジタルアーカイブズ/あきしま 水と記憶の物語

昭島の歴史

第Ⅴ編 近代の昭島

第2章 大正から昭和へ

三 太平洋戦争と昭島の人々

 大正から昭和の初めにかけて、多摩川の流域に別荘が造られるようになりました。
 これは、第一次世界大戦による好景気、東京の発展、中央線の電化などが背景にあり、環境が良く自然の景観がすばらしかった国分寺や拝島などに別荘の地を求めたようです。
 拝島には、伏見宮別荘と三井家別荘がありました。伏見宮別荘は、後に山階宮別荘になりますが、昭和二(一九二七)年、三井家別荘に組(く)み込(こ)まれました。
 三井家は、この年に、東京の麹町区(現千代田区)にあった鍋島邸も買い取り、拝島に移築しました。鍋島邸は、鍋島侯爵が明治二十五年に建てたものです。木造二階の和風建築ですが、内部は、応接室をはじめ西洋のものが多く取り入れられ、明治時代の建造物として貴重な建物です。これが北泉寮で、国指定登録文化財になっています。
 啓明学園は、昭和十五年に港区赤坂に小学校を開設し、翌年、中学部と高等女子部を設置しました。昭和十八年に、拝島の三井家別荘の土地と建物の寄贈を受け、中学部が拝島に移転し、寮教育を始めました。
 このときより、北泉寮が啓明学園の施設として使われるようになりました。
 現在は、啓明学園と「北泉寮を守る会」により、その保存と維持が行われています。

啓明学園北泉寮外観(旧三井別荘)


北泉寮 洋間客室


北泉寮 二階居間と次の間