昭島市デジタルアーカイブズ/あきしま 水と記憶の物語

昭島の歴史

第Ⅴ編 近代の昭島

第2章 大正から昭和へ

二 昭和時代に入ると

 東中神駅より江戸街道を西に進むと八清通りにぶつかります。八清通りを南に下り少しすると、東側にロータリーが見えます。
 初めての人はだれもが、「このような場所になぜロータリーが」と思いますが、このロータリーは、八清の住宅街の名残で、ここに、その中心である事務所がありました。今の玉川会館の場所です。この辺りは八清とよばれていました。八清とは、この住宅街をつくった八日市屋清太郎という人の名から付けられた名前です。
 今では、道路とロータリーくらいしか当時の町並みを残すものはありませんが、この周辺には、家族用や独身用の住宅が五百戸も建てられていました。中心地には、公衆浴場、映画館、市場までありました。
 昭和十五年、東中神駅の北側に名古屋工廠ができ、そこで働く人々の住宅が必要となりました。その住宅建設の工事を請(う)け負(お)い、管理にあたったのが八日市屋清太郎でした。
 一面の桑畑であったこの地を区画し、住宅街に造り替えたのでした。この桑畑は、昭島の地域の農民のものでしたが、戦時体制の中で、軍需関係者のための住居地として、半ば強制的に買い上げられたようでした。
 ロータリーを中心に、東は昭和公園、西は福祉会館辺りまで、瓦屋根の長屋が建ち並び、突然、近代的な街ができあがりました。工場で働く人々が、名古屋を始め各地からやってきて、昭和町の人口は一気に増えました。金鵄住宅や中神の営団住宅も、この八清と同様の目的で造られたものでした。

八清管理事務所(昭和15年ころ)
昭島市民秘蔵写真集より


八清映画劇場(昭和15年ころ)
昭島市民秘蔵写真集より


福島・八清地域の全景(昭和22年10月)