昭島市デジタルアーカイブズ/あきしま 水と記憶の物語

昭島の歴史

第Ⅴ編 近代の昭島

第2章 大正から昭和へ

二 昭和時代に入ると

 昭和の時代に入ってからの昭島地域の小学校は、明治四十五年(一九一二)年、中神小と共成小が統合し玉川小になって以来、尋常高等小学校と名前を変えるものの、拝島小学校・成隣小学校・玉川小学校の三校でした。
 それぞれ、発足当時の仮住まいから、木造の専用校舎を造り、その大きな建物は、地域の人々の誇りであり、多くの卒業生を送り出してきました。

拝島小学校の木造校舎


成隣小学校の木造校舎


玉川小学校の木造校舎

 戦争の時代になると、小学校の生活にも戦争の影響が現れてきました。
 教科書の内容にも戦争に関係のあるものが取り入れられ、昭和十六(一九四一)年、小学校は国民学校と名前を変え、教練(軍事訓練)なども行われるようになりました。
 昭和二十(一九四五)年の二年生用の教科書には「日本ヨイ国、キヨイ国、世界ニ一ツノ神ノ国。日本ヨイ国、強イ国、世界ニカガヤクエライ国」という文章がのせられました。

軍事教棟(大神町・昭和18年)昭島市民秘蔵写真集より