昭島市デジタルアーカイブズ/あきしま 水と記憶の物語

昭島の歴史

第Ⅴ編 近代の昭島

第2章 大正から昭和へ

二 昭和時代に入ると

 明治三十五(一九〇二)年、拝島村が分離独立して以来、昭島地域の村は、拝島村と中神村外八か村組合村というかたちで続いてきました。

拝島村役場(明治44年)昭島市民秘蔵写真集より

 組合村という組織は、一つの村としての性格が薄くまとまりのないものでした。それぞれの内部の村、郷地・福島・築地・中神・宮沢・大神・上川原・田中、それぞれが独自性の強いものでした。村運営の上からも、組合村とそれぞれの村の二重の組織は不便なものでした。一つの村に統合しようという動きはあったものの、長年培われてきた各村の独立心が強く、それぞれの利害もあってなかなか統合ができないまま、昭和の時代まで続いてきました。
 村民の中には、何とかして村ごとの閉鎖性を乗(の)り越(こ)え、一つの村にしようとする人々がいました。大正十三年の青年団の団報に次のような論文が掲載されています。
 
青年団報論文
「中神組合の現在及将来」
---------------組合村と言うことにも相当の理由のあることとも思われますが、一度瞳を他町村に向けたなら、滔々と移りゆく社会の流れに任しても、現状維持で行くことは時潮に伴うやり方でありましょうか。将来いまのように小さな部落のあつまりでやりたいことも、小さな故に放任して置き勝ちにして置くか。さもなければ八ツのものを一と束にして新たに一村として生まれるか、どちらかの一つを選ばなければなりますまい。
 私としては、後者を選びたいと思います。(後略)
 
 このような人々の働きもあって、昭和三(一九二八)年一月、中神村外八ヶ村組合村の各村々が、江戸時代より続く歴史の枠を抜け出して、昭和村としてまとまりました。

昭和町役場(昭和4年)昭島市民秘蔵写真集より