昭島市デジタルアーカイブズ/あきしま 水と記憶の物語

昭島の歴史

第Ⅴ編 近代の昭島

第1章 明治政府の成立と昭島

四 日清・日露(にっしん・にちろ)戦争と昭島

 日清戦争の開始により、昭島の村からも何人かの青年が戦場に出かけました。しかし、昭島の村全体で実際にどれくらいの人が戦場に行ったのかは、記録に残されていません。
 福厳寺の「表忠碑」には、昭和村の区域から七人が戦場に行ったと記されていますので、拝島村を併せるとそれ以上の青年が従軍したことは確かです。戦場は日本よりはるかに離れた朝鮮、中国であったとはいえ、昭島の村も戦争と無関係ではいられませんでした。

福厳寺「表忠碑」

 明治二十六(一八九三)年、近衛師団は、北多摩郡に馬百八十八頭の供出を割り当てました。そのうち、大神村には、牡乗馬四頭、牡駕馬七頭、牡駄馬五頭合計十六頭が割り当てられました。他の村にも同様の数が割り当てられたと思われます。
 これにより、農耕や荷の運搬のために貴重な馬を徴発された村人は大変な痛手を受けました。

馬を使っての耕作風景(昭和10年)