昭島市デジタルアーカイブズ/あきしま 水と記憶の物語

昭島の歴史

第Ⅳ編 近世の昭島

第2章 幕末(ばくまつ)の昭島

一 黒船がやってきて

 このような開国による、生糸の輸出の増大は昭島の村にも大きな変化をもたらしました。
 もともと、畑には桑を植え養蚕をし、生糸をとり、織物を盛んに織っていた地域でした。生糸市場の好景気は、村の生糸生産に拍車をかけ、競って養蚕に取り組みました。
 昭島の村々で生産された生糸は、拝島から八王子を通り横浜に運ばれました。この横浜に至る道は、生糸の荷を積んだ馬車や荷車でにぎわい、シルクロード(絹の道)と言うべきものになりました。昭島の周辺の村だけでなく、埼玉や群馬などからも集められた荷が運ばれていき、拝島の宿場もたくさんの人が往来するようになりました。
 昭島の村に住んでいた人の中には、上川原村の指田七郎右衛門のように、横浜の商人への仲買活動に従事する人も出てきました。七郎右衛門は、甲州(山梨県)にまで買い付けに歩きました。