昭島市デジタルアーカイブズ/あきしま 水と記憶の物語

昭島の歴史

第Ⅳ編 近世の昭島

第2章 幕末(ばくまつ)の昭島

一 黒船がやってきて

 ペリーが日本にやって来てからわずか七年後に、アメリカ大陸に渡った昭島出身の人がいました。それは、拝島生まれの栗島彦八郎でした。
 拝島町の竜津寺に、栗島彦八郎の墓がありますが、この彦八郎は、拝島村の乙幡家に生まれました。後に、旗本栗島家の養子になり、旗本として幕府に仕えていました。
 一八六〇(安政七)年、幕府は、日米修好通商条約批准書の交換のために、新見正興・小栗上野介たちをアメリカ合衆国へ派遣しました。この使節団の中に、小人目付として栗島彦八郎が加わっていました。
 福沢諭吉もこの一行に加わっていました。使節団は、アメリカの戦艦ポーハタン号に乗ってアメリカ大陸に渡りました。この艦隊には、勝海舟が艦長になった日本の蒸気船咸臨丸も随行艦として加わり、太平洋を初めて横断しました。
 このことから、栗島彦八郎が、昭島で生まれた人々の中で、最初にアメリカ大陸の地を踏(ふ)んだ人であると考えられます。
 写真の後列右から五番目が彦八郎で、使節団がアメリカで記念に撮影したときの写真にくりぬきの写真を加え、日本で印刷されたものと思われます。くりぬきの写真は、右より、ペリー提督、井伊直弼、スペリー提督です。

日米修好通商条約批准書交換のため渡米した一行 昭島市民秘蔵写真集より