昭島市デジタルアーカイブズ/あきしま 水と記憶の物語

昭島の歴史

第Ⅳ編 近世の昭島

第1章 幕藩体制(ばくはんたいせい)の成立と昭島

二 新田開発と村々の広がり

 江戸時代の昭島市域の様子を見ると地図のようになります。既にこの時代に昭島市の今の形ができあがっていたようです。

近世後期の市域村落概略図 昭島市史資料編地方文書目録Ⅱより

 多摩川に沿って西から拝島村・田中村・大神村・宮沢村・中神村・福島村・郷地村と並び、ほぼ現在の町名と重なっています。また築地村や上川原村は、多摩川の洪水の被害を避(さ)けるために、段丘の上に村を移したもので、以前は、ほかの村と同様に多摩川沿いにありました。
 九つの村で鷹場組合をつくり、また、上川原村を除く八つの村は、立川の柴崎村とともに多摩川から取水した用水の組合をつくるなどして、一つのまとまった地域をつくっていました。
 段丘に沿って、もっとも古い「五日市道(奥多摩街道)」が東西にはしり、それぞれの村を結んでいました。さらに、五日市道は東は立川の柴崎村、西は福生の熊川村につながっていました。台地のほぼ中央には「府中街道(現、江戸街道)」、南北に「大山道」があり、築地の渡しを経て、日野に通じていました。また、八王子から拝島を通り、北へ抜(ぬ)ける道日光御番所の千人同心が日光の往復に使いました。各村の畑地帯を北へ抜ける道は、五日市街道につながっていました。