昭島市デジタルアーカイブズ/あきしま 水と記憶の物語

昭島の歴史

第Ⅳ編 近世の昭島

第1章 幕藩体制(ばくはんたいせい)の成立と昭島

二 新田開発と村々の広がり

 昭島市の地図を見て、寺院や神社の位置を調べてみましょう。昭島市のどのような場所にあるでしょうか。
 ほとんどの寺院や神社が奥多摩街道に沿ってあります。土地の高さからみると、多摩川に沿った段丘の崖線沿いの、高さが海抜八十メートルから百メートルの場所にあります。このあたりは、段丘の下から地下水がわき出し、小さな流れをつくっていた所です。
 いつの時代でも、人々は水と深くかかわって生活をしてきました。生活に必要な水が得られる場所に住居をつくりました。縄文時代の遺跡が多く発掘されているのもこの周辺です。
 江戸時代には、この奥多摩街道沿いの地域に村ができ、それぞれの集落ごとに寺院や神社をつくりました。
 現在の昭島の町名を見てみましょう。青梅線の線路を挟んで同じ町名のあることに気づくでしょう。福島町、中神町、宮沢町、大神町の名が、多摩川沿いと青梅線北側にそれぞれあります。また、同じ名の町は、だいたい南北に位置しています。江戸時代には築地の村も多摩川沿いにありました。
 このことから、南北にある同じ名の町は、以前は一つの地続きの地域であったことがわかります。
 江戸時代になると、奥多摩街道沿いの集落に住んでいた人々は、より広い田畑を持ち安定した農業経営を求めていました。それが、農業技術の進歩と人口の増加により、新しい田畑を求めて新田開発を行うことが可能になりました。
 段丘下の多摩川沿いの低地に、旧来からある田をつくるとともに、段丘の上の台地を北へ北へと開墾し、新たに畑をつくり村を広げていきました。

昭島市の町名(青梅線沿いの町名は近年のもの)