昭島市デジタルアーカイブズ/あきしま 水と記憶の物語

昭島の歴史

第Ⅲ編 中世の昭島

第1章 鎌倉・室町(かまくら・むろまち)時代の昭島

三 昭島の中世の文化財

 神社や寺の創建を見てみましょう。
 神社では、諏訪神社(宮沢町)が、平安時代創建の伝承をもっています。
 寺の方では、大日堂(拝島町)が、平安時代創建の伝承をもっています。続いて、阿弥陀寺(宮沢町)が鎌倉、広福寺(福島町)が室町の伝承をもっています。
 このように、古い創建伝承をもつ寺社のある地域と、板碑がたくさん発見された地域は、一致します。
 これらの地域を含む拝島段丘は、縄文前期以降、住み良い地域として利用されていたことは、遺跡で述べました。
 昭島市域には、中世の文書資料はあまりありません。が、さまざまの遺物が、当時の様子を語ってくれています。
 大日堂と日吉神社のある辺りは、天台宗の寺域構成が、昔のままよく残っています。平成四(一九九二)年、「大日堂境域及び日吉神社境域」として、東京都史跡に指定されました。
 平成十一年、史跡内の便所の、移転計画が出ました。そこで、狭い範囲ながら、遺構の確認調査が行われました。
 板碑の破片が三つ発見されました。が、種字や年号はわかりませんでした。
 鬼瓦の断片も発見されました。これは、平成十四年、西隣の日吉神社の配水管工事で、中世の平瓦片四点が出土したのと合わせ、十三世紀後半~十四世紀初頭と比定されました。
 大日堂の仁王門には「密厳浄土寺」の扁額が揚(あ)がっています。金剛力士像の解体修理で、阿形像の胎内から「敬白浄土寺・正和三年」の墨書銘が出ました。このことから、浄土寺の寺号が、十四世紀初頭にあったことがわかります。これは瓦の時代と一致します。
 大日堂には、三井親和(一七〇〇~八二)の「大日堂」の扁額が揚がっています。三井親和は、江戸町奉行の与力で、書も得意であったことがわかっています。このことから、享保の、再建後に揚げられたと考えられます。
 これらを踏(ふ)まえて、昭島市文化財保護審議会会長の和田さんは、「大日如来を本尊とする浄土寺が古くからあって、鎌倉期に整備されたが、その後衰退した。戦国期に、石川土佐守一門が、篤い信仰で復興し、一山八坊を建立した。その後、『新編武蔵風土記稿』にあるように、享保の時代、段丘下から現在の地に移して再建された」と述べています。
 大日堂に限らず、寺院の創建には、近世の伝承に、明治以降、新たな伝承が加わったものが多いようです。