昭島市デジタルアーカイブズ/あきしま 水と記憶の物語

昭島の歴史

第Ⅱ編 原始・古代の昭島

第4章 奈良・平安時代の昭島

二 昭島の奈良・平安時代

 奈良・平安の集落は、国衙のあった府中を中心に、現在の国立・日野・八王子などから、広く発見されています。
 昭島市からは、奈良時代の集落としては、偕生園遺跡・広福寺台遺跡などが発見されています。そして次に述べる玉川町火葬墓も、奈良時代のものです。
 平安時代の集落も、広く分布しています。発掘調査された経塚下遺跡や東耕地遺跡は、大規模な集落であったと思われます。
 集落の分布は、経塚下遺跡の外、拝島大師裏手一帯、福島町広福寺台など、多摩川に臨む段丘上にあります。東耕地の頃、水田面まで降りてきたと考えられています。

1.拝島町林出土の須恵器〓


2.平安時代の鉄製品遺物と砥石

 
◆武蔵国の須恵器の生産地
 須恵器は、朝鮮から、ろくろの技術と、穴窯で焼く技術が伝えられて作られた、硬い陶器。この技術により、大量生産が可能になった。
 平安初期の律令の細則である『延喜式』に、陶器と書いて、すえのうつわと読ませるほど、一般的であった。
 しかし、日本古来の土師器も、耐火性が強いことから、併用されていた。
 武蔵国では、埼玉県の、比企や金子の丘陵から、窯跡が多く発見されている。また、八王子の御殿山一帯からも、窯跡群が発見されている。
 国分寺遺跡から出土した瓦から、武蔵国の各地に窯がつくられ、大量に生産されていたことがわかる。
 昭島市出土の須恵器も、これらの地域の生産品と考えられる。