昭島市デジタルアーカイブズ/あきしま 水と記憶の物語

昭島の歴史

第Ⅱ編 原始・古代の昭島

第2章 縄文(じょうもん)時代の昭島

四 林ノ上遺跡(はやしのうえいせき)

 林ノ上遺跡(巻末地図参照)は、拝島駅から南へ、およそ五百メートルの所にあります。立川段丘の端で、かつてはわき水に恵まれていた所です。
 林ノ上遺跡は昭和十六(一九四一)年に発見されました。しかし戦争のため、調査はされませんでした。
 昭和二十二(一九四七)年、第一次調査が行われました。多摩地区での、戦後初の本格的調査でした。
 第一次調査の結果、小さな竪穴状の遺構が発見されました。中央に台石が据(す)えられ、周辺に石くずが散乱していました。それで、石器製作所跡と報告されました。

1.林ノ上遺跡 第10次調査地点(平成12年)

 石器は、石鏃・スクレイパー・礫器・凹石・石皿など、さまざまな物がたくさん出土しました。
 また石器(写真3)と共に土器も発見されました。丸底で、縄文・撚糸文の他に、押型文のものもみられました。(写真2)

3.林ノ上遺跡出土の石器


2.林ノ上遺跡出土の土器(早期末)

 この土器を、発掘に参加した慶応大学の江坂さんは「拝島式」と名付けて、雑誌に発表しました。拝島式土器は、従来の稲荷台式土器◆と、井草式土器◆の、中間に位置する新しい形態の土器であるとしました。
 しかしその後、神奈川県の夏島貝塚から、林ノ上遺跡と同じタイプの土器が、より純粋な形で多量に発見されました。そこで拝島式土器は、「夏島式」と呼ばれるようになりました。
 第二次調査は、昭和三十六(一九六一)年に行われ、竪穴状遺構が発見されました。当時は、簡単な小屋掛けをした程度の住居跡と考えられました。しかしその後、各地で撚糸文期の竪穴住居が発見され、この遺構は住居以外のものと考えられるようになりました。
 この年、多摩地域で、最古に属する貴重な縄文遺跡として、市の史跡に指定されました。
 そして、地域開発の進展に合わせ、三次~十次までの調査が行われました。
 その結果、竪穴状遺構四基。集石遺構四十二基。土坑二十一基が発見されています。
 集石遺構は、遺跡内に広く分布していて、土坑を伴うものと、焼礫が平面的に分布しているものとがあります。
 土器は、ほとんど夏島式です。
 石器は、それぞれ異なる素材で作られた、礫器と、スタンプ形石器と、磨石が主です。このことから林ノ上の人々は、スタンプ形石器や磨石を使って、植物質の食べ物を、磨(す)り潰して食べていただろうと考えられます。
 
◆井草式土器
 東京都杉並区井草遺跡出土の土器を標式とするもの。早期最初頭の尖底深鉢で、分布は南関東に限られている。

 

◆稲荷台式土器
 東京都板橋区稲荷台遺跡出土の土器を標式とするもの。井草・夏島に次ぐ早期砲弾型深鉢で、南関東中心に分布している。