練馬区立貫井図書館/練馬区立貫井図書館デジタルアーカイブ

中むらの昔

新屋敷の子供歳時記

首継ぎ地蔵

 この石地蔵様は、もとは八幡様の西側の雑木林のそばに建っておられました。こゝには昔、真言宗の西光寺と云うお寺があったそうで、寺の入口で、子供達を見守って居られたのかもわかりません。でもこの地蔵様には、お気の毒なことに石の頭が無いのです。村の信心深い年寄りが作って差上げたものか、お身体には似合わぬ小さくて、素朴な木の首がのっていました。枯すゝきの細道にポッンと建っておられる首無し地蔵様を拝む度に、子供らは何時も小さい胸を痛めていたのでした。
 さて、昭和七年十一月の或る日、守家広太郎さんと云う人が、「広々とした野原を彷徨っている時路傍に首なし地蔵がある夢」を見たのだそうです。そして次の夜も同じ夢を見て、不思議に思っていました。その翌日は、府内八十八ヶ所参りの日でしたので、南蔵院のお大師様を拝んだ後、自分は講中より一足先に谷原の長命寺に向って歩き始めました。
 八幡様近くまで来た時、クヌギ林の小道にある首無し地蔵を見つけました。近づいてよく見ますと、夢の中の地蔵様とそっくりだったのです。
 音羽護国寺の或る会に出席してこの話を聞いた美術学校の正木直彦先生の夫人は、自宅の庭石の上に安置してある地蔵様のお首が心に浮びました。このお首は、蒔画師の加藤居山と云う人が、大正十二年の関東大震災直後に、正木先生に捧げたものなのだそうです。もしやと思って、そのお首とお身体をあわせたところ、お身体とのつり合いもいゝ事がわかりました。
 そこで、長谷寺化主小林正盛大僧正のすゝめで、お首を地蔵様にお還しする事にしました。正木ご夫妻、守屋さんは、石工を伴なって、お首を据えた所、石の割れ目も同じ方向にむかい、石質も同じなのに驚ろいてしまいました。
 早速この地蔵様は、五十メートル位北側の南蔵院に通じる道路沿いに移つされ、お名も「首継ぎ地蔵」となったのです。今もあるお堂は、もと地蔵様が建っておられた所の、クヌギの木を切って作ったものだそうです。