豊島区立駒込図書館/さくらデジタルコレクション

染井遺跡調査

Ⅵ.遺物は語る


「かわらけ」の出土状態

発掘調査で出土した遺物は、現在では既に製作・使用されていないものも含まれています。そこで、出土した数々の遺物がいつ頃の時代に属していたものかを調べて、時間的に並べることにより、どのように変化してきたかを知ることができます。 江戸時代の遺跡から出土する代表的な遺物に、「かわらけ」があります。どのようなかわらけが江戸時代のいつ頃に作られたかは、同じ遺構の中から一緒に出土している、製作年代が明らかな陶磁器などから推定していくことができます。
 今までに染井遺跡では、日本郵船地区・丹羽家地区・加賀美家地区といった「かわらけ」を出す3か所の江戸時代の遺構群を発掘しました。その結果、江戸時代前半から明治初期に属する遺物が出土しています。そこで発見された遺構の年代は、遺構の切り合い(新旧関係)を中心に、製作年代の明らかな遺物を参考にしながら割り出していきます。
 さて、日本郵船地区の土坑群は17世紀中葉から後半、23号地下室は18世紀後半から明治初頭まで、丹羽家地区の9号土坑は幕末頃、加賀美家地区4号遺構は17世紀中葉頃、13号遺構・19号遺構は18世紀中葉を主体とした遺物がそれぞれ出土しています。これらを時代順に並べて「かわらけ」の変化を追ってみると、18世紀頃から浅くて薄いものが作られるようになってきます。また、大きさの種類についても、18世紀代になると2寸(6cm前後)以下のものから6寸(18cm前後)ほどのものまで、さまざまな大きさのものが作られます。19世紀になると、透明釉が掛けられるものが増え、素焼きの「かわらけ」は姿を消していくようです。

染井遺跡における「かわらけ」の変遷 「かわらけ」は、一般に江戸時代には灯火具として使われており、皿に油を入れ藺草(いぐさ)などの灯芯に点火して使っていました。そのため「かわらけ」の口の部分に煤(すす)の付いたものが見つかっています。18世紀の末から、2寸以下の小さな「かわらけ」の底にあけたものが見られるようになり、19世紀に入ると、最初から真ん中に孔をあけてあるものが作られるようになります。これは蝋燭(ろうそく)の使用が庶民の間にも普及したことを物語るもので、「かわらけ」の中心部に金属製の釘などを立てて、蝋燭立てに使われたことを意味しています。
 こうして、どのような「かわらけ」がどの時代に属していたかを知ることにより、当時のようすを垣間見ることができ、「かわらけ」の変化をたどることによって、私たちは江戸時代の夜の生活が時代を追うにつれ長くなり、充実していくようすを知ることができるのです。