港区/デジタル版 港区のあゆみ

新修港区史

第一編

第六章 近代

第一節 明治前期の港区

(六) 転換期の産業経済

(5)開拓使官園の開設

【開拓使官園】 開拓使は明治二年七月設置されたものであるが、同四年九月、青山南町七丁目一番地松平頼英邸三万七〇六六坪、同北町七丁目二番地稲葉正邦邸五万坪、麻布新笄町一四番地堀田正倫邸四万七五〇六坪を開拓使用地とし、南町を第一、北町を第二、新笄町を第三官園と称した。その設置の目的は、動植物の良種を外国から購入し、直ちに北海道に移植しても風土の適否がわからないので、まず、東京で試育し、その適否を試験したのち、七重試験所に移し漸次北海道全道に及ぼすというものであり、また、西洋農具使用により牧畜樹芸を生徒に伝習させ、卒業後七重試験場に派遣させて全道農業の模範たらしめることにあった。同四年十一月、南豊島郡下渋谷村民有地二万九六八九坪余を買上げ、第三官園に編入、同八年三月、本園は農業試験場と改称された。同九年三月、渋谷村ほか五カ村民有地四万二三二二坪余を買上げ、第二、第三号試験場に編入、また、麻布新笄町の第三官園には、七一二八坪余の牧場が施設され、一般に麻布の開拓使牧場と呼ばれた。同十年の『東京府統計書』によれば牧畜数は牛一七匹、馬九匹、牧場人員は役員四人、生徒三人、牧人一三人とみえる。