港区/デジタル版 港区のあゆみ

新修港区史

第一編

第五章 近世

第六節 幕末史跡と港区

(一) 外国公館が置かれた寺院等

(1)善福寺(元麻布一丁目六―二一)

【総領事ハリス】 麻布山善福寺は、中世以前に開かれた浄土真宗の名刹である。
 アメリカ政府は、安政三年(一八五六)以来、下田に在住していた総領事タウンゼント・ハリスを同六年にいたって公使に昇格させた。ハリスはただちに老中あてに手紙をだし「自分はアメリカ合衆国のミニステル(公使)に昇格した。そして大統領よりの親書を大君(将軍)に手渡したいので上京する。そのさい、江戸に留まる際の住居を設けてほしい」と希望した。ハリスは六月六日に品川沖に到着したが、幕府は老中太田備後守(資始)と間部下総守(詮勝)の名で、公使昇進の祝辞をのべるとともに、宿舎を麻布善福寺に決定したことを通知した。
 同月八日にハリスは善福寺に入るが、『善福寺略史』によれば「ハリスは本堂南間脇の間を居所に、次の間を応接室に、下陣の南縁側を食堂として不便な生活を忍んでいた」と記されている。八月十八日に肥後藩の田中孚が江戸から国元へ送った書簡には「亜墨利加人十八、九人旅宿」とあり通訳のヒュースケンを入れて意外の小人数であった。ハリスは、文久二年(一八六二)四月十二日後任のクライン公使の着任によって帰国することになった。帰国にあたりハリスは善福寺住職広海に感謝の印(しるし)として金百両を贈った。広海は寺社奉行にこの百両を受領すべきか否かについて、次のような問い合わせを行なっている。
 
     口上書
  亜国ミニストルエ江致面会度旨、昨日御掛リ御老中於御宅申出候処、伺之通御聞済ニ付帰館ノ上、御役人立会致面会候処、永々当寺エ止宿仕居候処、帰国ニ付、拙僧エ金百両送リ候間、右受納仕候テモ、可然哉、此段奉伺上候、以上四月七日
                                         麻布善福寺
    寺社御奉行所                            麻布 広海
 
 こんにち善福寺を訪れると、ハリスの肖像がある記念碑を見ることができる。昭和十一年(一九三六)十二月に建てられたもので、次のような英文が刻まれている。
 
 ON THIS SPOT TOWNSEND HARRIS OPENED THE FIRST AMERICAN LEGATION IN JAPAN JULY 7, 1859. DEDICATED BY THE AMERICA-JAPAN SOCIETY, DECEMBER 19, 1936.
 
 なお、太平洋戦争中反米熱が高まるなかで、善福寺住職は万難を排して、この碑を破壊から守ったという美談が残っている。ハリスが住んでいた本堂は、昭和二十年(一九四五)五月に戦災のため全焼し、こんにちでは再建されたものでしか、昔をしのぶことはできないが、ハリスに関する文化財として「亜墨利加ミニストル旅宿記」と表題のついたものが二冊残されている。これは、当時の善福寺の役僧が記した日記で安政六年(一八五九)にはじまり明治八年(一八七五年)にいたっている。
 ちなみに、善福寺は、東京都の旧跡にも指定されている。