多古(たこ)町/多古町デジタルアーカイブ

多古町史

地域史編

旧東條村

船越(ふなこし)

路傍の小祠・石宮など

 稲荷社 字堂島二〇二〇番の一にある。大立寺裏山の頂上で、亜鉛葺雨屋の中に木造の小宮が安置されている。
 八幡社 字桔梗地二六七四番の集落西端で、水戸との境に近い三差路にある。高さ三〇センチ余の石宮には、「内守八幡宮 道祖神 明治十四年十一月吉日」。
 浅間社 字大塚二四一六番にある。雨屋の内に納められた五〇センチ余りの石宮に「明宮神 寛延三庚午(一七五〇)十一月吉日 施主十一人立之」。
 弁天社 字同二四〇六番にあり、台地上にあるためか丘弁天と呼ばれている。六〇センチほどの石宮に刻銘はない。無刻であることが原因なのか、幾度か石宮を持ち去られたが、またいつの間にか戻されていたということである。
 妙見宮 字戸上一七四一番にある。第三小学校裏の丘上で、その参道は急坂となっている。
 五〇センチほどの石宮で、「妙見大菩薩 昭和二十五年旧正月 椎名安次之立」。
 庚申塔 現在は墓地入口であるが、かつての西正寺の跡地で、旧道から参道への分岐点のところ字粟田一九七八番にある。二基の塔には次のように刻まれている。「寛政十二庚申(一八〇〇)十月吉日 粟田講中」、「奉安置庚申尊像二世   宝永元甲申(一七〇四) 月吉日 市良右衛門 左五兵衛 四良平 五右  」。
 この二基の正面に浮き彫りされている青面金剛は、病魔退散の本尊として道祖神と併設されることが多い。この道も古くは当地域の主要道であったようである。
 弁財天宮 地区の人たちが御池と呼ぶ字谷一六一八番の一で、古くは農業用水池であったと思われる池中の小島に祀られている。二基ある石宮の刻銘は次のように読み取れる。元文十丑(ママ)歳正月吉日 下総国船越村椎名 右衛門」、「弁天宮寛保元酉(一七四一)十一月吉日」。
 道祖神 街道沿いの村はずれに祀られる場合が多く、船越は小島・堂谷・粟田の三集落からなっていることもあって、道祖神は数カ所に点在する。その位置と刻字は次のとおりである。
 字堂島二〇七五番に一基ある。ここは熊野大神の参道で、この道祖神は他所から移されたものであるという。「道祖神享保二十乙卯(一七三五)十一月吉日」。
 字下巣越二九二六番の、皇産霊大神へ登る石段右側の樅の木の下にあるものには「道祖神」とのみ。
 字大塚二四二二番のものは粟田集落の中央部で、「道祖神 寺田 椎名氏」。
 字戸上一七三三番の四には高さ七五センチほどの石宮が小碑三つと多数の奉納石とともにあり、小石碑に「道祖神」と刻まれ、石宮に「昭和十二年四月吉日改築之 佐瀬庫太郎 同国次郎 同縫三郎 佐瀬しげ 同俊」とある。
 字粟田二〇〇九番の三には、二〇センチ余の石宮と小碑があって、小碑には「道祖神」とあるが石宮の刻字は読み取れない。足の病に霊験があって現在も参詣の人が訪れるという。