多古(たこ)町/多古町デジタルアーカイブ

多古町史

地域史編

旧多古町

間倉(まぐら)


 

 多古町の西北部に位置している。栗山川の支流多古橋川の水源地帯でもある。この川沿いに拓かれている水田は上流に向かうに従ってその幅を狭め、ここが最深部となっている。
 北西後背の丘陵部が芝山町の菱田に接し、北面の一部が一鍬田、東部が飯笹、南は喜多井野にそれぞれ隣接する集落である。
 明治二〇年代の地目別面積は次のとおりである。
 
  田   一四町七反五畝二八歩
  畑   一一町六反一畝一八歩
  宅地  一町四反一畝四歩
  山林  七四町五反七畝一七歩
  原野  一町一反一畝五歩
  墓地  四反七畝二五歩
  計   一〇三町九反五畝七歩
 
 明治の末期までは前掲の規模で一村としてその運営がなされてきたが、明治四十年ごろから、字中山、字子持沢地域に軽便鉄道の敷設工事が行われ始めると同時に、五辻駅が新設され、これを中心として、それまでの原野の中に人家が出現し、村落というよりは、むしろ市街地の性格を持つ地域が形成されたのである(軽便鉄道については後出)。
 この五辻地区は、東西に走る県道(横芝下総線)の両側に人家が並び、この道路をおよその境界として、行政区画上の大字飯笹と間倉に分かれている。したがって、町の行政上でも一般的にも、五辻という旧村があって行政上の一区画として扱われているが、法律上の行政区画としての「大字五辻」は存在しない。大まかには、道路の一鍬田向きに見て左側の家は大字間倉区に属し、右側の家は大字飯笹区に属している。こうした理由から、間倉・飯笹両大字の境界はあっても間倉と五辻の境界はないのである。
 昭和五十九年十一月現在の間倉の概要をみると次のようになっている。
 
  宅地  七町四反六畝四歩
  田   一一町八反四畝一八歩
  畑   五九町七反五畝二五歩
  山林  四八町五反一畝二四歩
  原野  四反一畝一一歩
  その他 一町三反七畝一九歩
   計  一二九町三反七畝一一歩
 昭和五十九年十月現在の人口「五辻(間倉)含」
  世帯数 一四四戸
  人口  五四四人 男二七五人 女二六九人
 
 これを明治時代の面積と比較するとき、約二五町歩余の増となっている。