多古(たこ)町/多古町デジタルアーカイブ

多古町史

地域史編

旧多古町

東台(ひがしだい)


 

 栗山川沿いに広がる水田は、支流の多古橋川をはさんで幅をせばめながら北部の丘陵地に入りくみ、いわゆる谷津田を形成しているが、その中間に位置する高台の集落が東台である。
 東側は水田をはさんで染井と相対し、南が地つづきに中佐野と接し、北は水田をへだてて大原を望見するという喜多集落の最高部で、西側の上総方面に出る以外は、すべて急坂を登り降りしなければならない。したがって水田を耕作する上での運搬作業には最も難渋したところである。
 現在の正しい呼び方は多古町喜多区である。東台とは、喜多区中の他の集落と同じく旧村名の呼称であり、明治十年四月に喜多村ができる以前の村名である。村の規模は昭和五十九年十一月現在で、
 
  宅地  三町五反九畝二歩
  田   三一町九反三畝一四歩
  畑   九町二反五畝四歩
  山林  八町一反六畝二二歩
  原野  一町四反三畝一二歩
  その他 一町四反二畝一六歩
   計  五五町八反一〇歩
  世帯数 二九戸
  人口  一四〇人 男七〇人 女七〇人
 
 このようになっている(世帯数・人口は同年十月現在)。
 これに対比する古文書、天明六年(一七八六)の名寄帳によれば、東台村の面積は次のようになっている(『天明名寄帳』を明治九年に書き改めたもの)。
 
   内訳     東台村
一、田  弐拾四町九反三畝拾四歩
一、畑  九町七反六畝拾七歩
一、宅地 三町九畝拾六歩
一、砂押      六歩
    外
一、山   五町九反五畝五歩
一、開墾畑 壱反四畝弐拾四歩
一、神社弐ケ所 此坪百六拾五坪
一、墓所壱ケ所 此坪三拾三坪
一、制札場       六坪
一、蔵屋敷地     拾三坪
一、種井敷地壱ケ所 此坪三拾坪
一、井敷地壱ケ所 此坪拾六坪
一、神社壱ケ所 此坪七百八拾坪 東台村・中佐野村・東佐野村
一、境内壱ケ所 此反別壱反三畝拾歩 官有地
一、芝地八ケ所 此反別八町四反七畝拾三歩  右同断
一、溝敷 五畝七歩        右同断
一、馬療治場壱ケ所 此坪六拾坪 東台村・中佐野村
一、斃馬捨場壱ケ所 此坪三百坪  右同断
一、墓所弐ケ所 此坪四百弐拾坪  右同断
一、新墓所壱ケ所 此坪三百坪 東台村・中佐野村・東佐野村
一、藪地 三反壱畝歩  三ケ村分
 右者今般税法御改正ニ付銘々持地主共立会、従前々隠田切開縄伸之類迠、地毎取調所落者勿論、隠歩等一切無御座候。若心得違之義有之後日相顕ニ於テ者、如何様之御処分有之候共、毛頭申分無御座候。依之地主一同調印以奉申上候 以上
   明治九年三月                        下総国香取郡東台村
                                     関渉人 山口茂兵衛 印
                                      〃  瓜生捴兵衛 印
                                     用掛り 瓜生平兵衛 印
                                      中佐野村
                                     関渉人 飯田嘉右衛門 印
                                      〃  佐久間啓助 印
                                     用掛  松本小兵衛 印
                                      東佐野村
                                     関渉人 高岡久右衛門 印
                                     同   土屋泰蔵 印
                                     用掛り 岩内源右衛門 印
    千葉県令柴原和殿
 
 これによってみると、東台は徳川期にすでにあますところなく開拓されたものと思われる。