多古(たこ)町/多古町デジタルアーカイブ

多古町史

地域史編

旧多古町

東佐野(とうざの)

路傍の小祠・石宮など

 稲荷社 字小堀六〇四番の一にある。集落の東端から台地の字宮前(中佐野)の畑地に通ずる旧道沿いで、参道は一〇メートルほどの急坂になっている。椎の古木に囲まれた木造小宮は、豊作の神らしく前面の水田を見渡している。
 道祖神 集落内の東西二カ所に祀られている。東のものは字千場(せんば)四六九番にある石宮で、「道祖神 願主四郎兵衛」と刻まれ、西のものは字木戸三五〇番の墓地入口に立つ石柱で「道祖神」とだけ記されている。
 道しるべ 字上谷台(かみやつだい)三〇〇番にあるが、上総・下総の国境いの道と国道二九六号線が交わるところで、集落の最西端である。高さ一メートルあまりの石柱に「奉順禮西国三十三霊場供養塔 さハら かとり 源だ(だ) なめ川 南志ば(ば)山 なると とふか袮(ね) 九十九里道 嘉永七寅(一八五四)八月建立 東多こ(こ) 中むら 八日市ば(ば) てうし道 西かも なり多(た) さくら 江戸道 世話人東佐野村金澤弥右衛門 山田村八良左衛門   五反田村斉藤縫殿之丞 萩原雄七郎 萩原佐右衛門 萩原長兵衛 坂志岡村橋本八郎兵衛 山田村小川伊右衛門 小川利右衛門 小川新左衛門 高橋善右衛門 小川勘兵衛 川尻弥右衛門 小川五右衛門 高橋六兵衛  」と刻まれている。
 供養塔 字並木三二一番の一の、前記道しるべの地点から国道を多古方面へ二〇〇メートルほど行った右側の杉林に二基あって、一メートルほどの角柱のものには「梵字 光明真言洛又成就所講中 文化十二乙亥年(一八一五)十一月吉日船越 石成 五反田 東佐野世話人源右衛門 平右衛門 大原 伊野 飯笹 間倉 菱田 加茂 白升 山田 小原子 上吹入 下吹入 宮崎 打越 境村 牛尾村」とあり二メートル余の自然石板碑には「南無妙法蓮華経 奉読誦久遠偈三万巻供〓塔 古昌山二十七世日隨識 于時明治四十四年秋季彼岸会砌建之 本願人小川又右衛門 小倉貞次郎 三宮長治賛助人斉藤文吉 土屋弥助 高岡太郎左衛門 高岡富次 飯田爲吉」と刻まれている。
 この二基が前に記した古墳群の中で最も大きな古墳の上に建てられていて、大正のころ現在地へ移されたものだという。